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2013/11/04
曲独楽サイト巳也

曲独楽サイト巳也

もうだいぶ長いこと そのままになっちゃって…

 

私の 曲独楽のサイトは こういう風に 作ってあります

これを どうにかして わかりやすく 作り変えようと 頑張ることにしました

 

 

当初 このサイトを 作る前に 1998年頃 Aめりかん Oん Lあいん という高額プロバイダで 曲独楽 三増 巳也サイトを運営しておりました

 

 

曲独楽師 三増 巳也 初サイトは 懐かしの SHARP あざやか書院で制作

曲独楽師 三増 巳也 初サイトは 懐かしの SHARP あざやか書院で制作

もっと前に SHA-プ製で ネットサーフィンできるワープロの「書院」という機械があった頃に

(SHA-プさんはペン付がウリでした~ さすがの液晶はきれいでしたね)

一番最初の曲独楽サイトを運営し始め…

 

 

私の サイト運営の 年数は 結構あることに気がつきましたので

この際 整理しておきますと…

 

1992年 本名から 改名襲名披露11月になり 本格的に 曲独楽の歴史と 自分の記録の為に コンテンツをなんとなく ノートに作り始める

 

(アナログのほうが 当時はまだ 安価で便利 そのうえ パソコンは利用者がまだ 私の周りでは 少数過ぎました…)

 

実際に パソコンの活用法を 慣れてる人に聞いて サイトの運営に踏み切れたのは 「地の利」のおかげでもあり…

 

永田町に 国立演芸場という 寄席があるんですが 曲独楽公演後必ず立ち寄る 某所に根城がありまして…

そこには Bんらくの Tたけ Sきほだゆうさん Jよゆうの Iしのさん Kぶきの Nやさん などなどが いらしたりして

色々情報交換させていただき パソコンに超くわしい皆様の助言があればこそ できた所業でございまする…

 

実際に アップできたのは i-Mac ボンダイブルー色 Ver.bの頃 1998年だから

時間かかってるのなんの…

何しろ 商業高校で 「電子計算機」としての コンピューターのプログラミングを 教科書で習ったくらいですので

ぱーそなるこんぴゅーた ともなると 別次元ですよね…

 

勢いでもって ここまで 進んできたのはいいんですが

 

ゴチャゴチャなってきて ブログとコラムとまとめサイトと 交流SNSまで 世の中には登場してきて

 

私も もう きちんとしなくちゃいけない 年頃って(?)ことで…

 

 

さて … どないしよ…

 

それはそうと 楽天イーグルス 優勝おめでとう! … の秋11月です!

 

http://www.rakuteneagles.jp/index2.php

 

 

 

03:39 | miya | 次の課題 曲独楽 サイトのリニューアル はコメントを受け付けていません
2013/10/31
曲独楽三増巳也内子座a

曲独楽三増巳也内子座a

さて 前回 ニュートリノの 東大宇宙線研究所のリンクを 貼らせていただきました

そうなんです

 

ニュートリノの 何が 曲独楽の どこに 関係があるのか

 

無理やり関連付けて 今回は 持論展開でありまする

 

来年の正月5日

 

めでたく

落語家の中でも かなり 女性ファンが多い 桂 小春団治師の会に

 

内子座で 曲独楽を ご披露させていただくことが 決まりましたので

 

今回 この乱暴な ニュートリノ的曲独楽三増 巳也論を この画像から 説明開始させていただきます…

ある日 わかりにくい宇宙の話が NHKで放送されて

なぞの ニュートリノに 興味があったので

この東大宇宙線研究所サイトへ行って このやさしい説明を読んで

ニュートリノの 物と物とが くっつく きっかけの 役割があるということを

何となく 私なりに そう 理解することにしたのですが

 

曲独楽の どこが?となると

説明が大変なのです

 

今までコラムで 書いてきた内容と 重なる部分があったので

 

文章で書くよりも

図示してみようかしら…と思ったのであります

 

