勝手を申して済みませんが、8月まで休載をさせていただきたいと思います。
実は年齢的に最後かなと思っていますが、今年中にリングにあがりたいと思ってトレーニング等しております。
プロボクシングの方ではなくボックスファイトという新しい団体です。
プロテストをうけなんとか今年、遅くとも来年にはもう一度カムバックしたいと考え努力しています。
それと総合格闘技の練習も四年程やっております。
こちらもアマチュアの試合に出たいと思ってます。
僕の今の目標は三ヶ月で身体をつくりなおし体重を13キロおとしトライアウトに合格することです。
長男には戦う父親の姿をみせてきました。
しかし次男は所属ジムがなくなりリングをおりた時にまだお腹の中にいました。
次男にも不器用だけど一生懸命いきる父親の姿をみせたいと思ってます。
音校から音大とクラッシック畑出身の僕ですが弾くのはポップスも大好きです。
幼い頃両親がバンドをやっていました。そこにバイオリンやピアノで参加してい
ました。小さな頃からポップスの楽しさは身をもって知っていたのだと思います
。
学生の頃からクラッシックを勉強するかたわら友達とバンドを組んだりポップス
の仕事を先輩からいただいたりしてやってました。
学校をでてからもやる仕事はポップスが多かったと思います。
ではクラッシックとポップスの大きな違いは何だろう?勿論使われる楽器や編成
、エレキ楽器を使う等様々あると思いますが音楽という僕なりの観点から考えて
みたいと思います。
まず曲のつくりです。強引な言い方をすればクラッシックはサビだらけのように
かんじます。ポップスはサビを目立たせるためにAメロBメロとシンプルなつく
りのメロディーが続いてサビにつなげるというのが大方のつくりになっています
。時間もポップス曲はだいたい4~5分くらいに対してクラッシックは小品なら同
じくらいですがコンチェルトやシンフォニーなら全楽章で30分以上のものが非常
に多いと思います。
クラッシックは曲のつくり方も様々な決まりを守ってつくりますがポップスはク
ラッシックのような決まりはなくむしろ型破りでもかっこよけれはなんでも有り
のようなつくりが多いです。
クラッシックはフレーズを大切にして多少テンポが揺れます。ポップスはわりと
縦のせんを大事にしていく傾向があると思います。
音の取り方もクラッシックは導音は高めにとりますがポップスは同じです。クラ
ッシックはだいたい442Kilohertzに対してポップスは440Kilohertzです。これは
クラッシックが電気の力を使わないため高い音程の方が響くためこうなったのか
も知れません。
拍の取り方もクラッシックの場合指揮がふられ少し戻ってきたところで音がでま
す。簡単に言うと多少のためがあるので発音のタイミングが遅れます。しかしポ
ップスはふりおろされたらその下の部分で音を出さなければなりません。このタ
イミングが一番苦労しました。そして音程もです。
THE BEATLESの曲を分析するとクラッシックではやってはいけない進
行などしてますが今もなおTHE BEATLESの曲は愛されています。
それぞれ違いはありますが良いものは良いのです。
クラッシックの人間にたまにいるのですが自分達のやっている音楽こそが崇高な
もので他をあまり認めず、クラッシック以外のミュージシャンを見下す奴がいま
す。ホントにすごい人は偉そうでなく他を認めとても謙虚です。僕は音楽が好き
です。どのジャンルも好きです。今後も様々な音楽をやっていきたいです。謙虚
にそしてアグレッシブに生きたいと思っています
今の音楽は様々なジャンルがあると思います。
クラッシックの曲ではよく「ガボット、メヌエット等」を耳にすると思います。
よく生徒からガボットって何?みたいな質問をされます。本当は先生に聞く前に
自分で調べて欲しいのです。意地悪している訳ではありません。人から教えても
らったことは自分で調べたことと比較して忘れてしまいがちなのです。そして人
に聞くという最も簡単な方法ではなく自分で本で調べるなどの手間をかけて知識
にして欲しいと僕は思います。
ガボットは簡単に言うと二分の二拍子のやや早め舞曲なのです。少し付け加える
と繰り返しがありダカーポでもどりフィーネで終わります。
もちろん多少の例外もありますがリズムに特徴があり楽しい感じのものが多いで
す。
他にもワルツ三拍子のはやめの舞曲等様々あります。
こういった古典舞曲の特徴として曲の終わりにはリタルダンド(だんだんゆっく
