幸せになるための27のドレス
【27 Dresses】2008年
主演のキャサリン・ハイグル【KATHERINE HEIGL1】は
TVドラマの『ロズウェル【Rosewell】』で知った。
アクセントなのか声が特徴的で英語が聞きやすく、
割りと好きな話し方だったので印象に残っていた。
その後、見たことはないが人気TVシリーズの
『グレイズ・アナトミー【Grey’s Anatomy】にレギュラー出演。
最近メジャーな映画にも出てきたな、と思ったら今ではすっかり有名女優。
英語版のプロフィールでは、子供時代は百貨店Searsのカタログモデルをしていて、
一時はホラー映画の死人もやり、そして今やハリウッドスター、という具合。
なかなかたたき上げのキャリアを進んできていて、
それが愛らしくも人間味ある演技になっているのかもしれない。
キャサリン演じるジェーンは、自分がいい人だと信じ一生懸命やってきたことが
結局それは自分勝手な偽善にすぎなくて、妹との確執をきっかけに
次々と覆っていたものが剥がれていく。
その様子はコミカルで痛くて、でも心が砕ける感じが伝わってきて感動する。
ストーリーは平凡だけど、主演がキャサリンだからこその仕上がりと思う。
単なるラブコメだけれど、すごく好きな映画。
欧米の結婚式には『ブライズメイド【bridesmaid】』という習慣があって
結婚式に花嫁の介添人として女姉妹や仲の良い女友達が式に付き添う。
ブライズメイドは皆で衣装を揃え式に出席する。
映画の冒頭、ジェーンがそのブライズメイトのドレスが
27も揃うことになった由来が語られる。
彼女がずっと子供の頃、従姉妹の結婚式で破れたドレスを繕ってあげると
花嫁から感謝され、光栄にもベールを持ってウェディングロードを歩くことになる。
その瞬間から結婚式という人の最も幸せな瞬間に立ち会うことに魅せられる。
=====
ありがとう ジェーン
一生 恩に着るわ
その瞬間から私は
結婚式というものに魅せられた
Thank you so much, sweetie.
You saved the day.
And that was the moment.
That’s when I fell in love with weddings.
=====
お礼を言う時の『You Saved 〜』はよく使う。そしてすごく好きな表現。
ただ、ありがとう、とか、助かった、と言われるだけじゃなく
自分がその人の人生にほんのちょっとでも触れた感じがする。
そういう風に感謝される時は、相手が本当に大変だったんだな、
そんな時にタイミング良く居合わせ、何かができたんだ、と実感する。
そういう縁を感じると、一人で生きているのではないのね、と思い
自分も人に感謝する時は、うまく伝えたいと思う。
そんな一言が自分の、そして誰かの明日を作るように思う。
社食で食事をする時は、フォークとスプーンで食べる。
ナイフがプラスチック製で、箸が割り箸、なので
エコ的には金属製のフォークとスプーンしか選択肢がない、ということもある。
食べながら、、特にチキンをスプーンで切り分けたりする時に
タイから同じ大学に留学していたケイの事を思い出す。
寮の食堂だったのか、連れて行ってもらったタイ料理屋だったのか、
ある日、ふたりで食事をしていたら、ケイが言った。
『タイではナイフを使わない。何故ならナイフは切るものだから』
ケイの手元にはフォークとスプーンが握られている。
さて、ナイフは切る用途のなにものでもないはず。
その会話は、ふたりにとって外国語でかつ公用語となると英語で行われていて
私に関していえば、まだ留学したての、心もとない英語力。
どんな意味でそう言ったのか、今でも曖昧だけれど、
一生懸命説明してくれたケイの言葉から、
『切る』ということは“いきもの”を『傷つける』ことを意味し、
宗教的なのか文化的なのか、食べ物となった動物でさえナイフで切るわけにはいかず、
スプーンを使い、結果押し分けるのね、と理解した。
ケイはまるでフォークとナイフのようにスプーンとフォークで
上手に皿の上のものを押し分け口に運ぶ。
あれから何年もたつけれど、社食に限らずお店でナイフを出されても、
好んでスプーンを使っている。
以前 『後付けの習慣』 というコラムで、
