「おいしくて雰囲気のいい焼鳥屋あるって話どこでしたっけ?」 (瀬波麻人)
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たとえばこの歌を受けとれる人、
というか自分にとってはかなり意味のある
思いの入った歌なんだけど
体験とか背景を共有しているわけでも
この歌はこういうことがあってですねー
みたいな説明もいっさいない状態で
ぽーんとこの一首をほうりだした時に
(いつも短歌はそのようにして読まれる
ものと理解している)
そういう思いとかっていうのを受けとれる人、
受けとってくれる人ってどのくらいいるのだろうか、
ってときどき思う。
あー、こうやって書きはじめちゃったけど
この話ちゃんと伝わるようにうまく書けるのかなぁ。
自分でいまいちふあん。
なんていうか。
原稿用紙100枚書いていいですよ
って言われたからっていってべつに自分の言いたいこととか
思いとかってたくさん書けば書くほど正確に伝えられるわけじゃ
ないじゃないですか。
書いても書いても書ききれないし、
ああそうだ、ちょうどラブレターみたいなもので
長く書けば書くほど
あふれてくる思いに自分自身が溺れそうになるのだけれど
書けば書くほどどんどん率直な気持ちみたいなところから
離れていっているような気がしたり書きすぎちゃったことで
逆にほんとうに伝えたかった思いが伝わりにくくなってしまったり
ってことあるじゃないですか。
そんなことを思うんだよなぁ。
短歌は31文字だから言いたいことなんかぜんぶ言えないし
説明不足とかちょっとよくわからないなぁとか伝わりきらない
ところがあるのってある意味あたりまえといえばあたりまえだし
短い詩形の言語表現においてそういう「まあしゃあないか感」と
いうのはおそらく考えるまでもない「前提」の部分として一定、
共通認識が共有されているのではないかと思う。
だからぼくは短歌をするんだろうなぁ、
短歌という方法によって他の方法では成し得ない何か
自分にとってとても大切なことをなんとか表現しようと
しているんだろうなぁと思う。
言葉を尽くしても尽くしても伝わらないことなんてあたりまえだから。
涙がでるくらい必死に言葉を尽くして10分の1も伝わらなかったり
ぜんぜん違う意味で受けとられて気持ちがすれ違ったまま
うまくいかなくなってかなしくなったり打ちひしがれたり後悔を
ひきずっていたりする。みんなにとって言葉はきっとそういうものだから
だからきっとはじめから「誤読」を発信側・受信側の双方が暗黙の前提
としている短歌の世界はぼくにとってとてもやさしい。
ああ、まちがったってぇいいんですねえ。
誰も怒ったりかなしんだりなんかしないんですよねえ。
いやまあするかもしれないけどでも「31文字(しかない)」
ということと「定型(のなかでの表現だから)」ということが
一定の誤読やすれ違いをゆるしあえる条件、土壌になっているような気がする。
誤解があってもそれは仕方のないことだし
がっかりすることはあるかもしれないけどしょうがないよね。
っていう誤読が前提として許容しあえているフィールドの共有。
考えてみればこれってべつに短歌とか短詩とかいうことに
限らず日常のコミュニケーション自体がそうなんだけどね、ほんとは。
でもなまじ「制限」がない分みんな「伝えられるはずだ」とか「伝わるはず」
「分かってもらえるはず」「分かってもらえないのは伝え方がわるいから」
「分かってもらえないのは相手がわるいから」「分かってくれないなんて分からず屋!」
とか思ってしまうのはね、そうやってどんどんすれ違っていってしまって自分を責めたり
人を責めたりするのはね、たぶんとても不毛なことだと思うんですよ。
伝わらないんだよ言葉は。
人と人とは分かりあえないんだよ。
そんなことはあたりまえなんだよ。
だからそのことを嘆くな。
いや嘆いてもいいけどいつまでもそこで立ち止まったまま
泣いていてはいけない。嘆いている暇があったらそれでもどうしても
伝えたい大切な思いを伝えるための努力と勇気を奮い立たせろ。
それしかないんだ。それしかないんだよ。がんばろう!がんばろう。
人と人とはわかりあえない。言葉は思いを(すべてただしくは)伝えられない。
