飛行機に乗るとみんな必ず
聞いているはずの説明が
あってそれはたとえば
非常時の救命胴衣の着用や
そのふくらませかた、また
天井からバサッと垂れ落ちて
きた酸素マスクの使用方法とか。
あとは着水したときにすべり台
みたいなので脱出する
図説スライドとかもありますね。
ほいでその中でたぶん
毎回ちゃんと説明されているはずなんだけど、
子どもとかお年寄りとか
自分ではライフジャケットを着用できず
酸素マスクも使用できない人が同乗して
いる場合に最初に誰にジャケットを着せて
最初に誰に酸素マスクを着用するのか
という問題があります。
非常時に子どもと大人と
誰にまず最初に酸素マスクをつけるのか。
・
・
・
これに関しては大原則ともいえる
はっきりとした「正解」があり
おそらくは
航空会社のマニュアルでも
安全確保のための順番は
世界的に共通していると思われます。
みなさんも飛行機に乗るたびに
そういう説明を受けているはずです。
まずいちばんはじめに
ライフジャケットを着用させるべき人間は自分です。
酸素マスクを口にあてる相手というのもまずは
いちばんはじめに自分でなくてはなりません。
自分が倒れてしまっては子どもの安全確保はできません。
ほんとうの緊急場面において
自分の安全や生命を自分だけでは守ることができない人が
命にかかわるような重要なサポートを受けなければならない
場面においてそのサポートしてくれる人にまず
ちゃんと自分自身の安全を確保してもらっていなければ
安心して自分の安全をゆだねることなどできません。
人を支援する人はまず何よりもはじめに自分自身をきちんと
ケアしていなければ、自分が危険なだけではなく共倒れという
リスクとともに助けるべき当の相手の身をも危険にさらします。
だから「セルフケア」ということはほんとに大切なことで
そこを疎かにしている人、頭では理解しておりその重要性を
口にしていても実際には自分自身をそのように扱っていない人は
非常に危険です。
自分のことをだいじにできない人が他人にかかわること、特に
他の人の心や命、身体や安全にかかわるようなサポートを行うことは
本人にとってはもちろんのこと
当の助けるべき相手をも危険にさらすことになります。
このことをぼくはつよい自戒や反省をこめてそう思います。
明日から仕事で仙台に行きます。
避難所をまわって被災された人たちの話をうかがい
ひとりひとりが必要とされている福祉的ニーズと
役所や行政の制度や現状の中で機能している
さまざまな福祉サービスとをつなぐ仕事をしてきます。
避難所運営のお手伝いもすることになるかもしれません。
ぼくが行くのは
津波で甚大な物的人的被害を受けた
沿岸部の地区で、2か月経った今もたくさんの
人が不自由な避難所生活を続けています。
地震後、
いつかくるかもしれないこのような機会にそなえて
いざというときがくればすぐに動けるようにと
自分の生活スタイルを見直し
夜はしっかりと寝てたくさん食べて笑って身体を動かして
普段なるべくおだやかな時間を過ごすように心がけて
自分なりにこの日のための準備をしていました。
災害時に起こりやすい身体的心理的な反応や状態、
支援のありかたについてなど
阪神大震災等における災害時における
活動の研究にも目をとおすようにしてきました。
行ってみないとわからないことや
現地に行ったら行ったで
やはり受ける衝撃の大きさであるとか
自分自身の受け止め方とかも
今とはまたぜんぜんん違ってくるとも思います。
とはいえ自分に今できる準備はできています。
心身の状態もいいです。
いってきます。
行って自分にできることをしてきます。
現場で多くのことを見て聴いて話して感じ、
帰ってきてまた自分にできることを考えていきます。
・
・
・
私とは生命線の交わらぬこいびとの手をなぞるぬくもり
お別れの儀式のようなドトールでまだあたたかいハニーカフェオレ
もう会わない人の名前を口ずさむ今でもまじないみたいに響く
しみこんでゆくもの今宵私は水しか口に含みたくない
分からないことばかりです冬に咲く花の名前を教えてほしい
そうずっと泣いていたのね今はもうあなたの空にも同じ夕焼け
雨上がり ああかつてよく知っていたいっぱい泣いた後の夕焼け
何番目だってよかった そんなことあなたが口にする時までは
初めてで最後の夜になるだろう僕らあさまでゆうやけをみた
私たち、少し笑った。笑うたび夏が近づくことを感じた
先日、私の所属する
短歌結社「未来」の
彗星集神戸歌会にて
笹井宏之の第二歌集であり
第一歌集『ひとさらい』以後の
作品を集めた遺稿集となる
『てんとろり』の合同歌評を
おこなったので、その時私が
作成したレジュメをここにアップ
しておきます。
一般の書店やAmazonなどでも
取扱いのある歌集であり
ふだん短歌にあまり親しみのない方たちにも
読んでいただけるのではないかという思いと、
「結社とか歌会とかってなんかようわからへんけど
いったいどんなことやってるんやろう」という短歌に
ちょっとなじみのある方たちへの、
えーまあこんな感じですわーという感じと、
なにより、笹井宏之の短歌に多くの人にふれて
もらう機会となればという思いでいます。
実際に歌集評としてまとめるのならば
歌会当日の場で彗星集の選者加藤治郎先生や
参加者のみなさま方から発言のあったさまざまな
意見や歌の読み方、受けとり方ということを踏まえて
もう一段深部に入っていけるのではないかと
思ってもいるのですが、まずはここでは
リアルタイムの生々しさと即時性を重視して
歌会当日のレジュメをそのままアップいたします。
笹井さんの歌を読まれたかた
各々の胸のなかでなにか感受し
深まってゆく一助となればとてもうれしく思います。
・
・
・
ほんらいのすがたでないとくるしい
~ 笹井宏之歌集『てんとろり』を読む
2011.04.23 未来彗星集 神戸歌会
瀬波麻人
切らないでおいたたくあんくるしそう ほんらいのすがたじゃないものね (P90)
ほんらいのすがたでないとくるしいのだと
この歌を読んだ時に今さらながら気づいた。
私が、私たちが苦しいのは本来の姿で生きられない、
本来の姿で生きていないからではないか、と。
しかし、と続けて思う。本来の姿で生きるとはどういうことだろうかと。
「切らないでおいたたくあん」をくるしそうだという。
ほんらいのすがたじゃないからだという。
それでは「切ったたくあん」がほんらいのすがたなのだろうか。
一見するとそのような論理構造に見えるが、いやしかしほんとに?
