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2012/04/20

JunkStageをご覧のみなさま、こんにちは。
毎月桃生の独断によりライターさんをご紹介していくこちらのコーナー、今月はまずこちらの3枚の絵をご覧いただきたいと思います。

これらの絵は全て日本画だと言ったら、驚かれる方も多いのではないでしょうか?
真ん中の絵なら日本画だって分かるけど…という方にこそ、是非読んでほしい、そして出来ればギャラリーや展示会で実際の絵を見てほしいと思います。
この三枚の絵を描いたのは、日本画家の池上紘子さん。
今回は、このライターさんをご紹介したいと思います。

■vol.9 日本画家・池上紘子さん
――ひとつ乗り越えると、また、次が見える。もっとも、一番大切なことは、本人の、どんなことが
  あっても創作を続ける、表現したい核がある、という強いこころざしであることは、いうまでも
  ありません。(池上紘子)


世界遺産・仁和寺へ作品奉納、気鋭の日本画家。日本画院展をはじめ、精力的に作品の発表を行っている。
http://www.junkstage.com/ikegami/

*  *  *

池上さんとJunkStageのご縁は、2009年3月。
開設されたwebサイトに掲げられた「オーダー絵画承ります」の文字にまず驚き、そして掲載されていた「日本画」は今まで私が感じていた「日本画」のイメージとあまりに違う絵本の絵のような作品群。

池上さんの日本画は、どこかノスタルジックで優しい、甘い夢のような気配がします。
勿論、それだけではなくて(例えば上記に挙げた「東京」という絵はちょっと怖いようなところもあって)美しい、目が覚めたら見られないようなものだと思うのです。
私は美術にあまり造形が無く、日本画といえば古臭くて、なんだか垢抜けないという印象を持っていたのですが、そしてそういう方は割と多いんじゃないかなと漠然と感じているのですが、池上さんの日本画はそうしたイメージを明確に裏切る柔らかさを持っています。
だからこそ、人をこれだけひきつける、新しい「日本画」を生み出しているのではないでしょうか。

*  *  *

池上さんが日本画の世界に足を踏み入れたのは、菱田春草という日本画家の描いた一枚の絵がきっかけでした。心理学や哲学の道にも心が揺れていた高校生だった池上さんが、初めて心が震えるほど「自分は、これを描きたい」と思ったという、白牡丹の絵。
その後は反対を押し切って美術大学に入学し、主席で卒業したというのですから、絵の力というのは壮絶だなと感じます。
仁和寺に「孔雀明王」薬師寺に「吉祥天」を奉納し、天皇皇后両陛下のお迎えにも参加されたという実績に加え、公募展の受賞経験も多数ある池上さん。
そのキャリアは堂々たるものであり、気鋭の若手日本画家の名にふさわしいものと思います。

しかし、最初からすべてが順風満帆だったわけではありません。
池上さんは「周囲に恵まれていたので」と仰っていましたが、契約社員やアルバイトなどをしながら絵を描き続けるのは並大抵の苦労ではなかったことと思います。日本画の顔料は決して安くはないうえ(何しろ天然素材!)、働きながら描き続けるための時間や体力を確保することの難しさ。
また、JunkStageとのご縁のきっかけになったwebサイトは池上さんが24歳のときに友人の女性と立ち上げたものですが、閉鎖的な日本画壇からは嫌味や嫌がらせめいた電話もあったとのこと。その後、28歳で日本画教室を開講した際には「師匠の許可なく教室を開くなどもってのほか」と言った暗黙のルールもあったそうです。
でも、池上さんはそれら全ての圧力をはねのけて、日本画を描き続け、そして結果を出し続けているのです。

*  *  *

夢は現実ではないからこそ、美しいし、怖いし、優しいものです。
池上さんの絵を見ていると、その夢の持つ力を柔らかく包んで、繋ぎとめたもののような気がします。それは強さだと思うのです。圧倒的な意志の強さが夢を画布に引きとめて、私たちの前に差し出されている、そういう気がしているのです。
勿論、古典の修復を学んだと言う経緯やその過程で身に付けた技法がベースとなっているのでしょうが、池上さんの絵の魅力は、それだけではきっと言い表せない。
ご紹介するコラムの中には、そんな池上さんの意志の強さが宝石のように転がっています。
日本画なんて、古いしださいし、と思っている方にこそ、読んで頂きたい所以です。

2012/04/20 10:27 | sp | No Comments