その前提を共有しつつそのうえでなおそのことにあまえずよりかからず
伝えることをあきらめないなにかごにょごにょとしたつぶやきのようなものが
ぼくの歌なのかもしれないなと今書いているうちに思いました。
最初にあげた歌は「約束」についての歌です。
約束については自分にとってとても重要なキーワードであるようなので
またいずれ書きますが今回はここまでにしておきます。
御清聴いただきありがとうございました。
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身の内に叶えられない約束をいくつ抱えて生きていくのか (瀬波麻人)
すべての言葉は影響を与える。
人に対して自分に対して
場に対して世界のありように対して
発せられた言葉はすべて何らかの
影響を及ぼす。
言葉は必ずそのような力を発揮する。
岡野玲子『陰陽師』(原作:夢枕獏)において
「言葉はすべて呪だよ」という主人公安部清明
の台詞によってそのことが表されていたと記憶している。
「呪」はここでは「しゅ」と読む。
「のろい」という意味ではなく、
いや勿論「のろい」という意味も内包するのではあるが
もっと広い概念で
言葉が自分自身や世界に「影響を与える」「影響を及ぼす」という
「のろい」「まじない」「呪縛」「願望」「祈り」等々の影響力とを発揮する
場面やそういう影響力の行使、強く蔓延した磁場というような意味で
とっていいだろう。
さよう。言葉が発せられた瞬間から
話者本人のありように影響を与え
心の中の状態に変化を及ぼし
意志や未来、身体の状態や健康や
成長のありかたにまで
場合によっては強い影響が残るものなのだ。
それは世界のありようをも確実に変える。
人間が一日を過ごす間に
誰かと対話するためではなく
自分のなかでの思考というかたちで
頭をよぎる言葉が大体6万語とも8万語とも
聞いたことがある。
その8~9割が過去のことだという。
もしもその多くが悔恨や恨み憎しみ後悔、
自己否定、恥ずかしい、情けない、悔しい、
腹立たしいというような否定的な感覚であったとしたら
どうであろうか。
いつも頭の中に
あるいは後頭部かそのもうちょい上、後ろあたりに
口うるさいちっちゃい人がいて
一日中自分の悪口を言い続けているようなイメージである。
日に6万回も。
朝から晩まで一日中自分のすぐそばをずっと離れずに、だ。
そんなことに、人間がとても耐えられるはずがない。
言葉はすべて「呪」であり、
それはやはり得てして「のろい」として作用しやすいものなのだ。
だから、だからこそ逆に
ぼくたちには言葉があるのだ。言葉が必要なのだ。
長い長い時間をかけて身の内に巣食い
思考や行動を支配しようとし
自由な好奇心や感動や感情の発露を妨げようとする
呪いを打ち破るための強い言葉が必要なのだ。
どんなに怒ってもどんなに泣いても
冷静じゃいられなくって
時にかなしみに支配される日があったとしても
どんなことがあったとしても
どんな気持ちになったとしても
すこしも変わらずずっとそばにいるよ、と。
いつもいつもは
調子のいいときばかりじゃいられないから
調子のよくない日もあるけど、落ち込んじゃって
笑顔でいられないような日が続くことだってあるだろうけど
それでも変わらずそばにいる。
そばにいて、すこしも変わらずずっと愛しているよ、と。
誰が誰に言ってあげられるのか。
まずは自分しかいないんだと思うんですよ。
自分の頭の中の思考や言語が
いつもいつも自分を責め続けているような状態では
他のどんなすばらしい言葉も受け入れられないから
だからね、ちゃんと自分のことだいじにしてあげようね。
うれしい気持ちもかなしい気持ちも
さびしい気持ちもわくわくする気持ちも
声を出したくなる気持ちも
誰とも会いたくないときの気持ちも
誰かと無性に話がしたいときの気持ちも
ほしいと思う気持ちも
何かを拒絶したい気持ちも
ぜんぶぜんぶだいじにしてあげようね。
そうやって自分のこと
ちょっとずつちょっとずつ
なかよしになっていけるよ。
土曜日にくまのぬいぐるみをかった。
この子はぼくだ。2歳くらいの、
あるいは3歳だったり