いつのまにか電車の座席の真ん中に座るようになった、というのと同じように
この習慣には、人生での出会い的な根拠がある。
もちろん時と場合による。ナイフでしか切れないステーキを食べることもある。
しかし、びっくりするような話だが、
日本食にはそうそうスプーンで切れない、、押し切れないものがない。
よく考えてみれば、箸が道具となる日本の食文化では、
箸で押し分けることができ、切る必要のない料理が主流なのは当たり前なのである。
そもそも文化面に共通点があったわけで、
だからあの時、ケイのことばに共感できたのかもしれない。
大学時代に、課題の締め切りや試験前に現実逃避のようについついやってしまう
『夜中のアイスクリーム』の他にももうひとつ、
『夜中の部屋の模様替え』と言うのがある。
同じように煮詰まったルームメイトのアイリーンと、突然目が合いそして
どちらからとなく『ベッドの位置を変えよう!』と言う話になる。
いきなりじゃあものを動かして、という風にはならず
まず、どこに何を置くかの相談をし、
結局いつもベッドだけにとどまることなく大掛かりな模様替えになる。
アイリーンと私の部屋の模様替えは割とアクティブで
部屋のどっち側がどちらで、という分け方だけではなく
こっちがベッドのセクション、こっちが勉強、とミックスな時が多かった。
一度など、片方のベッドの両脇にタンスを置き、
その上にクロスするようにもうひとつのベッドを置き、二段ベッド風にした時もある。
あれはちょっとやり過ぎた感満載で、結局安定が悪くすぐに解体。
どっちが冒険的に上のベッドに挑戦したか、記憶もおぼろげだが
いつもそんな感じの模様替えだった。
配置が決まると全ての荷物をHall Way【廊下】に出し、ついでに掃き掃除、拭き掃除、
読むべき課題の本の山なんかなんのその。
ただ、8畳か、10畳ほどを縦長にした部屋を二人部屋で使っているぐらいだから
モノなんてそんなにない。
ベッド、勉強机とイス、5段ほどの洋服だんすに共同で使っていた冷蔵庫がひとつ。
なので模様替えはあっという間に終わり、そしてまた勉強に戻る。
気分もリフレッシュされ、わりといい物量。
そんな今、日本の自分の部屋は6畳ほどなのに
昔を思い出して夜中に模様替えをしてみたら朝までかかった。
一体あれからどれだけモノが増えたんだか。
スノーホワイト【Snow White & Huntsman】を見てきた。
圧倒的にシャーリーズ・セロン【CharLize Theron】が上手い!
というか、すごい! というコトや
何故邦題に『Huntsman』を入れなかったのか、などという感想もあったけど、
映像とその空気感はとてもとても美しかった。
*****
物語のワンシーンに、新女王の戴冠式のシーンがある。
女王はひざまずき、司祭が王冠を頭にのせる。
そして宣言する。
“Now we crown you, Queen of 〜.”
今ここに●●を女王とする
※いつものごとくですが、劇場で耳で覚えているので、若干違うかもしれません。
“crown”は名詞だとまさに『王冠』を意味するけれど
動詞としても『王冠をかぶせる』つまり、文字通り王の冠なのだから
crownする、ということは、王と定めるということ、となる。
名詞が先か、動詞が先か。
語源がラテン語の corona になっている。
勝手な想像だが、
ガスで太陽の周りにできるデコボコした光の輪をモチーフに
“冠” という、丸くつながって、凹凸のある造形物がつくられる。
その冠が、様々に装飾され美しさを極め始めると、
いつしか人が敬う貴人に捧げられようになり、
それが年月と共に冠を頭にのせる人々が王族となる。
王を王とするのが人ではなく、冠が王を選んでいる、
ともとれる表現に、英語らしい言い回しだなと、そう思う。
しかし冠が王の象徴としていくつもの世代に引き継がれると
その歴史から冠は王冠となり、今や、王冠を手に入れるものが王となる。
最初はただの輪っかだったのだろうに、
無機質なものが感情あるヒトの意識の象徴になる過程は
一体どこがきっかけだったのだろうかと考えると、本当に不思議だ。
=====
劇中の海辺のシーンは友人が住むイギリスウェールズ【Welsh】で撮影された、
と、後から知り、それならば一度は訪ねて見たいな、と思う。
いつか訪れる地のリストをそろそろ作るべきだろうか。
