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社食で食事をする時は、フォークとスプーンで食べる。
ナイフがプラスチック製で、箸が割り箸、なので
エコ的には金属製のフォークとスプーンしか選択肢がない、ということもある。
食べながら、、特にチキンをスプーンで切り分けたりする時に
タイから同じ大学に留学していたケイの事を思い出す。
寮の食堂だったのか、連れて行ってもらったタイ料理屋だったのか、
ある日、ふたりで食事をしていたら、ケイが言った。
『タイではナイフを使わない。何故ならナイフは切るものだから』
ケイの手元にはフォークとスプーンが握られている。
さて、ナイフは切る用途のなにものでもないはず。
その会話は、ふたりにとって外国語でかつ公用語となると英語で行われていて
私に関していえば、まだ留学したての、心もとない英語力。
どんな意味でそう言ったのか、今でも曖昧だけれど、
一生懸命説明してくれたケイの言葉から、
『切る』ということは“いきもの”を『傷つける』ことを意味し、
宗教的なのか文化的なのか、食べ物となった動物でさえナイフで切るわけにはいかず、
スプーンを使い、結果押し分けるのね、と理解した。
ケイはまるでフォークとナイフのようにスプーンとフォークで
上手に皿の上のものを押し分け口に運ぶ。
あれから何年もたつけれど、社食に限らずお店でナイフを出されても、
好んでスプーンを使っている。
以前 『後付けの習慣』 というコラムで、
いつのまにか電車の座席の真ん中に座るようになった、というのと同じように
この習慣には、人生での出会い的な根拠がある。
もちろん時と場合による。ナイフでしか切れないステーキを食べることもある。
しかし、びっくりするような話だが、
日本食にはそうそうスプーンで切れない、、押し切れないものがない。
よく考えてみれば、箸が道具となる日本の食文化では、
箸で押し分けることができ、切る必要のない料理が主流なのは当たり前なのである。
そもそも文化面に共通点があったわけで、
だからあの時、ケイのことばに共感できたのかもしれない。