0歳のうまれたての赤ちゃんだったりも
するかもしれないけどなにもおそれず
なにもはずかしくなんかない世界が
すべてワンダーに満ちていてそれを
たのしむことをじゃまするような自分の
なかのなにものもない。
そんなくまちゃん。
・ 誰ひとり私を呼んだことのない名前でぼくがあなたを呼ぼう (瀬波麻人)
解呪の魔法が必要なのだ。
日々新たに書き加えられようとする
のろいの言葉をはねつけ
自分らしさを守るために
そしてそうすることによって
人にもまたすこしやさしくなれるように
ぼくにもあなたにも
のろいを解き続けるための言葉が必要なのだ。
だからぼくはたぶんこれからもずっと歌を詠むよ。
くまちゃんの名前は今はまだひみつ。
あれあれあれあれー
正月明けから痛々しくて読んでると
死にたくなると定評のある漫画
久保ミツロウ『モテキ』第4.5巻
を読んでたら逆に元気が出てきたぞー
的あけましておめでとうございます。
いやいやいやいや
なんにもないないなんにもないよ。
そうこう書いているあいだにちょうど
こわくてとてもあけられそうにないメールが
着信アリだったりどうだったりと
2011年も何かと波乱含みの幕開けです。
えー、とりあえずですね。
モチ食ったわけですよ餅。
いやまあ雑煮なんですけどね。
お正月ということで。
そしたら今まで食べたことのないような
新発想新機軸の妻の人オリジナル雑煮で
かなり度肝を抜かれたわけですがこれが
ひっじょーにうまいっ!
まいうー、っちゅうやつですね。
自分、今38歳ですけど
まだまだ体験したことのないこととか
知らない感情とかいっぱいあって
生きてるといろんなことがあるんだなぁ
ってあらためて思いました。
いろいろと多方面にわたって
だめな感じの大人で申し訳ありませんが
全般的に言って敵意はなく
意外と無害な感じかもしれませんので
今年もどうぞよろしくお願いします。
というわけで2011年初詠。
・ 骨付きのチキンを入れた雑煮食うまた新しい新年であり (瀬波麻人)
生きてりゃいろんなことがあるって。泣くな俺。(え?)
まああれだ。ひとことで言うと
俺ってやつぁいつまでたってもばかだねえ。
そうつくづく思うとかえってすっきりと
視界がクリアになってきたような気がする
仕事はじめの1月4日です。
だらだら書きだすと
いつまでも終わらない話になるので今日はこのへんで。ばいばい。
※ 2枚とも撮影は妻の人
6時半頃、年内最後のごみ捨てにでると
空気がとてもつめたくて弦月はまだ空高く
すぐそばに星が明るく光っていた。
朝焼けが空一面に広がっていてとてもきれいだった。
ごみ袋にたまっていた雨水が凍りついていて
ああ年末だなぁと思った。
朝の空気。大晦日の朝。
自然といろいろなことを振り返るモードに
考えるともなく今年あったいろいろのことが
思い出されてくる。
5月に今の住まいに引越ししてきてから
ようやく、やっと大量のダンボールが片付いてきた。
今年はたくさんのことがあった。
夏、いや秋くらいまでのぼくは毎日とても疲れていた。
6月くらいだったか、期間にしたら3、4日のことだったと思うが
ある時期ぼくの口癖は少しのあいだとはいえ確かに
「どうでもいい」になりかけていた。
いろんなことがどうでもよくなっていた。
やさしくしたい人にやさしくすることさえ
できない状態になりかけていた。
もうなにもかもがつかれきっていて
ああこの感覚は知らない感覚ではない、
10年ぶりくらいの本格的な燃え尽きの
直前の危機的状況にあるのだと自覚していた。
前の時は仕事がものすごく忙しくて毎日
電気の消えたひとりぼっちのオフィスで
終電近くまで終わらない書類に埋もれて
途方にくれながら仕事をしていた時期だ。
半年のあいだに3度の追突事故を起こした。
あの時死んでいてもまったく不思議ではなかったなぁ
と思い出すたびにたいした感慨もなくしかしつくづくと思う。
今年は大きな決断をした年であった。
2年前事情があって
神戸のワンルームマンションを借りて
西宮との二重生活をはじめていたが
時を経てようやくこのままずっと
神戸で生活していくことを決め
35年ローンで購入していた
西宮のマンションを売却した。
(ローンはちゃんと払えてたんだよ!
