週のオランダは零下16度。
そんな中、雪が積もりました。
どのくらい寒いのだろうか・・・と、
とりあえず近所の八百屋さんに土曜朝のおつかい。
風がなく、朝陽が雪に反射してキラキラしています。
”零下16度” なんて感じません。
ロッテルダムの街中にいるのに、
まるで北海道の雪山1000mにいるかのような、
清らかで張りつめた空気を感じます。
私の両親の田舎は札幌でしたので、
幼少のころの正月といえば、
イトコ達と一緒に、スキーと「かまくら」作り。
ですので、雪には雪の匂いがあるのがわかります。
雪が降り始める時も、それでわかります。
なぜでしょうね。
どなたか、これを科学的に説明してください(^^)
まあ、なんとなく想像はつきます。
正確にいうと、匂いの化学物質を嗅いで「雪」と判断しているのではなく、
湿度とか、気温とか、その微妙な変化とか、
雪に含まれる微かな汚染物質などの匂いを総合して、
「雪の匂い」といして嗅いでいるのではないでしょうか。
匂いを嗅ぐには、20度前後、湿度60度くらいがちょうど良いといわれます。
その対局にあるのが、雪山。
乾燥しているし、温度が低い。
登山家はたいへんです。
雪には微かながら匂いがあるといっても、
単調な匂いばかり嗅いでいたら鼻がバカになりますし、
乾燥と低温に鼻の粘膜が晒される事で、
嗅覚は限りなく低下してしまいます。
登山家の野口健さんも、
「生」の感触を取り戻すために、
缶詰になった「舞妓さんの香り」の封を開けるといいます。
(おそらく匂い袋のようなものを缶に詰めて山に入るのでしょう。)
頂上は目の前。
明日アタックするか? それとも引き返すか?
そんなギリギリの判断をするときに、
そりゃアタックするしかないでしょう、とつい思いがちなのだとか。
しかし実は、高山病で意識も虚ろだし、
100人ほどの登山隊の命も預かっている。
そこで、
「生きたいか、自分?」と、
匂いで、自分の感覚に聞くわけです。
結局は女かい、(^^)
と婦女子としてはツッコミを入れたくなりますが・・・。
みなさんは、そんな極限に立ったとき、
何の匂いを嗅ぎたいと思いますか?
p.s. オランダはその後零下20度まで落ちました。零下5度くらいだと、「あ、今日はあったかいね」なんて言うほど、感覚が麻痺してます。
しばらくコラムをお休みさせていただいてましたが、体調も回復しましたので、2月より再開させていただきました。
皆様には、たいへんご心配おかけしました。これからは隔週で私の近況なども織り交ぜながら、匂い+アート+日常 のコラムを提供させていただきます。
今日はこの記事を、成田からオランダ・アムステルダムに向かう機内で書いています。
今回は、息子の誕生日に合わせた、1ヶ月程のオランダ滞在です。
今の私にとって、日本はセラピー&リハビリの場所、オランダは仕事&家族サービスの場所、といった感じでしょうか。
そうそう、先日は当Junkstageの新年会に参加させていただきました。
まさに十人十色の会。あまり共通タームの見つからない者同士です。そのためかかえって、「イケメン組」とか「女子組」とか、かなりベタな感じのグルーピングができあがってしまうのがおかしいですよね。
そんな中で、「匂いのアート」という私の仕事や作品の説明をさせていただく場面もありました。
すると、みなさんも引き込まれるようにうなずき、やがて匂いトークが始まります。
「匂いが嫌いな異性はどうしても好きになれないですよね~」
「あーそれはありますね~」
「そういえば私、じつはxxxの匂いが好きだったりするんですよ~」
と、みなさん匂いに関しては、私の仕事そっちのけで(^^)話したいこといっぱいです。
まさに、「匂いカミングアウト」。
ふだんの生活においては、とても偏った形で「視覚優位」な世界に生きる私達。
「匂い」を気に留めることはあっても、エチケットとして「消臭」が求められるライフスタイルですから、社会的には「匂い=消すべきにっくきもの」というスタンスを取らざるを得ないのが実情。
あるいは、さりげなく見て見ぬ振りをするのが大人の対応。
匂いはなにかと核心的かつデリケートな問題に発展しがちですからね。
しかし、だからこそ、扉がいったん開かれると、とたんに中から溢れ出て来て止まらない・・・そんな感じでしょうか。
みんな実は、匂いに関して話したくて、共有したくて、うずうずしてるんですよね。
これからも私が、歩く「匂いの十字架」となり、みなさんに告白と懺悔をしてもらいましょう。
