“R” 2011.
いつものように書き出すことに迷いながら
今回は来夏に予定している写真展のことを
もう少し深くまで記しておきたいと思います.
思えば一昨年の「深入り」が12年振りの個展となり
思いも掛けぬカタチで決定した新宿での
「深入り-tokyo-」を経て、今年の「化身」まで
全速力で駆け抜けるような時間でもあったけれど
同時にかつて無いほど作家として濃密な時間を過ごさせて
もらえている感じです.
あらためて、今の段階でほぼ決定なので
書いても良いかと思いますが
2016年もまた夏に写真展を開催させていただくことが
決まっています.
場所は僕のホームであり大切な場所
WALD ART STUDIO.
新宿を挟んで3回連続での写真展をここで
開催させていただくことに何より感謝しています.
前回も書いたことだけれど、僕の中では
「深入り」・「化身」を経て
「WALD3部作」の3作目であり、
一つの節目となる写真展として捉えています.
なので、この数年に亘る僕の作家としての
地図というか…足跡を辿るようなものに
しようと考えています.
現段階では未だ未確定なことばかりですが
作品はモノクロとなります.
最新作だけでなく、過去に撮った未公開作品も
今回新たに創り直して展開させて行きたいと
思っています.
ハイキーでノイジーな粗粒子の
トーンとコントラスト…
再びそこで、僕は作品を創ることになります.
こちら側にいること.
「化身」ではカラー作品、既に「そこに在る」ものとして
かなりの割合で被写体二人をフィーチャーして展開しました.
そこで頂いた評価と反応…それはほんとに予想外のことで
むしろ僕は「そこへ連れて行ってもらった」のだと
考えるようにしています.それが僕の中の「化身」…
写真展「化身」で得られたもの、そこにいた自分…
それを踏まえた上で、こうして過去作も含めて
候補作品を羅列し始めて、かつてそこで向き合った
被写体さんとその想いを感じるとき、自分が「帰還者」なのだと
思えたりもしていて.
「素敵で、良い展示でした」と言われることの上に
心地よく座して居続けることよりも
せっかくもらえた評価から翻るようなものを創って、
どう捉えられるかはわからないけれど
やっぱり「こちら側」でやり合うことの意味と
「不確か」なものを追い続けることに惹かれてしまう自分がいて.
それはたぶん「化身」という作品を経たからこそ
自分の作品の振り幅を広げてもらえたことを
実感するものでもあって…
果たしてこの3部作の区切りがどんな地図を描くのか…
もう一度またこういうところ…「こちら側」で
作品を創れることの喜びと、それを上回る怖さを感じながら
まずはそのアウトラインから練ってみようかと
思っています.
評価を得た、暖かく優しい言葉もいただいた..
でも還って来て解る、こっち側にいて
ヒリヒリしながら写真を創ることの深さと自分の因果.
懲りない、ってこういうことを言うのかもしれませんね…
Model/Yukiko 2008.
Model/Erika 2014.
11月の終わりもすぐそこまで.
もう間もなく2015年も終わりですね.
ちょっと最近しんどい事多くて
更新、遅れ気味になっています.
過日に発表した2016年3月のモノクロームショウへ向けた
作品創りと並行して、今、かつて撮っていろんなカタチで
セレクトから漏れていたり、未発表だったりする写真たちを
アーカイブして主にモノクロで編集して見直しています.
本来なら、その時、個展を形作る1枚として
あるはずだった一枚や、年月を経て、また
モノクロームへ変換・編集することで
熱を帯びて来る作品が意外にたくさんあることに
気付かされます.
また来年の初夏には再びWALDでの展示も
既に予定させていただいていて.
そうなると東京・新宿を挟んでですが
WALDでは3年連続、写真展を開催させていただくことになります.
この「WALD3部作」ともいうべき写真展の3作目は
「深入り」「化身」と開催して来た写真展の総括的な
ものになると思っています.
今はまだいろんなことが「不確か」なところなのですが
この「不確か」という部分もまた今回のキーワードに
なることと思います.
そんな「不確か」でも逆にいえばその「不確か」なものたちだけを
頼りに作品創りを進めていくことは
逆説で皮肉なものだなーと感じたりしています.
撮影したときの熱するような熱を解かすように
また再び熱を帯びさすように、アーカイブしてくこの作業を
やってみながら、構想を練っていこうかなと思っています.
その先には、もう一度、向かってみたい場所もまたあるので
それに相応しいものに仕上げていきたいです.
