最近、個人的にツボにハマった論文がある。
なぜ、蚊は雨で死んでしまわないのか?┃WIRED.jp
http://wired.jp/2012/06/18/mosquito-rain/
目の付け所が秀逸であることもさることながら、
より「いいね!」と言えるポイントは、
1本の論文の内容を、わずか3分弱の映像に昇華させていること。
視覚的に働きかけることによって、ズブの素人にも、
その科学的根拠が肚落ちできるような仕掛けが施されている。
自分自身、研究畑に片足を突っ込んでいる人間にも関わらず、
活字を読むのがあまり得意ではない。
どちらかといえば、脳内にヴィジュアルで記録するタイプだ。
本を読む時も、1ページ、1ページを写真に撮るようにして記憶する。
手前味噌ながら、昔は記憶力が良い方だったと自負している。
高校時代、友人のノートを試験前の15分だけ貸してもらって、
当の友人よりも良い点数を取ってしまったことがあり、
それ以来、その友人がノートを貸してくれなくなったのは、
いまとなっては懐かしい思い出だ。
だが、時が経つごとに記憶力が弱っているという閉塞感は否めない。
というより、もう記憶容量がいっぱいでこれ以上入らない、
という感覚に近いようにも思う。
そして、それは、単純な老化、というだけではない気がする。
1ページ、1ページが、テキストデータであれば、
脳内に占める容量は小さくて済む。
しかしながら、それが画像データになった途端に、
ファイルサイズは何十倍にもなる。
脳内HDDはあっという間に容量オーバーで、
新しいものを覚えるために、古い記憶を消去しなければならない。
なんだか、そんなデジタルな解釈がしっくりきてしまう。
だから、ヴィジュアルインプット型のヒトは、
記憶の鮮明度(解像度)は高いが、
あまりたくさん記憶できないのではないか。
そんなことにまで考えが及んでしまう。
本当のところは定かではないが。
勿論、そういう人間の方が特異なのは承知の上なのだが。
ちなみに、「数字が風景に見える」で一世を風靡した、
サヴァン症候群という症例があるが、
自分の能力は、とてもじゃないが、あんなレベルには達していない。
幸か不幸か。
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ヒトのインプット型とアウトプット型を大別すると、
概ね、以下のようになると思われる。
テキストインプット→テキストアウトプット(=TT型)
テキストインプット→ヴィジュアルアウトプット(=TV型)
ヴィジュアルインプット→テキストアウトプット(=VT型)
ヴィジュアルインプット→ヴィジュアルアウトプット(=VV型)
これを研究者に置き換えた場合、
テキストインプット型の代表格は、文献研究、
ヴィジュアルインプット型といえば、フィールドワークを、
それぞれ研究手法として用いる人々、ということになろうか。
しかし一方で、研究者のアウトプットは、
テキストアウトプット型、すなわち論文執筆が大前提である。
自分としては、この部分に引っ掛かりを覚えて仕方ない。
できることなら、
一言、あるいは、一枚のヴィジュアルで全てを表すような、
そんなアウトプットこそが、究極のあるべき姿だとさえ思っている。
そんな自分は、たぶん、研究者としては既に異端なのだろう。
それこそ、コピーライターでも目指せよ、という話なのかもしれない。
そもそも、ここでこんなコラムを書いている場合ですらない。
ただ、文章が書けないから、ヴィジュアルに頼る、
というふうに思われるのも、なんだか癪だ。
テキストとヴィジュアル、それぞれに向き不向きがある。
どちらかに拘泥するのではなく、状況に応じて使い分ける、
そういう柔軟性が、これからの研究者には求められるようになる、
そんな、ささやかな予感がある。
脱サラから早2年。
博士課程に進んだことで、いよいよ、研究者、という生き方を、
割と真剣に考え始めた。
いや、本来は、博士課程に進む前に考えておくべきなのだが…
奨学金や研究費を得るための書類を書いたり、
助手などの研究職の募集をちらほらと眺めていると、
「研究」という領域において求められる「実績」というのは、
一にも二にも「論文を書くこと」、だということがわかる。
もちろん、その論文を発表したりという場が無い訳ではないが、
どちらかというと、論文の副産物として、発表の場が設けられる、
というパターンが圧倒的に多く、
どんなに素晴らしい発表をしたとしても、あくまでも評価されるのは、
論文の出来であって、プレゼンテーションの上手さではない。
結果、論理的整合性のあるテキストを書く、というスキルのみが、
日々強化されていくことになる。
そんな事情もあってか、
