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地震から1週間が過ぎました。
この間の心の動きは
主にリアルタイムでツイッターでつぶやいていましたので、
ここでは個人的なことを書くにとどめます。
あらためて書こうとすると今はまだ
うまく言葉にまとまりそうにありません。
亡くなられた方たちのご冥福を心からお祈りするとともに
被災地のみなさんの安全と少しずつ少しずつゆっくりと
笑顔や元気、安心を取り戻されますよう、思っております。
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地震の日、ぼくはオフィスで普段通りに仕事をしていました。
椅子に座っていてめまいが、したのだと思いました。
あー、これは体調悪いわぁ…。
めまいってこんな感じなんやなぁ、
と思っていたところ他の人が「揺れてるよね?」と言い出して
それでみんな口々に
「あ、やっぱり揺れてたんや。地震かー。風邪(でめまい起こしてるん)かと思った」
と言い出して、それでこれは大きいんじゃないのと言ってTVをつけてネットを調べはじめた。
ぼくは自宅が神戸で会社が大阪なので、
あとは直接の被災地ではなかったところの人たちが
それぞれが体験したのと基本同じような感じだと思う。
徐々に判明してくる被害のあまりの甚大さに愕然とした。
ちょうどたまたま妻が前日から東京に行っており
直後に一度メールにて連絡がついて
いったんの安全は確認したもののその後連絡がとれなくなり
夜自宅に帰ってからは普段まったくみないTVをつけっぱなしで
あとは一番情報として即時性の高いツイッターでNHKや
地震関連の信頼性の高いアカウントをいくつかフォローして
刻一刻と流れていくタイムラインをじっと見つめ続けていた。
足とか最初にベッドに座ったへんな姿勢のままずっとTVと
パソコンに向かっていた。感情が昂るというよりは
妙に力の入らないままふっと気がぬけるとゆるゆると涙が流れていた。
妻とは夜中に連絡がつき、
もともと宿泊を予定していたホテルに泊まれており
安全でなんら問題のない状況にいるということが分かり
それでようやくほっとした。
それまではずっとかなりいろんなところが半分麻痺しつつ
がちがちに力が入っていたのだと思う。
その後朝方まで何通かのメールをやりとりし
当然のことながら当初の予定をすべてキャンセルし
翌日帰ってくることとして、その飛行機の手配を
なかなか届かない妻とのメールをたよりにしながら
ぼくが行った。
羽田空港までたどり着けるのかどうか、
電車や交通の便は機能するのか、
どのくらいの時間がかかるのか等々
まったく読めない状況であったため翌日、というか
地震の翌日の土曜日の夜20:15羽田発の便をとった。
飛行機自体が飛ぶかどうかもわからず、またネットで
航空券予約をしている間にどんどん席がなくなっていく
ような状態でもあったので躊躇している一瞬で
状況が変わる、と瞬時に判断して比較的空席が複数あった
(といっても残り6席くらいだったが)普段絶対乗らない
お値段が倍以上もする「プレミアシート」で予約手続きをした。
神戸空港への帰りの座席が確保できて心底ほっとした。
とはいえ東京ではまだ余震の続いている状況であり
ほんとうに無事に帰ってこれるのかどうか
羽田まで行けるのかどうか
飛行機は飛ぶのか依然わからないことづくめの状況ではあった。
TVとツイッターによる視覚&聴覚情報がほぼ絶え間なく
流れ、更新され続ける状況で夜中、朝方と少しうとうとしつつ
飛行機の手配が終わった段階で、短時間眠った。
妻のことは心配であったがショートメールということもあってか
比較的安定した連絡がとれるようになり落ち着いた状況のなか
落ち着いた気持ちでゆっくり確実に適切な行動、判断ができている
ことを確認できていたので安堵した。
ホテルをチェックアウトしてからは妻の携帯の充電の問題や
回線使用の問題もあるので連絡は必要最低限に控えたが
無事羽田に着いたこと、待合スペースで座席を確保して
仮眠がとれそうなことなど「大丈夫」な状況のまま
帰宅に向かって順々に、順調にことが進んでいることが伝わってきて
ぼくも比較的安心はしていられた。途中TVやツイッターから離れたほうが
いいと思って2時間ほどおもてに出た。