り)があり終わることが非常に多いです。舞曲を弾くにあたり一番重要なことは
やはり踊れるかどうかだと思います。
では舞曲って現在では?とかんがえると…ダンスミュージック!テクノ、ヒップ
ホップ、ハウス、レゲエなどいろいろあります。
曲のテンポはそれぞれほぼ決まっており各ダンスミュージックにだいたい特徴あ
るリズムがついてます。
例えばレゲエというダンスミュージック。1960年代後半ジャマイカで成立し、1980
年代前半まで流行した4分の4拍子の第2・第4拍目をカッティング奏法で刻むギタ
ー、各小節の3拍目にアクセントが置かれるドラム、うねるようなベースラインを
奏でるベースなどの音楽的特徴を持つポピュラー音楽です。テンポもBPM60も
しくは倍の120と決まっており人間の心拍数に近いものになっています。
ダンスミュージックも昔のものから現在のものに変化してきて未来はどんなもの
が出てくるのだろうと思います。
昔はどこか行くにも場所で何ヶ月もかけて行ったと思います。それが汽車ができ
たり船ができたり電車になったり飛行機ができたりとつねにはやいものに変化し
てきました。その影響もあると思います。曲にしてもダンスミュージックにして
もはやいテンポが増えてきたと思います。
メトロノームで昔は一往復で一拍でした。現在はその半分で一拍としています。
音程も現在の音程に比べるとベートーベンくらいの時代との音程差は半音昔が低
かったようです。なのでわかりやすい例としてはレコードの回転速度を少しおと
したらテンポも音程も下がります。昔に演奏されていたものと非常に近いものが
実現されると思います。
そこから考えるとあの難しい顔をした肖像画のベートーベンの運命という曲もど
こかあたたかい曲に聴こえると思います。
未来のダンスミュージックの予想は…音程が高めでテンポがはやいものができて
くるかもしれませんね
先生という存在は何か物事をするにあたりかなり大きな影響を与える立場にある
と思います。
良い先生に恵まれるかどうかでかなり上達の仕方、物事にたいしての考え方がか
わってきます。
では良い先生とはどんな先生なのだろう?僕の視点で考えてみる。
バイオリン、格闘技の良い先生
★技術を教えてくれる。
★効率よい練習の仕方を教えてくれる。
★人として尊敬できる。
★自分を理解してくれる。
★忍耐強く簡単には見捨てたりしない。
★きちんと叱ってくれる。
★良いところは良いとほめて認めてくれる。
とかなり偏った僕の良い先生と思う人間像です。
幸い僕は先生にはとても恵まれていたと思います。
最初のバイオリンの先生は音楽は楽しいものだと教えてくれ上京してからの先生
は技術と考え感じることの大切さを辛抱強く教えてくださいました。
僕をプロボクサーに育ててくれた先生はボクシングの素晴らしさと楽しさを教え
てくださいました。
僕はかなりくせのある人間です。なので自分が尊敬できない、心を許せない人間
の言う事には従う事ができません。ボクシングなんて特にそうです。リングに上
がるからには自分の命をトレーナーに託すわけです。
僕が生徒さんとレッスンをするときに大切にすることは生徒さんと向き合うこと
。自分をさらけだすこと。偽りの自分をさらけだしても生徒さんは心を許しては
くれません。何かを要求するならまず自分がかわらなければダメだと思います。
先生は昔の体質だと神のように扱われ先生が言うことが全てのように思われてき
ました。僕はこの体質が嫌いです。上からものを言うのが嫌で仕方ありません。
先生は生徒のよきパートナーであるべきと考えます。同じ目線でものを考え一緒
に成長していきます。偉そうにしなくてもこの人のいうことならきこうかな、こ
の人すごいなと思えば命令しなくても良い関係は築けますし言うことをきいてく
れます。
もちろん相性もありますから全てうまくいくことはありません。しかし目的は僕
がレッスンを生徒にして師弟関係を築くことではありません。その生徒さんが音
楽とふれあい音楽を好きになってくれること、格闘技なら格闘技を好きになって
くれることです。
昔ある音楽教室に先生として所属してました。その代表からおかしな注意をされ
ました。「西垣君、いろいろとやりすぎないようにしてね。もし貴方がここを辞
めるということになったら後任の先生と比較されこの先生は前の先生のようにし
てくれないとクレームがくると困るから」
訳がわかりません。二つおかしな点があります。一つは先生にはそれぞれのやり
方がある訳です。自分の考えに自信をもち生徒と向かい合うべきではないのか?