自分のことを棚に上げて言うのも憚られるのだが、
アカデミックな領域で生きてきた人達というのは、
正直言って、プレゼンテーションがあまり上手くない。
大学の授業で教壇に立つ教授たちを想像してもらえばいいのだが、
ダラダラと長い文章が書かれたパワーポイントをただひたすら読む、
という単調さに、ついうたた寝をしてしまった経験がないだろうか。
文章構成力や聴衆の前で話す能力には長けているので、
説得力のある授業をする先生、というのはいないわけではないが、
ヴィジュアルに訴える力は総じて弱い、と言わざるを得ない。
学部の学生時代には、よくこんなんで教授になれるものだ、
と思っていたものだが、院生という立場になって改めて考えると、
どうやら、あんな「だからこそ」教授になれるのだ、
ということがだんだんとわかってきた。
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ただ、個人的には、そうした論文書きの研究者には物足りなさもある。
せっかく良い研究をしていても、どんなに革新的な論文を書いても、
悲しいかな、世間がそれを知る場というのは非常に少ない。
万が一そのような機会を得たとしても、プレゼンがヘタで上手く伝わらない。
というのでは、実に勿体無い。
クリエイティブなプレゼンなんて、広告屋に任せておけばいい。
自分の研究がどう世の中に活かされるかは、
世の中次第であって、自分の知ったことではない。
というのが研究者の共通理解なのかもしれないが、
さて、本当にそうだろうか。
「研究」とはいったい何のためのものなのか。
「人間は考える葦」なのだから、結局は自分自身の好奇心を満たすため、
というのは一つの真理ではあるのだが、
そんな哲学問答ばかりで世の中まわっているわけではない。
「研究」によって、世界というものをよりよく知るため、
そして、少しでも社会を上手く前に進めていくため。
世界を変えるため、と言い換えてもいい。
それが、研究者の本分であろうと、個人的には思う。
綺麗事であることは承知の上だが。
そして、そうであるならば、研究成果というのは、
研究者の閉じたコミュニティの中だけで流通させるのではなく、
社会一般に伝える義務が研究者にはある、というのが持論。
一方で、研究成果を外に伝えるのは、研究者の責務ではなく、
また別の誰かの仕事だ、という人もいるかもしれない。
たしかに、これまでの研究者というものは、縁の下の力持ちであり、
メディアからの依頼があれば出向いて解説する、というスタンスだった。
あるいは、出版社からの依頼があれば、書籍を書く、
というアウトプットが選択されることも多かった。
ただ、1億総メディア化時代に突入したいま、
そうした受身の姿勢で、果たしてどこまで食いつないでいけるだろうか。
(続く)
大学までの、片道30分余りの道のりを、自転車通学している。
理由は主に、健康的な目的と経済的な目的のため。
要するに、三十路の体力づくり兼交通費の節約だ。
しかし、爽やかな若葉の中を疾走する季節もあっという間に過ぎ去り、
自転車族にはツラい季節がやってこようとしている。
梅雨、そして、夏だ。
五月は五月で、穏やかならぬ天気が続いた今年。
それにしても、東京はいったいいつから、
スコールが降るような街になったのだろう。
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さてさて、さきほども述べたような理由ではじめた自転車。
さりとて、自転車と電車の違いというのは案外大きい。
自転車を漕ぐという行為は、思いの外、能動的行為だ。
自転車を漕ぎながら文庫本を読むわけにもいかないし、
携帯を打ちながらなどもってのほか。
ヘッドフォンで音楽を聴きながら走行する人をよく見かけるが、
あれだって実は、都道府県別の交通規則で禁止されていたりする。
目的地に到達する為にペダルを漕ぐ。
それ以外の行為というのは、ほぼ何もできない。
そういう意味では生産性は皆無に等しい。
一方、電車。
通勤通学の数十分、場合によっては1時間を超える時間をいかに潰すか、
あるいは、単に暇潰しをするのではなく、そこで生産的な行為をする、
というのは、割と大都市圏に通う人が一度は考えるテーマだろう。
本を読む、ゲームをする、メールを返す、寝る、等々。
やろうと思えば、片手で携帯を打ちながら、片手でカロリーメイトでも貪り、
耳にはヘッドフォン、みたいな、五感フル活用もできないことはない。
電車という公共空間の中ではあるのだが、
そこには、個人個人が、ある種の私的空間を形成することができる。
とはいえ、そこは公と私のはざまの非常に不安定な空間でもある。
実は、ここ最近、その不安定さこそが、自分にとっては貴重な時間だった?