画像の 内子座公演時の 曲独楽の写真と 合わせて

お楽しみいただきたいところなのです…

 

kyokugomamiyanyuutorino

kyokugomamiyanyuutorino

 

 

そうです 画像に入れてみましたが

山の財産である 木を 切り出して

加工して 宗教や 権力を持つ者の 権威付けのために

儀式の道具を作り出すことは とても 一般の人にとっては

昔になればなるほど

技術がまるで 魔法や神様に 直接関係がある 物事に見えていたに

違いないと思います…

 

近代に入ると

生活に利用したり 日常が 安全になれば それが 美しいとか

希少価値 でもって 資産にも変化していくから

本当に 様々な 時代に 形を変えたり 価値を生んだりしてきた歴史…

それが この 曲独楽の 道具と コマ 自体に 現わされている気がします

 

内子町の 観光協会の 宣伝文句に 「木蝋と白壁の町並み」 と 表現したポスターが あったのですが

そういうキャッチコピーのようなものが 私のこの持論には 必要なので

 

この ニュートリノを ぜひ 使いたいと思ったのでした

 

現代の技術的な面で 考えてみても また 興味深いことがあります

 

工業技術 この 曲独楽を作る過程に ろくろを利用した工程は欠かせません

昔は 数人が気を合わせながら リズミカルに手と足で ろくろを動かしていましたが

現在は機械です

(曲独楽のろくろのモーターは 洗濯機のものが一番いいそうで)

手作業のいい面として スピードが調整しやすい点があるのですが

現代は スピードコントローラーを フットペダルで踏んで 調整します

まあ 車の運転で例えるなら ポンピングブレーキって感じで 微妙な加減速をかけながら

手馴れた曲独楽製作者の皆さんは 自在に刃物を木材へ当てて 何ミクロンの削りも楽々とされるのです

 

あまり刃物が研がれていない場合

コマの仕上がりに影響が出ます

木の削れ方が ケバケバになって 刃物で仕上げられず 紙やすりやらサンダーやら ものすごい手間がかかってしまうわけで

仕上げ具合が悪くても おみやげ程度のコマだと 平気で販売している悲惨な姿…  「あ~あ」(^0^;)

 

その 林業と機械工業そして民芸のような生活風景から来るものとの間に

このコマがある…そういう気がします

 

 

だから ニュートリノ…

 

無理かなあ…

 

まあ ニュートリノは もう 置いときましょう…

 

 

コマの発生と動きの共通点は海外でも 同じなのですが

「残り方」の点で 日本は 特筆しなくちゃいけない文化があるんですねえ

 

「寄席」 という大衆芸の演芸場が その受け皿になっています

 

講談 落語 浪曲 太神楽 曲独楽 手妻 音曲 声色 漫才 漫談

 

そういう独特の残り方が 今でも 形を変えずにいられる大きな理由です

 

あ~ 書いてるうちに 私の曲独楽ニュートリノ関連持論が ニュートリノみたいに 拡散していく~!

…てなわけで みなさん ぜひ 視点をちょびっとずらして 寄席へ いらして見てくださいね~

三増 巳也 曲独楽いらすと

三増 巳也 曲独楽いらすと

 

02:13 | miya | 曲独楽 ニュートリノ つづき 曲独楽師 三増 巳也 持論展開~ はコメントを受け付けていません
2013/10/31

たびたび 曲独楽の 歴史について 調べたことや 知りたいことなどを 書いてきましたけども

ここ数年 薪ストーブ用に 自宅敷地の木を切って 皮をむき 干して 薪割りして…という工程を 日々の暮らしとして 私なりに何とか サポートくらいは

できるようになりましたから

 

曲独楽を 作る手順において

木を扱うことは間違いなく

そして 山の中の木をどうやって切って 運ぶ時にどうやるのかとか

山の中の住人が どのように 暮らしを作ってきたのかなど

そういう人の生き方と 無関係ではないであろうという 私なりの 確かな確信が そういう時間の積み重ねから 出来上がってきました

 