二つ目は引き抜き行為はしなくても生徒側に全く選択権がないこと。
結局こことはいろいろ揉めて辞めることになりました。
先生とは信念を持ち全力で生徒と向かい合うこと。これが先生だと僕は思います
何をやるにしても練習しなければ上達しません。よく「家では上手く弾けたのに
人の前では上手くできない」ですとか「道場では強いのに試合になると力を発揮
できない」という話しを耳にします。
僕は思います。練習でやったことしかでません。多少の緊張感はあるでしょうが
関係ないです。
僕が思うには練習には三つのことが必要と考えます。
1、基礎2、応用3、心
1は音楽でいうとスケール(音階)、エチュード(練習曲)等。格闘技でいうと
筋トレ、シャドウ、サンドバック等になると思います。音階は正しい音程をとり
ながら運指移動がなめらかにいっているかを確認し目的の技術をつけるためその
テクニックを身につけるための曲をひきます。格闘技の筋トレは練習にたえれる
身体をつくりシャドウは実際の相手を想像したり鏡をみておかしなとこがないか
チェックします。バックは攻撃の角度距離等考えながらうちます。慣れてきたら
シャドウしながらサンドバックうったりします。
2、応用は音楽でいうと曲格闘技でいうとミット、スパーリングになると思います
。基礎で音程やテクニックを身につけいよいよ曲を弾いていきます。クラッシッ
クでは良識の範囲内で感情を入れ抑揚をつけたりします。この感情の部分は3の
心の部分になりますが1と3を組み合わせ自分なりのオリジナリティーあふれる
ものにします。格闘技ミットは経験あるトレーナーが攻撃を指示し様々なコンビ
ネーションを学びます。そしてスパーリングは一番実戦に近いものです。互いに
防具をつけ試合と同じように戦います。ここで自分に足りないものがあきらかに
なると思います。
3、心のことですが楽器を練習することだけでなく良い本、映画、絵、音楽等良い
と言われるものにふれて感受性を養います。そして1.2をたくさんやることにより
自信をつけ心を強くします。格闘技も1.2をすることによって心を強くします。
これが基本的な練習だと僕は思います。そして両方に言えることですが間違った
練習は下手になります。いくら三時間練習しようと間違ったことを三時間繰り返
す訳ですから逆効果です。正しい練習をしなければ上達しません。
効率的な練習の仕方は必ず目的を持ってすること。そのためには自分を冷静に見
極める力が必要です。自分の何がダメなのか?そしてダメな部分を改善するため
に何をしたら良いのか?を判断することにあります。
例えばバイオリンでどうやっても上手く弾けないところがあるとします。そこで
まず考えます。何がダメなのか。音程?リズム?テクニック?
音程がダメなら音程だけを重視して何回もよく聴いてゆっくり弾きます。
リズムがダメならその部分を歌ったり手拍子で身体にたたきこみ、できたら楽器
でゆっくり何回も繰り返す。その時弓の使う量、場所、アップダウンを考える。
テクニックができないのであれば姿勢に不自然なところはないか、運指に不自然
なところがないか、運弓がおかしくないか等をチェックしゆっくりと何度も繰り
返す。そして苦手なテクニックが入った練習曲(エチュード)を練習する。これ
が僕が思う効率的な練習だと思います。
このような練習は普段の練習でありもし本番を控えていたら約一週間前までこの
ような練習をゆっくりこつこつやります。全体をとおして弾くのは一日多くても
二回くらいで良いと思います。そして本番一週間前になったらとおして弾く練習
をメインにします。なにがなんでも止まらない。弾き直したりとまらない癖をつ
けます。たいていの方は引き直す部分練習をして本番前のとおしてひく練習をし
てないので止まることが多いのだと思います。
普段から上手くいくように部分練習をすると上手くなった気がしますが実際前後
くつけて何回も弾きこまなければ上手くはいきません。自分の言ってることが全
てとは思いませんが何かの参考にしていただけたらと思います
音校、音大での僕はどんな存在だったのだろうか?自分のことなので想像でもの
を言います。
芸術系の学校というのはやはり変わった人がとても多い。漫画やドラマ、アニメ
になった「のだめカンタービレ」みたいなかんじ。あれは本当によく出来てる。
大抵の方々は多少なりと大袈裟にかかれていたり演出家の演出だとおもわれてい