Model/KIKO.
10月2度目の更新..
夏の写真展閉幕以来、このところずっと
ふらりと旅に出てのスナップ撮りから
ちょっと気が抜けて体調下降とかあって
なんとか2度目の更新に間に合ったかな…
という感じです.
このタイミングでようやく新作へ
向けての新しい展開を始めることが
出来ました.
今回は自分が「人を撮る」ことの
その向こうに、何を見ようと爪先立って
いるのか…少し書こうかなと思います.
今回から共に作品制作に取り組んで
もらっている被写体さんはKIKOさん
この撮影が初めてのファーストショットです.
撮影経験もある程度豊富で
ちょっとこちらが臆するような雰囲気を纏っていて.
僕の個展へ来場していただいて
「自分がただデジタルで消費されてくだけではなくて
『カタチ』として残るものを残したい」
そう言っていただけて作品制作を
共にすることになりました.
彼女を見て、撮りたいと思う「カメラマン」は
たくさんおられることだろうし、
逆に僕ではもったいないような…
またまたそんな気持ちも湧いてこなくはないけれど
僕の作品を直に観てもらって、そう言っていただけことと
その熱意が気まぐれでなく本気だったということに
作家としてこれは本気で応えなければと
今回の撮影になりました.
・・・そんなちょっとこちらが臆してしまうような
容姿や、雰囲気を纏う被写体さん、モデルさんと対峙したとき
そこでどうしても「人」を撮ろうとしてしまいがちで
当たり障り無い撮影になってしまうことは
写真展「化身」でのkeiさんの時にもあって.
それが良い方に振れるときは良いのだけれど
そうでないときは単に人だけにフォーカスを当てたものに
なってしまうことがあります.
僕自身としてはそこに在る、人を撮ってることは
確かなのだけれども、ただそれのみで完結させようとは
思ってなくて、人と場所と時間、季節…
そこに流れる空気から起ち上がってくる「何か」を
いつも捉えようとしています.
だから、今回のKIKOさんとの撮影では
あらためて「距離感」とか「遠近」
寄れるんだけども離れること
逆にそうでないときに寄れる気持ち…
そんな原点的なことをちょっと強調してみようかと
考えています.
このことは旅の先々で教えられたことでもありました.
だから「作品として残してみたい」
そう想ってもらえたことに対して
僕の今出来ることで応えたいと想うし
僕もまた、そこで何が見えてくるのかを
ファインダー越しに、そしてプリントとして
カタチになったときにどう感じるのか
その一点に向けて、全ての作業をやっていきたい…
そこはやっぱり被写体さんの想いありき…
ではあるけれど、今までと同じに
そこに依りすぎるのではなくて
このところの旅先での撮り歩きでも
感じたのと同じ、そこからの風景、光景から
何を感じ取るのか、何に感じてそこにカメラを向けたのか…
やっぱり僕の写真はそこにあるのかな..と旅先でも
今回のKIKOさんとの初撮影でも感じたことでした.
「人物を撮ること」=「ポートレート」….
単にそこに括られる写真ではなくて
そこに人が在って、想いがあって、
その場所、時間だからこそ産まれ得るもの
結局そのことが、誰かの心を震わせるようなものに
繋がっていくのかな..って考えています.
それが夏が終わってのこの数ヶ月、旅先で
いろんなものに触れたり、撮ったりしたことから
学ばせてもらえたことなのかな..と思ったりしています.
当面は来年3月の2度目の「モノクロームショウ」へ向けての
KIKOさんとの作品撮りとなっていくことと思いますが
彼女の熱意や想いに応えつつ
昨年よりも一歩でも半歩でも進めたこと
ほんの少しでも掘り下げられたことを
感じてもらえるような作品に繋げたいと思っています.
昨年のモノクロームショウ…その作品の完成型..
そこまで行けたらと…
まずは僕自身が作品創りをコントロール出来るとこは
しっかりと把握しながら彼女を撮って出た「色」「彩」
というものに囚われないようにしながら
僕がずっと追いかけている
「モノクローム」を目指したいと思っています.
そこから先に、またあの夏が、
きっと見えてくると思うから.
どうあれこうしてまた、胸の高鳴りを
感じることは悪くはないかな..と
思ったりしています.
「あの日」見たものの続きを
今の僕は見れているのだろうか.
果たしてそれは、自身が、また僕が大切にしたいものたちが
そうあろうとして望んだことなのだろうか.