アーティスト
【The Artist】2011年
話題になっていて少し気になっていたけれど、
近年、映画は気晴らしで、難しいことを考えたくない時に見る、コトが多く
モノクロのポスターとその昔風の雰囲気からなんとなく
『めんどくさそう』と、しばらくタイミングを逃した感じだった。
ところが、仕事で一緒となった映像カメラマンの方が
『いいよー、ぜひ見たらいい』と言うものだから、
よし!と思ったものの最寄りの映画館ではその日が最終日。
結局見たい気持ちがあれど撮影でヘトヘト、やむをえず見送りとなっていた。
それから1ヶ月のついこの間、まだいくつかの映画館で上映をしていることを知り
よし!今度こそはと行ってきた。
素敵でした。
サイレントからトーキーと呼ばれる音のある映画へ移り変わる時代を
サイレントムービーで描いた映画。
見始める前には、セリフがなくて、画面の字を読んで、
確かに昔はそれで楽しかっただろうけど
果たして今のこの時代で、映画一本分間がもつのかなんて半信半疑だった。
そんなことは全く心配なく、あっと言う間に見終えた。
音もない、色もない、故、シーンひとつひとつが吟味され意味を持ち
結果完成度がすごく高いものになったのだろう。
そして英語のハナシ。
今回は劇場だったので、メモを取れるわけも巻き戻せるわけでもなく
ぱっ、と通り過ぎた、私の記憶からのセリフなので、少し違うかもしれないが
感じたコトを。
サイレントのスター俳優ジョージが、トーキーの登場で
その座を追われ、酒浸りになり文字通り落ちぶれていく。
方や、デビュー時にジョージに後押しされ、
トーキーの流れに乗ってスターとなった女優ペピー。
彼女は昔の恩を返そうと影ながらジョージを見守り、
ついにはトーキーへの出演を段取る。
もちろんジョージはそんなオファーにはのらないと断る。
誰がサイレントの俳優の声なんかをききたがるんだと。
その通りであるがそうも言ってられる訳がない。
その昔はジョージの運転手で、今はペピーに仕えるクリフトンが言う。
Be aware of your pride.
誇りを捨てなさい
日本語ではよく、誇りを捨てろ、という言葉が出てくる。
おごり高ぶるな、いらぬ誇りはヒトの判断を曇らせる、というのが真意であって
実際は誇りを捨てることをすすめているわけではない。
そもそも誇りを捨てて選択することに何の意味が残されているのだろうかと思う。
でもこの映画に限らず、どうして、誇りを『捨てる』と、
さも、丸ごと捨ててしまえというコトバになるのかいつも不思議に思う。
英語のセリフの Be aware は、直訳は『気がつけ』、意訳であれば『注意しろ』となり
pride には、too muchとか、more than enoughとか余計なコトバもつかず
ただ、あなたの(持つ)プライドに注意なさい、
と、捨てろ、ともどうしろとも言っておらず、
つまりはプライドの持ち方を今一度考え直せと。
そこには“捨てる”という一線を飛び越えたコトバは生じていない。
わびさびの良さから、
言葉にすることの大事さを重視するようになってきている今の日本、
どれだけ『誇りを捨てろ』というコトバから
芯となる誇りは持ち続け、いらぬプライドは捨てろとというその真意が伝わるのか、
という不安を持っているのは私だけだろうか。
大学時代に寮に住んでいた頃、試験やエッセイの提出日間際になって
追い詰められた私とルームメイトのアイリーンが決まってとる行動の1つ。
『アイスクリームを食べよう!』
もちろん真夜中である。
そして、道を渡った向かいにある一番最寄りのスーパーマーケットで
一番小さい‘ワン・パイント【1 pint】’のハーゲンダッツやらベン&ジェリーやらの
クッキー&クリームやらトリブルチョコレートやら、時にキャラメル・ファッジなんぞの
やたらめったらカロリーに高いものをゲットする。
頭を使うには、そしてあの学問的危機を乗り越えるには、糖分が必要なのである。
寮に戻るとおもむろに蓋を開け、そのままスプーンでアイスクリームを平らげる。
もちろんひとり1パイント。
時々味に飽きてくるので交換っこはするけれど、1個をぐいぐいと食べ切る。
1パイントは16オンスで約0.47リットル。
日本で売ってるハーゲンダッツのミニカップは120ml、つまり約4個分。
