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2011/02/17

逆に、思い出すだけで
ほわっとしあわせになるような
そういう思い出ももちろんある。
 
思い出というか記憶。
あたたかくていつまでたっても
その温度を失わない、
たった一度あっただけでも
その後ずーっとその記憶によって
あたためられるようなそんな思い出がある。
 
よく思い出すんだよなぁ。
酒に酔った時とかふっと思い出す。
その割には今あらためて思い出してみて
1年前のことだったか2年、いや3年くらい
前のことだったのかちょっとはっきりとは
思い出せないのでそう思うと既に自分の中で
「しあわせな記憶という原型のひとつ」
になっているのだろうと思う。
いつ、あったかということは実はそれほど問題ではない。
俺の人生において確かにそういうことがあった、という
そういう記憶によって生きていけるようなそんな体験がある。
 
そのような体験と記憶をいくつもっていけるか、
どんなに時間がたっても、
その後どんな不遇に見舞われることがあったとしても
ちゃんと忘れずにおぼえていてかわらないぬくもしとして
いつまでも慈しむことができるか。
 
人の幸・不幸は実はけっこうそういうことにかかっているような気がする。
 
いいことばっかりじゃいられないし
どんな人だっていいときばかりがずうっと続くわけじゃない。
よかったことも忘れてしまったりする。
「いいことなんてなんにもなかった」
なんてことは案外ないのかもしれない。
今そんなふうに
「自分の人生には何もいいことがなかった」
と思ってしまうくらいつらい状況にいる、それだけ
必死のつらい思いにとらわれうちのめされている
そういう今の状態である、ということにほんとは
すぎないのかもしれない。
 
いつかまたきてしまうそういうときのためにも
おぼえていたいねえ。ここにいること。
今ここにいたこと。どれだけ時がたっても
このあといろんな予測もつかないような事態が
人それぞれに起こるであろうとしても
今ここにそれぞれがいてそしてほんのすこしの
すてきなぐうぜんという縁をもてて
今、ここで、
確かに僕たちが交わした言葉のこと、
ちゃんとおぼえていたいねえ。
 
 
・今ここで会話したことコンビニのドアをおさえていてくれたこと(瀬波麻人)
 
 
 ・
 ・
 ・
 
いやほんとにね。どうってことのないエピソードなんでね
あらためて「さあ言え」っていわれるとなんだかささやかすぎて
かえってはずかしかったりもするんだけど、
何年か前にひどく酔っぱらって家に帰ったときに
もうすっごいべろべろで服とかもぬがずに
そのまま床で寝ちゃってたみたいなのね。
で、どうしても起きなくってベッドに運ぶこともできなくって
っていうシチュエーションでね、で、ぼくが朝めざめたら、
床で寝ていて毛布をかけてくれていて、
妻もいっしょに床で寝ていた。ぼくが起きないから服だけ
ちょっと着替えさせてそのまま寄り添っていっしょに床で
眠ったんだって。それだけといえばそれだけの記憶。
おもしろおかしく笑っちゃうよねー。
ああそうだ。俺にはそういうことがあった。生きていけるな。
 
 
 

2011/02/17 07:16 | senami | No Comments