念願の桐朋女子高等学校音楽(共学)に入学しある意味僕は女子高生になりまし
た。
学校名がこの名前なので一番苦労したのは電車の定期券を買う時。(共学)とい
うのが信じられないらしく買う時は学校に確認の電話をかけられた事もあります
。
そしてこの時僕は16歳。バブルがはじけるちょっと前だったと思います。なにし
ろ困ったのは年齢が18歳に達していないのでかりられる物件がほとんどないので
す。そこらじゅうの電柱に「格安物件3億5000万円」とか貼ってありました。東京
は恐ろしいところだと思いました。
最初は母方の祖父母方鎌倉に住んでいたので身元保証人になってくれました。そ
れだけではということを言われたのでなんと共子先生まで保証人になってくれま
した。
初めての東京での一人暮らし。その僕の城となった物件は…家賃26000円風呂なし
トイレ家の外にでないとない。おまけに偶然先生の家の隣。まさに修業という言
葉が当て嵌まる。当時はテレビも電話もエアコンも持ってませんでした。そして
お湯もでない。雨の日はヒキガエルが外にいたり。古いアパートだったので僕が
部屋を歩くとホコリが落ちてくると下の酔っ払い夫妻が文句言いに上がり込み日
頃の愚痴を言って帰っていくことがたまにありました。よくそこの家の猫も来て
家の中を走り回ってました。なので学校が朝5時から夜10時まであいていて家
では練習出来ないのでほとんど学校にいました。
もう一つ困ったのはコインランドリー。銭湯の隣りにあったのですがそこを某会
社の運動部?(かなりゴツイ体格おそらく柔道とかの方々)の女性にいつも占領
され隅の方で小さくなって彼女たちの洗濯が終わるのを待ってました。
そんなとこも建て直しのため退去させられました。次のとこは風呂もありトイレ
も家の中にあり大家さんの家の一部を借りてる感じでしたが入口も別でやっと落
ち着けると思いました。
しかしうちの両親に大家さんが変な事を言いはじめました。「あの子庭でおしっ
こするからやめさせて下さい。」するわけありません。家の中にトイレあるのに
。他にも変な言動が続きました。大家さんはアルツハイマーになってしまいまし
た。
と住むとこはいろいろ転々としてます。男が少ないので男子寮がないのです。な
のでいきなり高校から炊事洗濯全てを自分でやらなくてはいけません。怪我や風
邪などひくともう大変です。
学校は普通の学科もありました。ただ割合が違います。音楽関係の学科七割に対
し普通学科三割くらいです。
勿論体育もあります。しかし音楽が全てもの中心にあるため指とかを怪我しにく
いもしくはしない競技しかありませんでした。アーチェリー、ゴルフ、水泳、ソ
フトボール、ユニホックなど。しかも全て女の子と一緒なので運動の得意な僕は
いつもストレスがたまりました。なのでたまに高校、大学の男子が集まってサッ
カーやバスケをするのが楽しみでした。
在学中馬鹿な事もたくさんやりました。くだらない事ばかりです。女装や屋上で
バーベキュー。あとは酷すぎて書けません。あの頃馬鹿やった同級生や先輩後輩
はオケのコンマスや売れっ子演奏家、ミュージシャンになってます。弱み握って
ます。ふふふっ
次回は学生時代にやっていたバンドPTAについて書きたいと思います