いつでも遠慮なくいらしてくださいね。きっとスッキリしますよ。(^^)
↓写真は、ロッテルダムの行きつけカフェ Lof der Zoetheid のサンデー・ブランチについてきた、何気ないピクルス。生フェンネルとオールスパイスで漬けたもので、単なるキュウリが大人スパイシーな味に変身。こんなピクルスを漬けれる熟年女性になりたいもの。
投稿もほんとうにしばらくぶりになってしまいました。
私事なのですが、体調があまり優れないため、
しばらくこちらの方をお休みさせていただきます。
私のコラムを楽しみにしてくださっていた方々には、大変申し訳ありません。
オランダで煩っているアレルギーのため、
体力がどんどん落ちてしまい、
生活を根本的に見直さなければいけなくなっています。
来年頭あたりには、復帰する計画でいます。
ではまた!
上田麻希
こんにちは!
前回、「オランダ流バケーションの楽しみ方」という項で、「安く、長く休暇を楽しむ方法」をご紹介しましたが、私もこんどはキャンプという方法で実践することになりました。
先週オランダより息子が合流し、どこで何をしようか夏休みの計画を立てたところ、「キャンプ!」というリクエスト。急遽両親からテントを借りるなど、準備を進めております。石垣島でキャンプの予定です。
来週より、PCを使うどころか、携帯のチャージさえ難しい約2週間を送る事になります。ということで、こちらのコラムは8月上旬までお休みです!
これまでの石垣島での滞在で、「石垣島の匂い」を集めました。ぜひ楽しんでいただければ。↓
石垣島の香り(1) 月桃
http://witch-lab.blogspot.com/2011/06/1.html
石垣島の香り(2) 島とうふ
http://witch-lab.blogspot.com/2011/06/2.html
石垣島の香り(3) 道ばたの雑草
http://witch-lab.blogspot.com/2011/06/3.html
石垣島の香り(4) 禁断の花
http://witch-lab.blogspot.com/2011/06/4.html
石垣島の香り(5) 朝のヤシ林
http://witch-lab.blogspot.com/2011/06/5.html
石垣島の香り(6) 蘭
http://witch-lab.blogspot.com/2011/06/5_28.html
石垣島の香り(7) 台風の後の浜辺
http://witch-lab.blogspot.com/2011/06/7.html
石垣島の香り (8) 百合
http://witch-lab.blogspot.com/2011/06/8.html
ではみなさん、素敵な夏をお過ごしください。
なにか料理をしたかったら、その辺から燃えそうなものを集めてきて、火を起こすところから始める・・・
そんな「生活」をしている人たちが、ここ石垣島の米原キャンプ場にはたくさんいます。釜もその辺に落ちている珊瑚のかけらを組んで作ったもの。
ここで「生活」している彼らは、だいたい30代〜40代。男性がほとんどで、仕事を辞めて失業保険をもらいながらのんびり「生活」してる人もいます。赤ちゃん連れの女性は、埼玉から「放射能汚染から避難ついでに楽しむ」ために来ています。
「いつから来てるの?」と聞くと、
キャンプ場が開いた「4月の始めから」という答えがほとんど! ということは既に3ヶ月・・・。
で、「いつまでいるの?」と聞くと、
「いつだろうね」とか、「秋ごろかな」とか、「キャンプ場が冬に閉鎖になるまでかな」とか、
そんな答えばかり。
で、お互い楽しそうに、「おまえ社会人失格だよ」とか、「そんなんで社会復帰できんの?」とか、罵り合っている(笑)
確かに。競争社会的に見たら、いい歳してこんなところでのらりくらりとしてる人たちって、「落ちこぼれ」と見なされてもおかしくない。
でもヨーロッパ、とくにオランダには、そんな人がたくさんいます。というか、みんなバケーションのために生きているといっても過言ではありません。
バケーションには、たっぷり期間を取ります。そのための貯蓄も欠かしません。けど、飛行機でホテル滞在のツアーなんて選びません。「いかに安く長く楽しめるか」ということに知恵を使います。
安く長く楽しむためには、じぶんの足で動き、じぶんの宿(テント含む)を確保し、じぶんで料理して、「生活」しなければいけません。