これから進むべき道とその分岐点は
いつものように砂塵の向こうに隠れて
よく見えないけれど.
此処でこうして向こう側を
いつまでも見つめていられる自分を
せめて今は大切にしたいと思うのだ.
砂丘の砂は姿を変える
時間が見たものの続きを忘れさせる.
けれどここでしか感じ得ない
写し撮り得ないものがきっとあって
だからきっと、いつだって砂塵の向こうにある
あの日見たものの続きを追いかけたくて
今もまたここでブーツを蹴っては三脚を担ぎ、
カメラを手に砂丘を登るのだ.
「ちゃんと見えている..だから、大丈夫」
そう思えるようになるまでには
20年くらいの時間もまた必要だった…
そういうことかもしれないとも思う.
10月.
カバー写真に使っていただいておりながら
更新が遅くなってしまいました.
少しずつ、でも着実に「次へ…」という
気持ちを育みながら、今はちょっと寄り道..
という感じで、風景やスナップを撮ったりしています.
今の自分の行動半径が何処までなのかを
確かめるたのというか…
知りたいと思うことと「あの日」の場所を
もう一度訪れること、そこでの自分が、
これから自分が創ろうとしているものに
どう対話していくのか…
そのことにすごく興味があって最近はよく
各地を旅しています.
とは言っても本格的に風景写真!という感じで
撮ったり技巧を凝らしたりするふうでもなく
持ちたいカメラに付けたいレンズを付けて
気持ちの向くままに撮ってるような感じです.
物語とか、背景に流れるものとかは
全部後付けで、その場で思ったことでも無くて
だから、心象風景ともちょっと違うくて.
でもきっとこの「行動」してくこと、撮ってくことの先に
新しい作品とか、展示とかに繋がっていければと
思うし、いるのだと思っています.
だから今は砂丘の星空と、
植田先生の写真美術館への旅路の中で
あの日見たものの続きを
また懲りずに追いかけてみたいと思います.
今回は旅帰りということで過去も含めながら
ちょっと写真を贅沢に使ってみました.
9月も半ばを過ぎて、秋めいて来る頃
ようやく兼ねてからの懸案だった
夏の写真展「化身」の展示記録を
一冊にまとめることができました.
今年の個展は例年に無く
被写体さんのチカラと想いに依るところが
多かったと思えるので、ただ写真展を
終えさせてくことだけでなく
こうして一冊にしてお届けしたいと、
ずっと思っていました.
それぞれが互い異なるもの同士
それもまたこの作品たちの魅力でもあったと
思うし、写真としてカタチになった
想いもまた、それぞれ異なるけれど
自分という一人作家を通して
一つの写真展としての準備から開催
そして終幕に至る中で
お二人それぞれからしっかりとした
姿勢と気持ちで僕の写真、作品に
向き合ってもらえていたのだと
感じられて.
そのことにはっとさせられたり
気付くことが出来て、僕自身もまた
揺さぶられるような気持ちになりました.
そんな写された二人の想いに
自分の作品が、開催した写真展が、
どこまで応えられたかはわからないけれど
「次へ」進んで行こうとする前に
どうにかこの一冊を残すことが出来て
少しだけほっとしています.
そしてその「次へ」ということに
向けて…となるのですが
来期もまた今年と同様に
「MONOCHROM SHOW」から…
ということになりました.
まだエントリーしたばかりで
どういうカタチでの作品となるのか
何も決めてはいないですが
2度目となる今回、どんな展示になるか
僕自身もまた楽しみにしているところです.
開催は2016年3月.
おそらくそれはきっとすぐそこに…
ということになるのかもしれませんね.
早いもので今日が8月最終日.
2015年の夏も終わりになりました.
いろんなドタバタとか、スイッチの切り替えとか
手間取ってしまって、またこんなに遅い更新に
なってしまいました.
今回は写真展をした後のギャラリーへ
収蔵する作品のお話です.
今年もまた大変お世話になっている
WALD ART STUDIOですが、
2013年8月に20周年という節目を迎えられました.
そこでいろんな企画が起ち上がっている中のひとつとして
20周年以降に作品展をした作家の方々から
1点ずつ、収蔵作品として納めてもらって
それを今後迎えるだろう25周年..30周年と
節目の年にWALDアーカイブとして、
一挙公開しようというもので
僕もちょうど2013年から収蔵用の作品を
個展での展示とは別に制作して納めさせてもらっています.
今回の写真展「化身」でも、もちろん制作していて
こちらに掲載したものはその試作作品です.