決して無計画な購入でも
無理なやりくりでもなかったので
ここんとこはしっかり強調しておこうw)
まあでもあれだよね。
「不動産売買」とかってとっても大人な感じだよね。
いつのまにそんな大人になった!みたいに
冷静に考えると自分でなんか笑っちゃうよね。
まあ結婚して15年か。思えばいろいろなことがあった。
妻のことはずっと愛しているしずっと大切にしてきた。
しかしそれでも長く生活しているうちにはいろいろな
アクシデントや不測の事態というようなことが起こる。
そのすべてに適正に対処し常に妻にとってのたった
ひとりのそして一生の伴侶としての立場を義務ではなく
自分自身のミッション(生きてきた使命くらいの意味か)
として自覚してすべてのことをそのフォーカスに即して
判断し取捨選択を行ってきた。多くのものを切り捨ててきた。
「妻のためになにかをがまんしている」とか
「犠牲になっている」という感覚は一切なく、
そういう感覚をもたないように自分自身精一杯のバランスをとりつつ、
自分のしたいことやたのしみもあわせて大事にするようにはしてきた。
我ながら一生懸命であったし我ながらなんとかうまくやってきたと思う。
しかし夏ごろのぼくはほんとうにもう疲れきっていた。
仕事のほうでも去年以上に責任ある立場となり
その中での軋轢や折衝があった。
家でも職場でも自分しかいないという感覚のなかで
それでも自分のもてるすべての能力をフルに発揮して
すべての選択すべての決断においてベストないしは
自分に可能な範囲においてはベストに近いといえる行動を
行ってこれてきたと自負している。
しかしぼくはとてもつかれていた。
夏ごろからいくつかの重要な出会いがあり
励まし支えられつつはじめて何年かぶりに
ほっと力をぬくことができた。
そして家のこと仕事のこと
さまざまの準備と調整をおこなったうえで妻はようやく
必要な休息をとることができるようになり、
妻の今は今までの40年近い人生において
おそらくはもっとも心おだやかで自信に満ち
安心した時間をすごすことができるようになっている。
妻は今とてもいい笑顔で笑う。毎日をよくたのしんでいる。
よかった。ほんとうによかった。
今年のぼくの憔悴の理由はおそらく
長年のゴールがようやく見えてきたことでの
ほっとした瞬間に一気におそってくるような
数年分の疲弊や積もり積もった無理というものが
力が抜けた瞬間一気に表面にでてきたというのが
真相だろう。まあ正直かなりの危機だった。
しかしそれも脱することができ
ぼく自身もとてもおだやかな気持ちで年末を迎えることができている。
大変だったそしてとても重要だったぼくの
そしてそれは同時に「ぼくたち」の2010年を支えてくれた人がいる。
励ましてくれた人、見守ってくれた人、
笑いかけてくれた人や泣いてくれた人、
眠る時に歌を歌ってくれた人や
いっしょにお月様を見上げてくれた人がいて
泣くことをゆるしてくれた人がいました。
そして最後にやさしく叱ってくれた人がいる。
まあなんだかあらためて振り返ってみるといろんな人に感謝したい
ほんとうにたいせつな1年だったなぁと思います。
おかげでとてもいい1年でした。
おかげでとても充足した気持ちで年の瀬最後の時間をすごしています。
ああ、なんかこんな感じでいいのかな。
もっと書きたいことはいろいろあったような気もするのですが
これ以上こまごましたことを書いてもあまり意味がないような
気がしてきました。ぼくはもう今これからにしか興味がありません。
ことさらに「もう」という言葉もおそらく使う必要がなくなってくると思います。
そんな気がしています。とにかくみなさんに心から感謝しています。
今年出逢ってくれたすべての人たちにありがとうをおくります。
