« 国が違えば産み方いろいろ | Home | 一球の重み、一声の重み »
“R” 2011.
いつものように書き出すことに迷いながら
今回は来夏に予定している写真展のことを
もう少し深くまで記しておきたいと思います.
思えば一昨年の「深入り」が12年振りの個展となり
思いも掛けぬカタチで決定した新宿での
「深入り-tokyo-」を経て、今年の「化身」まで
全速力で駆け抜けるような時間でもあったけれど
同時にかつて無いほど作家として濃密な時間を過ごさせて
もらえている感じです.
あらためて、今の段階でほぼ決定なので
書いても良いかと思いますが
2016年もまた夏に写真展を開催させていただくことが
決まっています.
場所は僕のホームであり大切な場所
WALD ART STUDIO.
新宿を挟んで3回連続での写真展をここで
開催させていただくことに何より感謝しています.
前回も書いたことだけれど、僕の中では
「深入り」・「化身」を経て
「WALD3部作」の3作目であり、
一つの節目となる写真展として捉えています.
なので、この数年に亘る僕の作家としての
地図というか…足跡を辿るようなものに
しようと考えています.
現段階では未だ未確定なことばかりですが
作品はモノクロとなります.
最新作だけでなく、過去に撮った未公開作品も
今回新たに創り直して展開させて行きたいと
思っています.
ハイキーでノイジーな粗粒子の
トーンとコントラスト…
再びそこで、僕は作品を創ることになります.
こちら側にいること.
「化身」ではカラー作品、既に「そこに在る」ものとして
かなりの割合で被写体二人をフィーチャーして展開しました.
そこで頂いた評価と反応…それはほんとに予想外のことで
むしろ僕は「そこへ連れて行ってもらった」のだと
考えるようにしています.それが僕の中の「化身」…
写真展「化身」で得られたもの、そこにいた自分…
それを踏まえた上で、こうして過去作も含めて
候補作品を羅列し始めて、かつてそこで向き合った
被写体さんとその想いを感じるとき、自分が「帰還者」なのだと
思えたりもしていて.
「素敵で、良い展示でした」と言われることの上に
心地よく座して居続けることよりも
せっかくもらえた評価から翻るようなものを創って、
どう捉えられるかはわからないけれど
やっぱり「こちら側」でやり合うことの意味と
「不確か」なものを追い続けることに惹かれてしまう自分がいて.
それはたぶん「化身」という作品を経たからこそ
自分の作品の振り幅を広げてもらえたことを
実感するものでもあって…
果たしてこの3部作の区切りがどんな地図を描くのか…
もう一度またこういうところ…「こちら側」で
作品を創れることの喜びと、それを上回る怖さを感じながら
まずはそのアウトラインから練ってみようかと
思っています.
評価を得た、暖かく優しい言葉もいただいた..
でも還って来て解る、こっち側にいて
ヒリヒリしながら写真を創ることの深さと自分の因果.
懲りない、ってこういうことを言うのかもしれませんね…