家族が多ければ、キャンピングカーに投資したりします。「キャラバン」と呼ばれるモバイル・ホームを車の後ろに連結して走る車は、夏になるとよく見かけます。1ヶ月とか、そのくらいの期間をかけて、ゆったりとヨーロッパ縦断。アルプスを超え、イタリアやフランスなどの地中海の方まで行って帰って来るなんて、あたりまえなコースです。
カップルだったら、テントをかついで、自転車で旅に出たりします。やはり時間をかけて、平気でヨーロッパ縦断してしまいます。「自動車」じゃなくて、「自転車」です。その方がロマンとドラマがある、と考えるのです。
キャンプ生活ではなく、コテージを借りてゆったり滞在するという人もいて、週単位で借りられるコテージはオランダ中の森や海のいたるところにあります。
お金持ちだったら、フランスとかの過疎化した地域の空家を買っておきます。それを滞在中にリフォームしたりメンテしたりして、その別荘の価値を高めるように努力しています。いわゆる「バケーションを楽しみながら同時に投資」する方法です。DIYを超えて、家のリフォームを趣味とするオランダ人はかなり多いのです。
ときどき、1年間くらいカップルで(若い人も老夫婦も)旅行に出てしまう人たちもいます。もちろん普段セービングして、世界旅行みたいなものを企画するのです。企画を練ったり、いかに安上がりに生活するかに知恵を絞ったりと、準備の段階をこそ楽しんでいる様子です。
家族で1年旅行に出てしまうなんてのも聞いた事があります。子ども達は義務教育なので、ふつうは国に許してもらえません。しかし企画書みたいなものを両親が書いて提出し、内々に受理された(公的にはどんな理由があってもダメだと思うんで、その辺はどうしたんでしょうね・・・)、なんてことも聞いた事があります。その企画書の内容は確か、「子ども達のその年齢において、世界を見ておくのはその後の人生のためになる」とか、「学校の授業にすみやかに戻れるように親みずから教える」とか、そのようなものが書かれてあったと聞きました。
けど、普通のラインだと、たいていどこの会社も毎夏3週間のバケーションを社員に許可しているようです。ちょうどこの時期、7月初旬からぼちぼち始まり、8月中旬くらいまでの間、いつ休みを取るかは社員の自由です。
ここ米原キャンプ場で「生活」してるキャンパーは、かなりこの「オランダ型」に近い人たちばかりで、日本も変わりつつあるのだと思います。
今年は関東首都圏も「節電」を目的として、長期滞在型のバケーションを推奨する動きがあります。とても良いことだと思います。暑かったら、仕事だってはかどりません。それだったら、がっちり休んで、エネルギーを蓄え、冴えた頭と元気なカラダと余裕のあるココロで良い仕事をする方が、会社のためにもなります。
ということでみなさん、日本でも、「バケーションのために生きましょう!」
私の仕事領域である匂いのアートは、匂いを素材として「新たな体験を提供するアート」です。匂いは五感のなかでも最も直接的・本能的・感覚的な感覚です。それだけ、提供する体験も強く斬新なものとなるはず。
じつは匂いを素材として扱い始めたのは、出産して多忙になり、時間がないことへの焦りからでした。母となる前は「じぶんの時間100%」で生きていたようなもので、とくにフリーランスのアーティストである私は、好きなだけ仕事をしてました。そこに突然、制約ができた。集中して仕事できる時間が「細切れ30分が1日に3回」とか、そのくらいです。メールの返信していたら、それでオシマイ。
アーティストとしては駆け出しだったその頃。ようやく、ひとつのビッグ・プロジェクトを成功させたところだったのですが、出産してからは、なかなか発展して行かない。もちろん、仕事する時間が無かったからでもあるけど、意識が積極的に向いていかなかった。当然ながら、意識はすっかりカワイイ我が子に・・・。
そこで、「日常への意識」を高めることで、仕事していない時間も効率良く使えるように務めました。具体的に言えば、遊びの中で子どもを観察したり、発生学的なものを勉強してヒトの五感の発達を学んだり。あたかも自分も赤ちゃんのような「まったく世界を知らないまっさらな状態」であるかのように想定して、ビー玉を転がしてみては、「ア! 転がってる! どこに行くのカナ?!」と子どもと一緒に驚いてみたり。
こう冷静に書いてみると、ほんとヘンなお母さんですねえ・・・(^^) でもま、赤ちゃんのお母さんて多かれ少なかれ、そんなふうに赤ちゃんに同調するものですよね?
