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クリスマスが終わると
今年もあと残すところ1週間となり
俄然年末ムードが高まってくる。
いやがおうにも自然と1年のことを
振り返ったりもする。
今年はたくさんのうれしいことがあったが
そのなかでもほんのちょっとしたことのようで
とてもうれしかったたいせつなことが
ごく最近あったので書き記しておきたい。
とてもたいせつなことなのだ。
妻は時々こわい夢をみる。
こわい夢をみて何ごとか必死で叫んでは涙を流す。
眠りながらたたかっている。
眠りながら時に責められ、また自分を責めている。
夜中何度も彼女を抱きよせては
くちづけをして髪をなでながら寝かしつける
眠ってもこわくないよとこわい夢をみても
目の前にぼくがいるここがあなたの現実だよ
と言いきかせながらふたりでふたたび眠りにおちる。
そんなことをもう何年も繰り返してきた。
最近はじめてのうれしい変化があった。
朝起きるべき時間に起きた妻が
「いやな夢をみたけど
夢の中でちゃんと言い返せたから
だいじょうぶだった。よかった!」
と誇らしげなくもりのない笑顔で
ぼくに報告してくれた。
とてもうれしかった。
ああここまできたか。
やっとここまでこれたんだなあと
ぼく自身も誇らしげなくもりのない気持ちで
妻を称えてくちづけをした。
以下は『未来』12月号に寄稿した
妻について書いたコラムです。
今のぼくの地点として
ぼくたちがともに歩んできた今の到達点を
しっかりと記憶しておくために上記エピソードとともに
ここに書き記しておきたい。
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死なない覚悟
孤独に生きる覚悟というものは既に、
俺は妻よりも長生きしなくてはならない
と決意したそのときに心の底からとことん引き受けている。
それは死なない覚悟といってもいいだろう。
日に三箱吸っていた煙草
(Echoというオレンジ色のパッケージの安い煙草だった)
は妻の三十歳の誕生日のお祝いのためにきっぱりとやめた。
その時の俺が彼女に与えられる最高のものをあげようと思った。
妻より長生きしようと思った。
それがぼくから妻に与えてあげられる最高のプレゼントだと思った。
それからもうじき九年になる。
長生きをするということは
俺にとってやはりかわらず「使命」ともいうべきものであり、
今回の生においてもっとも重要な、
唯一無二のミッションであるとも思っている。
そのためにぼくは
人間にとって不可避な死の運命と
日々一日の生活を通じて
ずっとたたかい続けようと
人ひとり分のありったけをもって決意している。
死なないという決意がある限りぼくは死なない。
死なないということは看取るという覚悟でもある。
看取るということはその後の生をひとりで生きるということでもある。
そのために今回のぼくの生はあるのだと思っている。
・お前より先に死なぬと決めて後どの一秒も器に満ちる (瀬波麻人)