それはアイヌ民族の古式舞踊。
「クマの霊送りの踊り」だという。
クマの肉体を頂く代わりに魂を自然に送り返すことによって、その魂はまたいつか
肉体をまとって人間の前に現れてくれる。
この人間以外の「命」を重んじ、感謝の気持ちを捧げるという謙虚な考え方は、長らく
豊かな自然を守る役割を担ってきた。
また、その「精神」は自然というものに対してだけではなく、日常の様々なシーンにおいても
人々のココロを謙虚にし、欲望というものに緩やかなブレーキをかけてきたという。
現代ではそんな機能は遠く消え去り、私たち人間は手段を選ぶことなくこの世の支配者
となってどこまでも突き進んでいる。
時々、深い山の中でテントを張って静かな夜を過ごしていると、どんどんと勢いを増してゆく
今の社会に不安さえ抱くことがある。
人間という生き物の行動はどこまでが許され、どこから慎むべきなのか・・・。
その本当の答えはどこからも得ることはできないが、きっと先住の民の精神を学ぶ事でおのずと
理解できるような気がしている。
いつか本当の意味を持った「イオマンテリムセ」をもう一度見てみたい。
山田雅幸の写真展「Time of Wilderness」
たくさんの友人・知人に支えられて開催に到った写真展も始まってまもなく1週間。
新聞紙面でも取り上げていただいたこともあり、おかげさまで本当にたくさんの方々にご高覧
いただき、ご好評をいただいております。
今回の写真展では、大判パネルの下にその時々で感じた気持ちやエピソードを添え、1枚1枚
の写真をより一層印象深く見てもらえるように展示しました。
これは普段からJunkStageや自身のブログで写真に文章を添える手法と同じ発想です。
以前からやってみたくて今回実行に到った「読む写真展」は好評で、会場ではゆっくりと写真
を見ながら文章を読んでいただくお客様の姿を目にします。
テーブルに置いたフリーノートにはたくさんの激励の言葉や感想が寄せられています。
本当に嬉しい限りです。
今週末は在廊する予定でいますが、またたくさんの方々と触れ合えることを楽しみにしています。
引き続き、山田雅幸の写真展「Time of Wilderness」をよろしくお願い致します。
この度、アウトドアメーカー「mont-bell」のご協力により写真展を
開催することとなりました。
タイトルは「Time of Wilderness」
開催地は北海道のモンベル大雪ひがしかわ店ギャラリーです。
「大自然の宝庫」といわれる北海道も、実は「原生のままの自然」という
意味では、本当に限られた場所にしか残されていません。
今回の写真展は、ここ数年をかけて北海道の原生自然の姿にこだわり、
大雪山や知床半島の奥深いフィールドを訪ねて撮りためた記録です。
作品の特色である「野生動物の姿と背後に広がる広大な台地」の情景は、
まさに原生自然を象徴する景色であり、フィールドではいつもその情景を
求めて歩いてきました。
この写真展は自分の長年の写真テーマに沿ったものであることから、自分自身
にとって大変意味深いものになりそうです。
お近くのお住まいの方やお近くにお越しの方は、ぜひ一度
「山田雅幸写真展 Time of Wilderness」にて北海道の知られざる自然の姿を
ご覧いただければと思います。
連日の好天により北海道の南の地方ではやっとサクラが開花し、
北の地に生活する者に確かな春を告げた。
先日、所用で地方に出かけた際に立ち寄った渡り鳥の飛来地では、
北へ帰る途中のマガンが集結していた。
一年ぶりに聞く彼らの賑やかな声は、懐かしく、躍動する春を強く
実感するものだ。
落日と共に方方に散っていたマガンが次々と大きな編隊を組んでねぐら
である沼へと帰ってくる。
その数は実に4万羽。
彼らはまもなく遥か北の彼方シベリアまで帰ってゆく。
壮大な旅の途上に見る景色はどんなに素晴らしいだろう。
彼らにしか見ることのできない景色に思いを馳せながら、ファインダー
の中に映る優雅な舞にシャッターを切る。
「渡り鳥」という誰もが知る身近な存在も、自分にとっては人間
とは違う時空に生きる不思議な生き物。
「自然」に魅力を感じる瞬間とは、未知の世界が持つ不思議さを
実感する時でもある。
ここ数日は春らしく穏やかな日が続いている。
気が付くと日照時間も随分と長くなった。
野を歩くと冬には聞こえてこなかった野鳥達の声があちこちから聞こえてくる。
暖かい風に誘われて既にたくさんの春鳥が南から渡ってきているようだ。
夕刻、海の向こうに夕日が沈む頃、この冬最後のベニヒワの群れが草原を飛び回っていた。
彼らが羽ばたくたびにオレンジ色の夕日が彼らの小さな翼を黄金色に染める。