こんな生活の中で、あるきっかけがあって、コーヒー紅茶専門店での展示制作・展示の話が来ました。バジェットは3万円程度の、ローカル・地域振興を目的とした内輪的な展覧会でした。私は、その店に並んでいるものの「お品書き」を匂いで作る、という作品を作りました。つまり、「匂いでメニューを作った」のです。これが忘れもしない私の匂いの作品第1号となりました。確か子どもが1歳の時です。
私はその頃、主婦ほぼ100%。赤ちゃんと蜜月な、じぶんたちの世界な日々。赤ちゃんには日本語で話しかけていたため、スーパーで「あ、ここはオランダだったっけ」と気づくような、閉じ籠りの日々でした。そもそも外界との接点がないので、オランダ語を使う必要もない。そこで、このコーヒー紅茶専門店での作品制作・展示の話が来た時、思ったのです。「オランダ語のメニューって、読むの面倒だなあ・・・」そこで、「じゃあ匂いだけで本能的に好きなコーヒー・紅茶がわかるような、そんなメニューを作ってみようかな」となったわけです。
そう友人に話すと、その友人が蒸留法の手ほどきをくれました。「なんだ、これって普段の料理と似てる」とヒントを得てからは、この視線から料理本をくまなく漁っていき、インスピレーションを得るようになりました。今でも料理本、とくに古典、年代で言うと1950年以前のレシピ本をアンティークショップで漁るのが大好きです。その頃の調理法は、食材やお料理をいかに保存するかという観点から直感的・経験的に組まれています。化学(科学)の鍵がたくさん散りばめられているのです。
そのようなわけで、「あ、こんな体験をつくりたいな」とか、「これ、おもしろいな。もうちょっとリサーチしてみようかな。」というインスピレーションを得るのは、50%くらいは料理をしている時です。
家事は、面倒です。料理したらハイ終わりではない。食器や器具を毎回洗わないといけないし、家族が汚した服や部屋をいちいちキレイにする、その繰り返しです。でも、家事から見えるものがたくさんある。スーパーでの買い物からも、世の中が見える。禅の修行のようでもありますが、なるべくそういうふうに感覚・感性を磨き続けていこうと、日々試行錯誤しています。
今日のテーマは、「ヨーロッパと日本の、アートの意味の違い」について。とくにアートやデザインを目指す、若い方達に読んでいただければと思いながら書いています。
先日たまたまなのですが、テレビ番組で、「コミュニティ・デザイナー」山崎亮さんの活動を知りました。
過疎化の問題を「人と人の問題である」と捉え、人の関係を再構築することで解決へと結びつけようとする彼の試み。それを彼は「コミュニティ・デザイン」と呼んでいます。
人の関係をデザインする? なんじゃそりゃ?! そんなふうに思う方も多いのではないでしょうか。
デザインというと、素敵な器をデザインしたり、ウェブサイトをデザインしたり、公共空間的なものでは標識などをデザインしたり、というイメージが一般的なところかと思います。デザイン学校で習う「デザイン」もおおむねそういう類いのデザインです。
しかしこういった既存の「デザイン」では捉えきれない彼の活動は、おそらく、日本の若いアーティストやデザイナー、そして建築家たちに広く影響を与え、もっともっと受け入れられて行くでしょう。
それはなぜか。彼の活動自体が素晴らしいのはもちろんです。地方の問題は経済発展の落とし子であり、こうしたクリエーティブなアプローチが必要とされています。でも他の要因として言えるのは、日本にはヨーロッパでいうところのアートもデザインも存在していないから、こういった新しい種が受け入れられ易いという背景です。日本に存在しているアートもデザインも、ほとんどがヨーロッパからの「移植」であり、自生しているわけではないので、新種の花を排除するほど強くはないのです。