ると思いますが、少なくとも僕のまわりはあんなかんじでした。それよりひどか
ったかも知れません。
学校で僕は少し浮いているのを肌で感じたことがあります。あんな個性的な集団
の中で浮くなんて…僕が限りなく普通の人だからだ!そう思ってました。若干今
でもその傾向はあります。
正義感が強いのはまわりがおかしいから。おかしいことをおかしいと言えないこ
とがおかしい。そうです、頑固なんです。
浮いた噂がたたないのは僕が真面目だから。(ホモ疑惑がささやかれたことも。
実際は恥ずかしがり屋のくせに女性に相手にされなかった。)
今も昔も変わらないのは楽しいことにしか興味がないこと。
大抵のことは率先してやりました。何故か団体のトップかトップ下にいることが
多い。音楽科に高校通ってたくせに圧倒的に男友達のほうが多い。
学園祭も実行委員長をやりました。はじめはやる人がいなくて先生から説得をう
けた。もちろん喧嘩になりました。
当時の学校の政策に反対だったのと個人主義のわがままな奴が多い学校に何故僕
が一肌脱がなければいけないのかわからなかったからです。
しかし先生の立場もあるし学園祭を楽しみにしている仲間がいる。たよりにされ
たのも嬉しかったのでしょうね。
条件をだしました。
1、実行委員会の首脳陣は僕に選ばせること。
2、学園祭期間(準備期間を含む)は大抵のことは誰であろうと僕の指示に従うこ
と。(もちろん教師であっても。)
3、先生方は協力を惜しまないこと。
4、学園祭が終了したら実行委員会の人間に焼肉をすきなだけ食べさせること(食
べ放題の店は不可。
上のことは守ってもらいました。そのかわりと言ってはなんですが必ず成功させ
オリジナリティーあふれる学園祭を作ると公言しました。
つねに気をつけていたのは委員会の人間を全力で守ること。失敗があっても全て
僕が責任を負うこと。そして失敗をした人間を誇りに思うこと。嫌な作業は率先
してやること。変なやつらがきたら先頭で戦い追い払う。
卒業生からも「学園祭でライブやってあげるからギャラをくれ」と言われました
がきっぱり断りました。随分OBに煙たがられ呼び出しもされましたが全て返り
討ちに。
高校も大学と一緒にやります。なのでクラスをもつ教師がかってに判断してやり
たいようにやられました。もちろん喧嘩して従ってもらいました。おかげさまで
学園祭は成功し、先生方からも大変高い評価をいただきました。
そのせいかどうかわかりませんが名前も知らない学年もかなり離れた後輩からア
ドバイスをと何人か学校を卒業してからも 僕のとこに来てくれました。
頑固でいかつくて同性にモテるが女性には相手にされない。本当にたまに好意を
持っていただける方がいても鈍いので全く気がつかない。…全く今でも変わって
ませんが昔の男、昭和の臭いがする男という感じが学校での僕だったのだと思い
ます。
僕は共子先生の元で勉強したいということで不可能と太鼓判をおされた桐朋に一
浪しながらも入れました。
初めての東京は驚くことばかり。16歳の僕にはいろいろ刺激になりました。祖父
母も一緒に住んでいた大家族七人からいきなりの一人暮らし。掃除洗濯料理等一
人でやったことないものばかり。全てそのスキルはバイトで身につけました。
家は貧乏でないにしろ裕福ではありません。コンビニで深夜働き効率よい掃除の
やり方を覚え廃棄の弁当やパンで食料を手に入れ、居酒屋で働き料理のやり方を
覚えました。
桐朋の高校はバイトしている人なんていないと思います。そして大学もピアノ科
や弦楽器科はほとんどいないと思います。大学になると大学から入学してくる外
部生は科によりバイトしている人はいましたがせいぜい教えたり自分の演奏技術
をいかせるバイトをするくらいです。それだけ裕福な家庭の人が多く自分の練習
に打ち込む人が多いです。
僕の考えはひたすら練習するのはよくないと考えています。それでは音楽家でな
く音楽オタクもしくは音楽バカになってしまうと考えます。
普通の人たちとクラシック出身の人間には垣根が存在すると思います。音楽をや
ってきた人間は音楽がわからない人や自分用よりレベルの低い人を見下す傾向が
あります。そうでない人はすみません。少なくとも僕の上や下の世代、中途半端
に上手い奴はほとんどがそうでした。僕はそういう奴らが大嫌いでした。楽器が
できることを特権階級のようにはなにかけたり裏ではぼろくそ言ったり。