という疑問がわいてきている。
電車の中でなにをするでもなく物思いに耽る。
ふと思い付いたアイデアの種を携帯のメモ機能で書き留める。
という、知らず知らずのうちに身に付いていた習慣的行為が失われたことで、
自分の中での知的生産性というか、インスピレーションの源泉が、
急速に枯れていっているような不安がある。
これだけなら、自転車を漕ぎながらでもできそうなものなのだが、
自転車の場合、完全な公共空間を横切っているだけなので、
そこに不安定空間は生まれない。
よく、自宅やオフィスで仕事をするより、喫茶店のほうがはかどる、
なんて声を耳にするが、まさに喫茶店というのは、電車に近い空間と言える。
あの、公共の場にありながら、私的な作業をする、という不安定さが、
ほどよい刺激となってインスピレーションを呼び起こす、
というのは、あながち無い話でもないのではないだろうか。
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少し話は逸れるが、満員電車、というのは、日本の、特に首都圏の、
ある種の典型的な表象として語られることがよくある。
そして、そんな満員電車の中で、片手で器用に携帯を打つ様子が、
海外のメディアで紹介されていたりもする。
ガラパゴス携帯、などと揶揄されて久しい日本製携帯電話は、
その機能のみならず、インターフェース、つまり文字入力キーにおいても、
とある特徴を有している。
それは、キーサイズが大きい、ということ。
スマートフォン以前の海外の携帯電話というのは、
割とおしなべて小さなキーを採用している。
明らかに、欧米人の指のサイズの方が、日本人のそれより大きい、
にも関わらずだ。
これに関する説明としてよく語られるのが、日本製携帯電話のキーは、
片手で打つためのキーサイズ設計である、ということ。
欧米は、日本に比べると電車よりもずっとクルマ社会なので、
移動中に携帯電話でメールを打つという行為をほとんどしない。
移動時間を何か他の行為をして潰すことに、根本的に慣れていない、
と言ってもいい。
「持ち運びができて、移動した先々で使えること」と、
「移動中に使えること」というのは、実は似て非なる要望なのだ。
モバイル、というのは、欧米では文字通り持ち運びできればOKなのだが、
日本の場合、持ち運びながら使う、という小器用さが求められてくる。
文庫本やノートPCの小型化についても、同様の文化の違いが顕著に表れる。
日本人ほど「移動中に使えること」にこだわる人種というのは珍しいのだ。
そんなふうに、各種機器が、実に日本的な発展を遂げてきたわけだが、
残念ながら、自転車通学をよりリッチにするためのソリューションには、
どういうわけか全くと言っていいほどお目にかかったことがない。
確かに、貧乏学生を相手にしても商売が成り立たないだろうとは思うのだが、
さて、そこをなんとか、どなたかお願いできないものだろうか…
昨年、自身が発表させていただいた研究会が今年も開催された。
ブータンの地域研究のみに特化した、マニアックすぎる研究会。
どちらかというと、事務局に近い立場に居るため、
「発表者が足りないようなら自分をアサインしてもらっても…」
と老婆心から口伝えしておいたものの、
なんら心配することもなく、発表者4組がすんなりと決まり、
参加者も満員御礼となった。
どうやら、先頃のブータンブームはすっかり一段落したものの、
アカデミックな領域では、ブータンは興味深いフィールドとして、
これからも注目されていくことになりそうだ。
有難くも身が引き締まることに。
さて、肝心の今回の発表テーマはというと、
教育から、言語学から、環境保護法から、漆工技法まで、千差万別。
まず気がつくのは、みな、当たり前のようにブータンに複数回、
場合によっては十数年に渡ってフィールドワークに入っているということ。
それから、マニアックであるが故に発表機会に飢えていて、
水を得た魚のようにノンストップで喋り続けるということ。
終日、発表者の勢いに気圧されながら、どこか高揚した気分に浸りながら、
ひっそりと、しかし大変盛況のうちに、会は幕を閉じた。
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せっかくなので、それぞれのトピックスについて簡単にご紹介しておこう。
正直、自分の知識レベルでは、これらの話が合ってるのか間違っているのか、
という判定は残念ながらできないので、その点はご了承いただきたい。
(1)
共に大分大学教育福祉科学部講師の都甲由紀子さん、川田菜穂子さんによる、
「ブータンにおける教員養成と学校教育の現状と課題」。
この発表で一番衝撃的だったのは、ブータンの学費の話。
Royal Thimphu College という、首都にある大学では、
寮生で Nu 150,000/年、自宅生で Nu 9,600/年(Nu 1≒1.7円)らしいのだが、
一人当たり所得が 1,870米ドル(≒Nu 93,500)/年 の世界で、
こんな寮費を払える家庭が、果たしてどれだけあるのだろうか…
(2)
秋田大学国際交流センター准教授の西田文信さんの指摘は面白かった。
「ブータン諸語の記述・歴史言語学的研究」と題して行われた発表の中で、
ブータンの地域言語において、「猫」の「舌」という単語を繋げた言葉が、
日本語の「猫舌」の意味に相当する、という話。
これだけでは、大いなる偶然で済ませられてしまう話なのだが、
はてさて、これは日本とブータンの文化的類似性を示すものなのだろうか?