ヨーロッパのアートは(デザインも含め)歴史的に、市民がじぶんたちで革命を起こして、血まみれになって手に入れてきた「表現の自由」です。「アートは、金持ち(ブルジョワ)だけのものじゃないんだ!」と、それこそじぶんたちで土を耕し種を植えて、咲かせた花です。言い換えれば、「自由の証」であり、「生の証」でもある。いまパリの美術館にいけばモナリザを拝め、広場の中央には英雄の彫刻があるのは、その恩恵なのです。市民が、芸術を、みずからの手で獲得したのです。
フランスではその歴史的経緯から、政治がそれを保護し、市民に保証しています。ドイツでの保護者はギャラリー・ビジネス。オランダではというと、半分くらいは市民、残り半分は王室。現ベアトリクス女王様ご自身がアーティストなので、もし女王様が引退したら、オランダのアート・シーンは厳しくなるだろうという見方もあります。
ヨーロッパのアートシーンには、「アートこそが生き方そものもの」みたいな、そんな人たちがいっぱいいます。「これが俺の生き方である。俺のこの生き方、何が悪い」みたいな。何を作ってるか、そしてその質などは、二の次なんです。これほど傲慢というか、自信満々になれるのはやはり、保護してくれる人がいるからなのでしょう。
ヨーロッパにおいては、こういった土着の花々が強すぎて、新種の花は根を張るのが大変です。そもそも「新種の花、要りません」といった風潮がある。それほど、ヨーロッパのアートシーンは、良くも悪くも保守的です。メディア・アートといえば、日本の美大ではすでに完全に受け入れられている領域ですが、ヨーロッパではまだまだアナーキーな響きがあります。
私は学生時代、パブリックアート(公共空間におけるアート)に取り組んでいました。しかし、卒業してヨーロッパに渡って、「パブリック・アート」といっても、通じないことに気づきました。ヨーロッパにおいては、アートはそもそも、既にパブリックなものなのです。なぜわざわざそれを強調する必要があるの?ってなかんじです。そこで初めて市民革命のことに気づきました。(それでパブリック・アートから全く違う方向へ転換し、「匂いのアート」なんて始めてしまうことに。)
近代の日本には、明治の開国、そして戦後という、2回の海外からの影響の波がありました。アートもデザインもそのときに、海外から波に乗って辿りついたものです。必要があったから発展したわけではない。日本に必要なものとして古来より発展して来たのは工芸でした。そこには保護者もいましたが、新たにやってきたアートやデザインには、いまだ保護者がついていません。
話をコミュニティ・デザインに戻すと、これは日本の土壌の上に撒かれた立派な種と言えそうです。日本には日本に合う花があります。山崎亮さんを学科長として呼んだ京都造形大学は、それをよくわかっている数少ない美大で、私も折々お手伝いをさせていただきながら、その土壌を感じています。ぜひ若い方達に、その新しい風をどんどん感じて欲しいですし、私も今後の行方を見守っていきたいと思っています。
(冒頭写真は、オランダ・ロッテルダムのなにげない地下駐車場です。歩道や横歩道のデザインがカッコいいなと思って撮りました。)
アートの世界では、作家の息子が作家で・・・といった世襲は珍しくなく、
そんなサラブレッドを羨ましいと思うもの。
でも気づいてみるとじぶんにも、「血」とまではいかずとも、そういった環境的要因はあったようです。
今回はそんなじぶんのアーティストとしてのルーツを、ご紹介します。
ところで、いま東京にてこの記事を書いています。
オランダより5月中旬に帰国しています。
今年の花粉症のシーズンが始まってしまったため、
「まずは被曝を避けないと・・・」と慌ててオランダを出てきました。
(ホソムギという、日本にはあまり生えていない牧草へのアレルギーです。)