実際に収蔵する作品とは違うものなので
こちらはコラムVer.という感じです.
セレクトの前提にしたのは展示からは外れたカットだけど
それでもなお惹き付けられるものを持った1コマを選びました.
写真展で制作した作品よりも、
同じカラー作品ながら、硬めのトーンと
彩度などを変えています.
そうして制作した作品がアーカイブされて
5年後、10年後に公開されるとき
果たして僕はそのときどうしてるだろうって
考えたりします.
自分と観ていただく側、そして被写体さん…
それぞれの感じ方、伝わり方、そして距離感..
どのように変わって、その後どこと繋がっていったのか..
収蔵されてく作品にそんな想いを馳せながら
少々手こずりつつ、ようやく完成品が出せそうです.
写真展では「モノクロで観たい」との
声もいただいたので、モノクロVer.も
掲載してみました.
何年か後に、この作品と出逢う方々に向けて…
ちょっと感傷的なタイムカプセルみたいですね.
2015年の8月ももう半ば..
写真展を終えて約一ヶ月経ちました.
終わることと始まることがほぼ同時であることは
そのこと自体に、自分にそれほど大きな負担に
なることとは思っていなかったのだけれど
今回、コラムの更新も遅れたりして
こんなに自分が、切り替え…とか、
次へ向けての…とかに対して
すごくへたくそになっていることに
自分でも少し驚いているのが正直なところです.
ご来場いただいたほとんどの方から
「良い展示だった」って言ってもらえることの
その達成感..というわけでもないのだけど
次へ向けてく作品に対して自分がすごく
臆病で、鈍くなってしまっているようで
ちょっとショックみたいなのも受けたりしていて.
でも、そんなこととはお構いなしに
次への作品創りへ向けて気持ちが動いていくのを
止められるわけでなし…
まだいろんなことが未定なのでなかなか
うまいこと行ってないのが事実なのですが
次回の作品出展はずっとあたためていた企画もので
たぶんイベント形式になると思うですが…
ことの始まりは、以前に福岡の写真家某氏と、
本気ともつかぬまま話してたこと…
ワンナイトか、短期でのイベントで、
自分らが写真を撮ってる中、いろんな事情、理由で
なかなか表に出せずいる不遇で暗めな作品たちを
持ち寄ってなんかやろうっていうもの.
これを「黒い写真の夜(仮題)」と題して、
福岡にあるアーティストレジデンス型の
アパート改造ギャラリーでやろうかと考えています.
来年、完全新作での写真展そのものは既に決まっていて
それはたぶん、ここ数年の集大成的な作品になると
思っていて…そこで僕はおそらくモノクロ作品へ
回帰することになる…
その実験の場としてもこのイベントは
すごく意味が大きいと考えています.
揺れたり、儚かったり、脆かったりの対峙と
そんな想いの揺らぎを作品にすることの
微妙なチカラ加減とか危うさ…
それを越えて出来た空間に満ちるノイズや違和感.
やがて落ち着く空気…
それをこの夏の写真展で実際に感じた上で
「強い」写真「黒い」写真に、もう一度
立ち戻ってみることで、そこに何が見えてくるのだろう…
やっぱりそう考えてしまう自分がいて.
そんな感じで、もうぼちぼち気持ちは
切り替わっているので
今後ともどうぞよろしくお願いいたします.

「化身」会場掲示のキャプションより.
このコラムを書いているのは
明けて2005年7月18日.
写真展「化身」の最終日になります.
このコラムを書き終えてから、
眠って朝起きたら、写真展最終日の
扉を開けて出て行く時間になります.
去年も、一昨年も同じことを
やっているはずなのに、何故いつまでも
こう..切ない気持ちになることに
慣れないのだろうって..いつも思います.
それでも今年、またその扉を切ない気持ちで
開けて行くのは、それはたぶん「終わらせるため」
ではなくて「何かの始まりのため」でもあるように思えて
ここからもう既に、作品創りって
始まっているのではないかな..
と感じたりもしています.
それはそれで楽なことではないのだけれど.
掲載した写真は、実際に会場であるWALDに
この写真展の導入として掲示しているキャプションです.
「二軸相反」
まずこの言葉から作品を組み始め
初めて二人の被写体さんを並列させながら
そしてそこで「比べる」のではなくて
それぞれが持っているもの、持っていないもの
引き合うもの、離れ合っていくもの..
そんな部分を強く打ち出そうと試みました.
