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たびたび 曲独楽の 歴史について 調べたことや 知りたいことなどを 書いてきましたけども
ここ数年 薪ストーブ用に 自宅敷地の木を切って 皮をむき 干して 薪割りして…という工程を 日々の暮らしとして 私なりに何とか サポートくらいは
できるようになりましたから
曲独楽を 作る手順において
木を扱うことは間違いなく
そして 山の中の木をどうやって切って 運ぶ時にどうやるのかとか
山の中の住人が どのように 暮らしを作ってきたのかなど
そういう人の生き方と 無関係ではないであろうという 私なりの 確かな確信が そういう時間の積み重ねから 出来上がってきました
私が興味を持って いつでも曲独楽の事を考える理由は
芸自体の楽しさや お客様との素敵な関係だけではありません
もちろん 曲独楽の美的センスが 世界においても 自慢できる鑑賞物だとも思いますが
作ってきた腕のいい製作者の思いの蓄積も そこには強い「芯」として 通っているように思えてなりません
つきとめてきた曲独楽の歴史の事実と 記録してあった江戸時代の芸の描写を見てもまた
おそらく ほとんどの日本の歴史と同じように 曲独楽も 海外との貿易や人同士の交流の結晶に思えてきました
山の木を運んで 仲間に割った木材を投げ渡す方法から連想したのは
いかに 体力の消耗を少なく 疲労を残さない しかも 安全な運搬・投げ方は どんな方法か
実際に日常の風景の中に組み込んだ私の体験から この動きや考え方は発生したのであり
「型」を美しく表現する素晴らしい場としての 「寄席」で 手馴れた風に 曲独楽を演じる私の日常からは たぶん行き当たらなかった
そのきっかけとして 台湾の宜蘭に訪れた時の 山間部の日本家屋の印象が 忘れられなかったこと
そして 仕事で訪れる史跡を見ても あまりに今の暮らしと かけ離れていて
そこから何を受け継ぐのかさっぱりわからない自分の寄席芸の曲独楽が
「美しければいいのか」「納得しないまま歴史を語るのか」という でっかい壁になっていたこと
実際に 山の木を相手に日常を暮らさなかったら
本当にたどりつけないところだった
木を 仲間に渡す時
声を掛けて
体のバネを使ったリズムで 投げて渡すほうが 楽なので
そこには 昔の作業の民謡や 太神楽曲芸の投げバチの芸の基礎が 実にピッタリはまるのであり
洋式ジャグリングと 圧倒的に違う点は その 山の暮らしと 関係があるか ないか その差だということが
本当に身をもって今回良く分かった
高低差がある日本国土では 山の暮らしを工夫して生活に利用できないと
国土の大半が 動物天国となり(それも いいと思うけど 大量の食料生産をこれから考える種類の人間には不都合)
山のツル草や竹をとって ザルやカゴ 靴の類までつくってきた知恵が あればいいけれど
それを作る人間が どれくらい残れるのか疑問
たくさん自分を表現するための 趣味や場として 手芸や「何とか勉強会」をやっても
それが欠かせない物でない場合の空しさを考えると 恐ろしくなるのは 私の心配性であったけど
愛媛に引っ越して その心配が一切吹っ飛んだ
必要だから やるのであって
やれば手馴れていくのである
さて 曲独楽は もしかしたら私にとっての
「ニュートリノ的役割」があるのではないかということで…
東大宇宙線研究所のニュートリノ紹介が と~ってもわかりやすいので 貼っときます