元々でいえばふつうにそのへんに生えててもいいような植物を
食用に適したように品種を改良し、
畑を耕し、精魂込めた人の手が入り、引き抜かれ、
そこからさらに人の手によって漬け込まれて、そしてたくあんになる。
大根に多くは鮮やかな色(黄色)がつき食用に供されるため
食べやすいように一口サイズに薄くスライスされる。
その切られた姿が「ほんらいのすがた」なのだろうか。
切ったたくあんは、
つまりは「切られたたくあん」は「ほんらいのすがた」なのだろうか。
そうであればくるしくないのだろうか。
「切ったたくあん=切られたたくあん」を見て、
笹井はやはり「くるしそうだ」と思うのではないか、と思う。
笹井宏之の身体表現性障害について私は
「心の痛みを身体の痛みとしても受けとってしまう障害」であると
彼の病状についてはおおむねそのように理解している。
そして笹井は言う。
「自分以外のすべてのものが、
ぼくの意識とは関係なく、毒であるような状態です。」と。
切らないでおいたたくあんはかなしい。とてもくるしそうだ。
それはほんらいのすがたではない。
そして切ったたくあんもまたきっとかなしいのだ。
くるしそうでやはりそれもほんらいのすがたではないのだ。
くるしくないはずがないのだ。
切らないでおいたたくあんをくるしそうだと感じる者にとって、
切ったたくあんならばくるしくなさそうだと感じるということを
私はほとんど想像できない。
切らないでおいたたくあんも
切ったたくあんも切られたたくあんもきっとくるしい。
どのような私もくるしいのと
それはきっと同じようなことなのだろう、と思う。
私たちは、私は、笹井は、くるしくなく生きられないのだろうか。
笹井宏之は何を見ていたのだろうか。
彼にとってのほんらいのすがたとはどういうものであったのだろうか。
第二歌集であり遺稿集となった『てんとろり』におさめられている
他の歌にもあたりつつそのことを考えていきたい。
感覚のおこりとともにゆびさきが葉でも花でもないのに気づく(P82)
つぎつぎと炭酸水をやめていくコーラの群れにねむる水牛(P18)
折鶴の羽をはさみで切り落とす 私にひそむ雨の領域(P49)
あるいは鳥になりたいのかもしれなくて夜をはためくテーブルクロス(P53)
おくびょうな私を一羽飼っているから大声は出さないように(P74)
液状の鳥がプールに満たされていて夜ごとに一羽ずつ減る(P76)
つばさではないと言われたことがある 羽ばたくようにしてみせたのに(P80)
折鶴をひらいたあとにおとずれる優しい牛のようなゆうぐれ(P97)
水鳥をうみつづけてもしあわせになれないことを知っていて、産む(P134)
いたむひざむきだしにして泣いているどなたの子供でもない子供(P65)
遊具からおちる子どもを見ています 夕焼けがたいへんきれいです(P42)
鳥と牛、子どもと植物。おだやかで自由でおおらかで、
誰も、何も傷つけないようなものたちがきっと
笹井ほんらいのすがたであるのかもしれない。
しかし彼は気づいてしまう。
ゆびさきが葉でも花でもないことにあっさりとむごく気づく。
傷つく身体であることを。
傷つける身体を持っておりそこから自由になれないことを。
心がくるしいから気づく。身体が痛むから気づく。
なによりもまず自分自身が自分を傷つける存在であることを。
そして誰を傷つけずに生きることもできないということを。
誰も見ていないのだ。おちてゆく子どものことなど誰も。
そのことに私たちはもうきっとみんな気がついている。
生きることはむずかしい。
ひとりになってあとから思い出すのはいつも、
しなければよかったと思うようなことばかりだ。
しかしだからといってずっと自分の中にひきこもり
何もせず誰ともかかわらずにいるわけにもいかず、
仮に自室にひきこもっていたからといって
何も傷つかずにいられるほどおおらかではいられず、
誰も傷つけずにいられるほどおだやかでもない。
ほんらいのすがたでないからくるしい。
そして誰も自らのほんらいのすがたを知らない。
どうであればくるしくなくいられるのかを誰も知らない。
そしてぼくたちはおちていく子どもを見ている。
たいへんにきれいな夕焼けに目を奪われつつ
しかしおちていく子どもをも見ずにはいられないのだやはり。
そのことはたいへんな矛盾であるのかもしれないが
同時に私たちにとってなにかしらの
「接点」となりうることなのではないかと希望的に思った。
制約の多い生の中でほんらいのすがたでいられるように、
自分にとっての「できること」や「生きよう」について
考えるきっかけとなるのではないかと、
多くのかなしみの中に希望や未来へと向けた一歩を踏み出そうとする
そのきざしを感じさせてくれる、『てんとろり』はそのような歌集であると思う。
笹井宏之第二歌集『てんとろり』Amazonでの購入はこちらへ
おはようございますこんにちは。
39歳になりました。瀬波です。
38歳はとても特別な年でした。
とてもすばらしいとてもすてきな
とてもまぶしい年でした。
ずっとあとになって振り返った時
ああ俺の人生にもこういう瞬間があったのだ
と思えるようなうれしいことありがたいことが
たくさんあった1年でした。
ありがとう。
39歳になった今あらためて
何らかのかたちで
この1年かかわりをもってくれた人たちに
言葉を交わしたみなさんに
胸いっぱいのthank youをささげます。
まぶしすぎて今はまだ
上手に思い出にできないこともあるけど
でもやっぱりありがとう。
・
・
・
やさしくしてくれてありがとう つめたくしてくれてありがと おかげさまです
(2011.04.22 瀬波麻人)
……でもできたらやっぱりやさしくされたいです(´・ω・`)
そんな愛されおっさんを目指して30代最後の1年がはじまります。
自分自身が度量や余裕のある人になれるよう日々がんばります。
自分の余裕のなさでいっぱいにならず
もっと人の気持ちを大事に思いやれるようになりたいです。
いろいろなことがあって今なら少しそうなっていけそうな気がしています。
どうぞ今年もよろしくお願いします。
昨日見た夢の話をしようと思う。
心細い夢だった。
ぼくはまだ少年で
古くてとてもぼろぼろの板張り間に
ひとりで住んでいた。
布団もなにもない板の間に
ひとりで体ををまるめて眠るしかなく
ぼろぼろでひとりでとても心細くて、
こんなのは夢だ、こんなのは違う
今は違うのだと夢の中のぼくは叫び出しそうに
なりながら外に出て、ひと呼吸してから
もういちどドアを開けた。
先ほどと同じ風景がくらく狭く目の前に広がっており
ぼくはああそうかこれが現実だったのかと思い知り、
そしてその瞬間ほんとうに目がさめてちゃんと
ほんとの現実の自分の部屋で眠っていたことを知る。
何も変わらず何も失っておらず隣には妻が健やかに眠っていた。
今年いろいろなことがあった。
この1年はぼくが短歌をはじめて3年目の1年であり
ぼくの38歳の1年であった。
4月にはじめたこのコラムは今日でほぼ1年となり
ぼくは来月39歳になる。
当初からの予定通り今回をいったんの最終回とする。
ここに書いたコラムをあらためて読み返すと
あまりの必死さにいやいや自分どんなけ必死やねん
と自分でほとんど笑いだしそうになるわけだが
事実としてこの1年ぼくはあまりに必死で
あまりにずっとぎりぎりだったと率直にそう思う。
1週間前ぼくは言葉を消そうと思った。
内面を覗き込むとぼくは
たびたびひどくうろたえてしまう。
好きも嫌いも自分自身の強い感情が
すべて自分をおびやかすかのようで
そして人をも傷つけおびやかすのではないかと
ぼくはひどくおびえた。
この1年ぼくは強い酒をあおるように強い言葉を欲し
強い感情を求めては泥酔しひどく取り乱しては
しばしば自分を見失いそうになっていた。
ぼくは自分が愛情飢餓のモンスターのようだと思った。
食べても食べても満足できないセサミストリートの
青いクッキーモンスターのようなたとえばそんなそのようなもの。
トイストーリー3のたとえばそんなむらさきのクマ。
いろいろなことがやっぱりもうぜんぶだめだと思いそうになっていた。
日曜日にぼくはうまれてはじめて詩というものを書いた。
詩や短歌を書いてらっしゃる水川史生さんとともに
その場のリアルタイムの言葉のインプロヴィゼーションのやりとりとして
順番に一行ずつお互いの言葉に影響を受け、与え合いながら
一時間かけて交代交代にふたりで三十行の詩を書いた。
タイトルは最後に水川さんが。
詩の良しあしはぼくには分からないがそのような価値はどうであれ
おそらくはぼくにとって新たな再生の一歩になったであろう詩をここに記す。
給水塔が春を終えて、透明に朝が揺れる
流れ出したひかりは決して潔白と言えるものではなく
てのひらに淡く触れ(視線のその先で、)
春は、あわれみはスパークを起こす。
綴じ込んだいくつかの焦点を模して
頁をただめくり続けていることしかできない
彼の世界に言葉は溢れ、
給水塔から少し空に近く
目を細める程の眩しさに覆われている。
ああ、ああ、そうか。せかいはこれほどのやさしさに満ち(いやいやそれはどれほどの)
かなしくあわれに歌われて(声の上に成り立つだろうか)
そうしてわたしはまた閉じていこうとしているのだろうか
終わる春とともに
始まる前に終わりの決められている春とともに
こぼれ落ちるわたしの、破片を抱いて
抱きしめれば容易にそれは人を傷つけるそれらを
体温が、溶かすように。
まだわたしの中に残る幾許かを
すべて世界へ埋めるように。
あたらしい朝をひらく
行き過ぎた風が髪をさらい
この髪の長さにも慣れたことに気づく
白く確かな輪郭で
私のありようを紛れずに照射する。
指先をのばす 給水塔から
どこに紛れ込むこともできず
映される意識をそのままに
手のひらは空をつかむ
鐘の音の鳴る、透明な朝
落ちろ、飛べ。 開け
「照射される朝にて」
水川史生 瀬波麻人 2011.03.27
紛れ込むことなどできないのだと
ふたたびぼくは思った。
今年抱きしめてくれた人ありがとう。
頭をなでてくれた人ありがとう。
手をひとときつないでくれた人、
言葉を交わしてくれたすべての人たちありがとう。
おかげで今生きています。
ぼくがいようがいまいが
歌を詠んでいようが詠んでいまいが
世界はきっとそのありようをかえないけれどでも
清くもなく、正しくもなく、答えを持っている人でもなく、
ただここに私は私のままでいたとそのことだけは胸を張って言えます。
胸を張って言うようなことであるかどうかは分からないけどただとにかく
人生においてただ一度きりしかない2010年を、38歳のこの1年をとにかく
自分なりにせいいっぱい生きたと言えるいい年でした。
みっともないようなこともたくさんありましたが
交わした言葉にひとつの嘘もなかった。
それでもぼくは時折ひどく取り乱しており
いつも誠実ではいられなかったぼくもまたやはりネット上に
はっきりと残っていて1秒ごとに自分のたった今発した言葉に
さいなまれるような気になったりも(今も)するのだけれど
それでもやはりこうやって言葉に傷ついたり傷つけたり
でもやっぱり癒されたり支えられたりしながら
ぼくたちはまたやっていくしかないのだろうと思う。
伝えたいこと、言い尽くせないことはたくさんたくさんあるのだけれど
とにもかくにも今生きていることをもって全ての感謝とさせてもらいます。
ほんとうにありがとうございました。
ぼくは心がとてもよわかった。
だから時折ぼくは何度も自分勝手に乱れた。
よわくてとてもよわすぎて誰もたよりにできず
この数年、仕事において
ほぼ完璧に感情的コントロールをおこなってきて
職場においても家庭においても
もっとも頼りにされ必要とされ、
その期待にもっともこたえ続けてきた1年で
あったように思います。(あくまで主観的には!)