私が興味を持って いつでも曲独楽の事を考える理由は

芸自体の楽しさや お客様との素敵な関係だけではありません

もちろん 曲独楽の美的センスが 世界においても 自慢できる鑑賞物だとも思いますが

作ってきた腕のいい製作者の思いの蓄積も そこには強い「芯」として 通っているように思えてなりません

 

つきとめてきた曲独楽の歴史の事実と 記録してあった江戸時代の芸の描写を見てもまた

おそらく ほとんどの日本の歴史と同じように 曲独楽も 海外との貿易や人同士の交流の結晶に思えてきました

 

山の木を運んで 仲間に割った木材を投げ渡す方法から連想したのは

いかに 体力の消耗を少なく 疲労を残さない しかも 安全な運搬・投げ方は どんな方法か

実際に日常の風景の中に組み込んだ私の体験から この動きや考え方は発生したのであり

「型」を美しく表現する素晴らしい場としての 「寄席」で 手馴れた風に 曲独楽を演じる私の日常からは たぶん行き当たらなかった

 

 

そのきっかけとして 台湾の宜蘭に訪れた時の 山間部の日本家屋の印象が 忘れられなかったこと

 

そして 仕事で訪れる史跡を見ても あまりに今の暮らしと かけ離れていて

そこから何を受け継ぐのかさっぱりわからない自分の寄席芸の曲独楽が

「美しければいいのか」「納得しないまま歴史を語るのか」という でっかい壁になっていたこと

実際に 山の木を相手に日常を暮らさなかったら

本当にたどりつけないところだった

 

木を 仲間に渡す時

声を掛けて

体のバネを使ったリズムで 投げて渡すほうが 楽なので

そこには 昔の作業の民謡や 太神楽曲芸の投げバチの芸の基礎が 実にピッタリはまるのであり

洋式ジャグリングと 圧倒的に違う点は その 山の暮らしと 関係があるか ないか その差だということが

本当に身をもって今回良く分かった

 

高低差がある日本国土では 山の暮らしを工夫して生活に利用できないと

国土の大半が 動物天国となり(それも いいと思うけど 大量の食料生産をこれから考える種類の人間には不都合)

山のツル草や竹をとって ザルやカゴ 靴の類までつくってきた知恵が あればいいけれど

それを作る人間が どれくらい残れるのか疑問

 

たくさん自分を表現するための 趣味や場として 手芸や「何とか勉強会」をやっても

それが欠かせない物でない場合の空しさを考えると 恐ろしくなるのは 私の心配性であったけど

愛媛に引っ越して その心配が一切吹っ飛んだ

 

必要だから やるのであって

やれば手馴れていくのである

 

さて 曲独楽は もしかしたら私にとっての

「ニュートリノ的役割」があるのではないかということで…

東大宇宙線研究所のニュートリノ紹介が と~ってもわかりやすいので 貼っときます

http://www.icrr.u-tokyo.ac.jp/about/neutrino.html

12:02 | miya | 曲独楽 と 山 と ニュートリノ はコメントを受け付けていません
2013/10/11
内子町並み 旭館 三増 巳也レポート

内子町並み 旭館 三増 巳也レポート

2013.10.13 昼と夜に 「黒部の太陽」完全ノーカットで

 

愛媛の 内子町並み 旭館 での上映があります

 

昼の売り上げが 好調とのこと

 

夜の部の プッシュを 私もさせていただこうと思い

 

今日は みなさん あまり見ることがない

 

内子町並みの 旭館 夜の顔を 撮影してきましたので 掲載します

 

前回 旭館を紹介した時 格安航空の成田ー松山 の就航のことを書いたかどうか わすれちゃったのですが

 

他の地域から 遠くへ しかも 映画館へ 夜に行こうとする時

 

一緒に 心強い ボディガードを お連れになっていたら 絶対安心ですけど

 