時にそのメンバはルームメイトにとどまらず、
同じように提出期限にさ迷う寮の同級生数名で徒党を組みスーパーに出かけ、
フロアに1個あるキッチンがアイスクリーム・パーティー化する時もある。
一番最初はまさか全部食べる切るとは思っておらず
途中まで食べて冷凍庫にでも入れておくのかと思っていたら
向かいであっさりルームメイトが平らげた。
そして私が食べ終わるのを待っているものだから、頑張って食べ切った。
けれどそれも回数を重ねると楽勝になる。
そんな生活が1年。
もちろん食べたものは食べた分だけ確実に体に反映され
フレッシュマン(1年生)の終わりにびっくりするようなコトが待っていたけれど
その真夜中のアイスクリーム・パーティーはとても楽しい思い出。
今でも1パイントのアイスクリームなんて、軽くいけると信じているけれど
せいぜい半分かなぁ。
セント・オブ・ウーマン
【SCENT OF A WOMAN】1992年
アメリカの生活に慣れ、少しいろんなコトに目を向ける余裕ができた頃
多分この映画からアル・パチーノに注目したのだと思う。
なにしろ、あの名作と言われるゴッドファーザー【THE GODFATHER】を
実はちゃんと見たことがなくて、95年のヒート【Heat】や
97年のフェイク【DONNIE BRASCO】の時にはすっかり好きな俳優になっていたから。
だから私の中でアル・パチーノは最初から“おじさん”で、
“美男子”と言われる彼をあまり知らない。
奨学金をもらい高校に通うクリス・オドネル【Chris O’Donnell】演じる
チャーリー【Charlie】が、感謝祭【Thanksgiving Holliday】のアルバイトとして
家族の旅行中に家に残された目の見えない退役軍人のフランク【Frank】の
面倒を見ることになり、そこから話が始まる。
二人が会う最初のシーン以前にフランクが目が見えないという情報が全く出てこないが、
アル・パチーノの一挙一動があっという間にそれを伝える。
不自然な窓からの陽ざしの中に座り、酒のボトルをさぐる手の動き、
全く瞬きのなく大きく見開く目、威喝するような声、と、とにかく気迫がすさまじく、
この映画はこのシーンだけ見ればそれが全て、と思うぐらいに描写が美しく力強い。
=====
チャーリー: サー?
中佐: “サー”はよせ
チャーリー: すみません ミスター・・・ サー・・・
中佐: とんでもないバカが現れたぞ
チャーリー: すみません ミスター その・・・ 中尉殿(リューテナンド)
中佐: 中佐だ(リューテナンド・カーネル) 軍役に26年に4階級の降格は初めてだ
入れ バカ者 近寄って 顔を見せろ
肌はどうだ
チャーリー: 肌ですか サー?
中佐: 分からん奴だな
“フランク”か“ミスター・スレード”でなきゃー “大佐(カーネル)”と呼ぶがいい
チャーリー: はい、大佐
中佐: チャールズ・シムズ 高校3年 学費援助を?
チャーリー: そうです
中佐: デタラメ申請じゃないのか?
おやじはカー・テレフォンのセールス お袋はウェイトレスで 今はカメラ屋の店員
どうした 死んじまったか?
チャーリー: ここにいます
中佐: 肉体は そこにある 頭に脳ミソはあるのか?
Charlie: Sir?
Frank: Don’t call me sir!
Charlie: I – I’m sorry. I mean mister, sir.
Frank: Uh-oh, we got a moron here, is that it?
Charlie: No, mister — Uh, that is — Uh, Lietenant. Yes, sir, Lieu–
Frank: Lieutenant Colonel.
26 years on the line, nobody ever busted me Four grades before.
Get in here, you idiot!
Come a little closer. I wanna get a better look at ya. How’s your skin, son?
Charlie: My skin, sir?
Frank: Oh, for Christ’s sake.
