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音校、音大での僕はどんな存在だったのだろうか?自分のことなので想像でもの
を言います。
芸術系の学校というのはやはり変わった人がとても多い。漫画やドラマ、アニメ
になった「のだめカンタービレ」みたいなかんじ。あれは本当によく出来てる。
大抵の方々は多少なりと大袈裟にかかれていたり演出家の演出だとおもわれてい
ると思いますが、少なくとも僕のまわりはあんなかんじでした。それよりひどか
ったかも知れません。
学校で僕は少し浮いているのを肌で感じたことがあります。あんな個性的な集団
の中で浮くなんて…僕が限りなく普通の人だからだ!そう思ってました。若干今
でもその傾向はあります。
正義感が強いのはまわりがおかしいから。おかしいことをおかしいと言えないこ
とがおかしい。そうです、頑固なんです。
浮いた噂がたたないのは僕が真面目だから。(ホモ疑惑がささやかれたことも。
実際は恥ずかしがり屋のくせに女性に相手にされなかった。)
今も昔も変わらないのは楽しいことにしか興味がないこと。
大抵のことは率先してやりました。何故か団体のトップかトップ下にいることが
多い。音楽科に高校通ってたくせに圧倒的に男友達のほうが多い。
学園祭も実行委員長をやりました。はじめはやる人がいなくて先生から説得をう
けた。もちろん喧嘩になりました。
当時の学校の政策に反対だったのと個人主義のわがままな奴が多い学校に何故僕
が一肌脱がなければいけないのかわからなかったからです。
しかし先生の立場もあるし学園祭を楽しみにしている仲間がいる。たよりにされ
たのも嬉しかったのでしょうね。
条件をだしました。
1、実行委員会の首脳陣は僕に選ばせること。
2、学園祭期間(準備期間を含む)は大抵のことは誰であろうと僕の指示に従うこ
と。(もちろん教師であっても。)
3、先生方は協力を惜しまないこと。
4、学園祭が終了したら実行委員会の人間に焼肉をすきなだけ食べさせること(食
べ放題の店は不可。
上のことは守ってもらいました。そのかわりと言ってはなんですが必ず成功させ
オリジナリティーあふれる学園祭を作ると公言しました。
つねに気をつけていたのは委員会の人間を全力で守ること。失敗があっても全て
僕が責任を負うこと。そして失敗をした人間を誇りに思うこと。嫌な作業は率先
してやること。変なやつらがきたら先頭で戦い追い払う。
卒業生からも「学園祭でライブやってあげるからギャラをくれ」と言われました
がきっぱり断りました。随分OBに煙たがられ呼び出しもされましたが全て返り
討ちに。
高校も大学と一緒にやります。なのでクラスをもつ教師がかってに判断してやり
たいようにやられました。もちろん喧嘩して従ってもらいました。おかげさまで
学園祭は成功し、先生方からも大変高い評価をいただきました。
そのせいかどうかわかりませんが名前も知らない学年もかなり離れた後輩からア
ドバイスをと何人か学校を卒業してからも 僕のとこに来てくれました。
頑固でいかつくて同性にモテるが女性には相手にされない。本当にたまに好意を
持っていただける方がいても鈍いので全く気がつかない。…全く今でも変わって
ませんが昔の男、昭和の臭いがする男という感じが学校での僕だったのだと思い
ます。