来年はここをスタートラインとした新たな一歩、新しい生活のスタートを
今この新しい暮らしのなかでひとつひとつだいじに日常を行っていきます。
料理をしたり、本を読んだり、運動をしたり、
短歌や詩を読んだり、歌を詠んだり
それからいっしょに散歩をしたりします。
そんなふうにおだやかであたりまえの日常をたいせつに
ほっぺたで風を感じて
夜になったら星を見上げて
夕焼けに感動したり虫とか鳥の声に耳を傾けたり
裸足で土のうえ、草のうえを歩いたりしたいと思います。
正月はどこにも行かずにふたりで平和にすごします。
みなさんからいただいた
たくさんのやさいい言葉といくつかの約束を胸に
今、ここ、をスタートラインとしてふつうにふつうにやっていけば
きっと毎日たのしくやっていけると思います。
だれかとくらべてのふつうではなくて心のままに感じるままに
やっていこうと思います。
ありがとうございました。感謝しています。
感謝をこめて今年最後の歌をみなさんにおくります。
あたらしく歩きはじめる自分のための歌でもあり、
妻のための歌でも、そしてやっぱりこの歌を受けとってくれた
ひとりひとりのみなさんのための歌にもなるといいなと思います。
あたたかなあなたの腕にくるまれてもう歩き出す準備ができた(瀬波麻人)
ありがとうございました。
みなさんのご健康とご多幸を心よりお祈りして
2010年最後のごあいさつとさせていただきます。
クリスマスが終わると
今年もあと残すところ1週間となり
俄然年末ムードが高まってくる。
いやがおうにも自然と1年のことを
振り返ったりもする。
今年はたくさんのうれしいことがあったが
そのなかでもほんのちょっとしたことのようで
とてもうれしかったたいせつなことが
ごく最近あったので書き記しておきたい。
とてもたいせつなことなのだ。
妻は時々こわい夢をみる。
こわい夢をみて何ごとか必死で叫んでは涙を流す。
眠りながらたたかっている。
眠りながら時に責められ、また自分を責めている。
夜中何度も彼女を抱きよせては
くちづけをして髪をなでながら寝かしつける
眠ってもこわくないよとこわい夢をみても
目の前にぼくがいるここがあなたの現実だよ
と言いきかせながらふたりでふたたび眠りにおちる。
そんなことをもう何年も繰り返してきた。
最近はじめてのうれしい変化があった。
朝起きるべき時間に起きた妻が
「いやな夢をみたけど
夢の中でちゃんと言い返せたから
だいじょうぶだった。よかった!」
と誇らしげなくもりのない笑顔で
ぼくに報告してくれた。
とてもうれしかった。
ああここまできたか。
やっとここまでこれたんだなあと
ぼく自身も誇らしげなくもりのない気持ちで
妻を称えてくちづけをした。
以下は『未来』12月号に寄稿した
妻について書いたコラムです。
今のぼくの地点として
ぼくたちがともに歩んできた今の到達点を
しっかりと記憶しておくために上記エピソードとともに
ここに書き記しておきたい。
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・
・
死なない覚悟
孤独に生きる覚悟というものは既に、
俺は妻よりも長生きしなくてはならない
と決意したそのときに心の底からとことん引き受けている。
それは死なない覚悟といってもいいだろう。
日に三箱吸っていた煙草
(Echoというオレンジ色のパッケージの安い煙草だった)
は妻の三十歳の誕生日のお祝いのためにきっぱりとやめた。
その時の俺が彼女に与えられる最高のものをあげようと思った。
妻より長生きしようと思った。
それがぼくから妻に与えてあげられる最高のプレゼントだと思った。
それからもうじき九年になる。
長生きをするということは
