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2011/01/10

すべての言葉は影響を与える。
人に対して自分に対して
場に対して世界のありように対して
発せられた言葉はすべて何らかの
影響を及ぼす。
 
言葉は必ずそのような力を発揮する。
 
岡野玲子『陰陽師』(原作:夢枕獏)において
「言葉はすべて呪だよ」という主人公安部清明
の台詞によってそのことが表されていたと記憶している。
 
「呪」はここでは「しゅ」と読む。
「のろい」という意味ではなく、
いや勿論「のろい」という意味も内包するのではあるが
もっと広い概念で
言葉が自分自身や世界に「影響を与える」「影響を及ぼす」という
「のろい」「まじない」「呪縛」「願望」「祈り」等々の影響力とを発揮する
場面やそういう影響力の行使、強く蔓延した磁場というような意味で
とっていいだろう。
 
さよう。言葉が発せられた瞬間から
話者本人のありように影響を与え
心の中の状態に変化を及ぼし
意志や未来、身体の状態や健康や
成長のありかたにまで
場合によっては強い影響が残るものなのだ。
 
それは世界のありようをも確実に変える。
 
人間が一日を過ごす間に
誰かと対話するためではなく
自分のなかでの思考というかたちで
頭をよぎる言葉が大体6万語とも8万語とも
聞いたことがある。
 
その8~9割が過去のことだという。
 
 
もしもその多くが悔恨や恨み憎しみ後悔、
自己否定、恥ずかしい、情けない、悔しい、
腹立たしいというような否定的な感覚であったとしたら
どうであろうか。
 
いつも頭の中に
あるいは後頭部かそのもうちょい上、後ろあたりに
口うるさいちっちゃい人がいて
一日中自分の悪口を言い続けているようなイメージである。
 
日に6万回も。
朝から晩まで一日中自分のすぐそばをずっと離れずに、だ。
 
 
そんなことに、人間がとても耐えられるはずがない。
 
 
言葉はすべて「呪」であり、
それはやはり得てして「のろい」として作用しやすいものなのだ。
 
だから、だからこそ逆に
ぼくたちには言葉があるのだ。言葉が必要なのだ。
長い長い時間をかけて身の内に巣食い
思考や行動を支配しようとし
自由な好奇心や感動や感情の発露を妨げようとする
呪いを打ち破るための強い言葉が必要なのだ。
 
どんなに怒ってもどんなに泣いても
冷静じゃいられなくって
時にかなしみに支配される日があったとしても
どんなことがあったとしても
どんな気持ちになったとしても
すこしも変わらずずっとそばにいるよ、と。
 
いつもいつもは
調子のいいときばかりじゃいられないから
調子のよくない日もあるけど、落ち込んじゃって
笑顔でいられないような日が続くことだってあるだろうけど
それでも変わらずそばにいる。
そばにいて、すこしも変わらずずっと愛しているよ、と。
 
誰が誰に言ってあげられるのか。

まずは自分しかいないんだと思うんですよ。
  
自分の頭の中の思考や言語が
いつもいつも自分を責め続けているような状態では
他のどんなすばらしい言葉も受け入れられないから
だからね、ちゃんと自分のことだいじにしてあげようね。
 
うれしい気持ちもかなしい気持ちも
さびしい気持ちもわくわくする気持ちも
声を出したくなる気持ちも
誰とも会いたくないときの気持ちも
誰かと無性に話がしたいときの気持ちも
ほしいと思う気持ちも
何かを拒絶したい気持ちも
ぜんぶぜんぶだいじにしてあげようね。
そうやって自分のこと
ちょっとずつちょっとずつ
なかよしになっていけるよ。
 
 
土曜日にくまのぬいぐるみをかった。
この子はぼくだ。2歳くらいの、
あるいは3歳だったり
0歳のうまれたての赤ちゃんだったりも
するかもしれないけどなにもおそれず
なにもはずかしくなんかない世界が
すべてワンダーに満ちていてそれを
たのしむことをじゃまするような自分の
なかのなにものもない。
そんなくまちゃん。
  
 
・ 誰ひとり私を呼んだことのない名前でぼくがあなたを呼ぼう (瀬波麻人)
  
 
解呪の魔法が必要なのだ。
日々新たに書き加えられようとする
のろいの言葉をはねつけ
自分らしさを守るために
そしてそうすることによって
人にもまたすこしやさしくなれるように
ぼくにもあなたにも
のろいを解き続けるための言葉が必要なのだ。
 
だからぼくはたぶんこれからもずっと歌を詠むよ。
 
 
20110108.jpg
 
くまちゃんの名前は今はまだひみつ。

2011/01/10 10:17 | senami | No Comments