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2013/04/09

私がインドネシアに帰ってきて、体調を崩している間に出会った1冊の本について書きたいと思う。

本と言うより、正確にはデータベースである。

と言うのも、本のタイトルが【GORONTALO DALAM ANGKA】で隣に英語で【GORONTALO IN FIGURES】と書いてある。

直接すぎる!

私の下手な翻訳だと【図表で見るゴロンタロ】と言ったところだろうか。

 

この本は、毎年ゴロンタロ州政府が発行しているゴロンタロについての詳細な情報である。

各年の9月に新しいものが発行される。

出会ったと言うと、少々大げさではあるが、私が受けた衝撃は非常に大きかった。

今年(2013年)の9月に発行される本は、2012年の情報をもとにしている。

全13項目は以下の通りである。

第  1章・地理と気候

第2章・行政

第3章・人口と雇用

第4章・社会

第5章・農業

第6章・産業とエネルギー(源)

第7章・貿易

第8章・交通と通信と観光

第9章・金融と市価

第10章・住民の支出

第11章・地域所得

第12章・貧困

第13章・スラウェシ島における州間の比較

 

さて、ゴロンタロ州があるスラウェシ島は6つの州から成り立っている。

星印の場所は各州の州都所在地名である。

スラウェシ島で最も大きい都市は南スラウェシ州の州都であるマカッサルである。

ついで、北スラウェシ州の州都マナド。

残念ながら、ゴロンタロは下から数えた方が早い。

と言っても、下はどこも同じ程度で甲乙付け難い。

これは、最終章を見ると一目瞭然である。

 

私は正直このような本が政府から発行されていることを知らなかった。

きっかけは私の教授の質問からである。

“ゴロンタロって人口どれくらい?”

大体で答えたが、彼は正確な数字を必要としていた。

日本であれば、ネットで調べる・市役所などに電話をかける等の方法がある。

しかし、このような手段がここでは取れない。

そして、誰に聞いても答えはバラバラで大体の数さえ掴めないのである。

 

ゴロンタロ州は5つの県と1つの市から成っている。

インドネシアの場合、州(provinsi)の下に市(kota)と県(kabupaten)があるが両者に差はなく“市”と呼ばれるのは州都である。

ちなみに私が住んでいるのは、ゴロンタロ市(kota Gorontalo)である。

したがって、ゴロンタロ州の中では最も大きな都市である。

大学・病院・モールなどある程度がすべてそろっている。

その他にボアレモ県、ゴロンタロ県、ポフワト県、ボネ・ボラゴ県、北ゴロンタロ県の5つの県がある。

市および県の下には、郡(kecamatan)がありさらに下に区(Kelurahan)または村(desa)がある。

 

さて、教授に対する答え。

ゴロンタロ州の全人口は2011年時点で1,062,883人であり、昨年(2010年)より22,719人増えている。

1990年、2000年、2010年と2011年のデータがあるが、1990年はゴロンタロ市および県の2つのデータしかない。

2000年のデータは1市5県、すべてそろっており、ゴロンタロ州全人口が830,184人である。

データ(数字)はただの数字の羅列にならないよう、ほとんどの表にグラフが付録としてついている。

男女比はもちろんのこと、市と各県の年代別の人口増加率の比較。

最新の人口データを基にした人口ピラミッド(大変きれいな富士山型で少々興奮する)。

 

最初にもお伝えしたように、この本は非常に興味深い。

毎年、このように詳細なデータを集めていることに驚いた。

章だけで見ると大雑把なので、少し例をあげてみる。

・とうもろこしの収穫量と作付面積

・年間の観光客(インドネシア国内および外国)数と州内にある全ホテルの月別稼働率

・避妊方法

・貨幣の使用目的(何にいくら払っているか)

・月別エネルギー使用量

・世帯数(一軒に何人暮らしているか)

 