静かで美しい時間だった。
彼らはまもなくシベリアへと旅立ってゆく。
一体あの小さな体のどこにそんな力が備わっているのだろうと不思議に思う。
彼らはわずか数年という短い命を精一杯生き、毎日を謳歌する。
僕達は時として小さな生き物達からも大切なことを教えられる。
3月も半ばを迎え、まだまだ雪景色の広がる北海道であるが、
日中の気温が安定して上昇している為、積雪がどんどんと下がり始めた。
北海道東部の海岸では流氷が風に乗って一進一退を繰り返しながら、
毎日海の景色を変えてゆく。
日本には極地の流氷の海もあれば、亜熱帯の珊瑚礁やマングローブの海
もある。小さな島国でありながら、これだけ自然や生物が多様に富んでいる国
は他にあまりないだろう。
日本は本当に素晴らしい土地だと思う。
最東端の知床半島では越冬の為に飛来していた海ワシ達も春の気配を感じ始
めたらしく、少しずつサハリンやカムチャツカへ飛び立ちはじめているようだ。
海ワシの一種、オオワシは毎年1,000羽から2,000羽が知床半島付近へ飛来して
いるというが、公式文献によると総個体数で5,000羽から7,000羽と数は少なく、
絶滅危惧種にも指定されている貴重な鳥である。
世界最大級のオオワシは成鳥になると体高は1m、翼を広げると2m50cmにも
なり、目の前を飛び去ってゆく姿は本当に大迫力で圧倒されてしまうが、時として氷上の
アザラシやエゾシカを襲うという行動も充分に納得ができる。
そんなオオワシは北海道を代表する野生動物のひとつであり、自分にとっても魅力的
で重要な被写体である。
望遠レンズの先に見える彼らの表情は、精悍で野生に生きる者独特の強さを感じさせた。
まるで感情を持たない生き物のように、冷たく鋭い瞳でじっとこちらを見つめる様子
が印象的だ。
一体彼らは毎日何を見て、どんなことを感じて生きているのだろう・・・。
動物達の瞳を間近で見ることができた時、同じ次元に生きる者同士として素朴な
疑問が湧き上がってくる。
少なくとも春がすぐそこまでやってきていることは、人間だけではなく動物達も
ココロの中で感じているに違いない。
まもなくこいつも僕らの知らない豊かな地へと旅立ってゆくのだろう。
北海道東部、夜明けに外に出ると暴風雪となっていた。
やはり予報どおりの天気だ。
湖畔からは時折風の中からハクチョウ達の声が聞こえてくる。
今日はあえて暴風雪の中の彼らの姿を捉えたいと思っていた。
手袋を通して入ってくる風は凍傷を招くほどに冷たく、1分間とカメラ
を構えていられない。
風上に手をかざしながら結氷した湖の先を見るとポツポツとなにやら塊が見えた。
望遠レンズを付けたカメラが風の抵抗を受け、うまく支えられない。
体ごと飛ばされそうになりながら、どんなふうに写っているかも分からず必死に何度も
シャッターを切る。
強風と寒さに耐え、1時間。
できる限り彼らの姿を撮影したが、これ以上は限界だった。
写真はこの時のもの。
厳しい嵐をじっと耐え忍ぶハクチョウの姿が表現できた。
2月も終わりに近づき、そろそろあの突き刺すような寒さも無くなって
ゆくだろう。
ここ数日間海岸で、まもなく北へ去ってゆく幾種かの冬鳥の撮影を行った。
誰もいない海岸は北国らしい荒涼とした景色で、ここで独り波の音に包まれ
ながら過ごす時間が心地よかった。
「肝心の撮影の方は」というと、
生き物の撮影は本当に難しく、なかなか思い描くような写真にはならない。
今回もやはり難しかった。
でも、その難しさが長年に渡って自然写真に惹かれ続けている理由なの
かもしれない。
思い描く作品を創ろうと何度も何度も挑戦する。
不思議と成功した時よりも挑戦している時の方がじわじわとした充実感を
感じる。
気がつくと随分と日が長くなったものだ。
水平線に沈んでゆく夕日とオレンジ色に照らされた海岸の景色は、僕の
ココロの中にこの土地の美しさを印象付けた。
きっとまた僕はここにやってくるだろう。
札幌市が主催する「Sapporoヒグマフォーラム」に足を運んできた。
会場入りすると、今回提供させていただいたヒグマの写真が大きくスクリーンに映し
出されていた。昨年10月に知床で撮影したサケをくわえたヒグマである。
さて、ヒグマの存在は北海道の自然の象徴でもあるが、札幌では住宅地や都市部付近
に出てくるヒグマが近年増加傾向にあることが問題視されている。
その事により札幌市では平成24年からヒグマ対策の専従組織を設置しているという。
僕はこれまで国立公園でヒグマの業務に携わり、また自己の写真活動の中でも
自然界の神聖な動物としてヒグマの撮影を続けているが、自分が住む札幌市内の
