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独立した直後にアトリエを構えていた、京都市右京区嵯峨地域の大沢池畔 早朝の色紙
オーダー絵画をはじめて、数ヶ月。
描いた作品を見た方や、お客さまからのリピートなどが続き、ホームページを立ち上げることになりました。
当初は、いつでも作品ファイルを持ち歩くわけにもいかないので、偶然に出会った方へのプレゼンテーション用でした。
アルバイトをしながら、一人暮らしのアトリエを維持する苦しい生活だったので、家にはパソコンもなく、ホームページは親友のウェブデザイナーが苦労してつくってくれました。
弱冠24歳女子二人。
知恵を絞って苦心の末できた、今は無きホームページは、雅号のみでの、とても控えめなものでしたが、さすがにデザイナーの創作だけに、プロ仕様。
直接お会いした方に見ていただくためにつくったホームページでしたが、なぜだか、時折、東京の出版関係から、掲載依頼や、小さなお仕事が来るようになりました。
オーダーを頼んでくださる方も、徐々に出てきて、数ヵ月後には創作活動に専念するようになりました。
その頃は、もう、無我夢中で、最後の一瞬まで、作品づくりに必死すぎて、撮影にまでは至れず、今は写真の残らない幻の作品も。
思えば、ずいぶん無茶な生活をしていたなあ、という感じですが、そういう、若さの情熱を、かっていただいていた部分も大きかったのだろうと思います。
関西人の後進を育てる気概にも、ずいぶん助けていただきました。
創作で独立した、その年の暮れ、日本画の師のもとへお話をしに行った年末、
“暮れ近し 明日をもしれぬ わが身かな” という川柳めいたものを詠んで、
「がけっぷち人生です」と近況報告。
「いいねえ、がけっぷち」などというやりとりをしていました。
そんな生活も、四年を過ぎ、昨年より、京都をあとに、花の都東京へ。
最近は、副業も含めて、なんとか生活も安定し、ようやく、長年の夢であった、公募展出品活動や、個展活動を行うことができるようになりました。
とても忙しく過ごしてはいますが、思う存分作品を描けて、個人の方々のご協力も得て、展示の機会をたくさんいただくことができたのが、とても嬉しく、勢いづいて描き続けています。
このJUNK STAGE にコラム掲載の場をいただいたことも、イベントでの展示の場をいただいたことも、大きなチャンスのひとつだと思っています。
現在のホームページ 現在は作家が自作でデザイン、運営しています。
ブログ こちらも、作家本人の運営によります。
今回をもって、作家紹介はひとまず終了し、次回より、“日本画の画材と技法”に入っていきたいと思います。











[...] しかし、最初からすべてが順風満帆だったわけではありません。 池上さんは「周囲に恵まれていたので」と仰っていましたが、契約社員やアルバイトなどをしながら絵を描き続けるのは並大抵の苦労ではなかったことと思います。日本画の顔料は決して安くはないうえ(何しろ天然素材!)、働きながら描き続けるための時間や体力を確保することの難しさ。 また、JunkStageとのご縁のきっかけになったwebサイトは池上さんが24歳のときに友人の女性と立ち上げたものですが、閉鎖的な日本画壇からは嫌味や嫌がらせめいた電話もあったとのこと。その後、28歳で日本画教室を開講した際には「師匠の許可なく教室を開くなどもってのほか」と言った暗黙のルールもあったそうです。 でも、池上さんはそれら全ての圧力をはねのけて、日本画を描き続け、そして結果を出し続けているのです。 [...]