Charlie: I’m sorry, I don–
Frank: Just call me Frank. Call me Mr. Slade.
Call me Colonel, if you must. Just don’t Call me sir.
Charlie: All right, Colonel.
Frank: Simms, Charies. A senior. You on student aid, Simms?
Charlie: Uh, yes, I am.
Frank: For “student aid” read ” crook.”
Your father peddles car telephones at a 300% markup.
Your mother works on heavy commission in a camera store.
Graduated to it from espresso machines. Hah-hah.
What are you, dying of some wasting disease?
Charlie: No, I’m right– I’m right here.
Frank: I know exactly where your body is.
What I’m looking for is some indication of a brain.
=====
盲目なのに、”Come a little closer. I wanna get a better look at ya.”
よく見たいから近寄れと言い、あまりの勢いに黙り込むと、死んじまったのかと聞く。
慌てて、”目の見えない人“に答えるべく、『います』とまともに返答するチャーリーに
”I know exactly where your body is.
What I’m looking for is some indication of a brain.”
(いるってことは)そんなことは分かってる、
その中に脳みそが詰まっているのかって、聞いてるんだ、とやり返す。
こういう人に“cynical”という言葉がぴったりである。
けれどその辛口の中にユーモアもあっておもしろい。
“26 years on the line, nobody ever busted me Four grades before”
“Get in here, you idiot!”
軍に詳しくないが、想像するにLieutenant ColonelはLieutenantより階級が上で
うっかりColonelを忘れたチャーリーに追い打ちをかける。
軍での26年間、誰ひとりとして間違える奴はいなかった、
本当に大バカものだよ、お前は。
って、なんだか可愛くてしょうがありません、という風にも聞こえる。
つまりFrankは、人に文句を言いながら話すのが好きなのである。なんて面倒な!
Frankの言い切りぶりはずっとこの調子で、
けれどアル・パチーノの頬の動き、鼻の動き、顔全体から
目が見えない変わりに瞬時に様々な方法で情報を得ているのが分かる。
少しばかりは大げさなのだろうが、きっと目が見えないというのは
そういうことなのだろうと、思う。
+++++
悪友役の子役が何となく見たことあるな、と思ったら、カポーティ【CAPOTE】2005年の
フィリップ・シーモア・ホフマン【Philip Seymour Hoffman】だった。
しかも、最近DVDで見て良かった、“その土曜日、7時58分”
【BEFORE THE DEVIL KNOWS YOU’RE DEAD】2007年の兄役だったりと
割と好きな俳優さん。なるほど。
大学卒業の時から一緒だった猫が死んでしまった。
アメリカから一緒に帰国してきたディーナとミカエル。
NYの通いつけの動物病院で予防注射を受け、空港まで証明書を申請しに行き、
飛行機の荷物室で14時間、2匹合わせて400ドルの航空券、
成田では2週間の検疫が待っていて、“捨てられた”と絶望しないよう
3〜4日に1度、往復4時間かけて様子を見に行った。
義務なのに検疫の宿泊代に1匹1泊3000円。いろんな意味で大移動だった。
ディは3年前の3月と4月の間の土曜の午後に、私が添えた手の中で静かに生き絶えた。
偶然なのか、ミクまでもこの3月と4月の間の土曜の朝に、私が支えた手に頭をもたげ、
一度大きく体をうねらせ、まるでこと切れるように、生き絶えた。
ヒトの死に目にもあったことがないだけに、
この2匹の“イキモノ”が死んでいく瞬間は、静かにけれど強烈に身体に刻まれた。
非情かもしれないが、思い出すと悲しいよりも苦しくなる。
そして、本当にひとりぼっちになってしまったナ、と。
そんな出来事のちょっと前から好きだったのが
Lana Del Rey の Born To Die
なんとなく起こる出来事を予測していて、心の準備だったのかもしれない。
けれどあまりにそれは今の気持ちにストレートすぎて、だから違う曲を聴く。
Owl City の Fireflies
寝ている間には10万もの蛍が飛び交っていて
そんな世界なんか見ないで寝ていたいのに寝れず、
それがいよいよ現実にもはみ出してきて、