女性のファンが多い 石原裕次郎さん…

 

 

「夫と行きます」 「彼と」「飲み友と」…

 

という 粋な女性が 果たして どれくらい いらっしゃるか…

 

 

今回 言いたいのは

 

内子町並みは 夜間でも 結構安心できる いい場所です … ということです

 

この 旭館は すぐ前に 集会所・マンション・旭館の持ち主「森文醸造株式会社」があります

 

ご近所には もちろん 住人の方が

 

旭館 を 囲むように わんさといらっしゃるのです

 

写真で紹介すると 旭館の アップ撮影が多いから移りにくいですね

 

今回は そういう細かいことも 紹介しておかなくちゃと コラム原稿にしました

 

 

地域の人の 暮らしぶりと 人となりを ぜひ この 内子町並みへ 旭館へ いらしていただいて

「映画好き」の 方に ぜひとも 「黒部の太陽」の 時代の 暮らしや 生活の印象に

興味を持っていただきたいなと 思います

 

そして

 

どうして 地方にある 集落や 小さい町・村が 劇場や 映画館を 建てて 楽しむのか

この 内子町に 何があると思いますか

 

ここにあるのは 当時大切にしてきた 建物 が 残っているのです

 

それも 何とか 地元の人の 赤字覚悟の最後の挑戦だったりします

 

旭館も 例に漏れず … です

 

 

たいせつにするのは  なんでしょうね

 

建物ですか

 

お金ですか

 

いいえ

 

私は この 内子町へ 東京都豊島区南長崎から 2003年に移住してきて

 

人の 心がわかる そういう場所に また そういう瞬間に 出会えることが とても嬉しい

 

観光だからといって ジャンジャン 人集めをするなんて 不可能でしょ?

 

この地域は 「遍路」の 道の途中にあり

 

私がちょっと調べただけでも

ものすごく たくさんの 人・土地・文化・農産物や商工業の歴史があり 聞いてみると

みなさん本当に 色々教えてくださいます

 

内子町に宿泊されると みなさんどんな印象がありましたか と お聞きすると

 

「自分たちのしたい話が たくさんできた 」

とか

「真っ暗なのに 怖さではなく リラックスできた」…という 言葉を いただくのです

 

滞在して 心が落ち着いて また 旅を続けることが出来る

 

そういう場所なのだと 私は お客様から 学んでいます

 

イベントを開催している時に 見逃してしまうのが

 

「データで残せるお客さんの数」に隠れた 「イベント参加以外のお客様」であり

 

そういう皆さんこそ たいせつなのだと 思います

 

 

それとも 20分だけ 内子町の100分の1しか見ずに 早足で歩いて おみやげ目当てで来ますか?

 

とにもかくにも 2013.10.13 愛媛県喜多郡内子町 旭館 「黒部の太陽」 上映会 開催です!

詳しくはこちら 森文醸造まで 問い合わせ/0893-44-3057(森文醸造)
http://www.mori-bun.com/

愛媛 内子 旭館 三増 巳也レポート

愛媛 内子 旭館 三増 巳也レポート

 

 

 

 

05:33 | miya | 夜の活動写真館 愛媛県 内子町 旭館 曲独楽師 三増 巳也レポート はコメントを受け付けていません
2013/10/09
曲独楽 三増 巳也2013.10.12松山城

曲独楽 三増 巳也2013.10.12松山城

 

日にちが迫っておりますが…
松山城を 夜に 見られるという お楽しみイベントに 出演いたします…

三増 巳也は 2013.10.12 夜7時頃 出演予定です

愛媛のスタア らくさぶろうさん と共演です

 

くわしくは この画像を ポチッとすると 「松山城ブログ」へ リンクしてありまするので

ちびっと 見てみてくださんせ

 