私が驚いたのはデータを集めていることだけでない。

このデータを信じることが出来ないのだ。

今まで1.5年という短い時間であるが、ここゴロンタロで生活して実感する結果とこのデータがどうしても合わない部分があると思うからだ。

例えば、屋台をしていたり自分の家に小さな店を開いたりしている場合。

この種の職業は特に開店許可書などを取らなくても、自分の意思だけで開ける。

ここで働いていても収入にしても報告の義務はない。

つまり、このデータには全く反映されないのである。

多くの人は、兼業している。

この多くの場合も(もちろん職種によるが)データに反映しないと思われる。

上記した、世帯数(一軒に何人暮らしているか)について。

市・各県の平均はすべて4人という結果に。

したがって、ゴロンタロ州の平均も4人である。

しかし多くの場合、一軒に兄弟家族と両親など、複数で生活している。

この傾向は田舎にいくほど顕著に表れ、人数は増える。

州都であるゴロンタロ市は独立して自身の家を構える家族もあるが、ここであってもまだ稀である。

 

と言う具合に、なかなか私の中でスッキリしない点が多いのである。

この本の欠点としては、このような疑問に対する答えが一切ないことである。

データを並べただけなのである。

ここ5年で砂糖や調理油の値段が2倍以上になっているのに、給料は一向にして変わらない。

この点に関して、ゴロンタロ州政府はどのような対策を取っている、またはどのように考えているのか。

外国人観光客がここ3年増えているのは、どうしてなのか。

(月別の就航回数はここ数年増えているので、ジャカルタやバリからの交通の便がよくなったため増えたと言える。しかし、国内・インドネシア人の観光客が毎年減少しているので、就航回数は理由にならないと思っている)

私が上記に示したような、データに反映されない職業や収入はどのように考えたらよいのか。

そもそも、どのようにこのデータを集めているのか。

(村から徐々に上へと結果を伝えているのだが、村がこのように詳細で膨大な項目のデータを集めているとは思えない)

このデータをどのように政府の政策に活かしているのか。

各章だけでさえ疑問は尽きないが、別々の章のデータを持ち出し比較しだすとさらにキリがない。

これらの質問に対する答えは、直接州政府に質問しないといけないようだ。

時間が出来次第、アポを取ろうと思っている。

それまでに、読み込み・データ比較などを続けていきたい。

06:34 | sayaka | ゴロンタロについての詳細な情報 はコメントを受け付けていません
2013/03/22

私には半年間ほど答えを出せていない質問がある。

 

これは9月下旬の話。

私は1年生の授業も持っていた。

授業の始まるつい数週間前までは高校生で、9月上旬に入学した新入生だ。

確か第2回目の授業の時。

“この岩石は何からできているでしょう?”

この質問に対して“鉱物”とか“石は石から”とか“マグマだよ”などこういう答えを想像した。

そして、実際このように答えた生徒が1人を除いて全員だった。

この1人の生徒は“神が創った”と誰よりも最初に答えたのだ。

当然、日本から来た言葉もろくに喋れない私を困らせようとしての発言ではない。

この学生は本当にそうだと思って答えたのである。

 

しかし私は、この答えを聞いて固まってしまったのだ。

しかも、“もう一度言って下さい”と聞き返してしまったのである。

この時の私の表情は自身では分からないが、きっと困惑を隠せていなかったと思う。

私の気持ちを汲み取ってか、他の学生が“そういう答えじゃないって”と言ってその学生に訂正を求めたのだ。

 

この学生の答えははたして“正解”なのか“不正解”なのか。

この瞬間から私の頭の中で“科学と宗教”について考え始めた。

こうやって文字にして並列することにさえ、正直抵抗がある。

科学を先に書くことで、優劣をつけているような気にさえなってしまうのである。

“あいうえお順”という勝手な理由をつけて、自身を納得させているのである。

 

“そういう答えじゃないって”と発言した生徒には“科学と宗教”の区別がついているのであろうか。

これは私の想像でしかないが、科学とはこういうもの・宗教とはこういうもの、という答えを持っていないと思う。

でも、両者の領分というかすみ分けは出来ていると思う。

ただ、それを言葉に置き換えて表現できるかどうか。

なぜなら、私はハッキリとした言葉による答えが欲しいからだ。

答えを探し始めてからと言うもの、様々な人から話を聞いた。

同僚や生徒、友人、ホストファミリー。

しかし、私が“なるほど”と思える答えは返ってこない。

もちろん言葉の壁もある。

だが私が“なるほど”と思えない最大の理由は、“宗教”について私自身が理解していないためである。

理解していないと言うより、理解できない、と言った方が正しいかもしれない。

宗教が日常でない分、少しでも解答にたどり着けるように努力するのみである。

 