しかし同時に、あまりにもきちんと感情を抑制しコントロールしようと
しすぎていて段々自分が見えなくなっていたのだと思います。
ひとたび頼っていいのだと思うと
あまりにも感情的に相手によっかかりすぎて
大切にしたいと思った関係を大切にできず
自分からむちゃくちゃにしてしまうようなことが
今まで何度もありました。
このままではどうやらこの先ほんとにちゃんとやっていけそうにない、と
いろいろな人との関わりの中で今年はっきり気がつきました。
現実のなかで少しずつ感情をちゃんと出す場をもつようにしようと思いました。
深呼吸してあらためて見渡してみればちゃんと息のできるような広い野原と
適正な距離のなかでならば頼ったりあまえたりしても
簡単にはこわれないような関係を
ちゃんとこれまでに築いてこれていたのだと気がつきました。
やっとほんとにちゃんと気持ちをゆるめて一息ついてもいいのだと
むしろそうすることによって
人と人とのつながりの中において自分も人も大切にすることができるのだと
そう思いました。
ぼくは長くつきあっていける人間関係を築いていきたいです。
そのためには自分がもっとつよくやさしく
度量のある人間にならなければならないと
そうありたいと思いました。
だからちゃんと頼る。人にあまえたりたよったりまかせることを過剰におそれず
心をひらいてやっていきたいと思います。
ここをスタートにしてまたぼちぼちと歩いていこうと思います。
たくさんの人からいただいたたくさんのやさしさを胸にしまっています。
だからぼくは大丈夫だと思います。つよくなれると思います。
ぼくはやさしくてつよい人になろうと思います。
ほいでもって1年後には40になるので
なんていうかこう、
かっこいいおっさんになろうと思います。
いろいろなことがあってとてもいびつで不完全な私ではありますが
それでもなお人としてこれからもつきあっていってくれるという方が
いらっしゃればそのような関係をできるだけ長く大切にしていけるよう
ぼくはあせらず着実に、立ち止まったり深呼吸したりしながら
にこにこ笑いながらかわっていきたい、成長していきたいと思います。
歩いていきます。ありがとう。
・
・
・
瀬波麻人 連作十首 「旅立ちの歌」
いただいた言葉に見合う私となりたいのです。 旅に出ますね
くちびるも手も指先も冷えていて誰もおびやかしたくはないのだ
変わらないものがほしいと泣くくせに変わっていくのはいつも自分だ
今度こそ朝が来たのかあと何度夢から醒める夢を見るのだ
この春を越えて行くのがつらいから麻の着物をひとつください
好き嫌い嫉妬妄想妻妥協「女」のつく字がみなおそろしい
ねえ髪を撫でてよ冷めた終バスの窓に額をつけて呟く
初めてで最後の夜になるだろう僕らあさまでゆうやけをみた
名付し難い関係ばかりが増えていく三月は嗚呼別れの季節
さよならがとても上手にできなくて手ばなすように木蓮は咲く
・
・
・
そういえばもうひとつ夢をみました。
柔道をしている夢です。
柔道部ですごく強かった後輩に投げられそうになって
でもしっかり自分の身体や体重の預け方を
コントロールしながら落ち着いて対処することができて
投げられなかったというそれだけといえばそれだけの夢
なのですが、目がさめていちばんに思ったのは
ああ古い夢をみたな、と。
柔道をやっていたのが高校時代だから
あれからもう20年も経ったのか。
生きてきたんだなぁと思うと
なぜだか小さく声に出して笑っていました。
今また段々元気になってきて
心のゆとりもリラックスした時間も取り戻してきております。
何年かぶりにこちらから連絡をとった人もいます。
当短歌コラムは今回をいったんの最終回として
しばらくの休載の後ゆるやかなペースでぽつぽつと
やっていこうと思います。
言葉は消しません。また会いましょう。
2011.03.31 瀬波麻人
地震から1週間が過ぎました。
この間の心の動きは
主にリアルタイムでツイッターでつぶやいていましたので、
ここでは個人的なことを書くにとどめます。
あらためて書こうとすると今はまだ
うまく言葉にまとまりそうにありません。
亡くなられた方たちのご冥福を心からお祈りするとともに
被災地のみなさんの安全と少しずつ少しずつゆっくりと
笑顔や元気、安心を取り戻されますよう、思っております。
・
・
・
地震の日、ぼくはオフィスで普段通りに仕事をしていました。
椅子に座っていてめまいが、したのだと思いました。
あー、これは体調悪いわぁ…。
めまいってこんな感じなんやなぁ、
と思っていたところ他の人が「揺れてるよね?」と言い出して
それでみんな口々に
「あ、やっぱり揺れてたんや。地震かー。風邪(でめまい起こしてるん)かと思った」
と言い出して、それでこれは大きいんじゃないのと言ってTVをつけてネットを調べはじめた。
ぼくは自宅が神戸で会社が大阪なので、
あとは直接の被災地ではなかったところの人たちが
それぞれが体験したのと基本同じような感じだと思う。
徐々に判明してくる被害のあまりの甚大さに愕然とした。
ちょうどたまたま妻が前日から東京に行っており
直後に一度メールにて連絡がついて
いったんの安全は確認したもののその後連絡がとれなくなり
夜自宅に帰ってからは普段まったくみないTVをつけっぱなしで
あとは一番情報として即時性の高いツイッターでNHKや
地震関連の信頼性の高いアカウントをいくつかフォローして
刻一刻と流れていくタイムラインをじっと見つめ続けていた。
足とか最初にベッドに座ったへんな姿勢のままずっとTVと
パソコンに向かっていた。感情が昂るというよりは
妙に力の入らないままふっと気がぬけるとゆるゆると涙が流れていた。
妻とは夜中に連絡がつき、
もともと宿泊を予定していたホテルに泊まれており
安全でなんら問題のない状況にいるということが分かり
それでようやくほっとした。
それまではずっとかなりいろんなところが半分麻痺しつつ
がちがちに力が入っていたのだと思う。
その後朝方まで何通かのメールをやりとりし
当然のことながら当初の予定をすべてキャンセルし
翌日帰ってくることとして、その飛行機の手配を
なかなか届かない妻とのメールをたよりにしながら
ぼくが行った。
羽田空港までたどり着けるのかどうか、
電車や交通の便は機能するのか、
どのくらいの時間がかかるのか等々
まったく読めない状況であったため翌日、というか
地震の翌日の土曜日の夜20:15羽田発の便をとった。
飛行機自体が飛ぶかどうかもわからず、またネットで
航空券予約をしている間にどんどん席がなくなっていく
ような状態でもあったので躊躇している一瞬で
状況が変わる、と瞬時に判断して比較的空席が複数あった
(といっても残り6席くらいだったが)普段絶対乗らない
お値段が倍以上もする「プレミアシート」で予約手続きをした。
神戸空港への帰りの座席が確保できて心底ほっとした。
とはいえ東京ではまだ余震の続いている状況であり
ほんとうに無事に帰ってこれるのかどうか
羽田まで行けるのかどうか
飛行機は飛ぶのか依然わからないことづくめの状況ではあった。
TVとツイッターによる視覚&聴覚情報がほぼ絶え間なく
流れ、更新され続ける状況で夜中、朝方と少しうとうとしつつ
飛行機の手配が終わった段階で、短時間眠った。
妻のことは心配であったがショートメールということもあってか
比較的安定した連絡がとれるようになり落ち着いた状況のなか
落ち着いた気持ちでゆっくり確実に適切な行動、判断ができている
ことを確認できていたので安堵した。
ホテルをチェックアウトしてからは妻の携帯の充電の問題や
回線使用の問題もあるので連絡は必要最低限に控えたが
無事羽田に着いたこと、待合スペースで座席を確保して
仮眠がとれそうなことなど「大丈夫」な状況のまま
帰宅に向かって順々に、順調にことが進んでいることが伝わってきて
ぼくも比較的安心はしていられた。途中TVやツイッターから離れたほうが
いいと思って2時間ほどおもてに出た。
はじめて入った近所のコーヒー専門店でオリジナルブレンドコーヒーを飲み
常連と思われる女性から