さてさて 今年の6月から LCL 格安航空の 進出があった松山空港…

週末だけ ちょいと 松山まで 気軽に移動できるようになったこともあり

夏に 友人が 早速その手で 某グループの愛媛初のコンサートにやってきました

ところが 台風ということで

結構 電車が止まったり 飛行機が欠航したりと 大変な目にあって

普段は スルッと30分で 松山から内子まで 来られるのに

1時間近くかかったのでした

 

友達というのは ありがたいものです

 

最近流行になりそうな野菜 「バターナッツ」 かぼちゃを

わざわざ来てくれた お礼に送りました…

こんな品種です↓

http://www.takii.co.jp/CGI/tsk/shohin/shohin.cgi?breed_seq=00000402

 

ありがたいことに

何でも 試験的に 栽培をする農家の方がいらっしゃるので

時々ものすごく珍しい品種があって とても 驚くことがあります

 

朝市が楽しみな 大きな理由のひとつです…

 

どっちにしても

ある程度 自分の時間の管理が できる状態じゃないと

なかなかタイミングが合わずに (数が少ないから 買われちゃったらわからないもんね)

知らなかったりして

 

でも今は 変化がわかる環境にいられるので 感謝なのです

 

なんだか おもしろい変化が これから起こるような気がしています

 

ふむ 気温が夏から秋に変わるのが 遅い今年ですけど

12日の衣装を決めねば…

(袷 暑いよね)

 

曲独楽 三増 巳也URL

曲独楽 三増 巳也URL

11:51 | miya | 曲独楽 三増 巳也 出演~夜の松山城 10月12日 はコメントを受け付けていません
2013/10/01

旅行の楽しみは様々ありますが…
私のように『ひねくれものの一人旅』だと
結構困ることが多い…

「つまらなさそうだから 話しかけてあげようか」

「きっと 道に迷っているんだろう 教えてあげる」

 

こういう善意の皆さんが 決まって 旅先で 一人で旅行中の私を助けてくれた

でも 私のほうは ずっと勝手だから

「落ち着けない緊張する一人旅」ということで

早々に帰って

目的だった 「自分の考えをまとめる」

には到底行き着かず

「おみやげ何にしようか」

の 相変わらずの つまんないツアーと同じ状態になってしまったことが多かったなと…

自分の集中力の無さの言い訳話で恐縮だけれど

旅仕事で出かけられてラッキーと思う時も

好機を生かせない 旅下手ばっかりしていた
都市部在住の頃は自分の考えをまとめるために

静かな考えやすい環境を どうやって手に入れるか

居場所代として 投資した額は ちょっと考えたくない…

 

言葉が通じない環境の 台湾 宜蘭のフェスティバル滞在中の快適さ…

この「いい感じ」は きっと日本じゃ無理だなあ…

 

そう思って 宜蘭には 4回も通ったわけだけど

 

でもでも 日本は広かった

コマの小道具を修理・復元するために

立ち寄った 内子町の 山あいの静かさは

本当に 静かで しかし 鳥・何かわからん生き物・風に揺れるモロモロの音・虫・雲や霧の動きなどが

孤独を感じずにいられる環境を生んでくれていたから

このリズム感が 心地よかった

 

何でなのか

 

説明できなかった

だけども

ごく最近 四国の歴史に本気で興味がわいてきて

大好きな地質で見ても 銅・石灰・鍾乳洞…

暮らしの道から見た 石碑と道しるべ そして 山中の道路開通記念碑の多さ

年代が古くてわからない 道祖神も あなどれない魅力なのであり

廃線になった線路の跡地や鉱山労働者の住居跡の美しさも凄くて

山へ上がると 星で目が回って歩けなくなる夜や

月の明かりで本が読めたり

蛍の光で子供が遊べたり

見たことない黒い鳥

初めて聞く 三光鳥 ちらり見かけた 野生の雉

かわるがわる現れる渡り鳥の豊富さ

地蜜のおいしい事

 

思い切り 秋刀魚と焼肉ができる家が多いこと

 

夏は思い立ったら 川で釣りや泳ぎ

冬は雪合戦も可能 でも3日で溶けちゃうから 雪かきほとんどなし

まあ

 