新しい学期が始まってしまっているのに、答えが出せていない自分が腹立たしい。

理解できないからと言って放置はしない。

出来る限りの努力をしないといけない。

私がゴロンタロの人々に対して抱いている感情を整理する上でも大切な過程なのだ。

なので、私は日本滞在中に様々な本を読み、この質問に対する答えを求めた。

未だに“解答”がないので、今回のタイトルを“その1”とした。

09:06 | sayaka | 科学と宗教 その1 はコメントを受け付けていません
2013/03/15

日本で束の間の休日を楽しみ、現在はすでにゴロンタロに戻ってきています。

温度差は一体どれぐらいでしょうか。

日本は冬だったので、考えるだけでどっと汗が出てきます。

 

ゴロンタロに戻るまで、丸2日を要します。

私の場合は大阪からバリへ直行便で向かいます。

そのあと、ゴロンタロ行きの飛行機はないのでバリで強制1泊。

そして、早朝にゴロンタロへ向けて出発です。

私の場合はゴロンタロまで1人での移動です。

ですので、やはり最大の問題は“トイレ事情”です。

“トイレ行きたいからこれ見といて”などと荷物を預けることが出来ません。

日本のように最高の環境だと、バックかけがある。

なくても、床に置いていいか、と思えます。

しかし、ひとたび日本を離れるとそこは異国の地。

トイレ事情は以前も熱弁しましたが(笑)、床が常に濡れているので床に荷物を置くことさえできません。

もちろん、バックかけなんて便利なフックもなく…

 

それなら私がストイックになるのみ!

大阪から出発する前から、極力飲食を控えます。

機内食もいただきません。

これは、ゴロンタロに到着するまで続きます。

 

さて、ゴロンタロに到着した後。

長い間、ここで食事を摂らないと起こることがあります。

料理に使う油が身体に合わないのです。

したがって、身体のむくみ・目がはれる・お腹をくだす・吐き気などの体調不良がつきものです。

今回の場合は、気温差も重なり、余計に気をつけなければ…

と思っていても、いずれはここゴロンタロで食べないといけない第一回目の食事が早かれ遅かれ来るわけです。

私は、これを数日間伸ばしてみました。

日本から持ってきていた日本食を食べていましたが、パーティーに出席しなければいけなくなったのです。

何も食べないことは失礼にあたるので、用意してある食事をいただきます。

しかし、この日の夜から体調に変化が…

恐れていたことがすべて起こってしまいました。

仕方ない、いずれは越えなければいけない壁…

自分にそう言い聞かせ、やっと波を越えたところです。

 

再来週には、私の教授が日本からやってきます。

そのための準備やそもそもすでに開始している今学期の授業など、体調を崩している場合ではありません。

今週末で体調を回復させ、月曜日からまた出勤できるよう安静に過ごしたいと思います。

09:31 | sayaka | 日本での滞在も終了 ‐トイレへの挑戦‐ はコメントを受け付けていません
2013/02/28

一時帰国をしっかり満喫しております。

薄着の日々で日本の寒さも満喫しています。

ヒートテックだと思って持って帰ってきたインナーはサラファインで通気性が抜群です(笑)

そして、肌の乾燥がひどいです。

手や顔がピキピキしています。

 

高校を卒業して初めての長期実家滞在です。

ご飯は出てくるしお風呂は沸いているし、何もせずゴロゴロと過ごしました。

家族で温泉旅行に出かけ…

家に飾ってあった御雛様をボーっと眺め…

佐世保バーガーを食べ…

 

ハウステンボスに遊びに行き…

ちょうどシーズンだったので、ランタンフェスティバル+中華のコースを満喫し…

軍艦島上陸ツアーに参加して…

長崎名物であるトルコライスとミルクセーキをいただき…

そうです!

私は長崎出身なのです。

 

来週の中ごろには、もうインドネシアに帰っています。

あの暑さを考えるだけで嫌気がしますが、残り数日の滞在も楽しんで過ごしたいと思います。

10:13 | sayaka | ゆっくり実家に滞在 はコメントを受け付けていません
2013/02/08

去年に続き、一時帰国となりました。

“なりました”と言っても、すでに日本入りしています。

THE 冬という感じで、寒さを楽しんでいます!

 

昨年同様、半袖にサンダルで関空に降り立ちました。

日本の寒さを甘く見ていたと言いますか、忘れていたと言いますか…

さすがに、寒すぎました(笑)

関空内でさっそくコートを購入し、着用。

暖かい!

