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2011/02/05

妻のことを少し書こうかと思う。
 
先日ふたりで喫茶店に行き
ぼくが本を読んでいる間に
妻がコンビニでコピーを
とりに行ったのだが
コピーをとっていると
二人連れの初老のおばさんが
後ろに並ばれたので
「あ、お先にどうぞ」という感じで
ごく自然にナチュラルに順番を
譲ったらしいのだがその時に
おばさんたちはコピーのとり方が
よく分からなかったらしくって
それはべつにいいんだけど
おばさんたちふたりのあいだで
「これどないすんのん、これどないすんのん」
的な会話があってね、それでね、
おばさんのひとりが
「このコムスメにやってもろたらええねん」
って言ったらしいんですよ。
そしたらもうひとりのおばさんも
「そやな、そうしよう」という感じでふたりの
あいだで勝手に話がまとまって
妻は、ああまあなんだかなぁと思いながらも
はい、いいですよ。
どっち向きでコピーするんですか。
お金はここに入れてくださいね。
という感じで冷静で良識のある一社会人として
最後まで接して、無事コピーが終わったのだけど
そしたらおばさんたちはお礼も言わずに去っていたらしい。

ああ、エピソードが長くなってしまった。
とにかくそういうことがつい最近あって
ぼくは妻が戻ってきたときに喫茶店で
その話を聞いたんだけど
いちばんには妻が冷静に良識ある態度で
最後まで対応したことに敬意を抱いたし
このことで妻が大きなショックを受けることなく
(やや興奮気味ではあったが)苦笑まじりでぼくに
報告することで「ちょっといやだったけどもう終わったこと」
として気持ちをきれいに切り替えることができていることに
深く安堵した。

なのでこの話はこれで終わりでいいのだけど
実はこの話はぼくをほとんど暴力的な気持ちにするには
十分なエピソードであり心中かなりの荒ぶりと、
俺がその場におったらそいつらただでおかん、的な気持ちの
ざらつきが今もって続いているのでちょっと書いておきたいと思った。
 
世の中にはこういうことが実際ありふれているのだろう。
何の悪意もなく
息をするように人を傷つける人もいれば
あからさまな悪意をもって人を傷つける者もいる。
そういう人たちはそういう人たちで
誰がどう言ってもその人なりに生きていくのだろうから
そういう人たちがいることをぼくはべつに否定しない。
しかし、具体的にぼくや妻を傷つけようとする人には徹底的に容赦をしない。
 
2年前の夏ぼくは人を刺した。
おたがいに致命傷に近い傷を負った。
言葉で刺した相手。
ぼくが明確に敵意と攻撃意思をもって刺した人とは
その後ほとんどすべてのかかわりをたがいに断っている。
 
その人の
プライドやアイデンティティや生き方や人としてのあり方を
あくまでぼくや妻に実害のある部分に関してのみではあるが
徹底的に真正面から否定し明確な敵意を人に放射した。
的確に紛れずにきわめて論理的に、
また感情的な激しさをもかくさずに俺たちに触れるな、と伝えた。
 
明確な意志をもって人を刺したことは後にも先にもこの一度きりだ。
 
それは成功した。
これ以上かかわらなければこちらからは何もしない。
 
このことで相手を相当深く傷つけたであろうことは
ぼくも深く自覚している。
そのことに対する痛みがないわけではない。
というよりもぼく自身がやはり同じように深く傷ついたのだと思う。
相手に与えた傷の深さと同じ深さでずっと
心臓に突き刺さったままになっている棘は
毒を滲出し続けているのだろう。
 
それでも胸が痛んでも後悔はしていない。
ぼくはやるべきことをやったのだ。
まもるべきものをまもるべくたたかい
そしてうちかったのだ。
たとえ、あいても「悪」ではなかったとしても。
勝者などもともといるはずもないとしても、
ぼくには血を流してでもまもらなくては
ならないものがあり、ともかくもたたかって、
まもった。
 
そんな昔話というにはわり最近の話で
今も生々しい痛みを伴うリアルタイムな傷口の話を。
 
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・ 僕の前で力を抜けば浮くだろう君の怖がる水はもうない (瀬波麻人)
 
 
 

2011/02/05 12:44 | senami | No Comments