「今ソフトバンクに行ったらラーメンがもらえるキャンペーン中みたいですよ」
というような他愛のない話をきいて、他の常連らしきおじさんたちはマスターと
比較的控えめでおさえぎみな声でおだやかに地震の話をしていた。
妻を乗せた飛行機が無事に飛ぶことを確認したので
ぼくは空港まで妻を迎えに行くことにした。
そこまで比較的冷静さを保ちつつ離れている状況の中でできる
適切な対処をおこなってきたつもりであったが、
自宅からニュートラムの神戸空港駅に向かうはずが
間違って新幹線の着く新神戸駅に向かおうとして、
しかもその電車も乗り間違えて、元の駅に戻って、
乗りなおして、乗りなおして着いた先の新神戸駅で
降りた瞬間にそもそも行き先がまちがっていたことに気づき
俺はいったいなにをやってるんだ、おちつけ。と言いきかせつつ
あらためて電車で逆戻りして今度こそ神戸空港駅に向かった。
さすがにタイムロスが大きく結局は神戸空港駅までは行けずに
先に妻から「着いたよー」というメールが入ったためニュートラムの
三宮駅ホーム内で妻を待つことにした。
帰ったらTVはみないと決めていた。
・
・
・
無事妻が帰宅し予想以上にしっかりと
元気な状態を保って帰ってきたので
今度こそほんとのほんとにやっと安心した。
妻は普段から、かなしいニュースや
凄惨な事件とかの情報刺激に弱く
不用意にそのようなニュース、特にTV放送にふれると
体調をおおきくくずしてしまうおそれがあったので
今回の地震関係の報道がいかに映像的にショッキングで
何度も何度も繰り返しひたすらに「破壊」のイメージを
照射しうえつけるある意味よけいに不安や恐怖をあおり
刺激するものであることをぼく自身が自分の身をもって
すでに体験し自覚していたため妻が帰ってきてからは
一切TVをつけないようにした。
日曜日、比較的おだやかに情報から距離をとりつつ
妻がたくさん眠るのになるべくそばにいて手を握り
髪を撫でて寄り添っていた。
ぼく自身が明日から普段通りに仕事に行かなければならず
いつものように月曜日から新しい1週間がはじまること、
ぼく自身が福祉や心理の面で人に深くかかわりサポートする
仕事であることを考えると、
自分自身がダメージにうちのめされたような状態で月曜に
入っていくことは非常にまずいと思っていたが、
一方でぼく自身も妻が帰ってくるまでの状況と地震報道および
被害の甚大さそのものから決してすくなくはないショックや
ダメージを受けていることも同じく自覚していた。
その日のうちに決めたことが2つある。
ひとつは必要以上に情報刺激にふれ続けない、
つまりはTVつけっぱなし、
パソコンや携帯でツイッターにはりつきっぱなし
ということのないようにしようということがひとつ。
もうひとつは夜はとにかくしっかり寝ること。
眠れなくてもとにかくパソコンとか携帯をいじる
ようなことをせず普段以上にとにかく絶対夜は
早め早めに寝ること、を自分自身に義務づけた。
具体的にやったことは、TVは普段からほとんど
みないのでそれほどむずかしいことではなかったが
パソコンとiPhone、特にツイッターは日常の
あらゆる面においてこの1年くらい深く入り込んでいて
心理や感情の面でもかなり深く没入していたため
そこから距離をとらなければならないと思った。
あふれかえる情報や感情、思念の洪水に
自分が勝手におぼれてしまってはいけないと思った。
寝室においていたパソコンを別の部屋に移動し
惰性でだらだらパソコンの前にはりついている
ということをしないことにした。
それから、iPhoneからは
ツイッター用のクライエントを削除して
出先からはツイッターをできないようにした。
物理的かつ半ば力づくで
自分をそこから引き剥がすことにした。
・
・
・
そのようにして1週間を過ごし、
仕事上で会う人たちの中にはやはり
心理的なショックから普段通りの判断や行動が
できなくなって明日自分が食べるお金がなくなるのに
持っているお金をぜんぶ「義援金」として寄付してしまって
「困ったー」と相談に来られるようなこれはある意味極端な人だけど
いろんな人がいろんなかたちでストレスやショックによる反応を出してきている。
関西では今回の地震での直接的な被害はほぼないが
これほどの大規模災害であり知人や親族との連絡がとれなくなっている人も少なくなく、
また皆が16年前の震災を経験しているだけに
繰り返されるTVから流れる暴力的ともいえるほどにショッキングな映像の無期限長時間の照射による影響があらわれはじめている。
もともとぼくが仕事でお会いしている人たちには「こころのよわっている」状態の人たちがたくさんいるので
よけいにそうなんだけどね。
我々関西に暮らす、「今回の地震で直接的な被災者ではない者たち」にも、
この後さまざまなかたちで影響があらわれはじめてくるだろう。
ぼくにとっての「現場」はここだ。たたかえる準備をしなければならない。
地震から1週間が過ぎた。
月曜以降はとにかく「普段以上に夜はしっかり眠ること」を自分に義務付けてきた。
色々な意味で自分の中での覚悟も気持ちの上での準備も整ってきた。
もっとやわらかな心の状態を保つ必要がある。
そして正しい知識と心構えを早急に身につけなければならない。
状況はもう「はじまっている」のだ。
今日から構築していきたいことがいくつもある。
大阪、神戸でも被災者の方たちの大規模な受け入れを表明している。
失い、傷つき、ショックを受けた状態で支援を求めてこられる方たちにも
これからたくさん出会うことになるだろう。
早急に自分のなかでの体勢を整える必要がある。
ぼくがまず身につけたこと理解したこと、心構えや接し方の配慮などを
福祉や対人援助の専門職として、スーパバイザーとしても管理職としても
職場の皆にもに伝えていく必要がある。
今日から、災害や大事故、テロなどの被災者、被害者に対して
まず初発時に必要な心のケアの具体的方法と
考え方についてまとめられた非常に実践的な
最前線現場用マニュアルである
「サイコロジカル・ファーストエイド 実施の手引き 第2版」
の日本語訳版を読んでいる。
この手引きの底にある基本的な
人間に対する思想は
「どんなにひどい甚大な被害、
無慈悲な運命に襲われたとしても
人は必ず回復していく力がある。
その力を信じあせらず急かさず
そこに働きかけていく」という
人の持っている健康さや回復の力を
信じたアプローチであるといえる。
ぼく自身は今のところ
直接的に被災地に入る予定はないが今後必ず必要になる
知識であり心構えであると思っている。
( なお「サイコロジカル・ファーストエイド日本語版」は
閲覧もダウンロードも無料でできるので
興味のある人はどうぞ参照してみてください。
http://www.j-hits.org/psychological/index.html )
大阪からは医師や精神保健師が被災地に派遣されている。
やはりぼくはこのような時のためにも
ちゃんと資格をとっておかなければならないのだとあらためて思った。
手を挙げるにも「資格」がいる。
非常にハードな状況のなかでも自分の心身を守り、
被災地でほんとうにちゃんと「動ける」「役に立つ」
ということをまずは目に見えるかたちで示せなければ、
「現場経験」だけではリスクマネジメントの観点からも
このような場面で派遣される可能性は皆無だろう。
今できることをがんばろうと思う。
そして、中、長期的な視点で目指すべきところを見据え
そこに向けた歩みをはじめようと思っている。
今日からの新しい(地震後の)1週間を新たな気持ちではじめていこうと思う。
生活を、日常を、またしっかりとはじめていこうと思う。
福島在住で今回の地震で被災され、
今もなお被災地での生活を行いながら
情報を発信されている
当「JunkStage」の運営理事桃生苑子さんの
ツイートを引用して今回のコラムを締めくくりたい。
・
・
・
被災していない方にお願いです。
普段通りの生活をしてください。
経済を破綻させないでください。
被災地を哀れまないで、
ちゃんと復興の土台を作ってください。
それが結局被災地を救います。
Sonoko_M 桃生苑子 3月18日