 

昨年の活動報告と実家へ帰省予定です。

本日、松山は雪!

写真を撮ってfacebookにアップしたところ、生徒たちが大喜びでした。

赤道直下のゴロンタロでは、絶対に見ることが出来ない雪。

“持って帰ってきて”との要望は丁寧にお断りしました(笑)

 

日本に帰ってきて、体調があまりすぐれません。

インフルエンザの流行…

日本食が合わないのか、お腹をくだす…

食べたいものリストを全く実行できず、1週間が経とうとしています。

 

04:31 | sayaka | 一時帰国です~2013年Ver.~ はコメントを受け付けていません
2013/01/23

私は先月、一通のラブレターを頂きました。

このお手紙を読んだ時、とてもムズムズしました。

と言うのも、“コラム”という文字や写真を通したお付き合いしかない、直接会ってお茶も話もしたことがないJunkStage・女子の部の皆様からいただいた“ラブレター”だったからです。

私が今までに書いたコラムから、私への思いを綴っていただいたのだと思います。

それからと言うもの、ゴロンタロに来た目的などの仕事面や今までの生活について考え始めました。

 

話は少し戻ります。

私が11月上旬の出張から帰ってきた時の話です。

“サヤカの契約更新の書類、もうできてるからね~”

この一言に衝撃を受けました。

私の契約は2013年2月までの予定で、その後どうするかは予定は未定状態。

今まで一度も正式に契約更新のお話がなかったので、びっくり!

事務作業が遅い彼ら(ごめんなさい)が私の出張期間のたった一週間で書類を作り、必要なサインを片っ端から集め、あとは私がサインするだけという文句のつけようがないほど完璧な書類でした。

やればできるじゃん!は、心にそっと閉まって…

もちろん私は愛媛大学より派遣されていますので、私の一存では決定出来ない旨を伝えます。

私の教授は私自身で決めればいい、と一言。

これからの私自身の人生をどうするか、更新したらまた暑い中過ごすのか、日本帰りたいな、などなど本当に様々な事を考えました。

でも、私は分かっていたのです。

契約更新する、と。

もちろん、嫌なこと・辛いこと・逃げたいこと・うんざりすること…たくさんあります。

悩むだろうけど、最終的に更新しちゃうだろうな…こんな気持ちが心のどこかにありました。

 

随分、長いこと悩みました。

答えは決まっていたのですが、なかなかハッキリせず。

自分自身を納得させることが出来る、言葉に出して言える理由をさがしていたのです。

今、自分自身で納得が出来る最大級の理由を両大学に伝えました。

しかし正直、本当の答えは今も見つかっていません。

 

そんな時期にラブレターを頂き、私のコラムをご覧になっている方がどのように“私”を見てくれているのかを知ることが出来ました。

もちろん、思いは人それぞれなので、私に対する1つの見方だと思います。

このラブレターの最後に“高倉さんは自分が今住んでいる、この場所が本当に好きなのだなあ、と思わせられる部分です”という一文がありました。

 

私はゴロンタロが好き…なのか?

 

契約更新のお話を頂いた時に、なぜ素直に“はい、お願いします”と言えなかったのか。

それは、この質問に対する気持ちが自身の中で漠然としていたからです。

漠然としすぎていて、ゴロンタロのことをどうにかやって嫌いになって、契約更新などせずにサクッと帰国するという意味不明な志向になった時もありました。

嫌いになれたら、どんなに楽なことだろう…

決して、“好き”でもないし“嫌い”なのでもありません。

毎回、コラムに書いていることは事実です。

ゴロンタロ空港に降り立った時の帰ってきた感、これは本当に毎回感じていることなのです。

 

私がゴロンタロの人々から尋ねられる質問で一番嫌いな一言。

“ゴロンタロに住めて嬉しい?”

嬉しいはずがありません。

停電・断水・ネット回線など思い通りに生活できない。

友達や家族、教授と離ればなれで、話をしたい時にタイムリーに話せない。

日本食など食べたいものが食べれない、大好きなお酒を飲めない。

映画館などの娯楽施設がなく、遊びに行く場所がない。

プライバシーという考え方がなく、ズケズケと個人の領域を侵す。

朝から晩まで鳴り響くビートの聞いた音楽。

時間や期限を平気で破るその考え方。

 

もちろん、この質問に対する私の答えは一貫して“ゴロンタロはいい場所だよ、住むことが出来て嬉しいよ”です。

ごめんなさい、嘘です。

答えた後にいつも考えます。

じゃ、日本料理店があって毎日お酒を飲めたら嬉しいのか?

