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3月25日。
世の中は、前田敦子の「卒業」の方に注目が集まっていたようだが、
当大学でも、晴れて卒業式が挙行された。
なお、大学院の場合は、卒業式、ではなく、学位授与式が正らしいが、
AKB48ですら「卒業」という言葉が成り立つのだから、
我々がちょっとぐらい誤用したところで大したデメリットはあるまい。
それにしても、来週には同じ場所で博士課程の入学式があるのだから、
こんなにもテンションの上がらない卒業式も無い。
せめて、同じ研究室の後輩達の巣立ちを見送ってやろうと、
ちょっと高いシャンパンを贈ってやることに…したのだが、
まさかの、全く同じシャンパンを彼らも用意していた、という奇跡に遭遇。
去りゆく者たちと酒を交わしながら、夜は更けた。
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さて。
実のところ、博士課程に進む、という選択は、極めて悩ましいものだった。
以前にも書いたかもしれないが、会社を辞めたのも、
ビジネスの世界に嫌気がさしたとか、そういうことでは全く無い。
ただただ、一度触れてしまった「ブータン」というパンドラの箱の、
中身を覗かなければ気が済まなくなってしまったからだ。
修士を終え、再び見えたこの分かれ道は、
ある意味では、社会に戻ることができるかもしれない、最後の機会。
このまま大学に残るのか(もちろん入試はあったが)、
この経験を経て再びビジネスの道に戻ってみるか、
あるいは、全く新しい道を開拓するのか。
身体が二つあれば、または、一日が48時間、といわず36時間くらいあれば、
ビジネスとアカデミックの両立は、あるいは可能かもしれない。
裏を返せば、拘束時間は半分、報酬は半額、という働き方が可能なら、
半勤半学は成り立ちそうな気がする。
そして、それが、自分には一番向いていそうな気もする。
現代日本のパートタームワーク制度では、いかんせん、
拘束時間がコントロールできるが、報酬の額が微々たるもの。
これでは、「就職しない」という選択肢をそもそも選びようがない。
もちろん、大いに反論もあろう。
短い時間しか働かない人に責任ある仕事を任せられない、であるとか、
他の人と同じ時間帯で働いてくれないと困る、などなど。
ワークシェアリング、なんて、一時期流行ったりもしたが、
単純ルーチンワークでも無い限り、引継ぎだなんだと余計な手間ばかり増え、
結局、上手くいきそうにない。
無い物ねだり。
そんなに器用でもないし、そんなに体力もない。
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ただ、あながち、夢物語だとも思っていない。
人生の岐路で、一つの道を選び、専門性をとことん追求するのではなく、
目の前の手札をできるだけ減らさずに、そのときどきで、最前手を打つ。
そんな、夢が無いようで、夢のような、生き方もあるように思う。
ひとかどの者になりたい、という気持ちは、不思議と雲散霧消した。
元々、楽観的な性分ではあるが、ブータンと関わるようになってから、
「自分が世の中によって必要な人間ならば、きっと生かされるはず」
という、なんだか、神頼みのような思いが強くなった。
そんなわけで、もうすぐ、春。