はじめて入った近所のコーヒー専門店でオリジナルブレンドコーヒーを飲み
常連と思われる女性から
「今ソフトバンクに行ったらラーメンがもらえるキャンペーン中みたいですよ」
というような他愛のない話をきいて、他の常連らしきおじさんたちはマスターと
比較的控えめでおさえぎみな声でおだやかに地震の話をしていた。
妻を乗せた飛行機が無事に飛ぶことを確認したので
ぼくは空港まで妻を迎えに行くことにした。
そこまで比較的冷静さを保ちつつ離れている状況の中でできる
適切な対処をおこなってきたつもりであったが、
自宅からニュートラムの神戸空港駅に向かうはずが
間違って新幹線の着く新神戸駅に向かおうとして、
しかもその電車も乗り間違えて、元の駅に戻って、
乗りなおして、乗りなおして着いた先の新神戸駅で
降りた瞬間にそもそも行き先がまちがっていたことに気づき
俺はいったいなにをやってるんだ、おちつけ。と言いきかせつつ
あらためて電車で逆戻りして今度こそ神戸空港駅に向かった。
さすがにタイムロスが大きく結局は神戸空港駅までは行けずに
先に妻から「着いたよー」というメールが入ったためニュートラムの
三宮駅ホーム内で妻を待つことにした。
帰ったらTVはみないと決めていた。
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無事妻が帰宅し予想以上にしっかりと
元気な状態を保って帰ってきたので
今度こそほんとのほんとにやっと安心した。
妻は普段から、かなしいニュースや
凄惨な事件とかの情報刺激に弱く
不用意にそのようなニュース、特にTV放送にふれると
体調をおおきくくずしてしまうおそれがあったので
今回の地震関係の報道がいかに映像的にショッキングで
何度も何度も繰り返しひたすらに「破壊」のイメージを
照射しうえつけるある意味よけいに不安や恐怖をあおり
刺激するものであることをぼく自身が自分の身をもって
すでに体験し自覚していたため妻が帰ってきてからは
一切TVをつけないようにした。
日曜日、比較的おだやかに情報から距離をとりつつ
妻がたくさん眠るのになるべくそばにいて手を握り
髪を撫でて寄り添っていた。
ぼく自身が明日から普段通りに仕事に行かなければならず
いつものように月曜日から新しい1週間がはじまること、
ぼく自身が福祉や心理の面で人に深くかかわりサポートする
仕事であることを考えると、
自分自身がダメージにうちのめされたような状態で月曜に
入っていくことは非常にまずいと思っていたが、
一方でぼく自身も妻が帰ってくるまでの状況と地震報道および
被害の甚大さそのものから決してすくなくはないショックや
ダメージを受けていることも同じく自覚していた。
その日のうちに決めたことが2つある。
ひとつは必要以上に情報刺激にふれ続けない、
つまりはTVつけっぱなし、
パソコンや携帯でツイッターにはりつきっぱなし
ということのないようにしようということがひとつ。
もうひとつは夜はとにかくしっかり寝ること。
眠れなくてもとにかくパソコンとか携帯をいじる
ようなことをせず普段以上にとにかく絶対夜は
早め早めに寝ること、を自分自身に義務づけた。
具体的にやったことは、TVは普段からほとんど
みないのでそれほどむずかしいことではなかったが
パソコンとiPhone、特にツイッターは日常の
あらゆる面においてこの1年くらい深く入り込んでいて
心理や感情の面でもかなり深く没入していたため
そこから距離をとらなければならないと思った。
あふれかえる情報や感情、思念の洪水に
自分が勝手におぼれてしまってはいけないと思った。
寝室においていたパソコンを別の部屋に移動し
惰性でだらだらパソコンの前にはりついている
ということをしないことにした。
それから、iPhoneからは
ツイッター用のクライエントを削除して
出先からはツイッターをできないようにした。
物理的かつ半ば力づくで
自分をそこから引き剥がすことにした。
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そのようにして1週間を過ごし、
仕事上で会う人たちの中にはやはり
心理的なショックから普段通りの判断や行動が
できなくなって明日自分が食べるお金がなくなるのに
持っているお金をぜんぶ「義援金」として寄付してしまって
「困ったー」と相談に来られるようなこれはある意味極端な人だけど
