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札幌市が主催する「Sapporoヒグマフォーラム」に足を運んできた。
会場入りすると、今回提供させていただいたヒグマの写真が大きくスクリーンに映し
出されていた。昨年10月に知床で撮影したサケをくわえたヒグマである。
さて、ヒグマの存在は北海道の自然の象徴でもあるが、札幌では住宅地や都市部付近
に出てくるヒグマが近年増加傾向にあることが問題視されている。
その事により札幌市では平成24年からヒグマ対策の専従組織を設置しているという。
僕はこれまで国立公園でヒグマの業務に携わり、また自己の写真活動の中でも
自然界の神聖な動物としてヒグマの撮影を続けているが、自分が住む札幌市内の
ヒグマの状況については時々情報を調べていた程度であまり深くは追求はしてい
なかった。
フォーラムでは研究者や専門組織の方々による現在のヒグマの動向や、人との衝突
を防ぐ為の対応策などが細かく述べられた。
ヒグマの都市部への出没や人里近隣に生活域が定着している現象について、原因は
誰もが漠然と思うヒグマの生息環境の悪化や森林地帯の減少はもちろんのこと、その
ことに加えてヒグマは食料の調達しやすい畑や人里の方が生活しやすいことを徐々に
学習していきているのだという。
そして、確かに「一般社会的」にはヒグマ出没の対策や軋轢を避けるための方法は、ど
れも北海道の住人がヒグマと共生していく上で必要だと感じるのだろうが・・・。
このフォーラムには「人と自然との共生」というサブタイトルが付けられている。
僕は以前からどうしてもこの言葉に違和感を感じている。
本来は「理想的な表現」だと思うのだが、人と野生動物が生活域の重なる土地で果た
して共生していけるのだろうか・・・。
そして両者にとって共生していくことが本当に望ましい事なのだろうか・・・。という思い
がつきまとう。
ヒグマが人里圏で生活し始めたのは人間がそうせざるを得ない状況に追いやってし
まった結果であり、明らかに人間側に責任がある。それなのに人との接触が起き
始めると、ヒグマを懲らしめ、時には殺してしまう。
その時々で最善と思われる対応は人間がヒグマに対して行ってきた過去の歴史を
振り返ると、実はどれもが人間側の身勝手な行動でしかないように感じられる。
本当の意味での共生とは、お互いが対等に生きていくということではないだろうか・・・。
人間同士の「共生」を考えてみても、自分に不都合が起きた時だけ相手を「支配する」
ことは当然許されないのだから。
であるならば、ヒグマは時として凶暴性を発揮する動物であるのだから、共生を望むなら
その土地に住む者皆が危険に対するリスクを受け入れ、行動を慎み、ヒグマに対する
注意を払って生活していくべきである。
決して行政頼みになってはいけないと思うのである。
今回のフォーラムでは研究者の方や行政機関の方が調査や研究の成果、そして今後
の対応策などを真剣な眼差しで述べられていた。
言葉の通じない野生動物に対してどのような対策が好ましいのか本当のところは誰も
分からない。
でも、「とにかく模索していくことは大切なことである」と、ある研究者の方が語っていた。
日頃より活動されている関係者の方々に対しては僕もいち札幌市民として頭の下がる
思いであり、本当にその通りであると共感した。
考えてみると、近年北海道ではヒグマの問題の他に生態系の狂いによって様々な
動物が人間の生活を脅かし始めている。
里ではエゾシカが個体数の増加によって生息域が北海道全域に広がり、山間部の
樹木や農作物の被害が拡大し続けている。
また海岸部ではトドやアザラシなどの海獣類による漁業被害がとても深刻化してきて
いる。
どの問題もヒグマの件と同様、長い年月の中で人間本位の行動がエスカレートした結果、
今の状態を招いてしまったのだと思う。
札幌で生まれ育ってきた僕もわずか数十年という歩みの中で生態系の変化というもの
を強く実感している。
現在は自宅から15分程の小さな山に子供の頃には考えられなかったクマや鹿の
存在を感じているのだから・・・。
一体私達はこれから自然とどう向き合っていくべきなのだろうか・・・。
人間も動物も終わりの無い時間の先に向かってそれぞれの生活環境を守り、尊重
しながら次世代に繋げていく。
それは長い年月をかけた本当に難しい問題であり、私達人間は慎重な行動を心がけ
るべきだと思うが、ひとつだけ確信していることあるとすれば、それは
「私達人間は支配者であってはいけない」
ということのような気がする。
今回のフォーラムによって、またひとつ大切なことを考え、そして自分の中で確信を
得たような気がした。