纏うような、そして決して
揺らぐことのない絶対感か
足掻き、揺らぎながらぶつけていく
絡み付くような情感か.
あえてそんなふうに感じるように
展示構成したのは事実だけれど
言ってみればそれは作家としての僕が用意した
「器」でしかないもので、決して彼女たちを
的確に現すものでは無くて.
絶対だと思っていたケイさんの
作品と向き合うときの時折見せてくれた
儚い表情や、作品創りの中で何かを
見つけられたらと向き合ってくれていた
ケイさんなりの真摯な姿勢は、
僕が写真作家として初めて
感じさせてもらえたことでした.
そして作品制作が途絶して、
ただひたすら後退していたかに
見えていたえりかさんの、自らの脚を運んでの
告知活動から展示設営までの頑ななまでに
前へ進もうとしている想い..逆にそこに
揺るぎない意志を感じたりもしたこと.
写真はそこに写ったものをカタチに現すと
言われるけれど、それだけが全部じゃなくて
むしろ逆のものさえ感じ、見つけることが
出来るのだということを
二人から教えてもらえたように思います.
「たくさんの言葉を交わした気がします」
これはケイさんが被写体さんへとして置いた
感想ノートに記してくれた、えりかさんへの言葉.
結果としては想いの両翼に在る二人が
同じ空間で出逢うことはなかったけれど
彼女の言葉がこの「化身」という写真展を
一言で伝えているようにも思えて.
そしてまた、僕が「距離感の作家」であることを
気付かせてくれて、その先へ続く扉を開けてくれた
「深入り」での被写体さんであるさゆりさんから
それは連綿と紡がれ、繋がれて来たものだと
あらためてそのことの大きさに気付かされもして…
気が付けば、あの夏の新宿から
ずいぶん遠くへ来てしまって.
今年の夏、この写真展での作品の二人を
見つめるさゆりさんの表情に
今までに無いものを見つけて.
そしてそれはいつものように
通り過ぎてしまってから
気付いてしまうものでもあって.
それでもこうして僕自身という作家を通して
紡がれていくものがはっきり存在することを
あらためて気付かせてもらえた気がするから..
だから最終日の扉を、そのもう少し先へと
向かうために開けて行こうとする..
さゆりさんが開き、
今またケイさん、えりかさんが開けてくれた
その扉のもう少し、先まで.
紡がれ、繋がれて行くもの..
それは写真作家としての自分自身の生き様だと思うし
たぶんかけがえのない財産と呼べるものだと思うから..
そして何より、それに応えられる作家であるために.
「想いありき」
それが果たしていつまで続くものなのか
自分にも解らないし、怖さも苦しさもあるけれど
それに気付かせてくれて、見つけられるものが
そこに在る限り、僕はきっと…
2015年の写真展「化身」は7/18で閉幕です.
期間中、自分が思っていたよりずっとたくさんの方に
ご来場いただいて、そこでたくさんの
気持ちに触れさせていただきました.
展示初日よりも最後の日になって
これがやれて良かったと思えるのは
初めてかもしれません.
それもまた、ここで見つけた大切なものの
一つだと思っています.
3年連続で、そして去年より、一昨年より
たくさんの感謝を伝えられる今年の夏を
すごく幸せに感じています.
2015.7.18. 古賀英樹
これが写真展前最後の更新になります.
今年のWALDの入り口に掲示するポスターは
こんな感じにしてみました.
サイズはA3ノビ、簡潔に
初見でも「入ってみたいな」って
思ってもらえるように作ったつもりです.
今回、自分的には一昨年のような
数年がかりの超大作ではなくて
この1年で一気に創りあげたような
コストも出来る限り削っての
ちょっと小規模な作品にしたつもりです.
そんな良くも悪くも少し肩のチカラを
抜いた作品創りが産んだものなのか
ほんとに意外なくらい楽しみにしていただけたり
メディアの方でも取り上げてもらえたりしています.
〜不可触な、確固たる絶対感か
抗いながら、足掻くものか〜
これはキャプションにも使っている言葉だけど
今思うのは、やっぱり絶対感から来る
「余裕」みたいなものは強いんだな..
ということ.
二人の間の、また二人の中に
あるものを、あるがままに写真として
全てを切り取ったとは思ってはいないし
理解しているとも言えないけれど
掲載されてく情報の中で
使われているもの、
受け取られ方を見ていると
ふと、そんなふうに感じます.
迎えた写真展前日、設営の日.
告知、配布のときと同じ様に、
この日にもまた、特別な想いがあって
えりかさんは駆けつけてくれたのでした.