・
・
・
がんばれ。
がんばる。
うつくしまふくしま。
「トイストーリー3」を観ました。
評判がすっごくよかったのと
シリーズの1、2と観ていて
特に1がすごく好きだったので
正月明けにDVD買って
それでなかなかまとまった時間が
とれなかったんだけどこの前ようやく
観れましたv
…しかし、これがとんでもない大地雷。
めったにないほど怒りくるって夜中に猛々しく荒ぶることになりました。。
映画を観ながら、リアルタイムで
ツイッターにつぶやきを投稿していたので
それを転載しながらこの映画を観て
考えたこととか感じたこと、なににぼくが
とんでもなく憤ったかを書いていきたい。
読みにくくてすみませんがその時の雰囲気そのままで
ということで今回はあえての生中継風景で失礼します。
なお、映画のストーリー紹介とかやりだすと
肝心の言いたいことの精度や昂りが紛れるので
そこはあえて割愛しています。
興味のある人は観てみてください。
おすすめはまったくいたしませんが。
・
・
・
senami_asato3/8 18:50
むあっ、病院行って早く帰ってこれたから「トイ・ストーリー3」観よう思ったら映像がうつらへんー
(引用時補足註:前日のお昼に食べた関鯖の骨が喉に刺さってどうしてもとれなかったので耳鼻科に行きました。そんな理由で行ったのは初体験。)
senami_asato3/8 18:52
誰かビデオつなぎにきて。
senami_asato3/8 18:56
あ、なおった。
senami_asato3/8 19:03
アンディが17歳か。
senami_asato3/8 19:11
そうは言うても屋根裏だってなあ…
senami_asato3/8 19:13
保育園で子どもたちに遊んでもらうほうがいいのかもしれないよ、ね。
senami_asato3/8 19:15
サニーサイド保育園にようこそ
senami_asato3/8 19:18
いもむし組
senami_asato3/8 19:19
最後に遊んでもらったのはいつだ?
senami_asato3/8 19:44
ヘビーやなぁ。トイストーリー3…
senami_asato3/8 19:48
ウッディもどってきた
senami_asato3/8 19:58
バービーが男前
senami_asato3/8 20:09
ビッグベビーがキレた #toystory3
senami_asato3/8 20:11
ひどいな…
senami_asato3/8 20:18
いかん。どうころんでも爽快感のない話や… #toystory3
senami_asato3/8 20:31
あ、もしかしてサニーサイド保育園、ほんとにいいとこになったんだ。よかった。よかった… #toystory3 エンディング
senami_asato3/8 20:33
けどつらいからもう見れない。 #toystory3
senami_asato3/8 20:43
もうトイ・ストーリーシリーズ自体みれない。
senami_asato3/8 21:01
シチュエーションがよくわからない。いやわかるけど。
senami_asato3/8 21:17
うーん。とにかくきつかった。Amazonとか批評サイトでの評判は高いみたいだけどロッツォのあつかいがひどすぎてつらい。 #toystory3
(引用時補足註:「ロッツォ」はむらさきのクマのぬいぐるみ。本作での「敵役」、サニーサイド保育園のおもちゃの世界の陰湿な支配者)
senami_asato3/8 21:20
あつかいというかロッツォがひどすぎてひどい。 #toystory3
senami_asato3/8 21:28
ロッツォはまあ捨てられてダークサイドに堕ちたわけやけどそれに対する救済がないことにびっくりした。最後まで悪者のまんま。 #toystory3
senami_asato3/8 21:29
って、DVDで観てるからタグつけたってしょうがないね。誰かと共有できるわけじゃない。 #toystory3
senami_asato3/8 21:31
けどタグつけないと意味不明なつぶやきになるからいちおうつけとく。 #toystory3
senami_asato3/8 21:37
ロッツォが最後の最後までいわば「モンスター」としてしか描かれずそのことがぼくをひどくかなしくする。 #toystory3
senami_asato3/8 21:39
がーっ!トイストーリー3が好きって人はなんなの!きーっ!!ってやつあたりしたくなる
senami_asato3/8 21:49
なんでこのストーリーはロッツォに「改心」とか「立ち直り」とか「信頼感を取り戻す」とかの救済を一切与えないままに終わるのだ、と思った。今も思っている。あああやだなあ。モンスターは最後までモンスターでした的物語。 #toystory3
senami_asato3/8 21:52
というわけで不要なダメージを受けまくって離脱。トイストーリー3はおすすめしない。
senami_asato3/8 21:56
くそう。俺はロッツォを救済する歌を詠もう。できたら戻ってくる。
senami_asato3/8 22:18
根性のひねくれ曲がったクマのためせめて最後に土よ軽かれ #tanka #jtanka #toystory3
senami_asato3/8 22:23
あかん。あまりにひどい。なんでこんなにダメージを受けるんだ。ロッツォに感情移入しながらあの話を観る人はいないのだろうか。捨てられたモンスターはそのままなのか。もうちょいましな歌を詠む。 #toystory3
(引用時補足註:このあとツイッターから離脱して2時間半。ずっと考えてるうちにふつふつと沸きあがっていた怒りの方向性が自分の中で明確になっていく。こっからほぼ一気。)
senami_asato3/9 0:48
善人なおもて往生す、いわんや悪人をや
senami_asato3/9 0:56
生死をともにするような極限状況をともに生きのび、その中で人が信頼に足るようなものであること、目の前の他でもないその人がちゃんと手を差しのべてくれたこと、幻想や空想の世界の「人」ではなく他でもないその人が決して自分をおびやかさないものであることを実際に体験し #toystory3
senami_asato3/9 1:00
それでもなお悪人はほんの少しもそういうまごころや気持ちが通じないというある種のサイコパス的モンスターとして最後まで徹底的にロッツォを疎通可能ではない「悪」としてしか描かなかったことに失望と怒りを感じる。悪意も、敵意も。捨てられて人間不信になったという過去を #toystory3
senami_asato3/9 1:04
愛してた人、信じていた人に捨てられ人間不信に陥り強い怒りと失望からダークサイドに堕ちたという「諒解可能な」過去のストーリーを示しておきながら「今」においては徹底的にコミュニケート不能なモンスターとしてしかロッツォを描かない。これが悪意でなくてなんだろうか。 #toystory3
senami_asato3/9 1:06
よう、善人ども。俺は怒ってるんだぜ。 #toystory3
senami_asato3/9 1:10
見捨てられ体験という分かりやすい不幸な過去というやつをストーリー上のほんのわずかなふりかけ程度の扱いのためにわざわざ描きやがって、そこまで描いておいてロッツォに一切の救済を、そのチャンスを与えないなんて、なんてむごいお話しなんだと思った。なんでこんなものが #toystory3
senami_asato3/9 1:13
実際にそのなかで行動し、命のかかった状況でそれまでさんざんひどいことをしてきたロッツォを助けたウッディらに対しての憤りは勿論ない。問題はそこまでの「心が通じるのにじゅうぶんなストーリー」「心が傷つきダークサイドに堕ちたものが再び回復していくのに足る体験」を #toystory3
senami_asato3/9 1:16