(3)
国立国会図書館調査及び立法考査局農林環境課調査員の諸橋邦彦さんは、
「ブータン国家環境保護の特徴について」のご発表であった。
ブータンは環境保全を謳っている国家にも関わらず、
環境保護法制定は2007年と遅い、という気付きが研究のきっかけ。
それに対する回答として、2000年頃までは、ブータンにおける環境問題とは、
ほぼ森林問題と同義であり、森林法があれば十分であった、
という説明はなるほどと思わせる内容だった。
(4)
東北芸術工科大学非常勤講師の北川美穂さんによる、
(宇都宮大学教育学部准教授の松島さくら子さんとの共同研究)
「ブータンの漆工技法と漆器産地の現状」。
漆の化学式からはじまる、最後にして最高にマニアックな内容だったのだが、
ここでも興味深い論点が示された。
それは、ブータンにおける漆油採取や漆掻き法に、
日本の古典技法との類似性が見られる、ということ。
このように、日本との文化類似性をお二人が指摘したことは。。
と、こんなオープンな場で滅多なことは口が裂けても言えないので、
今後、包括的な文化人類学的研究が待たれるところ。
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さて、幸いなことに、というべきか、不幸なことに、というべきか、
自分がテーマとしている「ブータンの情報化」を取り扱う競合研究者には、
今回もお目にかかることはなかった。
これからの研究が相変わらず茨の道であることは間違いないわけだが、
ブータンでフィールドワークを行っている日本人がこれだけ居る、
という情報は、自分としては大いに励みになるものもであった。
ぜひ、上手く相互協力を図りながら、自身の研究も進めていきたい。
意外と聞かれて困るのが、「ご専門は何ですか?」という問いだったりする。
法律や経済、あるいは、建築や機械といった学問分野と違って、
自分の専攻する「社会科学」というのは、酷く捉えどころがない。
というより、「社会科学」という学問自体が、学際的な領域を指し示すもので、
まるっと法学や経済学を含むものでもある。
そもそも、この世の学問(広義の科学)を大きく3つに分類すると、
「自然科学」、「人文科学」、そして「社会科学」に分けるのが通例のよう。
これらはそれぞれ、自然、人間、そして社会を対象とした学問ということになる。
つまり、専門が「社会科学」というのは、あまりにも広過ぎる分野を指しており、
「もう少し具体的には…?」と続けて聞かれることもしばしば。
ちなみに、「社会学(Sociology)」と「社会科学(Social Science)」は、
似て非なるモノ。
もっと言えば、「社会科学」の一分野で、社会現象やそのメカニズム、
あるいは、社会ネットワークや組織を扱う学問が「社会学」である。
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自分の、というか、ウチの研究室の研究対象は、「情報」なのだが、
これもまた酷く漠とした言葉である。
「情報」を扱う学問と聞いたとき、多くの人が真っ先に思い浮かべるのは、
「情報通信技術」に関する学問、つまり、「情報工学」のことではないだろうか。
おそらく、バリバリのエンジニアやプログラマの姿を想像して、
数学が得意な人の集まるド理系分野、と思っている人が少なくないように思う。
ただ、自分が属しているのは、どちらかというと文系寄り。
「情報」と人間社会との関わりや、その利活用といった内容の研究を行う、
「情報学」や「情報科学」と呼ばれる領域である。
ここで、また言葉の微妙なニュアンスの違いが出てくるわけだが、
先に述べたように、「社会学」と「社会科学」のケースでは、
「社会科学」の中に「社会学」が含まれるのだが、
それとは真逆で、「情報学」の中に「情報科学」が含まれる、
というのが、どうやら「情報」の分野では一般的のようだ。
実にややこしい。
さらに、「情報学」の中で、より社会科学的な分野を取り扱う学問体系としては、
「社会情報学」あるいは「情報社会学」という学問分野が存在する。
もはや、何がなんだか。
前者は、社会をキーとした「情報学」、後者は、情報をキーとした「社会学」、
という出自の違いを示しているのだが、結果的に、扱っている内容は酷似している。
が、学者という人種は、どうやらナワバリ意識が非常に強いようで、