「放射能だらけの日本に避難?!」
と周りからは驚かれましたけどね。
長期炎症による合併症(蓄膿・喘息)が悪化してしまったので、
いろんなことを休憩して、じっくり療養をしたいと思っています。
ちょうど帰国日程を祖母の納骨に合わせることができたので、
北海道に行って来ました。
北海道は、両親の故郷です。
親戚はほとんど北海道におり、幼い頃よりよく遊びに行っていました。
私自身は首都圏で生まれ育っていますが、そんなわけで北海道は第2の故郷。
いまでも家の中では北海道弁、外では東京弁です。
父方の叔母は、オートクチュールのファッション・デザイナーです。
67歳の今でも、札幌の自宅にアトリエを構え、そこにはお弟子さんが集まってきます。
叔母は(まだ)結婚していないため、子どももおらず、昔からずっと娘のように可愛がってもらいました。
叔母のアトリエに行っては、輸入ものの高価な生地の切れ端をもらい、
よくオモチャ代わりにして、リカちゃん人形に羽織ったりして遊んだものです。
(いまも素材には頑固にこだわるところがありますが、そんな他愛無い幼児体験から来てるのでしょうか。。。)
アトリエは、パリとかミラノとかのヨーロッパの気高い香りに満ちあふれています。
叔母が昔よくつけていたのは、シャネルNo.5。石鹸もシャネル。
その石鹸の匂いに惹かれ、わざわざ必要も無いのに手を洗ってたりもしていました。
私の成長期において最も影響を受けた人なのかもしれません。
大学生になってじぶんのお金で初めて買った香水も、シャネルNo.5でした。
ここでJunkstage読者のみなさまへ、PRです。
札幌近辺の方であれば、お気軽に「じぶんだけの服」のオーダーメードを相談してみてください。
ここだけの話ですが、そのへんのブランドもの既製服よりもずっとお得だと思います。設定のお値段が30年くらい変わってないらしいので・・・
(噂によると、飛行機代を払っても東京より安いとかで、東京からもお客さんがいらっしゃいます。)
洋裁教室、そして「内面からキレイになるための」ヨガ教室もやっています。
アトリエ PEPE & 洋子
札幌市西区西野1-1-7-5
011-661-6754
話を戻しますと、この叔母のお兄さん(私の父方の叔父)もちょっと変わった方です。札幌の高校の音楽の先生であり、作曲家でもあります。
先生という堅い仕事の傍ら、残りの時間とお金は全て趣味にかける人で、
じぶんでバスを買っては改造し、移動型サウンド・スタジオにしてしまうのです。
いまのバスは3代目か4代目。
北海道をバスでぶらっと旅しながら、オホーツクのサウンド・スケープを録音し、シンセサイザーで作曲するのです。
私が結婚したのが、似たような領域のオランダ人作曲家だったというオチも、
そんな人を身近に育ったせいなのか、なんなのか。
この叔父の奥様もまた、北海道でも著名な画家の娘であり、ピアノの先生(現役)です。
お父上から受け継いだ彼女の豊かな感性は、歳をとっても色褪せることが無く、
また彼女の兄弟にも音楽家が多く、
とにかくこの家の話を聞くたびにいつも「素敵だなあ」と思いながら育った記憶があります。
バスの写真は、数年前の祖父の7回忌のときのもの。法事の後みんなで、余市の海にバスで出かけました。帰って来たらBBQパーティーが続きます。
まだまだいます。アートなファミリー。
直接影響を受けたわけではありませんが、
母のイトコ達が現役ミュージシャンで、
ザ・キッパーズというバンドを兄弟でやっていて、札幌で活動し始めてからもうすぐ50年!
http://ja.wikipedia.org/wiki/ザ・キッパーズ
この前はじめて、ライブに行ってきました。
さすが、昔は渡辺プロにも属していたというだけのことはあります。
しかも、日曜以外の毎晩ライブを、約50年も続けているんです!