俺にとってやはりかわらず「使命」ともいうべきものであり、
今回の生においてもっとも重要な、
唯一無二のミッションであるとも思っている。
そのためにぼくは
人間にとって不可避な死の運命と
日々一日の生活を通じて
ずっとたたかい続けようと
人ひとり分のありったけをもって決意している。
死なないという決意がある限りぼくは死なない。
死なないということは看取るという覚悟でもある。
看取るということはその後の生をひとりで生きるということでもある。
そのために今回のぼくの生はあるのだと思っている。
・お前より先に死なぬと決めて後どの一秒も器に満ちる (瀬波麻人)
こんにちは。瀬波です。
前回のコラムで最近参加した歌会の話をさせてもらい
「歌の読み」について、
つまり短歌はどのように読まれ受けとられるのか
ということについて
・中指はかき回す指ひとりでも生きていけると思ってたのに (瀬波麻人)
という自作の歌に歌会で受けた評をもとにお話しをします、
と、次回への持ち越しにしていました。
つまり今回がそうなのですが、
ちょうど手もとに届いた歌誌『未来』の12月号に
8月に東京で行われた短歌結社「未来」の夏の大会に
参加したときのぼくの書いた歌会レポートが載っていて
べつの歌についてではあるのだけど短歌がどのように
受けとられるのかということや、短歌詠みとしてぼくが
どのようなことを考え、どのような作歌態度であるのか
ということを端的に書き示した文書であるので、当該の
レポートのうち自分の歌について書いたところのみ抜粋して
今回のコラム「短歌はどう読まれるのか」ということを
考えていくひとつの題材としたい。
前回からの歌については
また次回以降に持ち越しということで
予告とはちがう展開になってしまうので
申し訳ないんだけどなにとぞご了承ください。
またね。いろいろ書くよ。
更新滞りがちでごめんね。
書きたいことはいっぱいあるのに
なんかね、
一日一日を生きてくだけで
つまりは、何もしないでいるだけで精一杯なんだ。
ごめんね。
・
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・
以下、『未来』2010年12月号 P76の歌会記から一部抜粋。
五時間にわたる熱気あふれる歌会の中から
特に印象深かった歌と選者の先生方による評を
ピックアップして大会印象記とするとともに
自分自身の今後の作歌のうえでの
大いなる参考とさせていただきたい
(以下敬称略&逐語録ではないため適宜要約)。
《中略。歌誌ではここに5人の方の歌とその評を記している。》
・待合いのダウンライトに照らされる指輪 私は誰かのものか(瀬波麻人)
大辻(隆弘さん)
「ちょっと分からなかった。どういう待合いか。
男と女の物語という色っぽい感じはするが
『横浜たそがれ』みたいな(歌謡曲的)イメージでもある。
指輪が転がっているのだろうが
それが男女どちらの指輪なのだろうか。
そのあたりもはっきり分からず
このままでは『男女の物語があるな』
ということだけの印象にとどまる」
大島(史洋さん)
「ちょっとお話しっぽいしね、
饒舌だからといってよく読者に伝わるとは限らない。
いかにももの思わせぶりな指輪。
下句はこれはないよ。もう少しきれいにやらないと。」
「歌謡曲的」という評をしばしば受ける。
伝えるということ、表すということ、
秘するということ、言いすぎないということ、
饒舌であるのにぼんやりとしたイメージしか伝わらない、
それはある意味
自分の歌の現時点での「個性」である
とは考えているのではあるが、
今回の大会参加及び歌会記を手がかりに
これから時間をかけて考えていきたい。
ありがとうございました!
