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日本画をこころざしたきっかけは、高校時代、進路に思い悩んでいたときに、菱田春草さんという作家の白牡丹と出会ったことです。
学区一の進学校であった、母校の府立高校は、入学当初から受験ムードで、なんとはなしに、周囲になじむことができませんでした。
当時、倫理の藤田先生という方の哲学の授業が充実していて、哲学的に人生の目的について思い悩んでは、友人と語り合ったりしていました。
自分にとっての“幸せ”とはなにか。
“生きる”目的とはなにか。
人生をいかに生きるか。
生きていくなかで何を行うべきか。
生きるべきか否か。
答えのない答えを模索することで過ごした、暗い青春時代でした。
モラトリアムな苛立ちのなか、さまざまなものにふれ、世界を広げ、刺激を受けることで、自分の可能性をさぐっていました。
そのころは、古い映画をよく見て、アルバイトをしながら、ピアノに通ったり、画塾に通ったり。
ひとりで、よく、旅もしました。
随分たくさん本も読んで、学校の授業時間を利用し、一日三冊本を読むという目標をたてて実行にうつしていました。
あれこれと、悩み、苦しみぬいた末、最後に、進路決定の時期が間近に迫るなか、大阪の中央図書館に行き、すべての書棚を数日かけてみて回りました。
図書館には、すべての学問分野がそろっているので、その中から、自分にあったものを選び出そうと考えたのです。
そのとき、“心理学”、“哲学”…と、自分の興味のある分野から、読破して歩きながら、ふと、足をとめた美術の書棚で、“日本画”という文字を目にし、はじめて日本画の画集を開きました。
ぱらぱらと、何冊目かに開いた画集の、一ページに、運命の出会いが待っていました。
その絵は、なんということはない、一輪の白牡丹を描いた作品ですが、非常に情感あふれる描き方がされていて、図書館の片隅で小さな画集を手に、座り込み、心に作品が流れ込んでくるような感動を覚え、「自分は、これを描きたい」とおもいました。
自分の人生の足りないものを、すべて、その絵が満たしてくれるような感覚でした。
それからは、反対する親に頭を下げ、美大受験をし、嵯峨美術短期大学、京都嵯峨芸術大学専攻科へと進学し、古画の模写修復を専門に、古典を研究し、学び、誰よりも描き続ける日々を送りました。二年が過ぎる頃には、主席となっていました。
卒業後も、いくつかいただいた修復の就職のお話も辞退し、アルバイトをしながら創作を続け、作品を請われれば手放し、といった生活を続けています。
不思議と、一度も、日本画をやめたいとおもったことはありません。
幼い哲学的考察の行き着いた果ては、「“幸せ”とは、24時間、1分、1秒の連続であって、目の前の今をいかに過ごすかであり、目の前の今を“描く”ことで過ごせたら、自分自身は幸せなのであって、ほかには何もいらない。」
刹那的な自己完結の論理ですが、いまも、この気持ちは揺らいではいないです。
美大で国宝模写を行い、社会に出てさまざまな人や事柄にふれ、時間軸の延長線上の目標は多くできましたが、本質的には、“心に響く絵が描きたい”という気持ちひとつで、今も生きています。











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