なかなか、「じゃあ一緒にやりましょう」とはならないのが現状のようだ。
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最初に戻ると、自分の属しているのは、「社会科学」に分類される一分野、
であることはまず間違いない。
その中で、「情報」を扱う学問であることも疑う余地が無いのだが、
「社会情報学」と断言してしまえば、「情報社会学」と相容れず、
逆もまた然り、という、あちらを立てればこちらが立たず状態に陥っている。
結局、「ご専門は何ですか?」という問いに対しては、
「ブータンの情報化です」と、学問分野ではなく研究テーマを回答して、
ややお茶を濁したようになるわけで…
いい加減、依って立つところを定めた方がいいような気もしているのだが、
それすら揺らいでいる自分が、なんとも自分らしいような気もする。
博士課程に進学して早3週間。
当面の課題は、
「これから3年間の学費、研究費、そして生活費をいかに確保するか」
に尽きると言っても過言ではない。
大学院生、特に博士課程の学生が、生計を立てる手段には、
主に次のようなものがある。
・奨学金
・日本学術振興会の特別研究員
・助手
・アルバイト
奨学金は最もスタンダードな生計手段だろう。
学内、学外含め、貸与(返済要)もしくは給付(返済不要)の2種類があり、
もちろん、給付奨学金の方がハードルが高い。
なお、多くの奨学金で、両親の収入が採用条件に含まれる。
要するに、金持ち家庭の場合、奨学金をもらえないケースが多い。
ただ、正直なところ、学部の学生までは、親の収入が学業の妨げにならないように、
という配慮は理解できるが、院生ともなれば、自力で生計を立てるケースも多い。
その場合、「金持ちの息子・娘は奨学金がもらえない=大学院生になりづらい」
という逆転現象も起こり得る。
独立行政法人・日本学術振興会が募集する特別研究員という制度に応募する、
というのが第二の手段。
これは、簡単に言えば、国がカネを出して研究者を養成しようというもの。
月額20万円と、新卒並みの金額が2〜3年間支給され、研究に専念できる。
が、もちろん、採用されるためのハードルは非常に高い。
助手は、大学内で職を得る一つの手段。
こちらも、研究に専念できる環境を確保できるが、採用枠は非常に少ない。
アルバイトは、…みなまで言うまい。
………………………………………………………………………
とまあ、ざっと書き連ねてみたが、詰まるところ、カネに困らず研究できるのは、
ごく一部の限られたエリートだけ。当たり前だが。
それ以外は、バイトに明け暮れ、研究者なのかフリーターなのかわからない、
そんな生活を送ることになるのだ。残念ながら。
ただ、ごく個人的な持論を言えば、
研究一辺倒、というスタイルが、果たして良い研究環境かというとそうでもない、
とも思う。
前回の記事でも書いたが、半勤半学というスタイルで、
理論と実践を行きつ戻りつ、というのが自分としては理想的。
ただひたすらに与えられたカネで研究に没頭するというのは、
ハングリーであること、そして、社会との接点を持つこと、
その2つを失ってしまうような気がしてしまう。
で、なんだかんだ、自分はなにかしら実務に行き着きそうな、そんな予感。
が、学生という身分で、実のある仕事というのは、なかなかに得難いもの。
確かに、企業側からすれば、週3勤務くらいはまだ許容範囲としても、
長期でフィールドワークに抜ける可能性がある学生を雇用するのは、
リスク以外の何物でもない。
自分の場合、曲がりなりにも実務経験が3年間あるので、
おそらく、他の学生より、多少は条件に合う仕事が多いとは思う。
それでも、研究との両立は至難の業であることに変わりは無い。
………………………………………………………………………
というわけで、今のところ、残り少なくなってきた貯金を食い潰す日々が続く。
懐も寂しく、かつ、社会との接点も薄れていくジリ貧状態。
そうは言っても、焦らず、しっかりと職探しをしたい。
実の無いバイトにかまけて、学を疎かにするようでは、
それこそ、会社を辞めてまでここに戻ってきた意味は無いのだから。
3月25日。
世の中は、前田敦子の「卒業」の方に注目が集まっていたようだが、
当大学でも、晴れて卒業式が挙行された。
なお、大学院の場合は、卒業式、ではなく、学位授与式が正らしいが、
AKB48ですら「卒業」という言葉が成り立つのだから、