もっと都会で何でもあったらそれで満足なのか?

毎回、時間を守ってくれたらいいのか?

そうではないのです。

ある・出来るに越したことはないですが…別になくてもいいのです。

 

私の中で“私は日本人でゴロンタロ人々は発展途上国の人で…”“わざわざこんな田舎に来てやってるんだ”などというおこがましい考えがあるのだと思います。

私は日本人。

これは変えられないし変わる気もサラサラありません。

私は日本人に生まれ、日本で生活してきたことを誇りに思っています。

もちろん、ゴロンタロにはいい場所もたくさんあるし、いい人もいるし、私が来たことでもっと勉強したい・もっと国際的になりたいと思って協力・行動してくれる人もいます。

でも、そんな人たちでさえ完全に受け入れることが出来ない。

私の考え方が偏っているせいか、心が狭いのか…。

文化が違えば考え方が違う。

私のコラムにこの言葉がたびたび出てくるのは、自分自身に言い聞かせているのだと思います。

きっと、まだまだなのですね。

ありきたりではありますが、好きな部分はもちろんのこと、ゴロンタロの嫌な部分も全部を丸ごと受け入れられるようになりたいなと思います。

そのために、言葉を覚えるのはもちろんのこと、宗教やインドネシアに関係する本を読んだり、生活習慣について疑問に思ったら聞いたりしているのだと思います。

他の方法を思いつかない私の頭の固さに、うんざりしますが…。

もっと知りたい、もっともっと理解したい。

これは私が楽しくゴロンタロで生活するためだけではなく、仕事で人と関わっていく以上大切だと思っています。

この契約更新の期間は、“私はゴロンタロが好き…なのか?”に対する答えを探す時間だと思っています。

09:14 | sayaka | ゴロンタロへの“ラブレター”と言う名の私の決意 はコメントを受け付けていません
2013/01/16

大変嬉しいことです。

地質学科専用の教室とラボがこのたび完成しました。

 

今まであった教室に壁を取り付けて、教員用の部屋を作ります。

長机や椅子も、他の学部・学科で使用していないものを運んで設置。

今まで乱雑に置かれていた岩石は、岩石サンプル用の棚を新しく購入し、整頓しました。

完成した次の日には、さっそく女の子たちのお喋りスペースになっていました!

 

まだまだ解決しなくてはいけない問題がたくさんあります。

しかし、このように一歩ずつ学科が出来上がっていく様子を見ると、自身の気持ちも引き締まります。

来学期から使用可能になるので、来月から始まる新しい学期が楽しみです。

07:21 | sayaka | 地質学科専用の教室が出来ました はコメントを受け付けていません
2013/01/08

皆様、新年明けましておめでとうございます。

今年も昨年に引き続き、私のコラムにどうぞお付き合い下さい。

 

実は、ゴロンタロの年末年始休みは非常に短いのです。

私はお休みをいただいて、ダラダラとバリで過ごしていましたが…

基本的に元旦である1日しか休みではありません。

しかし、生徒たちも帰省し授業もないので、実質休みと変わりがないようです。

家族に会うために、ゴロンタロを離れていた先生方もいたようです。

 

インドネシアの祝日は、西暦の新年、独立記念日、クリスマスを除いて、毎年日にちが変わります。

インドネシア政府が発表した、2013年の祝日。

1月1日

(火)

西暦新年

1月24日

(木)

マウリッド(ムハンマド生誕祭)

2月10日

(日)

イムレック(中国暦2564年新年)

3月12日

(火)

ニュピ(サカ暦1935年新年)

3月29日

(金)

聖金曜日(キリスト受難日)

5月9日

(木)

キリスト昇天祭

5月25日

(土)

ワイサック(仏教大祭:仏陀の生誕、成道、入滅.仏暦2557年)

6月6日

(木)

イスラ・ミラジュ(ムハンマド昇天祭)

8月5日

(月)

公休日

8月6日

(火)

公休日

8月7日

(水)

公休日

8月8日

(木)

イドル・フィトリ(断食明け大祭)

8月9日

(金)

イドル・フィトリ(断食明け大祭)

