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2010/12/31

6時半頃、年内最後のごみ捨てにでると
空気がとてもつめたくて弦月はまだ空高く
すぐそばに星が明るく光っていた。
 
朝焼けが空一面に広がっていてとてもきれいだった。
 
ごみ袋にたまっていた雨水が凍りついていて
ああ年末だなぁと思った。
 
朝の空気。大晦日の朝。
自然といろいろなことを振り返るモードに
考えるともなく今年あったいろいろのことが
思い出されてくる。
 
5月に今の住まいに引越ししてきてから
ようやく、やっと大量のダンボールが片付いてきた。
 
今年はたくさんのことがあった。
 
夏、いや秋くらいまでのぼくは毎日とても疲れていた。
6月くらいだったか、期間にしたら3、4日のことだったと思うが
ある時期ぼくの口癖は少しのあいだとはいえ確かに
「どうでもいい」になりかけていた。
 
いろんなことがどうでもよくなっていた。
やさしくしたい人にやさしくすることさえ
できない状態になりかけていた。
もうなにもかもがつかれきっていて
ああこの感覚は知らない感覚ではない、
10年ぶりくらいの本格的な燃え尽きの
直前の危機的状況にあるのだと自覚していた。
 
前の時は仕事がものすごく忙しくて毎日
電気の消えたひとりぼっちのオフィスで
終電近くまで終わらない書類に埋もれて
途方にくれながら仕事をしていた時期だ。
 
半年のあいだに3度の追突事故を起こした。
あの時死んでいてもまったく不思議ではなかったなぁ
と思い出すたびにたいした感慨もなくしかしつくづくと思う。
 
今年は大きな決断をした年であった。
2年前事情があって
神戸のワンルームマンションを借りて
西宮との二重生活をはじめていたが
時を経てようやくこのままずっと
神戸で生活していくことを決め
35年ローンで購入していた
西宮のマンションを売却した。
(ローンはちゃんと払えてたんだよ!
決して無計画な購入でも
無理なやりくりでもなかったので
ここんとこはしっかり強調しておこうw)
 
まあでもあれだよね。
「不動産売買」とかってとっても大人な感じだよね。
いつのまにそんな大人になった!みたいに
冷静に考えると自分でなんか笑っちゃうよね。
 
まあ結婚して15年か。思えばいろいろなことがあった。
 
妻のことはずっと愛しているしずっと大切にしてきた。
 
しかしそれでも長く生活しているうちにはいろいろな
アクシデントや不測の事態というようなことが起こる。
そのすべてに適正に対処し常に妻にとってのたった
ひとりのそして一生の伴侶としての立場を義務ではなく
自分自身のミッション(生きてきた使命くらいの意味か)
として自覚してすべてのことをそのフォーカスに即して
判断し取捨選択を行ってきた。多くのものを切り捨ててきた。
 
「妻のためになにかをがまんしている」とか
「犠牲になっている」という感覚は一切なく、
そういう感覚をもたないように自分自身精一杯のバランスをとりつつ、
自分のしたいことやたのしみもあわせて大事にするようにはしてきた。
 
我ながら一生懸命であったし我ながらなんとかうまくやってきたと思う。
 
しかし夏ごろのぼくはほんとうにもう疲れきっていた。
仕事のほうでも去年以上に責任ある立場となり
その中での軋轢や折衝があった。
家でも職場でも自分しかいないという感覚のなかで
それでも自分のもてるすべての能力をフルに発揮して
すべての選択すべての決断においてベストないしは
自分に可能な範囲においてはベストに近いといえる行動を
行ってこれてきたと自負している。
しかしぼくはとてもつかれていた。
 
夏ごろからいくつかの重要な出会いがあり
励まし支えられつつはじめて何年かぶりに
ほっと力をぬくことができた。
そして家のこと仕事のこと
さまざまの準備と調整をおこなったうえで妻はようやく
必要な休息をとることができるようになり、
妻の今は今までの40年近い人生において
おそらくはもっとも心おだやかで自信に満ち
安心した時間をすごすことができるようになっている。
妻は今とてもいい笑顔で笑う。毎日をよくたのしんでいる。
よかった。ほんとうによかった。
 
今年のぼくの憔悴の理由はおそらく
長年のゴールがようやく見えてきたことでの
ほっとした瞬間に一気におそってくるような
数年分の疲弊や積もり積もった無理というものが
力が抜けた瞬間一気に表面にでてきたというのが
真相だろう。まあ正直かなりの危機だった。
 
しかしそれも脱することができ
ぼく自身もとてもおだやかな気持ちで年末を迎えることができている。
 
大変だったそしてとても重要だったぼくの
そしてそれは同時に「ぼくたち」の2010年を支えてくれた人がいる。
励ましてくれた人、見守ってくれた人、
笑いかけてくれた人や泣いてくれた人、
眠る時に歌を歌ってくれた人や
いっしょにお月様を見上げてくれた人がいて
泣くことをゆるしてくれた人がいました。
そして最後にやさしく叱ってくれた人がいる。
 
まあなんだかあらためて振り返ってみるといろんな人に感謝したい
ほんとうにたいせつな1年だったなぁと思います。
おかげでとてもいい1年でした。
おかげでとても充足した気持ちで年の瀬最後の時間をすごしています。
 
ああ、なんかこんな感じでいいのかな。
もっと書きたいことはいろいろあったような気もするのですが
これ以上こまごましたことを書いてもあまり意味がないような
気がしてきました。ぼくはもう今これからにしか興味がありません。
ことさらに「もう」という言葉もおそらく使う必要がなくなってくると思います。
そんな気がしています。とにかくみなさんに心から感謝しています。
今年出逢ってくれたすべての人たちにありがとうをおくります。
 
来年はここをスタートラインとした新たな一歩、新しい生活のスタートを
今この新しい暮らしのなかでひとつひとつだいじに日常を行っていきます。
料理をしたり、本を読んだり、運動をしたり、
短歌や詩を読んだり、歌を詠んだり
それからいっしょに散歩をしたりします。
そんなふうにおだやかであたりまえの日常をたいせつに
ほっぺたで風を感じて
夜になったら星を見上げて
夕焼けに感動したり虫とか鳥の声に耳を傾けたり
裸足で土のうえ、草のうえを歩いたりしたいと思います。
 
正月はどこにも行かずにふたりで平和にすごします。
 
みなさんからいただいた
たくさんのやさいい言葉といくつかの約束を胸に
今、ここ、をスタートラインとしてふつうにふつうにやっていけば
きっと毎日たのしくやっていけると思います。
だれかとくらべてのふつうではなくて心のままに感じるままに
やっていこうと思います。
 
ありがとうございました。感謝しています。
 
感謝をこめて今年最後の歌をみなさんにおくります。
あたらしく歩きはじめる自分のための歌でもあり、
妻のための歌でも、そしてやっぱりこの歌を受けとってくれた
ひとりひとりのみなさんのための歌にもなるといいなと思います。
 
 
あたたかなあなたの腕にくるまれてもう歩き出す準備ができた(瀬波麻人)
 
 
ありがとうございました。
みなさんのご健康とご多幸を心よりお祈りして
2010年最後のごあいさつとさせていただきます。

2010/12/31 10:22 | senami | No Comments