我々がちょっとぐらい誤用したところで大したデメリットはあるまい。
それにしても、来週には同じ場所で博士課程の入学式があるのだから、
こんなにもテンションの上がらない卒業式も無い。
せめて、同じ研究室の後輩達の巣立ちを見送ってやろうと、
ちょっと高いシャンパンを贈ってやることに…したのだが、
まさかの、全く同じシャンパンを彼らも用意していた、という奇跡に遭遇。
去りゆく者たちと酒を交わしながら、夜は更けた。
………………………………………………………………………
さて。
実のところ、博士課程に進む、という選択は、極めて悩ましいものだった。
以前にも書いたかもしれないが、会社を辞めたのも、
ビジネスの世界に嫌気がさしたとか、そういうことでは全く無い。
ただただ、一度触れてしまった「ブータン」というパンドラの箱の、
中身を覗かなければ気が済まなくなってしまったからだ。
修士を終え、再び見えたこの分かれ道は、
ある意味では、社会に戻ることができるかもしれない、最後の機会。
このまま大学に残るのか(もちろん入試はあったが)、
この経験を経て再びビジネスの道に戻ってみるか、
あるいは、全く新しい道を開拓するのか。
身体が二つあれば、または、一日が48時間、といわず36時間くらいあれば、
ビジネスとアカデミックの両立は、あるいは可能かもしれない。
裏を返せば、拘束時間は半分、報酬は半額、という働き方が可能なら、
半勤半学は成り立ちそうな気がする。
そして、それが、自分には一番向いていそうな気もする。
現代日本のパートタームワーク制度では、いかんせん、
拘束時間がコントロールできるが、報酬の額が微々たるもの。
これでは、「就職しない」という選択肢をそもそも選びようがない。
もちろん、大いに反論もあろう。
短い時間しか働かない人に責任ある仕事を任せられない、であるとか、
他の人と同じ時間帯で働いてくれないと困る、などなど。
ワークシェアリング、なんて、一時期流行ったりもしたが、
単純ルーチンワークでも無い限り、引継ぎだなんだと余計な手間ばかり増え、
結局、上手くいきそうにない。
無い物ねだり。
そんなに器用でもないし、そんなに体力もない。
………………………………………………………………………
ただ、あながち、夢物語だとも思っていない。
人生の岐路で、一つの道を選び、専門性をとことん追求するのではなく、
目の前の手札をできるだけ減らさずに、そのときどきで、最前手を打つ。
そんな、夢が無いようで、夢のような、生き方もあるように思う。
ひとかどの者になりたい、という気持ちは、不思議と雲散霧消した。
元々、楽観的な性分ではあるが、ブータンと関わるようになってから、
「自分が世の中によって必要な人間ならば、きっと生かされるはず」
という、なんだか、神頼みのような思いが強くなった。
そんなわけで、もうすぐ、春。
2月は、暇なような、それでいて忙しいような、
そんなふわふわした状態の中で、気が付けば過ぎていった。
たぶん、その大きな理由の一つは、
4月以降の自分の行く先が決まっていなかったこと。
博士課程に進むことが、半ば既定路線のようになってはいたけれど、
ウチの研究科は内部進学ができず、全員が一般入試を受ける必要があった。
ペーパーテストで基準点に満たなければ機械的に落とされる。
大学院なんて縁故の世界かと思いきや、そこらへんは至極ドライである。
………………………………………………………………………
さて。
実は、博士課程進学の他に、もう一つ、来年の選択肢が浮上していた。
きっかけは、以下の求人を目にしたことだった。
ブータン政府観光局 求人情報
http://www.travel-to-bhutan.jp/archives/765
「ブータンで1年間働ける」
この2年間、ブータンに関わってきた人間にとっては、
この上も無く魅力的な、このオファー。
あまりに拙い語学力、そして、観光業未経験、という点を踏まえれば、
受かる確率は限りなく低いことは目に見えていた。
ただ。
異文化下で働く、という経験は実に得難い。
一応、一部上場企業でマネジメントの経験も僅かばかり積んでいたので、
まるっきりド素人というわけでも…たぶん無い。
ブータン研究をしてきたので、ブータンに関する知識も…それなりにある。
観光という、言わば「ブータン」そのものをコンテンツとみなした場合に、
どのようなビジネスが展開できるのか、その可能性にも食指が動いた。