8月17日

(土)

インドネシア共和国独立記念日

10月14日

(月)

公休日

10月15日

(火)

イドル・アドハ(犠牲祭)

11月5日

(火)

イスラム暦1435年新年

12月25日

(水)

クリスマス(キリスト生誕祭)

12月26日

(木)

公休日

公休日とは祝日とは別に、連休とするために政府によって祝日の前後に設けられた政令指定休日をさしています。

ちなみに、今年の断食開始予定日は7月9日(火)だそう。

 

この日程が発表されたのは、昨年の7月です。

私からすると、不思議な感覚です。

最近では珍しくない、2年間のスケジュール帳。

手帳が製作された時期にもよりますが、2年目のカレンダーにハッキリとした祝日の日程が掲載出来ない。

それぞれの宗教歴に従った休日なので、皆さん大体この日だろう、と感覚があるようです。

が、やはり、予定はキッチリの日本人には、まだまだ慣れないものの1つです。

 

2013年にインドネシアへの旅行をご検討の方は、参考にして下さい。

休日期間は、ローカルの観光客でも混み合う可能性もあります。

今年は、ゴロンタロ以外の場所に積極的に旅行に行こうかと考えています。

たくさんあるインドネシアの有名な観光名所からローカルスポットまで!

予定は未定ですけど・・・

フラフラした私ですが、今年もよろしくお願いいたします。

04:52 | sayaka | あけましておめでとうございます はコメントを受け付けていません
2012/12/31

と言うことで、現在はバリに滞在しております。

 

こう考えると、インドネシアに来て初めての旅行です。

日本から友達も飛んできてくれ、最高のバリ滞在となっています。

 

旅行が決定した時点から、旅行は始まっているのです。

この旅行の計画が立ってからと言うもの、この時間のためだけに仕事をやってきたと言っても過言ではありません(笑)

ホテルやスパを予約し、一週間の予定を立てます。

友達の希望は特になかったので、私が行きたいところばかり。

観光より買い物と食べ物が中心です!

大体の予定が決まったあと、“旅のしおり”を作成。

まるで、小・中学生の修学旅行のようです。

簡単なインドネシア語やバリ島についての情報を入れて、準備は万全です。

 

さすがは、世界的な観光地です。

到着した日にはすでにたくさんの観光客が。

タクシー待ちに2時間とホテルまで1時間。

通常だと空港まで10分とかからない場所だったのですが。

これも“旅行の醍醐味”です。

 

友達と合流し、様々な場所を回ります。

人生初めてのパラセーリングなどのマリンスポーツ。

これも初めてのスパ。

 

最近オープンしたばかりのモールで買い物をして、日本気分を味わいます。

 

と思えば、足元の悪い市場を回り、欲しいものを値切って値切って値切って購入。

日本食ももちろん食べます。

ホテルの朝食は、生野菜をモリモリ食べます。

夜にはビールを飲んで、様々な話で盛り上がります。

水着をオーダーメイドで作ったり、お揃いのワンピースで出かけたり。

久しぶりに化粧をして、女の子気分です。

世界文化遺産に指定された場所にも行きました。

 

友達が来てくれなかったら、こんなに楽しい年末年始を過ごせなかったと思います。

友達に感謝しつつ、残りの日程も楽しみたいと思います。

 

今年1年、私のコラムにお付き合いいただきありがとうございました。

皆様、よい年をお迎えください。

 

07:02 | sayaka | 年末年始はバリでゆっくり~ はコメントを受け付けていません
2012/12/21

先週末、急に理学部長から呼び出しの電話がかかります。

“調査行くよ~”

訳が分からないまま、理学部長宅へ。

 

現在、ゴロンタロ大学の校舎を増築する計画があること。

すでに2つの場所を仮押さえであること。

2013年着工・2015年完成予定で、予算はUSD : 350,000,000であること。

様々な情報を教えてもらいました。

この上で、どちらの場所が地質学的に建設に向いているかを調査してほしい、とのことでした。

『えぇー、今からー』とか『一緒に行くって言ったって、理学部長の専門は数学じゃーん』とか『そもそも候補地選ぶ時に言ってよー』とか、こういう叫びはそっと心の奥底に…。

1人では不安なのでもう1人の地質の先生も巻き込んで、いざ出発です。

 