描いておきながらなお、一切の悔恨も逡巡もなしにニタリと嗤ってウッディたちを裏切る、命を助けられたロッツォがまさに命のかかった極限状況におけるそれもね、切羽詰まったやむに已まれぬ究極の選択、緊急避難的対応としてではなく、受けた恩や実際の行為で示された絆を #toystory3
senami_asato3/9 1:19
一顧だにせず、そのことに対するなんの逡巡も苦渋もなしに、またそのような自分自身へのどうしようもない「業」への一瞬の振り返りもなく、ただただ裏切るために裏切る。 #toystory3
senami_asato3/9 1:21
おまえらよくもロッツォのためにそのようなくそみたいなストーリーしか与えなかったな!と思うと怒りと憤りのあまり俺の方がダークサイドに堕ちそうだよ。 #toystory3
senami_asato3/9 1:23
人間は変わるんだよ。変われるんだよ。深く傷ついた人だって必ずその傷やかなしみにいつまでも縛られず囚われずまた新しい一歩を踏み出せるんだよ。人間には常にそのような可能性が秘められている、残されている。どんなに暗い闇のなかにも光はきっとあるのだ。 #toystory3
senami_asato3/9 1:26
それをこのような「私たち善人にはコミュニケート不能なそしてどんなに誠意をつくしても改心なんてできないモンスター」としてロッツォを描きやがって、くそっ!おまえらほんまふざけやがって、とふつふつと怒りが沸いてきておさまらない。俺もまあ少し落ち着こう…。 #toystory3
senami_asato3/9 1:29
無邪気な善人をよそおってる人たちぜんぜん無邪気じゃない。はいはい、臓腑の中までさぞかしおきれいなんでしょうね、とでも厭味の一つも、言ってもしかたのないことだしおそらく言ってもきょとんと無邪気にあるいは気持ちの悪いものを見るのような目でしか見ないだろうし、 #toystory3
senami_asato3/9 1:31
そもそもそんなことはおそらくぼくのやつあたりであり悪趣味でもあるとはわかりつつそれでも自分の中からわきあがってくる怒りと苛立ちに気圧されてつい言ってしまいそうになる。つい、どうしても抑えきれずに言ってもしかたのないこととはわかりつつ #toystory3
enami_asato3/9 1:32
それでもやっぱり言ってしまうのではないかという自分に対してのおそれ、のようなものもある。 #toystory3
senami_asato3/9 1:36
そもそもこのようなストーリーの本映画「トイストーリー3」が幅広い層から高く評価されているということが、ああきっと「善人たちのための我々の世界」というものがとても強固に排他的に根深く共有され異物は徹底的にコミュニケート不能なそして不可逆的な悪としての存在、 #toystory3
senami_asato3/9 1:40
役割しか与えられずにそういう「悪」を排除した世界で瞳をきらきらさせているのかと思うと、ああああ俺はやっぱりたたかっていかなあかんのやなと隔たりと距離、その深刻さを感じずにはいられなくなる。でもいったい、誰と?どのように?たたかえばいいというのだろうか。 #toystory3
senami_asato3/9 1:43
いうまでもないことだがここでいうたたかうとは別に反社会的な方法でたたかいを挑むというようなことではない。1ミリでも2ミリでも世の中を動かすために、それがたとえぼくの手の届く範囲でのできごとにしかすぎないとしてもでも、そのように作用しうるものとなりたい。 #toystory3
senami_asato3/9 1:47
そう思った。とまあ最後はいつもながらの自分語りに落ち着いたところでとりあえず今日はここまでだな。怒りは前に進む力に変えていける。トイストーリーは2度と観ない。現実みたいな煌びやかで残酷な嘘。いっそうもっとチープな子どものおもちゃであればよかったのにと思う。 #toystory3
senami_asato3/9 1:52
やつらは人間をばかにしてやがる。その弱さを。その脆さを。そして回復への意思とその可能性を。傷つけても傷ついても傷つかない人間のコアをばかにしてやがる、と子どもたちもたくさん観る世界的人気シリーズの大話題作であるだけにどうにもおさまりがつかないくらい #toystory3
senami_asato3/9 1:53
取り乱してしまった。これまたいつものことかもしれないが、しかし感情的に昂ってしまいまたしてもおはずかしいところを見せてしまった。失礼しました。失礼します。では。ごきげんようおやすみなさい。 #toystory3
senami_asato3/9 2:10
感情が昂ると眠れなくなるのはデフォ。
senami_asato3/9 2:43
人間の回復力と変わる力、その可能性と強さを否定するな。 #toystory3
senami_asato3/9 2:50
そういうやつらを俺は全部敵にまわしてもいい。
senami_asato3/9 2:56
やさしい歌が詠みたい…
senami_asato3/9 3:08
みんながんばってるね。今日も生きた。
(引用時の補足註:一夜明けて朝。ひと眠りした。)
senami_asato3/9 8:12
閉じすぎとったな、いろんな意味で。新たな基点となるようなことが最近いくつも起こっている。
senami_asato3/9 8:16
仕事と家庭以外の場でのコミュニケーションを閉ざさないようにしよう。まずはそこからスタートだな。
senami_asato3/9 8:32
昨日トイ・ストーリー3を観て抱いた激しい違和感と怒りも、今のそしてこれからの自分の基点となるものとなるのだろうと思う。そしてぼくはあなたと話がしたい。
senami_asato3/9 8:41
10年以上前だ。不登校の子どもの支援をしていた時に今はもう酒で死んだ心理士から度々度々何度も繰り返して言われていたことは「ドラえもんになるな」だった。そのことを何年かぶりに思い出した。もう自分の血肉の一部にもなっているがあらためてそのことの意味を考え、考えながら実践していきたい。
senami_asato3/9 8:52
ぼくの尊敬していた心理士は酒で死んだ。
senami_asato3/9 8:54
ぼくはべつに自分が正常で他人が異常だなんて思えない。だからといってそのことを何かの言い訳にしようとも思っていないが、ただいつもそんなふうに感じている。
・
・
・
今までちゃんと書いてきませんでしたがぼくの仕事は福祉分野での対人援助職です。
現場経験16年のソーシャルワーカー兼スーパーバイザーで今は自分自身も直接に相談者への対応を行いつつ、後進の育成と指導、教育にあたっています。職場でいちばん若い管理職でもあります。
ソーシャルワーカーというのはいわば福祉の世界のなんでも屋さんで、ぼく自身今まで、児童虐待、不登校、ひきこもり、少年非行、児童養護と施設処遇、精神疾患と各種障害、アルコール依存、薬物依存とそれによる刑余者へのかかわり、生活保護による生存権の保障とそれでも解消されることのない構造的かつ深刻な貧困問題、そこからの延長として、生きて生活している以上不可避な病や孤独、死、に仕事のうえで深くかかわってきました。
どんな分野でどんな人にかかわるにしても、かかわりが深まれば深まるほど、心的外傷とそこからの回復、ということが人にかかわるうえでのそしてその人自身の最大のテーマなのではないかという気がしています。
実際に人の変わる姿をいくつも見てきました。
そのことに励まされつつ、絶望の深さとかなしみや孤独の際限のなさに今もうちのめされそうになりながら日々すこしでもいい仕事ができるように自分なりに奮闘しています。
尊敬していたそしてある時期仕事上のいちばんのパートナーであり先達者であった心理士は酒で死にました。
同僚たちのなかには「感情労働」といわれるこの種の仕事の中で自分自身の感情や心の健康さをすり減らして休職や退職していったものが何人もいます。
援助者と被援助者は常に紙一重だと思っています。
ぼく自身、もう10年も前のことですが、夜中連日無人のオフィスで思いばかりがあふれて何も書けなくなって白紙の記録用紙を目の前に途方にくれていた日々がありました。そんなとき深夜のオフィスでひとりきりでちょっと気を抜くと涙がぽろぽろこぼれてきました。
