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僕は共子先生の元で勉強したいということで不可能と太鼓判をおされた桐朋に一
浪しながらも入れました。
初めての東京は驚くことばかり。16歳の僕にはいろいろ刺激になりました。祖父
母も一緒に住んでいた大家族七人からいきなりの一人暮らし。掃除洗濯料理等一
人でやったことないものばかり。全てそのスキルはバイトで身につけました。
家は貧乏でないにしろ裕福ではありません。コンビニで深夜働き効率よい掃除の
やり方を覚え廃棄の弁当やパンで食料を手に入れ、居酒屋で働き料理のやり方を
覚えました。
桐朋の高校はバイトしている人なんていないと思います。そして大学もピアノ科
や弦楽器科はほとんどいないと思います。大学になると大学から入学してくる外
部生は科によりバイトしている人はいましたがせいぜい教えたり自分の演奏技術
をいかせるバイトをするくらいです。それだけ裕福な家庭の人が多く自分の練習
に打ち込む人が多いです。
僕の考えはひたすら練習するのはよくないと考えています。それでは音楽家でな
く音楽オタクもしくは音楽バカになってしまうと考えます。
普通の人たちとクラシック出身の人間には垣根が存在すると思います。音楽をや
ってきた人間は音楽がわからない人や自分用よりレベルの低い人を見下す傾向が
あります。そうでない人はすみません。少なくとも僕の上や下の世代、中途半端
に上手い奴はほとんどがそうでした。僕はそういう奴らが大嫌いでした。楽器が
できることを特権階級のようにはなにかけたり裏ではぼろくそ言ったり。
そのような奴らと一緒にされたくないという気持ちもあったからなのか僕はこの
ようなバイオリン弾きらしからぬ生き方をしているのかも知れません。格闘技に
も納得のいかない判定とかありますが相手を倒せば勝ちです。経歴は自分を守っ
てくれません。
たいしたことない奴が踏ん反り返っていて仕事をもらうためにヘコヘコしたり下
についたりがバカらしくてクラシック関係の仕事はほとんどやりませんでした。
僕の考える音楽家とは人の気持ちがわかり世の中の情勢や様々な知識を持ち、考
えを音で表現できる人間のこと。職人です。大半の音楽家は残念ながら商人が多
いように思います。
こんな不器用な生き方をしていましたので女性だらけの環境でも男友達の方が多
かったです。
桐朋は練習室が少ないのでよく部屋がとれないことが多々ありました。そういう
ときは廊下で練習します。勿論ピアノの人はできません。弦楽器、木管楽器はや
ります。 金管楽器は音が大きいので真ん中の建物の一階が金管楽器の人たちの練
習場所になっていました。廊下はよく音が響くので弱音機をつけたりしましたが
夜人が少なくなると気持ちよくひいたりしてました。
桐朋といえば代名詞にもなっているのがオーケストラだと思います。いくつかの
オーケストラが新学期はじめに発表され希望をだします。高校1、2年.外部からの
大学の新入生はエントリーできるオーケストラは限られていますがそれ以外の人
は学年関係なく実力で希望のオーケストラにのれるか決まります。評価は実技試
験の結果等により判断されます。
ビオラ専攻の人は少ないので桐朋のバイオリンの人がビオラをやったりします。
なので桐朋のバイオリンの人は皆ビオラが弾けます
席は実技試験の結果が反映されます。
指揮者は有名な方たちがやって下さってました。
桐朋はオーケストラの授業がとても厳しかったです。やはり集団なのでとくに出
欠や遅刻にかんして厳しかったです。開始時刻15分前には調弦をして席について
いなければいけません。
出欠をとる時にいなければ遅刻とみなされ皆さんの前で遅れた理由を述べ謝らな
ければなりません。欠席は次回来たときに理由を述べ謝らなければなりません。
風邪等の場合は病院へ行き診断書を提出しなければいけません。木管や金管など
同じパートに人がいない楽器は代理をたてなければなりません。
遅刻してしまったら謝るだけでなくその遅刻者が来るまでずっと音も出さず待っ
ています。無断欠席をしたら最悪です。来るはずもない人をその練習時間いっぱ
いまで待ち続けます。そして来なかったら一音も出さず終わることになります。
オーケストラは集団行動なのでかなり最低限守らなければいけない時間の部分に
はシビアでした。
それ以外はかなり自由な学校でした。しかしその自由が一番怖いのです。自分を
生かすも殺すも自分の選択次第。規制されているときの方が実はやさしく楽なの
だなと思いました。
この学校で一番をとることはきっとどんなコンクールで優勝することより難しい
と思います。日本音楽コンクールの一位もだいたい各年ごとにいますし海外や国
際コンクールの上位入賞者も何人もいます。まさに日本音楽界の最高峰のような
ところでした。
すごいのは頑張ってる先輩や同期、後輩で僕は何もすごくありません。むしろ名
を汚してる部類に入るかと思います。
故齋藤秀雄先生が音楽をする子供たちのためにと僕の先生を含め作った少数精鋭
を育てる学校だと思います