ヒグマの状況については時々情報を調べていた程度であまり深くは追求はしてい
なかった。
フォーラムでは研究者や専門組織の方々による現在のヒグマの動向や、人との衝突
を防ぐ為の対応策などが細かく述べられた。
ヒグマの都市部への出没や人里近隣に生活域が定着している現象について、原因は
誰もが漠然と思うヒグマの生息環境の悪化や森林地帯の減少はもちろんのこと、その
ことに加えてヒグマは食料の調達しやすい畑や人里の方が生活しやすいことを徐々に
学習していきているのだという。
そして、確かに「一般社会的」にはヒグマ出没の対策や軋轢を避けるための方法は、ど
れも北海道の住人がヒグマと共生していく上で必要だと感じるのだろうが・・・。
このフォーラムには「人と自然との共生」というサブタイトルが付けられている。
僕は以前からどうしてもこの言葉に違和感を感じている。
本来は「理想的な表現」だと思うのだが、人と野生動物が生活域の重なる土地で果た
して共生していけるのだろうか・・・。
そして両者にとって共生していくことが本当に望ましい事なのだろうか・・・。という思い
がつきまとう。
ヒグマが人里圏で生活し始めたのは人間がそうせざるを得ない状況に追いやってし
まった結果であり、明らかに人間側に責任がある。それなのに人との接触が起き
始めると、ヒグマを懲らしめ、時には殺してしまう。
その時々で最善と思われる対応は人間がヒグマに対して行ってきた過去の歴史を
振り返ると、実はどれもが人間側の身勝手な行動でしかないように感じられる。
本当の意味での共生とは、お互いが対等に生きていくということではないだろうか・・・。
人間同士の「共生」を考えてみても、自分に不都合が起きた時だけ相手を「支配する」
ことは当然許されないのだから。
であるならば、ヒグマは時として凶暴性を発揮する動物であるのだから、共生を望むなら
その土地に住む者皆が危険に対するリスクを受け入れ、行動を慎み、ヒグマに対する
注意を払って生活していくべきである。
決して行政頼みになってはいけないと思うのである。
今回のフォーラムでは研究者の方や行政機関の方が調査や研究の成果、そして今後
の対応策などを真剣な眼差しで述べられていた。
言葉の通じない野生動物に対してどのような対策が好ましいのか本当のところは誰も
分からない。
でも、「とにかく模索していくことは大切なことである」と、ある研究者の方が語っていた。
日頃より活動されている関係者の方々に対しては僕もいち札幌市民として頭の下がる
思いであり、本当にその通りであると共感した。
考えてみると、近年北海道ではヒグマの問題の他に生態系の狂いによって様々な
動物が人間の生活を脅かし始めている。
里ではエゾシカが個体数の増加によって生息域が北海道全域に広がり、山間部の
樹木や農作物の被害が拡大し続けている。
また海岸部ではトドやアザラシなどの海獣類による漁業被害がとても深刻化してきて
いる。
どの問題もヒグマの件と同様、長い年月の中で人間本位の行動がエスカレートした結果、
今の状態を招いてしまったのだと思う。
札幌で生まれ育ってきた僕もわずか数十年という歩みの中で生態系の変化というもの
を強く実感している。
現在は自宅から15分程の小さな山に子供の頃には考えられなかったクマや鹿の
存在を感じているのだから・・・。
一体私達はこれから自然とどう向き合っていくべきなのだろうか・・・。
人間も動物も終わりの無い時間の先に向かってそれぞれの生活環境を守り、尊重
しながら次世代に繋げていく。
それは長い年月をかけた本当に難しい問題であり、私達人間は慎重な行動を心がけ
るべきだと思うが、ひとつだけ確信していることあるとすれば、それは
「私達人間は支配者であってはいけない」
ということのような気がする。
今回のフォーラムによって、またひとつ大切なことを考え、そして自分の中で確信を
得たような気がした。
先ほどまでは穏やかだったのに少しずつ冷たい風が吹いてきた。
スノーシューで山の麓を歩き、見晴らしのいい丘に出た。
冬らしい景色を堪能していると、遠くにエゾシカの姿が見えた。
彼らも丘の上を目指して長い斜面を上がってきたようだ。
下界にたくさんの雪が積もり始めるとエゾシカ達はいよいよと食べ物の調達が困難に
なるのだが、標高の高い開けた場所では強い風が雪を吹き飛ばしてあまり積もらない。
そんなことを知っている彼らは厳しい寒さと引き換えに食べ物を求めてやってくるのだ。
冬の荒涼とした風景の中で、遠くに動くエゾシカの姿は生命感に溢れていて
なんだかとても印象的だった。
カメラを取り出し、構図を決めてシャッターを切る。
決して特別な写真ではないのだが、僕はこんなシーンが好きだ。