正直決して調子が良さそうではなかったけれど
1点1点がギャラリーに展示されて行く中で
去来する気持ちは、どんなものだろう…と
少し心配でもあったけれど、えりかさんは
この写真展をしっかり俯瞰した目線で
彼女なりに捉えてくれているようでした.
絶対的な安定には及ばない…
それは解っているけれど
足掻いているなりに進もうとする..
そんな気持ちがそこには感じられて、
その部分にもいつか、強い光が当たってほしいな..
と、作家としてはそう強く感じました.
そして何よりは「光」を集め、帯びるものとして
そこに在り続けてもらえたケイさんの集め、放つもの.
それが強ければ強いほどコントラストは高まって.
写真展「化身」は明日から始まります.
封切り前はいつも緊張するけど
いつもよりは力まずに程よくチカラを
抜いて迎えられるような気がしてて.
えりかさん自身、
苦しかった、挫折もあった
途絶えたりもした…一進一退..
もしかしたら後退しているのか
そんな恐怖あったことでしょう.
だけどそこに一方の被写体である
えりかさんのこの表情があるのなら
ここまで辿り着いた意味は充分にあると
そう思っています.
辿り着こうとして、前に進むものに
きっと光は届くと思うから.
設営作業風景の記録は
えりかさんにお願いしました.
また、いつものようにWALDオーナー
森さんにほとんどのことを
お任せしてしまってますが…
WALDとしても写真展示手法としては
初めての試みとなる「浮かせた展示」.
これは実際に会場で観ていただければと
思います.
僕もスケジュールの許す範囲で
在廊する予定です.
今年もまた写真展で、僕自身の夏が
始まります.
古賀英樹 写真展「化身」
7月1日(水)〜 7月18日(土)
12:00〜18:00
■休み:日、月、火曜日
■料金:入場無料
■場所:ヴァルト アート スタジオ
[092-633-3989 福岡市博多区千代4-12-2]
わたしたちを、繋ぐもの
それがあなたの言う、
真っ直ぐ通した軸だとしても
その両軸から聞こえ続ける
不協和音と免れない違和感で
包まれ、歪み、軋みながら
変異していくこと
目醒めさせたもの
それを止めることは出来ない
止めることなど出来やしない.
6月になりました.
写真展まで1ヶ月を切って
これからいろいろなことが動き出して
明らかになっていくことになりそうです.
思えば写真展のお知らせを
こうして書かせてもらうこと
3年連続なんですね…
それは僕自身初めてなんだけれど
こうして継続と積み重ねることで
新たに届く場所、目指せる世界があるのかな..
とか感じています.
だから、今回はこの写真展「化身」を
あらためて言葉を整えて
まとめ的に書いてみたいと思います.
掲載した写真と、前述した言葉は
実際に会場でもキャプションとして
入り口付近に貼り出すものになります.
構成する作品はキーアートとして
大きいA1サイズのプリント合わせて約30点.
無光沢ラスター印画紙のカラープリントです.
僕の写真展では珍しいことですが
そこに被写体である二人の名前を明記して.
僕自身としては、
1年前から撮らせてもらっていて
ある時点でそれが途絶えてしまった
Erikaさん.
そんなところへ絶妙なタイミングで
ふっと現れてくれたKeiさん.
それは全くの個別で何の共通性も、
繋がりも無いけれど
それこそが実は今回の重点でもあって.
そのどちらが欠けても今回の写真展での
作品構成は成り立たなかったことで
それを踏まえて考えると、僕の写真展の中では
一番女性的なものになったかな..と思います.
「こちらが主演のように思えるけれど〜
きっとほんとは〜だよね」
「メインに据えられるものを
〜にしているのはたまたまですか?」
・・・そんなふうに
ポストカードやフライヤーを観て
やりとりしてもらえることが
なんだか自分でも嬉しくて.
ギャラリーにはいつもの感想ノートの他に
「被写体さんへ向けて」のノートも置きます.
そしてそこへ書いてもらえた言葉たちは
お二人のどちらにもお伝えします.
「二軸相反」
真ん中に在って作家として通した車軸の
その両輪に繋がれた二人の中で動くもの
そしてそこで感じられ、伝わる気配と
動き始める何か.
不可触な、確固たる絶対感か
抗い、足掻くものか
それはどちらが…なのか
どちらも…なのか.
まずはそんなふうに作品構成の中へ
導入させてもらえたらと思っています.