どうしたらいいかわからずどこからなにをすればいいのか、そもそもが今自分のやっていることがほんとうに子どものしあわせにつながっているのだろうか、という確信ももてないままただもう一生懸命でした。
ストレス性の胃腸炎で何度か入院し心身がぼろぼろになり半年のあいだに3回追突事故を起こしました(全部自損オンリーです)。
それで最初の職場をかわりましたが、その後も現場の最前線で対人援助の仕事をしており人とかかわり続けています。
仕事で出会う誰のことをも決して自分には関係のない他人事として、あるいは「自分とはかかわりのない異常な人」「おかしな人」「コミュニケートできない人」「変わっていく可能性のない人」「深刻なダメージから決して回復不可能な人」だとは思えません。
トイストーリー3にはそんな私のなかのもっとも根源的なコアを傷つけられるような脅威を感じたのかもしれません。
今はスーパーバイザーとしても管理職としても「人をすりつぶさない」職場環境の構築をとても重要なテーマとしております。
それによって互いがセーフティな状態でよりよい援助、最大限のエンパワメントができるのだとこれはぼく自身の信念としてそう思っており、現実の自分自身の現場のなかでその実現を目指し日々精進しているところです。
ぼくはぼく自身の回復のまっただなかにいます。この1年は特にそのような回復のストーリーをまさにリアルタイムで生きてきました。
しかし同時にそのことを仕事や職場環境のなかでごちゃまぜにしないような節度を保っていたいと思っています。
常に自戒しつつ、自分が倒れそうだからといって誰かに過剰によりかかりすぎないようになんとかバランスを保ってやっていきたいと思います。
ほんとまだまだ未熟で未熟で反省することとかはずかしくってなさけないような話もほんとはたくさんあるんだけどね。
もっとも虐げられもっとも暴虐でもっとも排除されてきた、そして現に排除され続けているロッツォのための、もっともよわくもっともひきょうでもっとも傲慢でもっとも救いようのない、つまりはたぶんそんな自分自身のために歌を詠んでいきたいです。
ぼくはもっとロッツォのためのいい歌を詠まなければならない。そして少しでももうちょっとましな人間になっていきたいです。
いいや。とりあえず今はこれが今なりのスタートだ。
・
・
・
さて、こちらでの短歌コラムの連載は4月に開始して当初より「とりあえず1年」というお話ではじめておりましたので次回更新をいったんの一区切りとしたいと思っております。
ただ、こちらジャンクステージさん自体のコラム連載ペースがすこしゆるやかなペースでの参加も可能になるようにもきいておりますので、またゆるゆるとおつきあいしていけるといいなとは思っています。
とはいえ次回いちおうの最終回。タイトルはおそらくもう決まっています。ジャンクステージ短歌コラム最終回「ただそこにいること」。
乞うご期待!!
といえるほどのものではありませんのでむしろ「最後までおつきあいいただきまして誠にありがとうございました。次回もどうぞよろしくお願いします。」というくらいの感じで今回の記事はこれにておしまいにいたします。ありがとうございました。
花嫁の色だよ白は わたしより長く生きてと君が言うのか(瀬波麻人)
・
・
・
もうこの思いでも手ばなしていいのだろう。
自分の中で一定の整理がついた。
未整理の感情や記憶、
もうずっと前に終わったことなのに
自分のなかではいつまでたっても
「終わり」にできないこと。
そういうことがどんどん身体の中に
降り積もっていくとだんだん胸がくるしくなる。
いつもぼくはおぼれそうになっていて
今年、この1年はいろんなことを手ばなしてきた。
煙草をやめた理由を話したとき、ある人が言った。
わたしのためにも長く生きてほしい、と。
ある時期、ぼくのある一定の時期を
強力に支えてくれた人の言葉だ。
思い返して今あらためて深く感謝している。
しかし最後に彼女はぼくを拒絶した。
もっともくずれそうなときに
もっともくずれそうななさけない弱音をはいたときに
はっきりと彼女はぼくを拒絶した。
いつまでも消化できない生々しい思いでとして
とても平静な気持ちで振り返ることなど
できずにいたのだけれど
どうやらそれも自分の中でそろそろ「終わり」にできるらしい。
おたがいのあいだの暗黙のルールを一方的に
やぶったのはぼくのほうだとほんとうはずっと気づいていた。
そのために彼女をそうさせてしまった拒絶であり別離であったのだと
今はよくわかっている。
もうそれも思いでとして手ばなそうと思った。
だから書けると思った。
だから書こうと思った。書いた。
冷静に、今はやはり感謝しかない。
どんなにつらいさよならにだって
いつかきちんとさよならしていかなければ
さよならのままいつまでも持ち続けるには
ぼくたちはあまりにちっぽけすぎるのだと思う。
かなしみにおぼれてしまわないように
わすれないけど
わすれてもきっとおこらないから、だいじょうぶだよ。
・
・
・
五分だけ会いに行きたい そう言える人のいた頃 地下鉄の窓(瀬波麻人)
リンゴの皮を むくように
過ぎ行く時は 渦巻くかたち
下へ下へと あなたがたどれば
昨日が今日に つながってゆく
遠い昔に 別れた人も
ひとまわりすれば すぐそばにいる (さよならにさよなら / 海援隊)
逆に、思い出すだけで
ほわっとしあわせになるような
そういう思い出ももちろんある。
思い出というか記憶。
あたたかくていつまでたっても
その温度を失わない、
たった一度あっただけでも
その後ずーっとその記憶によって
あたためられるようなそんな思い出がある。
よく思い出すんだよなぁ。
酒に酔った時とかふっと思い出す。
その割には今あらためて思い出してみて
1年前のことだったか2年、いや3年くらい
前のことだったのかちょっとはっきりとは
思い出せないのでそう思うと既に自分の中で
「しあわせな記憶という原型のひとつ」
になっているのだろうと思う。
いつ、あったかということは実はそれほど問題ではない。
俺の人生において確かにそういうことがあった、という
そういう記憶によって生きていけるようなそんな体験がある。
そのような体験と記憶をいくつもっていけるか、
どんなに時間がたっても、
その後どんな不遇に見舞われることがあったとしても
ちゃんと忘れずにおぼえていてかわらないぬくもしとして
いつまでも慈しむことができるか。
人の幸・不幸は実はけっこうそういうことにかかっているような気がする。
いいことばっかりじゃいられないし
どんな人だっていいときばかりがずうっと続くわけじゃない。
よかったことも忘れてしまったりする。
「いいことなんてなんにもなかった」
なんてことは案外ないのかもしれない。
今そんなふうに
「自分の人生には何もいいことがなかった」
と思ってしまうくらいつらい状況にいる、それだけ
必死のつらい思いにとらわれうちのめされている
そういう今の状態である、ということにほんとは
すぎないのかもしれない。
いつかまたきてしまうそういうときのためにも
おぼえていたいねえ。ここにいること。
今ここにいたこと。どれだけ時がたっても
このあといろんな予測もつかないような事態が
人それぞれに起こるであろうとしても
今ここにそれぞれがいてそしてほんのすこしの
すてきなぐうぜんという縁をもてて
今、ここで、
確かに僕たちが交わした言葉のこと、
ちゃんとおぼえていたいねえ。
・今ここで会話したことコンビニのドアをおさえていてくれたこと(瀬波麻人)
・
・
・
いやほんとにね。どうってことのないエピソードなんでね
あらためて「さあ言え」っていわれるとなんだかささやかすぎて
かえってはずかしかったりもするんだけど、
何年か前にひどく酔っぱらって家に帰ったときに
もうすっごいべろべろで服とかもぬがずに
そのまま床で寝ちゃってたみたいなのね。
で、どうしても起きなくってベッドに運ぶこともできなくって
っていうシチュエーションでね、で、ぼくが朝めざめたら、