候補地①・Bone Bolango

街から離れているにも関わらず、道路はすでにしっかりと整備されていました。

この場所は現在の校舎からも比較的近く、車で15分程。

建設予定地にはまだ現地の方の家があり、生活していらっしゃいました。

川を探して岩石チェックを行います。

もう1人の地質の先生と“あーでもない、こーでもない”と議論します。

同行した理学部長にも説明します。

大まかな岩石は火成岩の一種である花崗岩でした。

 

候補地②・Haya-Haya

この場所は空港の近くにある、土地です。

空港が近くにあるので、市内までの道路は完全に舗装済です。

しかし、現在の校舎から45分ほどと、ちょっと遠いのですね。

この場所は少しでも雨が降ると水没すると有名な場所。

調査前夜が大雨だったため、まだ少し水たまりなどが…

ここの岩石は堆積岩の一種である石灰岩一色。

近くにはゴロンタロ州を東西に真っ二つにする断層も走っている。

 

私たちの結論は出た。

石灰岩も年代が古ければ強度も強い。

しかし、Haya-Hayaの石灰岩は年代が若すぎる上に大変やわらかかったのだ。

2か所で選ぶなら、断然Bone Bolangoである。

 

しかしまぁ、ボーリング調査することなく、この“調査と言う名の観察”だけで校舎建築場所を決めてしまうのは、非常に怖い。

川に下りてもせいぜい2~3mの地層や構造が分かるだけである。

実は今週の月曜日にゴロンタロから150kmほど離れた場所でM6.1の地震が起きた。

津波が発生したり死傷者が出たわけではなかったが、ゴロンタロも長時間揺れ続けた。

何と、7月に完成したばかりの新校舎の事務所にヒビが!

建築過程を知っているわけでもないし、全工程を見ていたわけでもない。

しかし、非常に不安な作り方であることは知っている。

日本のように基盤工事(というのか?)徹底的にはやらない。

だからこそ、場所が選べるのであれば断層から遠い場所を選択する。

 

さて、この調査がなぜこんなにも急だったか。

さる20日、場所を決定するにあたっての会議がゴロンタロ州政府の関係者と行われるというのだ。

調査結果を報告し、私たちの結論を提示する。

もちろんこの会議の前にゴロンタロ大学学長にも報告し、了解を得ていた。

発表と同時に浴びせられる罵声の数々…

“ふざけんなー”

“日本人連れてきたからってなんだー”

“2008年に仮押さえのサインしといて今更地質学的に無理とか意味不明ー”

“俺たち(政府方)もHaya-Hayaに移動予定だったのにー”

“じゃ、1つの学部だけでいいからこっちにも建ててくれー”

同席していたゴロンタロ大学学長もなだめようとしますが、一向に収拾できません。

学長が呆れてしまい、“ここは日本人パワーだ”と意味の分からないフリと同時にマイクを渡されます。

上記の2つ目の罵声に、少々居心地の悪さを覚えつつも発言します。

“ぜひ、思い出してほしい。2004年にスマトラ、2011年に日本を襲った津波を。原因は地震であった。犠牲者は津波だけでなく地震によっても出た。大学と言う場所は勉強する場所である。この意味は、ゴロンタロ大学が生徒や教師など大勢の人の命を預かっている、ということにもなる。Bone Bolangoにも地質的に不安な要素はたくさんある。政治的な考えを捨てて、ぜひ考えてほしい。どちらが最善の場所なのでしょうか”

インドネシア語での発言にどこまで私の気持ちが伝わったかは分からない。

英語での発言ならばまだ意味は通じただろうが、相手が英語が出来るか分からなかったから、インドネシア語を使った。

正直、このような大きな建物を建築するのであれば、もっとちゃんとした調査をやってほしい。

しかし、予算的や技術的に難しいとなれば、残る道は1つ。

場所を決定するにあたっての、判断材料を与えて議論するに限る。

政治的な圧力には負けたくなかった、と言えばそうかもしれない。

ただ、日本同様インドネシアも地震大国であり、この脅威を常に頭に置いておかなければいけないのだ。

建設技術も、地震対策など少しでも取り入れることが出来ることは実践してほしいし、切にそう願っている。

 

と言うわけで、ゴロンタロ大学の校舎予定地はBone Bolangoに決定した。

06:53 | sayaka | ゴロンタロ大学校舎増築のための地盤調査 はコメントを受け付けていません

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