それでも地球は正常に回り続けていると信じたい、という。
ついこの間、ミクが人にもらわれていく、という夢を見た
猫タチがいなくなったのが
はみ出してきた夢の続きだといいのに、と思ってしまう。
かなり意訳でざっくりですが、
何気なく選んでいても、やっぱり何処かで曲と気持ちがシンクロしているものだ。
=====
You would not believe your eyes
If ten million fireflies
Lit up the world as I fell asleep
信じられないだろうけど、僕が寝ている間に
1000万もの蛍が世界を照らしているんだ
蛍タチは空を埋め尽くし、そして泣いている
僕は立ちつくしそれをただ眺めているだけ
I’d like to make myself believe
That planet Earth turns slowly
It’s hard to say that I’d rather stay
Awake when I’m asleep
‘Cause everything is never as it seems
地球がゆっくり回っていると信じたい
寝ている間の世界なんて見たくない
だってそこには今あるものなんてひとつもないんだ
1万もの蛍が1000回僕を抱きしめる
ダンスを踊るように
頭の上でステップをふみ
ベッドの下ではパーティー
ミラーボールがつるされている
I’d like to make myself believe
That planet Earth turns slowly
It’s hard to say that I’d rather stay
Awake when I’m asleep
‘Cause everything is never as it seems
When I fall asleep
地球がゆっくり回っていると信じたい
寝ている間の世界なんて見たくない
眠りに落ちれば今あるものなんてひとつもなくなる
ドアをちょっとだけ開けておいて
(本当はここから連れ出してほしい)
眠れそうにないよ、羊を数えても、眠たくならないんだ
(本当にここから連れ出してほしい)
1000万もの蛍タチに
さよならをいう気にならないなんて僕はおかしいね。
彼らが別れを告げる頃、僕の目がかすんでくる
けれどまだ数匹残っている
僕の夢がへんてこになるのはそのせい
だって彼らを捕まえて瓶に入れてあるんだ
I’d like to make myself believe
That planet earth turns slowly
It’s hard to say that I’d rather stay
Awake when I’m asleep
Because my dreams are bursting at the seams
地球がゆっくり回っていると信じたい
寝ている間の世界なんて見たくない
だってだんだん僕の夢が現実にはみ出してきてるから
ザ・シークレット・サービス
【IN THE LINE OF FIRE】1993年
大学時代、自分の進む道を決めようとしていた頃。
老齢となったクリント・イーストウッド【Clint Eastwood】が
老いたエージェントのフランク・ホリガン【Frank Horrigan】役を、
まるで彼のその時をそのまま演じるかのような姿が衝撃的だった。
世代交代とか役者の厚みとかを意識し始めたのは
恐らくこの映画からだったのだと思う。
20代からそんなこと考えてたんだと、自分ながらにびっくりする。
特にDVDパッケージやポスターにもなっているシーンが象徴的である。
大統領の警備を務めることとなり、
車に片手をついて息切れ切れになりながら走るホリガンの姿は、
どこまで演技で、どこまで本音なんだろう、と考えさせらた。
もちろん役作りの上であろうけれど、その姿にはひどく心を打たれ、
今見ても、そして今だからこそなのか、やはり同じように心揺れる。
この映画の良さはそれだけではなく
老いたホリガンに合わせるような淡々としたストーリーの進行や、
敵役となるジョン・マルコヴィッチ【John Malkovich】の名演ぶり
と、ムダなところがない。
割と堅苦しい感じで進行するこの映画、
1シーンだが“老齢”を全面に出した、ジョーク的な和やかカットがある。
必死になって駆け足で大統領の車と併走するホリガンのシーンの後、
一変してばたばたと救急隊員がオフィスに駆け込んでくる。
“ホリガンが心臓発作に!”
慌てて救急隊員を追うようにホリガンがいる控え室に飛び込む同僚達。
救急隊員『大丈夫か』
ホリガン『何事だ?』
救急隊員『心臓発作だと』
長官『大丈夫か?』
ホリガン『昼寝だ』
(その場の皆が安堵から笑う)
ホリガン『そうか チクショー! 誰のいたずらだ!』
staffs: Hey, pal, are you okay? Hey, take it easy.
Horrigan: Get the hell out of here. The hell’s going on?
stafs: I got a call here was a cardiac case.
officer: You all right? Frank?