そのような奴らと一緒にされたくないという気持ちもあったからなのか僕はこの
ようなバイオリン弾きらしからぬ生き方をしているのかも知れません。格闘技に
も納得のいかない判定とかありますが相手を倒せば勝ちです。経歴は自分を守っ
てくれません。
たいしたことない奴が踏ん反り返っていて仕事をもらうためにヘコヘコしたり下
についたりがバカらしくてクラシック関係の仕事はほとんどやりませんでした。
僕の考える音楽家とは人の気持ちがわかり世の中の情勢や様々な知識を持ち、考
えを音で表現できる人間のこと。職人です。大半の音楽家は残念ながら商人が多
いように思います。
こんな不器用な生き方をしていましたので女性だらけの環境でも男友達の方が多
かったです。
桐朋は練習室が少ないのでよく部屋がとれないことが多々ありました。そういう
ときは廊下で練習します。勿論ピアノの人はできません。弦楽器、木管楽器はや
ります。 金管楽器は音が大きいので真ん中の建物の一階が金管楽器の人たちの練
習場所になっていました。廊下はよく音が響くので弱音機をつけたりしましたが
夜人が少なくなると気持ちよくひいたりしてました。
桐朋といえば代名詞にもなっているのがオーケストラだと思います。いくつかの
オーケストラが新学期はじめに発表され希望をだします。高校1、2年.外部からの
大学の新入生はエントリーできるオーケストラは限られていますがそれ以外の人
は学年関係なく実力で希望のオーケストラにのれるか決まります。評価は実技試
験の結果等により判断されます。
ビオラ専攻の人は少ないので桐朋のバイオリンの人がビオラをやったりします。
なので桐朋のバイオリンの人は皆ビオラが弾けます
席は実技試験の結果が反映されます。
指揮者は有名な方たちがやって下さってました。
桐朋はオーケストラの授業がとても厳しかったです。やはり集団なのでとくに出
欠や遅刻にかんして厳しかったです。開始時刻15分前には調弦をして席について
いなければいけません。
出欠をとる時にいなければ遅刻とみなされ皆さんの前で遅れた理由を述べ謝らな
ければなりません。欠席は次回来たときに理由を述べ謝らなければなりません。
風邪等の場合は病院へ行き診断書を提出しなければいけません。木管や金管など
同じパートに人がいない楽器は代理をたてなければなりません。
遅刻してしまったら謝るだけでなくその遅刻者が来るまでずっと音も出さず待っ
ています。無断欠席をしたら最悪です。来るはずもない人をその練習時間いっぱ
いまで待ち続けます。そして来なかったら一音も出さず終わることになります。
オーケストラは集団行動なのでかなり最低限守らなければいけない時間の部分に
はシビアでした。
それ以外はかなり自由な学校でした。しかしその自由が一番怖いのです。自分を
生かすも殺すも自分の選択次第。規制されているときの方が実はやさしく楽なの
だなと思いました。
この学校で一番をとることはきっとどんなコンクールで優勝することより難しい
と思います。日本音楽コンクールの一位もだいたい各年ごとにいますし海外や国
際コンクールの上位入賞者も何人もいます。まさに日本音楽界の最高峰のような
ところでした。
すごいのは頑張ってる先輩や同期、後輩で僕は何もすごくありません。むしろ名
を汚してる部類に入るかと思います。
故齋藤秀雄先生が音楽をする子供たちのためにと僕の先生を含め作った少数精鋭
を育てる学校だと思います
稲葉耕作監督より命名いただきました。西垣恵改めて西垣恵弾(にしがきけいた
)になりました。本名は西垣恵ですが活動は西垣恵弾でやっていきます。よろし
くお願いいたします。
以前芸能人もお忍びで通う占いをしている和尚さんから名前のことについて言わ
れておりました。なので芸名を考えてはおりましたがなかなか決まらず稲葉監督
に名付けていただきました。
自分はまだまだこれからだと思っていますので名前負けしないようにがんばりま
す。
さて、話しはかわりまして誰しも経歴があるかと思います。その人がどんな人生
を歩んできてどんな人なのかというのがわかるものだと思います。
特に日本人はこの経歴を重要視する民族ではないかと思います。
演奏会へ行こうとしたとします。聴きたい曲がありその曲を演奏する演奏会がい
くつかあったとします。皆さんは何を基準に行く演奏会を選択しますか?大半の