書いたら実に きりがない

そういう 四国全体の歴史から生まれる魅力の中で

 

この内子町の 山あいの地域には その 「日本の昔」が

今でも 生き続けていると

私は思う

 

東北に行くと 独特な昔の雰囲気がありますけど

 

語り部が 語るような印象がある東北と

内子町は ちょっと違うと思う…

 

地形を利用して ずっとそこの場所で生活している人

 

四国の中で 愛媛から高知へ抜ける山道は 近代になってから 行き来が出来る道ができたので

愛媛や高知の山は そういう暮らしが まだ残っている場所が多いと思う

 

観光バスがぜったい行かない山の上へ

 

皆さん 行ってみませんか

 

体を精一杯動かして生活することの 清潔なものすごさ

 

自宅の場所から 200M離れた竹林で 10M弱の椎の木を 切り

枝打ちして 冬の薪割りを 家族みんなでやり終えて

 

 

 

おばちゃんになってからの 私の強さは尋常じゃないのである…

 

01:58 | miya | 内子町在住10年目 「歴史を旅する魅力 まず ご当地の人を よく知ることから」 はコメントを受け付けていません
2013/09/30

黒部ダム 完成から50年 富山県の黒部渓谷にある国内最大のダム

 

ここのダムを作る 作業にあたった人のうち

 

事故による死者171人…

 

建設されてから 50年たつと

 

こんなにすごいものでも 「存在が当たり前」になってしまうから

 

私はびっくりしています…

 

 

さて 愛媛県 内子町の 古い映画館 旭館での 第2回 上映会が

 

2013.10.13に 開催されます

 

旭館内子黒部の太陽

旭館内子黒部の太陽

上映作品は 裕次郎ファンの世代の熱烈なリクエストにより

『黒部の太陽』となりました!!!

関連記事は以下の通りです

 

http://mainichi.jp/feature/news/20130904ddlk38040549000c.html

 

 

04:31 | miya | 内子町旭館 古い映画館の修復管理 第二回映画上映会「黒部の太陽」2013年10月13日の話 はコメントを受け付けていません
2013/09/30

曲独楽…

今回は
コマを使った芸の話です!

日常の稽古をしていて
何が大切か?

それは

色々ありますが

単純作業がある日常生活のテンポ!

例えば

秋になりましたねぇ〜
銀杏美味しいから
ご飯に入れよう!

…自宅がある
東長崎駅

目白駅から近いので
歩きながら

セリフの暗記稽古〜!

銀杏並木の恵み『銀杏拾い』して帰る!
寄り道は
曲独楽の材料の木材を切ったりしてくれる
木工の先生のアトリエ!

ついでに小道具の修理も頼めちゃう!

…的な流れもオマケ!

さて

銀杏を持ち帰ったら
殻をむいて
色々調理して食べますけど…

またまた
調理しながら

曲独楽の舞台での動きをイメージトレーニング…

何が言いたいかというと!

単純作業が
いかに大切かという話です!

私が稽古する時は
必ず必要なのです!

そりゃ一生懸命芸を稽古するのは
当たり前ですが…

目に見えない稽古の
何と多い事…
私が移住を決意した理由は
ここにあったのかもしれません!

01:51 | miya | 単純 曲独楽 三増巳也 はコメントを受け付けていません
2013/09/29

THE NINJYA bug! In Uchiko Ehime JAPAN

名前を知りたいのに

名前を知らなくちゃ調べられないジレンマ~

 

そろそろ この状態を何とかしなくちゃいけません

 

そうです

 

どう調べても この昆虫の正体がわからなかったので

 

写真を載せるかどうか迷っていましたが…

 

この昆虫は とても大人しくて

虫好きの次男8歳の手乗り肩乗り

挙句の果てに シャツのブローチとして

1時間近くじっとしてくっついていました

 

あんまり動かないので

ツンツンすると

とうとう飛んでいきました (^^;)

 

手乗り擬態虫in内子町大瀬

手乗り擬態虫in内子町大瀬

どうなっちゃってるんでしょうか

まったく

こういうふうに

昆虫と仲良くなるのは

私は40年ぶりです!