いろんな人がいろんなかたちでストレスやショックによる反応を出してきている。
関西では今回の地震での直接的な被害はほぼないが
これほどの大規模災害であり知人や親族との連絡がとれなくなっている人も少なくなく、
また皆が16年前の震災を経験しているだけに
繰り返されるTVから流れる暴力的ともいえるほどにショッキングな映像の無期限長時間の照射による影響があらわれはじめている。
もともとぼくが仕事でお会いしている人たちには「こころのよわっている」状態の人たちがたくさんいるので
よけいにそうなんだけどね。
我々関西に暮らす、「今回の地震で直接的な被災者ではない者たち」にも、
この後さまざまなかたちで影響があらわれはじめてくるだろう。
ぼくにとっての「現場」はここだ。たたかえる準備をしなければならない。
地震から1週間が過ぎた。
月曜以降はとにかく「普段以上に夜はしっかり眠ること」を自分に義務付けてきた。
色々な意味で自分の中での覚悟も気持ちの上での準備も整ってきた。
もっとやわらかな心の状態を保つ必要がある。
そして正しい知識と心構えを早急に身につけなければならない。
状況はもう「はじまっている」のだ。
今日から構築していきたいことがいくつもある。
大阪、神戸でも被災者の方たちの大規模な受け入れを表明している。
失い、傷つき、ショックを受けた状態で支援を求めてこられる方たちにも
これからたくさん出会うことになるだろう。
早急に自分のなかでの体勢を整える必要がある。
ぼくがまず身につけたこと理解したこと、心構えや接し方の配慮などを
福祉や対人援助の専門職として、スーパバイザーとしても管理職としても
職場の皆にもに伝えていく必要がある。
今日から、災害や大事故、テロなどの被災者、被害者に対して
まず初発時に必要な心のケアの具体的方法と
考え方についてまとめられた非常に実践的な
最前線現場用マニュアルである
「サイコロジカル・ファーストエイド 実施の手引き 第2版」
の日本語訳版を読んでいる。
この手引きの底にある基本的な
人間に対する思想は
「どんなにひどい甚大な被害、
無慈悲な運命に襲われたとしても
人は必ず回復していく力がある。
その力を信じあせらず急かさず
そこに働きかけていく」という
人の持っている健康さや回復の力を
信じたアプローチであるといえる。
ぼく自身は今のところ
直接的に被災地に入る予定はないが今後必ず必要になる
知識であり心構えであると思っている。
( なお「サイコロジカル・ファーストエイド日本語版」は
閲覧もダウンロードも無料でできるので
興味のある人はどうぞ参照してみてください。
http://www.j-hits.org/psychological/index.html )
大阪からは医師や精神保健師が被災地に派遣されている。
やはりぼくはこのような時のためにも
ちゃんと資格をとっておかなければならないのだとあらためて思った。
手を挙げるにも「資格」がいる。
非常にハードな状況のなかでも自分の心身を守り、
被災地でほんとうにちゃんと「動ける」「役に立つ」
ということをまずは目に見えるかたちで示せなければ、
「現場経験」だけではリスクマネジメントの観点からも
このような場面で派遣される可能性は皆無だろう。
今できることをがんばろうと思う。
そして、中、長期的な視点で目指すべきところを見据え
そこに向けた歩みをはじめようと思っている。
今日からの新しい(地震後の)1週間を新たな気持ちではじめていこうと思う。
生活を、日常を、またしっかりとはじめていこうと思う。
福島在住で今回の地震で被災され、
今もなお被災地での生活を行いながら
情報を発信されている
当「JunkStage」の運営理事桃生苑子さんの
ツイートを引用して今回のコラムを締めくくりたい。
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被災していない方にお願いです。
普段通りの生活をしてください。
経済を破綻させないでください。
被災地を哀れまないで、
ちゃんと復興の土台を作ってください。
それが結局被災地を救います。
Sonoko_M 桃生苑子 3月18日
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がんばれ。
がんばる。
うつくしまふくしま。