方はその曲を演奏する奏者の経歴で選ぶのではないかと思います。
たしかに良い経歴をお持ちの方はまずハズレがないような気がします。
僕が皆さんに提案したいのは何かを期待させる人をたまには選んでみていただき
たいと思います。
上手いと言われる演奏家のコンサートは確かに素晴らしいかも知れません。しか
しあれ?と思ってもこの奏者は上手いからと思いこんで聴いている時もあるかも
知れません。
日本は確かにコンサートは高いし皆さんお忙しい方が多いのでなかなかコンサー
トに行かないかも知れないです。行くとなったら無駄な時間は過ごしたくないは
ずなのでいい演奏会を選ぶのは当たり前のことかと思います。
海外のようにどこでもいくつかコンサートがひらかれていてコーヒー一杯くらい
の値段ならこれ聴いてみようかなと思われるかも知れません。
残念ながら日本は高いです。ほとんどの奏者が赤字覚悟で演奏会をし奏者のご両
親やまわりが奏者を支えるというのが現実かと思います。
もちろん僕もその奏者の端くれです。しかし端くれには端くれしかできない解釈
、味があるかと思います。そして有名な方々にはない苦労や生き様があります。
その命を削ってのせた音を聴いてほしいです。
僕の友人にあるピアニストがいます。彼は中学生のとき名のあるコンクールで日
本一になり音校を中退しウィーンに留学しました。輝かしい経歴そして明るい未
来が彼には約束されたかのようにおもわれてました。
ある日彼はいきなりピアノが弾けなくなりました。はじめは右手があまりうごか
ないなと思ったそうです。そして今度は左手。最後は両手。
生活には全く支障はなくピアノのまえに座ると指が動かなくなったそうです。
ピアノしかやって来なかった人がいきなり弾けなくなったら何も出来ることはあ
りません。普通なら気がおかしくなり腐ります。
しかし彼は違いました。また様々な治療をうけながらまたピアノをやる人がはじ
めにやるバイエルからやり直したのです。そしてまた違う音楽科のある大学に行
き全てをやり直しました。
全盛期よりは確かに弾けませんしかし彼の弾くピアノの音からは音楽にかける情
熱とひたむきさが痛いほど伝わってきます。
彼は病気だったときのことはあかしません。そして今も毎日ピアノと向きあって
います。
いろんな生き方をしている人がいます。是非皆様演奏会を選ぶとき、たまにで結
構です。ちょっと冒険して選択してみて下さい
高校生の頃からツインバイオリンでバンドやってました。相棒は鉄平という男で
す。今は杉鉄というコンビを組んで頑張っているようです。
鉄平という男は見た目かなりの二枚目。キャシャで貴公子のような外見。中身は
…ご想像にお任せします。
はじめは二人でやってました。当時はクライスラー&カンパニー(ハカセタロウさ
んのバンド)とGクレフというバイオリンバンドがありました。クライスラーは
バイオリン一人でうちこみのクラシックを編曲したものがほとんどだったので僕
らはツインバイオリンでオリジナル曲の多いGクレフの真似をしてました。曲を
作ったり、Gクレフの曲を聴音したりして文化祭でライブやってました。
走ったり跳びはねたり寝転がって弾きますからいつも使っている楽器を使うわけ
にはいきません。安い楽器を仕入れペイントしてコマに振動板をつけてアンプに
つなげてましたが後にエレキバイオリンを購入しエレキバイオリンにワイヤレス
をつけたりとかなりパワーアップしました。
大学生になると今はマリンビストとして活躍している石原信輔がドラムに加わり
結果ドラム、パーカッション、ベース、キーボードそしてバイオリン二人という
大所帯の編成でした。
様々なライブハウスでライブをやり事務所にもお世話になって活動してました。
お客様もだんだん増え多い時には100名をこえるときもありました。
あの頃がなんやかんや言っても一番楽しかったと思います。事務所以外にも僕達
を応援してくれ雑用をやってくれるスタッフさんまでいました。バンド名はPT
A(ぺーテーアードイツ語読み)と言いました。意味はパチンコ、タバコ、アル
コール…ではなくパーソナリティ、テクニック、アドリブの頭文字をとりました
。
様々な思いでがあります。あの頃は携帯にカメラとかついてないので「写るんで
す」という使い捨てカメラが主流でした。そのカメラをもってファンの女の子達
がよく来ました。そして一言「すみません、鉄平さんと一緒に撮ってください!