 

小学生の頃 「学研の科学雑誌」を定期購読していたので

おまけが試験管セットだったり リトマス試験紙やら

プランクトン飼育キットの時もありましたかね…

 

そういうおまけに 大いに乗せられて 実験好き女子まっしぐらでしたが

 

ある時

昆虫採集で

アゲハチョウを つかまえて

注射器で薬品を注入し 殺して標本を作るという

 

その手際の良さに 我ながら気持ち悪くなって

 

それ以来

 

昆虫が嫌になり すっかり休戦協定締結状態でした…

 

もともと 昆虫が嫌いではないので

顔にセミが張り付くとか

自転車で移動中に ゴキブリにヘッドバットを食らうとか

そういう突発的な遭遇で無い限り

奇声を発することなく

愛媛の山ン中で

子どもと遊んできました

 

だからですかねえ

子どもらも 虫好きですよ…

 

環境というのは いかに 人の暮らしにとって 大きな影響を与えてるのか

 

本当に 考えちゃいます

 

私がもし

 

生まれたばかりの頃は別として

 

記憶がかすかにある 幼児期に

街頭ひとつ無い 母の生家 鹿児島県曽於郡(今は曽於市)の山中に 泊まっていなかったら

 

きっと 暗闇が どんなふうに暗いのか 知らないで大人になっているでしょうからねえ…

 

東京都豊島区で生まれて育ったわけだから

昭和の時代感あふれる 「縁日・駄菓子屋・貸し本屋・銭湯」に囲まれてる地域は

こぢんまりしたのんびり東京でも

あちこちに自動販売機が置かれだした昭和50年代には

真っ暗闇は

「ハイ さようなら」

と なりまして

 

はっと気が付くと

大人になったら すっかり 「縁日・駄菓子屋・貸し本屋」は消えて

商売替えした親と一緒に同級生も引っ越した人が多かったし

代わりに いつでも開いてるコンビニが登場し

駅もエレベーターがついちゃって

すっかり 「町らしく」

南長崎も変身していきました…

 

夜の明るさに 目の痛みを感じた私…

 

今生活している地域 愛媛県喜多郡内子町の大瀬地区の山が

もんのすごく暗いのが

快適であり

別に恐怖も感じません

 

夜は原稿書きや 曲独楽のメンテナンスタイムですので

秋は最高に いい雰囲気で はかどります…

 

(子どもは PCのライトで目が痛いかも…(ーへー;))

 

曲独楽の歴史を調査していて

人の動きと関係があることに なかなか踏み込んでいけなかったのも

自分の生活観が 「物・人・環境に左右されすぎ」ていることがわかったのですけど

 

自分の基準をどこに置くか

自信を持って柔軟に学習できるか

そういう注意点を 見落としていないか しょっちゅう頭を悩ませまする…

 

ああ

 

いっそ 擬態して どこかの大木の下でゴソゴソ動き回りたい秋です…

 

今日は 冬支度 薪ストーブの薪作りが ようやく終わって

くたびれました~

朝顔 内子町大瀬 曲独楽師 三増 巳也

朝顔 内子町大瀬 曲独楽師 三増 巳也

内子町大瀬 曲独楽師 三増 巳也 撮影 玉虫

内子町大瀬 曲独楽師 三増 巳也 撮影 玉虫

 

 

 

03:48 | miya | 謎の虫… はコメントを受け付けていません
2013/09/29

THE NINJYA bug! In Uchiko Ehime JAPAN

名前を知りたいのに

名前を知らなくちゃ調べられないジレンマ~

 

そろそろ この状態を何とかしなくちゃいけません

 

そうです

 

どう調べても この昆虫の正体がわからなかったので

 

写真を載せるかどうか迷っていましたが…

 

この昆虫は とても大人しくて

虫好きの次男8歳の手乗り肩乗り

挙句の果てに シャツのブローチとして

1時間近くじっとしてくっついていました

 

あんまり動かないので

ツンツンすると

とうとう飛んでいきました (^^;)

 

手乗り擬態虫in内子町大瀬

手乗り擬態虫in内子町大瀬

どうなっちゃってるんでしょうか

まったく

こういうふうに

昆虫と仲良くなるのは

私は40年ぶりです!