Horrigan: Yeah, I’m on my break here.
(laugh)
Horrigan: I get it. You bastards. Who’s the wise guy?
皮肉にしろいたずらするのは“wise guy”
つまりずる賢いヒトってことなんだな、と素朴に思った。
お世辞にもかっこいいとは言い難く、
ふざけんな、と言ってもおかしくない状況をただの負け犬の遠吠えにせず、
俺より賢いやつは誰だ、とジョークにしてしまえるのは
歳を重ねた故の余裕の対応だな、と。賢い。
+++++++
コラムを書く為に改めて監督やキャストを調べるのだけれど
毎回、え、こんな所で、あ、これもこの監督が!という発見がある。
この映画の監督ウォルフガング・ペーターゼン【Wolfgang Petersen】も
私が物語が好きになったきっかけとなったミヒャエル・エンデの
ネバーエンディング・ストーリー【The Neverending Story】の映画化版や
コラムにも書いているアウトブレイクを手掛けている。、
結局自分の好みの作品はどこかでつながっているモノなんだ、と納得。
ザ・シークレット・サービス
【IN THE LINE OF FIRE】1993年
大学時代、自分の進む道を決めようとしていた頃。
老齢となったクリント・イーストウッド【Clint Eastwood】が
老いたエージェントのフランク・ホリガン【Frank Horrigan】役を、
まるで彼のその時をそのまま演じるかのような姿が衝撃的だった。
世代交代とか役者の厚みとかを意識し始めたのは
恐らくこの映画からだったのだと思う。
20代からそんなこと考えてたんだと、自分ながらにびっくりする。
特にDVDパッケージやポスターにもなっているシーンが象徴的である。
大統領の警備を務めることとなり、
車に片手をついて息切れ切れになりながら走るホリガンの姿は、
どこまで演技で、どこまで本音なんだろう、と考えさせらた。
もちろん役作りの上であろうけれど、その姿にはひどく心を打たれ、
今見ても、そして今だからこそなのか、やはり同じように心揺れる。
この映画の良さはそれだけではなく
老いたホリガンに合わせるような淡々としたストーリーの進行や、
敵役となるジョン・マルコヴィッチ【John Malkovich】の名演ぶり
と、ムダなところがない。
割と堅苦しい感じで進行するこの映画、
1シーンだが“老齢”を全面に出した、ジョーク的な和やかカットがある。
必死になって駆け足で大統領の車と併走するホリガンのシーンの後、
一変してばたばたと救急隊員がオフィスに駆け込んでくる。
“ホリガンが心臓発作に!”
慌てて救急隊員を追うようにホリガンがいる控え室に飛び込む同僚達。
救急隊員『大丈夫か』
ホリガン『何事だ?』
救急隊員『心臓発作だと』
長官『大丈夫か?』
ホリガン『昼寝だ』
(その場の皆が安堵から笑う)
ホリガン『そうか チクショー! 誰のいたずらだ!』
staffs: Hey, pal, are you okay? Hey, take it easy.
Horrigan: Get the hell out of here. The hell’s going on?
stafs: I got a call here was a cardiac case.
officer: You all right? Frank?
Horrigan: Yeah, I’m on my break here.
(laugh)
Horrigan: I get it. You bastards. Who’s the wise guy?
皮肉にしろいたずらするのは“wise guy”
つまりずる賢いヒトってことなんだな、と素朴に思った。
お世辞にもかっこいいとは言い難く、
ふざけんな、と言ってもおかしくない状況をただの負け犬の遠吠えにせず、
俺より賢いやつは誰だ、とジョークにしてしまえるのは
歳を重ねた故の余裕の対応だな、と。賢い。
+++++++
コラムを書く為に改めて監督やキャストを調べるのだけれど
毎回、え、こんな所で、あ、これもこの監督が!という発見がある。
この映画の監督ウォルフガング・ペーターゼン【Wolfgang Petersen】も
私が物語が好きになったきっかけとなったミヒャエル・エンデの
ネバーエンディング・ストーリー【The Neverending Story】の映画化版や
コラムにも書いているアウトブレイクを手掛けている。、
結局自分の好みの作品はどこかでつながっているモノなんだ、と納得。