床で寝ていて毛布をかけてくれていて、
妻もいっしょに床で寝ていた。ぼくが起きないから服だけ
ちょっと着替えさせてそのまま寄り添っていっしょに床で
眠ったんだって。それだけといえばそれだけの記憶。
おもしろおかしく笑っちゃうよねー。
ああそうだ。俺にはそういうことがあった。生きていけるな。
妻のことを少し書こうかと思う。
先日ふたりで喫茶店に行き
ぼくが本を読んでいる間に
妻がコンビニでコピーを
とりに行ったのだが
コピーをとっていると
二人連れの初老のおばさんが
後ろに並ばれたので
「あ、お先にどうぞ」という感じで
ごく自然にナチュラルに順番を
譲ったらしいのだがその時に
おばさんたちはコピーのとり方が
よく分からなかったらしくって
それはべつにいいんだけど
おばさんたちふたりのあいだで
「これどないすんのん、これどないすんのん」
的な会話があってね、それでね、
おばさんのひとりが
「このコムスメにやってもろたらええねん」
って言ったらしいんですよ。
そしたらもうひとりのおばさんも
「そやな、そうしよう」という感じでふたりの
あいだで勝手に話がまとまって
妻は、ああまあなんだかなぁと思いながらも
はい、いいですよ。
どっち向きでコピーするんですか。
お金はここに入れてくださいね。
という感じで冷静で良識のある一社会人として
最後まで接して、無事コピーが終わったのだけど
そしたらおばさんたちはお礼も言わずに去っていたらしい。
ああ、エピソードが長くなってしまった。
とにかくそういうことがつい最近あって
ぼくは妻が戻ってきたときに喫茶店で
その話を聞いたんだけど
いちばんには妻が冷静に良識ある態度で
最後まで対応したことに敬意を抱いたし
このことで妻が大きなショックを受けることなく
(やや興奮気味ではあったが)苦笑まじりでぼくに
報告することで「ちょっといやだったけどもう終わったこと」
として気持ちをきれいに切り替えることができていることに
深く安堵した。
なのでこの話はこれで終わりでいいのだけど
実はこの話はぼくをほとんど暴力的な気持ちにするには
十分なエピソードであり心中かなりの荒ぶりと、
俺がその場におったらそいつらただでおかん、的な気持ちの
ざらつきが今もって続いているのでちょっと書いておきたいと思った。
世の中にはこういうことが実際ありふれているのだろう。
何の悪意もなく
息をするように人を傷つける人もいれば
あからさまな悪意をもって人を傷つける者もいる。
そういう人たちはそういう人たちで
誰がどう言ってもその人なりに生きていくのだろうから
そういう人たちがいることをぼくはべつに否定しない。
しかし、具体的にぼくや妻を傷つけようとする人には徹底的に容赦をしない。
2年前の夏ぼくは人を刺した。
おたがいに致命傷に近い傷を負った。
言葉で刺した相手。
ぼくが明確に敵意と攻撃意思をもって刺した人とは
その後ほとんどすべてのかかわりをたがいに断っている。
その人の
プライドやアイデンティティや生き方や人としてのあり方を
あくまでぼくや妻に実害のある部分に関してのみではあるが
徹底的に真正面から否定し明確な敵意を人に放射した。
的確に紛れずにきわめて論理的に、
また感情的な激しさをもかくさずに俺たちに触れるな、と伝えた。
明確な意志をもって人を刺したことは後にも先にもこの一度きりだ。
それは成功した。
これ以上かかわらなければこちらからは何もしない。
このことで相手を相当深く傷つけたであろうことは
ぼくも深く自覚している。
そのことに対する痛みがないわけではない。
というよりもぼく自身がやはり同じように深く傷ついたのだと思う。
相手に与えた傷の深さと同じ深さでずっと
心臓に突き刺さったままになっている棘は
毒を滲出し続けているのだろう。
それでも胸が痛んでも後悔はしていない。
ぼくはやるべきことをやったのだ。
まもるべきものをまもるべくたたかい
そしてうちかったのだ。
たとえ、あいても「悪」ではなかったとしても。
勝者などもともといるはずもないとしても、
ぼくには血を流してでもまもらなくては
ならないものがあり、ともかくもたたかって、
まもった。
そんな昔話というにはわり最近の話で
今も生々しい痛みを伴うリアルタイムな傷口の話を。
・
・
・
・ 僕の前で力を抜けば浮くだろう君の怖がる水はもうない (瀬波麻人)
8年間ほとんどまともに眠れた夜がない。
自分のことをスーパーマンのようだと思うこともあるし
涙のいっぱいつまった袋のようだと思うこともあった。
職場において家庭において
ある種の理想を体現するために
おそらくは
自分の本来発揮できるフルパワー以上の
ものをたゆまず途切れず出力し続けてきた。
人生における選択は常に絶対的な正解はなく
自分のとった行動が正しかったのかどうか、
いや「正しい」という言葉を使うと話が紛れて
しまうのでもう少し別の言葉で言いかえると
「それでよかったのかどうか」ということになるが
いずれにせよその答えもすぐには見えてこない。
そうでありながらしかし、この選択をあやまったら
死んでしまうかもしれない、大切な人を具体的に
失ってしまうかもしれないという圧倒的な恐怖に
囚われながらそうならないためには
そこで立ち止まってしまってはいけないという
歩を止めることはゆるされないような
海に住みながら
泳ぎ続けなければ溺れ死んでてしまう魚のような
何かそのような感覚のまま8年ほどやってきて
どうやらようやく一定の一息つける地点までたどり着いた
らしいと感じ、ようやくやっと一息つけるらしいと思った途端に
8年間毎日上積みしオーバードライブしてきた限界を越えた
差分の蓄積が一気に現実的な疲弊として追いかぶさってきて
さあどうしようかというのが最近の近況ということになるのだが
こんな状態で繁忙の年度末→激動の新年度スタートを
乗り切れるのか、ただ息をひそめてやり過ごせばいいという
わけではなく新年度の体制づくりに向けて今からやるべきこと
自分の果たすべき役割はどう考えても責任重大だよなあ寝言も
弱音もはいてる暇ないわなあと思うとなんだかとても考えるだけで
疲れてしまい会議のときはおろか、美容室でも歯医者でも椅子に
座ると座るや否やどんな状況でも眠ってしまうという疲れたサラリーマン
みたいなことになっていてなんだかなんだかなんだかなあと思ったりも
するわけですが歯医者なんてもう5年くらい通っているところということも
あって治療台、というか治療椅子?に座って口を半開きにしたら速攻で
寝てしまってがりがりがりがりきゅいーんぎゃぎゃぎゃぎゃと削られたり
ドリルが口の中できゅいんきゅいんひどい音をたてている状況でもすっかり
熟睡できるようなそんな毎日を過ごしているよママンママン。
というようなことを一気に書いてみましたら少し
気分が落ち着いてきました。
何の益にもならないような話ですみません。
書きたいことはもう少し身のありそうな話で
いくつかあるのですがどうも
書きはじめてもつまってしまいます。
この場がある間にぜひかたちにしておきたい
なんらかの方法で言葉に残しておきたいと
切実に思ういくつかのことがありますので
書けそうになったら短いスパンで
一気に更新するかもしれません。
最近は書きかけては書きづまって消してばかりです。
まあでもここでこのような場を
与えられていることにも何かの意味があり
きっと今ちゃんと言葉にしておかなければ
ならないのだと、たとえばこのようなネットの場に残す
言葉のひとことひとことがもしかすると
遺言になるのかもしれない、私は、私たちは
明日死ぬかもしれないのだから。
そんなことを常々考えております。
次、もうちょっとまともに書きます。今回は今回で
このようにしか書けない状態であり
このように書いたというだけであり
これが私の現在の呼吸であり
鼓動であるということを思うと
おそらくこれはこれで「残す」ことに
何らかの意味がやはりあるのだろう
と思うことにする。
これが現在の私の呼吸である。
そのことの確認と記録。
・
・
・
・ 人間の塵を集めて降る雪のかたまりごとに狂わずにいる (瀬波麻人)
※ 人間 : じんかん