「俺っていったいいつ定年退職するんだろう」
なんてゲラゲラ笑う67歳です。
北海道へお越しの際は、ぜひ THE KIPPERS のバーへ。
めちゃめちゃかっこいいオジサン達のライブにより、元気が出ます。
THE KIPPERS
札幌市中央区南5条西3丁目 ニューススキノビル2F
011-512-7887
ライブは毎晩、20:30, 21:30, 22:30, 23:30 の4回
日曜休
補足しますと、父と母はアートからは縁遠い、いたって普通の人です。
私のこういう「イバラの道」的な生き方を、内心ハラハラ思っているかもしれません。
けれどもけっきょく黙認してくれているのは、
北海道の懐深い大自然と、
そこにルーツを持つ父母の人間的な感覚と感性と、
素敵なファミリーのおかげなのかもしれませんね。
行きつけのレストランBRANCO。
家のほぼ目の前にあることから、
3年前のオープン当初からよく食べに行っては、お客さんとして支援してきましたが、
「有名レストラン」になってからは、値段はオープン当初の2倍以上に。
かつてほどは頻繁に行けないながらも、
ご近所の馴染みということで、昨日の誕生日のディナーは特別にここにしました。
ここのお料理スタイルは、「できるだけオランダの食材を使った創作フレンチ」
前菜。オランダ産のミニ海老( Hollandse garnalen) のタルト。
根セロリ(Knolselderij) の角切りとマヨネーズで和え、プリンのような型で形を整え、
上に乾パンのバター揚げ(orソテー?)を乗せています。
まわりのソースは、おそらく醤油系+黒胡麻。
サクッ、グニョ、コリコリの多様な食感が混ざる一品。
息子の頼んだメインディッシュ。ベジタリアン・プレート。
これがまた、「ジャガイモづくし」なんです!
上に乗っているのはポテトチップス。(サクッ)
下に敷いてあるのは、ジャガイモのワッフル!(フカフカ)
両端には、マッシュポテトを素揚げしたもの。(カリカリ)
そして、ポテトをピュレーしてバターと混ぜたソースも。(トロトロ)
この異なる食感の演出だけでも感動なのに、
見逃せないのは、グリーン・アスパラや pastinaakなど、オランダ野菜をふんだんに使っていること。
アスパラはまさに今、旬です。
とくにホワイトアスパラは、最上級品(AA)でもキロ5ユーロくらい。
痛みやすいので、どこの八百屋も大セール中です。
こちらは、私が頼んだ魚系メインディッシュ。
ヒラメ、カニ、ホワイト・アスパラ、そしてオランダ風ソース(バターとマヨネーズの、アスパラ専用のソース)
たぶん上のベジタリアン・プレートの倍の値段だと思いますし、
美味しかったのですが、
シェフの遊び心が読み取れるという点で、軍杯はベジタリアン・プレートに上がりますね。
デザート。
上の段から、バニラアイス、しっとりマフィン、そしてホワイト・チョコレートのムース。
ホワイトチョコレートはふだん堅いですが、こうやってムースにすると、また違う物になります。
味覚の80%は嗅覚といわれます。
味覚(舌)が担当するのは塩味・苦味・酸味・甘味・旨味そして食感のみで、
あとの残りはじつは、鼻が担当しています。
たとえばオレンジのスライスを舌にそっと載せてみてください。
舌はその味を、「甘くて酸っぱい」とは読み取れますが、「オレンジ」とは読み取れないはずです。
オレンジの香りが喉の奥を伝って鼻の奥に上昇し、それが鼻によって「オレンジ」と読み取られるのです。
そのため、「嗅覚のためのアート」を専門とする私にとっては、
味覚も大切な親戚。
毎日3度の食事を用意したり食べたり、そしてお茶・コーヒー・ジュースなどを飲むときなど、
常に感覚を研ぎすませ、分析したりアレンジしてみたりして、「仕事」しています。
毎日24時間とは言い過ぎかもしれませんが、
基本的には寝ているとき以外は仕事しているようなもので、
ワーカホリックなんてもんじゃありませんね・・・。
今週はアートのお話はちょっと置いておいて、オランダの話題をひとつ。
商業と貿易の国・オランダ基礎は、こんなところで鍛えられるのですね。