 

小学生の頃 「学研の科学雑誌」を定期購読していたので

おまけが試験管セットだったり リトマス試験紙やら

プランクトン飼育キットの時もありましたかね…

 

そういうおまけに 大いに乗せられて 実験好き女子まっしぐらでしたが

 

ある時

昆虫採集で

アゲハチョウを つかまえて

注射器で薬品を注入し 殺して標本を作るという

 

その手際の良さに 我ながら気持ち悪くなって

 

それ以来

 

昆虫が嫌になり すっかり休戦協定締結状態でした…

 

もともと 昆虫が嫌いではないので

顔にセミが張り付くとか

自転車で移動中に ゴキブリにヘッドバットを食らうとか

そういう突発的な遭遇で無い限り

奇声を発することなく

愛媛の山ン中で

子どもと遊んできました

 

だからですかねえ

子どもらも 虫好きですよ…

 

環境というのは いかに 人の暮らしにとって 大きな影響を与えてるのか

 

本当に 考えちゃいます

 

私がもし

 

生まれたばかりの頃は別として

 

記憶がかすかにある 幼児期に

街頭ひとつ無い 母の生家 鹿児島県曽於郡(今は曽於市)の山中に 泊まっていなかったら

 

きっと 暗闇が どんなふうに暗いのか 知らないで大人になっているでしょうからねえ…

 

東京都豊島区で生まれて育ったわけだから

昭和の時代感あふれる 「縁日・駄菓子屋・貸し本屋・銭湯」に囲まれてる地域は

こぢんまりしたのんびり東京でも

あちこちに自動販売機が置かれだした昭和50年代には

真っ暗闇は

「ハイ さようなら」

と なりまして

 

はっと気が付くと

大人になったら すっかり 「縁日・駄菓子屋・貸し本屋」は消えて

商売替えした親と一緒に同級生も引っ越した人が多かったし

代わりに いつでも開いてるコンビニが登場し

駅もエレベーターがついちゃって

すっかり 「町らしく」

南長崎も変身していきました…

 

夜の明るさに 目の痛みを感じた私…

 

今生活している地域 愛媛県喜多郡内子町の大瀬地区の山が

もんのすごく暗いのが

快適であり

別に恐怖も感じません

 

夜は原稿書きや 曲独楽のメンテナンスタイムですので

秋は最高に いい雰囲気で はかどります…

 

(子どもは PCのライトで目が痛いかも…(ーへー;))

 

曲独楽の歴史を調査していて

人の動きと関係があることに なかなか踏み込んでいけなかったのも

自分の生活観が 「物・人・環境に左右されすぎ」ていることがわかったのですけど

 

自分の基準をどこに置くか

自信を持って柔軟に学習できるか

そういう注意点を 見落としていないか しょっちゅう頭を悩ませまする…

 

ああ

 

いっそ 擬態して どこかの大木の下でゴソゴソ動き回りたい秋です…

 

今日は 冬支度 薪ストーブの薪作りが ようやく終わって

くたびれました~

朝顔 内子町大瀬 曲独楽師 三増 巳也

朝顔 内子町大瀬 曲独楽師 三増 巳也

内子町大瀬 曲独楽師 三増 巳也 撮影 玉虫

内子町大瀬 曲独楽師 三増 巳也 撮影 玉虫

 

 

 

03:48 | miya | 謎の虫… はコメントを受け付けていません

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