」とカメラを僕に手渡してきました。そういう時は僕は自分に向けて撮り返して
あげました。
僕の地元愛知県豊橋にもライブで遠征したり思い出がたくさんあります。
卒業したらドラム信輔が留学でぬけたりバイオリン鉄平がオケやるやらで抜け(
また数年後戻ってきた)頑張ってましたがちょっとした出来事がきっかけで自然
消滅しました。
あの頃のメンバーはそれぞれが活躍してたり聞くと嬉しく思います。
もう一緒にやることはないかも知れませんがいい思い出になってます。
また最近自分でも新たなバンドみたいのやりたいなあなんて思ってます。実現さ
せたいな。
念願の桐朋女子高等学校音楽(共学)に入学しある意味僕は女子高生になりまし
た。
学校名がこの名前なので一番苦労したのは電車の定期券を買う時。(共学)とい
うのが信じられないらしく買う時は学校に確認の電話をかけられた事もあります
。
そしてこの時僕は16歳。バブルがはじけるちょっと前だったと思います。なにし
ろ困ったのは年齢が18歳に達していないのでかりられる物件がほとんどないので
す。そこらじゅうの電柱に「格安物件3億5000万円」とか貼ってありました。東京
は恐ろしいところだと思いました。
最初は母方の祖父母方鎌倉に住んでいたので身元保証人になってくれました。そ
れだけではということを言われたのでなんと共子先生まで保証人になってくれま
した。
初めての東京での一人暮らし。その僕の城となった物件は…家賃26000円風呂なし
トイレ家の外にでないとない。おまけに偶然先生の家の隣。まさに修業という言
葉が当て嵌まる。当時はテレビも電話もエアコンも持ってませんでした。そして
お湯もでない。雨の日はヒキガエルが外にいたり。古いアパートだったので僕が
部屋を歩くとホコリが落ちてくると下の酔っ払い夫妻が文句言いに上がり込み日
頃の愚痴を言って帰っていくことがたまにありました。よくそこの家の猫も来て
家の中を走り回ってました。なので学校が朝5時から夜10時まであいていて家
では練習出来ないのでほとんど学校にいました。
もう一つ困ったのはコインランドリー。銭湯の隣りにあったのですがそこを某会
社の運動部?(かなりゴツイ体格おそらく柔道とかの方々)の女性にいつも占領
され隅の方で小さくなって彼女たちの洗濯が終わるのを待ってました。
そんなとこも建て直しのため退去させられました。次のとこは風呂もありトイレ
も家の中にあり大家さんの家の一部を借りてる感じでしたが入口も別でやっと落
ち着けると思いました。
しかしうちの両親に大家さんが変な事を言いはじめました。「あの子庭でおしっ
こするからやめさせて下さい。」するわけありません。家の中にトイレあるのに
。他にも変な言動が続きました。大家さんはアルツハイマーになってしまいまし
た。
と住むとこはいろいろ転々としてます。男が少ないので男子寮がないのです。な
のでいきなり高校から炊事洗濯全てを自分でやらなくてはいけません。怪我や風
邪などひくともう大変です。
学校は普通の学科もありました。ただ割合が違います。音楽関係の学科七割に対
し普通学科三割くらいです。
勿論体育もあります。しかし音楽が全てもの中心にあるため指とかを怪我しにく
いもしくはしない競技しかありませんでした。アーチェリー、ゴルフ、水泳、ソ
フトボール、ユニホックなど。しかも全て女の子と一緒なので運動の得意な僕は
いつもストレスがたまりました。なのでたまに高校、大学の男子が集まってサッ
カーやバスケをするのが楽しみでした。
在学中馬鹿な事もたくさんやりました。くだらない事ばかりです。女装や屋上で
バーベキュー。あとは酷すぎて書けません。あの頃馬鹿やった同級生や先輩後輩
はオケのコンマスや売れっ子演奏家、ミュージシャンになってます。弱み握って
ます。ふふふっ
次回は学生時代にやっていたバンドPTAについて書きたいと思います