1年間という期限付きなところも、実際のところ、かなり惹かれた。
研究活動を再開するとして、そこで培った人脈等は大きな財産になる。
早速、担当教授にご相談したところ、
「チャレンジしてみよ」との有難いお言葉。
肚は決まった。
というわけで、せっせと応募書類をこしらえて、果報を待つ。
実は、同時並行で上記の入試が進んでいたので、割とてんやわんや。
…
待つこと1週間。
大変残念ながら、不採用の通知をいただいた。
が、同時に、少しばかりホッとしたのもまた事実。
冷静に考えれば、自らは得るものがあまりにも多く、
が、しかし、ブータン側に与えられるものがあまりにも未知数。
ちょっと欲をかきすぎた。
………………………………………………………………………
というわけで、無事、博士課程の合格通知を手にして、今日に至る。
逃した魚は大きいが、自分に足りないものを見つめ直すきっかけにはなった。
一にも二にも、英語力は身に付けておいて損無し。
実は、博士課程の入試も英語で、当落線ギリギリだった、ことは内緒だ。
来夏は、本格的に語学留学検討しよう…
海外放浪癖があるくせに、残念なくらい英語ができない。
一人で海外に行ったりしてるんだから、
さぞ英語できるんだろうと思われてることが多いが、
行くのは基本英語圏ではないので、ほぼ無関係である。
むしろ、
非英語圏でコミュニケーションを取ろうとすると、
向こう側も英語に不慣れな場合が多いので、
しっかり構文を組んだ英語の方が、逆に聞き取ってもらえない。
で、「単語」+「ジェスチャー」のカタコト英会話を多用する。
そうやって、無理矢理コミュニケーションをとることに慣れてくると、
それに反比例するように英語力は下がっていく。
というのが、ここ数年の実感。
外国人とコミュニケーションを取ることへの抵抗感はほぼゼロになったが、
むしろ英語が喋れない人とのほうが、分かり合える気さえする。
………………………………………………………………………
高校時代、英語は最も苦手な科目だった。
当時は、海外にさほど興味が無かったので、
正直、捨て科目とさえ思っていた。
高3のときには、担任だった英語教師にすっかり嫌われてしまい、
大学の合格が決まった後、担任にその旨を連絡したところ、
「そうか、残念だったねえ」
と、意味不明の回答が返ってきたのを記憶している。
(要するに、担任は、受かるはずが無いと思っていた)
そんなこんなで、今。
大学院生ともあろうものが、英語の一つもできないのは、非常にマズい。
何よりも、研究対象であるブータンは、実は隠れた英語圏なのだ。
ブータンでは、小学校から、ほぼ全ての科目を英語で教えており、
今の三十代以下くらいの若い世代のブータン人は、ほぼ100%英語ができる。
これまで3回の渡航で、そのことを痛感したこともあって、
この春休みは、絶賛、英語力の向上に努めている、とこういう次第である。
なお、今のところ、目立った効果は出ていない…
………………………………………………………………………
そんな折、今週の週刊ダイヤモンドでこんな記事が。
凄絶!楽天の「英語公用語化」│週刊ダイヤモンド
http://diamond.jp/articles/-/16303
中身を読んでみると、「凄絶」と脅すほどのことはない、
普通の社員英語教育を施しているだけのようにも感じられる。
TOEIC推奨点数が、役員800点、課長以上700点、平社員600点らしいのだが、
600点程度の英語力では、日常会話すら覚束ないはず。
名ばかり公用語になりはしないかと、他人事ながら心配になる。
さらに記事を読み進めていくと、
「一部の社員をフィリピン・セブ島へ短期留学させた」との記載が。
実は、最近、友人から、「英語留学ならセブ島が断然安くていいらしい!」
という噂を耳にしており、その真偽を疑ってかかっていたのだが、
図らずも、こんなところで目にしてしまい、少しだけ疑念が晴れた。
自分自身、個人学習をしながらつくづく思うのは、
読み書きは独力でなんとかなっても、話す聞くは実践が伴わないと無理、
ということ。
これまで留学なんて毛ほども考えたことがなかったけれど、
ここ最近、にわかに現実味を帯びてきている。
セブ、か…
さすがに、一時のブータンブームもだいぶ落ち着いてきた今日この頃。
国王の来日が、昨年の11月15日。
まもなく、2ヶ月半が過ぎようとしている。