昨日は歌会に行ってきました。
あ、歌会というのは短歌の人たちが集まって
それぞれ自分の歌を持ち寄ってね、
で、おたがいに提出された歌(のことを詠草というんだけど)
について、その歌のいいなって思うこととか
うーん、ちょっと自分にはしっくりこないなってことかを
おたがい忌憚なく語らう集まりのことです。
いやまあだいたいそんな感じ。
ぼくはもともとネットで勝手にひとりで短歌を詠みはじめて
ブログとかmixiにできた歌を特に誰に見てもらうというのでもなく
わりと淡々とアップするところからはじまっているのですが
まあそのあとラジオとか雑誌に投稿したり、
ネット上の文字でのやりとりによるインターネット歌会に参加したりして
それで、いろいろやってみてそれはそれでじゅうぶん楽しかったんだけど
最終的に短歌の結社に入ったのは、現実の歌会に参加してみたかった
ということがあるんですよね。
べつに結社に入ってなくても参加できる歌会もあるんだろうけど
そもそもそういう情報自体がどうやって入ってくるのかもわからない
身近に短歌やっている人がいるとかそういうつながりも
まったくないところからのスタートだったので
「やってる人たち」の集まりに入ってみるのがいいだろうと思ったのね。
わりと単純な動機ー。
その中で「未来」を選んだ理由は、ぼくの好きな歌人さんである
加藤治郎さんがいらっしゃって選者として直接歌会等でもお会いして
短歌のお話をうかがったり、
自分の歌についての批評をきかせてもらえるという
とても貴重な得難い機会が得られるという
楽しみに胸がわくわく躍るような場があったからです。
加藤治郎さんは今はぼくの先生ということになり
毎月短歌10首を加藤先生のところに原稿用紙に書いて送って
その歌を加藤先生が読まれて短歌結社「未来」の月刊の歌誌
『未来』に載せるに足る歌だと判断された歌を「選」して
それで送った歌が3か月後の歌誌に
10首ぜんぶ載ることもあるし
9首とか8首とか、もしかしたら7首のときもあったかもだけど
そのあたりの選については基準もお考えも選者さんによって
違うみたいですが、とにかくそういうふうに選者や歌誌というのは
「未来」の場合成り立っていて、
「未来」には選者さんが12名いらっしゃいます。
去年の7月に「未来」に入ってすぐにはじめて
加藤先生率いる「(「未来」の中の)彗星集」の歌会に参加させてもらって
それからわりとあっちこっちの、「未来」にも
「未来」以外の歌会にもあちこち参加させてもらっています。
昨日の歌会は未来の選者大島史洋さんを中心に集まった
四葉歌会 と新淀川歌会の第二回合同歌会ということで
去年に引き続き 二度目の合同開催となる大きな集まりでした。
1人1首の歌を事前に提出し当日は作者名をふせた状態で
全員に詠草一覧のレジュメが配られます。
全部で33人から33首の歌が提出されていました。
中には選者大島さんご自身も他の出詠者と同様に
作者名をあかさずに歌を出してらっしゃいました。
13:00から17:00まで4時間かけて
33人で33首もの歌を読み、
感想や解釈、批評をくわえていくという大規模歌会でした。
歌会は「褒め合う」ことを目的とした馴れ合いの場ではありません。
他の人の歌を読むということは
自分自身の作歌態度を問われることでもあり
また、真剣に他人の歌と向き合うことで
自分自身にとっても場に参加するすべての人にとっても
有意義な学びとなります。
特に、大島さんの簡潔にして鋭く
歯に衣を着せてかえってわかりにくくなる
というようなことのないずばりとした「辛口」の
批評は「未来」の誰もが認め、慕っているところであると思います。
その大島歌会はじまりはじまりー。
えっと。ほんとはですね、
この続きを今回のコラムの本題にしたかったのですが
またしても前置きだけで長くなっちゃったので今回は
ぼくがこの歌会に提出した歌をここにお示ししておいて
次回の更新でその歌についてどういう評を受けたかと
ぼく自身の短歌に対する考えやなぜ歌を詠んでいるのか
というような今回の歌会参加を通して感じたこと、
考えたことを記したいと思っています。
そういう意味では、今回提出するこの一首は
ある意味みなさんへの 宿題、ということになるのかもしれません。
読まれた方、おひとりおひとりの胸の中で
どのような歌か、各々の解釈、各々の感じ方で
自由に受けとってもらえれば幸いです。
次回の更新はそれほど間をあけないようにしたいと思います。
このコラムを通して一首の歌とその受けとり方について語らいましょう。
・中指はかき回す指ひとりでも生きていけると思ってたのに (瀬波麻人)