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こんにちは。瀬波です。
前回のコラムで最近参加した歌会の話をさせてもらい
「歌の読み」について、
つまり短歌はどのように読まれ受けとられるのか
ということについて
・中指はかき回す指ひとりでも生きていけると思ってたのに (瀬波麻人)
という自作の歌に歌会で受けた評をもとにお話しをします、
と、次回への持ち越しにしていました。
つまり今回がそうなのですが、
ちょうど手もとに届いた歌誌『未来』の12月号に
8月に東京で行われた短歌結社「未来」の夏の大会に
参加したときのぼくの書いた歌会レポートが載っていて
べつの歌についてではあるのだけど短歌がどのように
受けとられるのかということや、短歌詠みとしてぼくが
どのようなことを考え、どのような作歌態度であるのか
ということを端的に書き示した文書であるので、当該の
レポートのうち自分の歌について書いたところのみ抜粋して
今回のコラム「短歌はどう読まれるのか」ということを
考えていくひとつの題材としたい。
前回からの歌については
また次回以降に持ち越しということで
予告とはちがう展開になってしまうので
申し訳ないんだけどなにとぞご了承ください。
またね。いろいろ書くよ。
更新滞りがちでごめんね。
書きたいことはいっぱいあるのに
なんかね、
一日一日を生きてくだけで
つまりは、何もしないでいるだけで精一杯なんだ。
ごめんね。
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以下、『未来』2010年12月号 P76の歌会記から一部抜粋。
五時間にわたる熱気あふれる歌会の中から
特に印象深かった歌と選者の先生方による評を
ピックアップして大会印象記とするとともに
自分自身の今後の作歌のうえでの
大いなる参考とさせていただきたい
(以下敬称略&逐語録ではないため適宜要約)。
《中略。歌誌ではここに5人の方の歌とその評を記している。》
・待合いのダウンライトに照らされる指輪 私は誰かのものか(瀬波麻人)
大辻(隆弘さん)
「ちょっと分からなかった。どういう待合いか。
男と女の物語という色っぽい感じはするが
『横浜たそがれ』みたいな(歌謡曲的)イメージでもある。
指輪が転がっているのだろうが
それが男女どちらの指輪なのだろうか。
そのあたりもはっきり分からず
このままでは『男女の物語があるな』
ということだけの印象にとどまる」
大島(史洋さん)
「ちょっとお話しっぽいしね、
饒舌だからといってよく読者に伝わるとは限らない。
いかにももの思わせぶりな指輪。
下句はこれはないよ。もう少しきれいにやらないと。」
「歌謡曲的」という評をしばしば受ける。
伝えるということ、表すということ、
秘するということ、言いすぎないということ、
饒舌であるのにぼんやりとしたイメージしか伝わらない、
それはある意味
自分の歌の現時点での「個性」である
とは考えているのではあるが、
今回の大会参加及び歌会記を手がかりに
これから時間をかけて考えていきたい。
ありがとうございました!