「人の噂も七十五日」とはよく言うが、
ブームが鎮まるにはちょうど良い頃合い、といったところだろうか。
このブームの中で、特に感じたのは、
「おいおい、日本にこんなにブータン関係者居たのかよ」
ということ。
自分が研究をはじめた2年前を思い返してみると、
ブータン関係者を探し当てることすら困難だった。
それが、ここへきて、「自分もブータンに関わってました」という類が、
わんさか湧いて出てきている。
残念ながら、有象無象の連中が寄ってたかってきていたのもまた事実。
勿論、自分とて、たった2年の関わりなのだから、
そういった連中と大差無いと言えば大差無い。
ブータンについて、あることないこと広まったこのブームだが、
良くも悪くも、ブームの終焉と共に、人々の記憶からも消えていくのだろう。
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さて、そうはいっても、
今回、ブータンに触れたことで感じ入って、
これからブータンを訪れようという日本人は確実に増えていくだろう。
ブータンの魅力は、とても一言では説明できないが、
日本人が惹かれる理由の一つに、このコラムでも何度も触れている、
「GNH(Gross National Happiness)」という考え方があるように思う。
ただ、勘違いしてほしくないのは、
ブータンは確かに、幸せを目指している国、ではあるけれど、
巷で騒がれているような「幸せな国」かどうかは、大いに疑問符が付く、
ということ。
よく引用される、幸福な人の割合が97%、という数字が一人歩きしているが、
この数字には、統計のカラクリ、というヤツが隠されている。
(あまり滅多なことは書けないので、興味がある人はご自身で調べてみてほしい)
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最近、自分自身、幸福観について考える機会があったのだが、
その中で、「最大公約数的な幸福観」と「最小公倍数的な幸福観」という、
相対する概念を導入することで、日本とブータンの幸福観の違いが見えてこないか、
という発想が浮かんできた。
「最大公約数的な幸福観」とは、
誰もに共通の、最低限度の幸福(生活)を保証しよう、という考え方。
他者の幸福を侵害しない範囲において、競争によって限りある幸福を奪い合う。
「個人主義の幸福観」や「減点法の幸福観」、「演繹法的な幸福観」
と言い換えても良い。
一方、「最小公倍数的な幸福観」とは、
それぞれが役割を果たすことで、社会的幸福を追求しよう、という考え方。
個人の幸福は、社会の幸福が実現されることで、自然と実現される。
こちらは、「全体主義の幸福観」や「加点法の幸福観」、「帰納法的な幸福観」
と言い換えることができる。
単純に、前者が日本で、後者がブータン、と結論付けるつもりは無いが、
もう少し深堀りしてみると、ちょっと面白い論になりそうだ。
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幸福を目指す社会。
その一つのヒントが、そもそもの幸福の定義、すなわち幸福観を変えてしまうこと。
という考え方は間違っていないと思うのだが、アプローチの方法としては不適当だ。
幸福観を変える、というのは、
「あなたが変われば、世界は変わります」
と言っているのに等しいからだ。
つまり、どうしてもそのアプローチでは、
宗教勧誘じみた方法論に足を踏み入れてしまう。
日本では、兎角、新興宗教は嫌われる傾向にある。
それは、どうしても、あのオウム真理教の陰がチラつくからだろう。
この年末年始、世間を騒がせた平田容疑者逮捕の報は、
17年が経った今でも、あの事件が風化していないことを思い知らされた。
昔、友人に、こういう川柳を詠んだヤツが居た。
「信じるの 隣に者と 書き足せば 儲けとなりぬ オウムの野望」
…上手いこと言っている場合ではない。
信じる者は救われる、というのは、一方では真実だとは思う。
負の側面に目を瞑り、正しいと思えるモノだけを見続けていれば、
どす黒い感情の渦に左右されない穏やかな暮らしが保証される。
ただ、自分としては、そこへ逃げ込まずに、
幸福を追求し続けるブータンから、時にはヒントをもらいながら、
日本なりの「しあわせのかたち」を、もう少し、考えてみたい。
そんなとりとめも無いことを考えた、大寒の候。