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2011/03/31

昨日見た夢の話をしようと思う。
 
心細い夢だった。
ぼくはまだ少年で
古くてとてもぼろぼろの板張り間に
ひとりで住んでいた。
布団もなにもない板の間に
ひとりで体ををまるめて眠るしかなく
ぼろぼろでひとりでとても心細くて、
こんなのは夢だ、こんなのは違う
今は違うのだと夢の中のぼくは叫び出しそうに
なりながら外に出て、ひと呼吸してから
もういちどドアを開けた。

先ほどと同じ風景がくらく狭く目の前に広がっており 
ぼくはああそうかこれが現実だったのかと思い知り、
そしてその瞬間ほんとうに目がさめてちゃんと
ほんとの現実の自分の部屋で眠っていたことを知る。
何も変わらず何も失っておらず隣には妻が健やかに眠っていた。
  
 
今年いろいろなことがあった。
この1年はぼくが短歌をはじめて3年目の1年であり
ぼくの38歳の1年であった。
4月にはじめたこのコラムは今日でほぼ1年となり
ぼくは来月39歳になる。
当初からの予定通り今回をいったんの最終回とする。
 
ここに書いたコラムをあらためて読み返すと
あまりの必死さにいやいや自分どんなけ必死やねん
と自分でほとんど笑いだしそうになるわけだが
事実としてこの1年ぼくはあまりに必死で
あまりにずっとぎりぎりだったと率直にそう思う。
 
1週間前ぼくは言葉を消そうと思った。

内面を覗き込むとぼくは
たびたびひどくうろたえてしまう。
好きも嫌いも自分自身の強い感情が
すべて自分をおびやかすかのようで
そして人をも傷つけおびやかすのではないかと
ぼくはひどくおびえた。

この1年ぼくは強い酒をあおるように強い言葉を欲し
強い感情を求めては泥酔しひどく取り乱しては
しばしば自分を見失いそうになっていた。
ぼくは自分が愛情飢餓のモンスターのようだと思った。
食べても食べても満足できないセサミストリートの
青いクッキーモンスターのようなたとえばそんなそのようなもの。
トイストーリー3のたとえばそんなむらさきのクマ。
いろいろなことがやっぱりもうぜんぶだめだと思いそうになっていた。
 
 
日曜日にぼくはうまれてはじめて詩というものを書いた。
詩や短歌を書いてらっしゃる水川史生さんとともに
その場のリアルタイムの言葉のインプロヴィゼーションのやりとりとして
順番に一行ずつお互いの言葉に影響を受け、与え合いながら
一時間かけて交代交代にふたりで三十行の詩を書いた。
タイトルは最後に水川さんが。
詩の良しあしはぼくには分からないがそのような価値はどうであれ
おそらくはぼくにとって新たな再生の一歩になったであろう詩をここに記す。
 
 
給水塔が春を終えて、透明に朝が揺れる
流れ出したひかりは決して潔白と言えるものではなく
てのひらに淡く触れ(視線のその先で、)
春は、あわれみはスパークを起こす。
綴じ込んだいくつかの焦点を模して
頁をただめくり続けていることしかできない
彼の世界に言葉は溢れ、
給水塔から少し空に近く
目を細める程の眩しさに覆われている。
ああ、ああ、そうか。せかいはこれほどのやさしさに満ち(いやいやそれはどれほどの)
かなしくあわれに歌われて(声の上に成り立つだろうか)
そうしてわたしはまた閉じていこうとしているのだろうか
終わる春とともに
始まる前に終わりの決められている春とともに
こぼれ落ちるわたしの、破片を抱いて
抱きしめれば容易にそれは人を傷つけるそれらを
体温が、溶かすように。
まだわたしの中に残る幾許かを
すべて世界へ埋めるように。
あたらしい朝をひらく
行き過ぎた風が髪をさらい
この髪の長さにも慣れたことに気づく
白く確かな輪郭で
私のありようを紛れずに照射する。
指先をのばす 給水塔から
どこに紛れ込むこともできず
映される意識をそのままに
手のひらは空をつかむ
鐘の音の鳴る、透明な朝
落ちろ、飛べ。 開け

「照射される朝にて」
水川史生 瀬波麻人 2011.03.27
 
 
紛れ込むことなどできないのだと
ふたたびぼくは思った。
 
  
今年抱きしめてくれた人ありがとう。
頭をなでてくれた人ありがとう。
手をひとときつないでくれた人、
言葉を交わしてくれたすべての人たちありがとう。
おかげで今生きています。
 
ぼくがいようがいまいが
歌を詠んでいようが詠んでいまいが
世界はきっとそのありようをかえないけれどでも 
清くもなく、正しくもなく、答えを持っている人でもなく、
ただここに私は私のままでいたとそのことだけは胸を張って言えます。
胸を張って言うようなことであるかどうかは分からないけどただとにかく
人生においてただ一度きりしかない2010年を、38歳のこの1年をとにかく
自分なりにせいいっぱい生きたと言えるいい年でした。
みっともないようなこともたくさんありましたが
交わした言葉にひとつの嘘もなかった。
  
それでもぼくは時折ひどく取り乱しており
いつも誠実ではいられなかったぼくもまたやはりネット上に
はっきりと残っていて1秒ごとに自分のたった今発した言葉に
さいなまれるような気になったりも(今も)するのだけれど
それでもやはりこうやって言葉に傷ついたり傷つけたり
でもやっぱり癒されたり支えられたりしながら
ぼくたちはまたやっていくしかないのだろうと思う。
 
伝えたいこと、言い尽くせないことはたくさんたくさんあるのだけれど
とにもかくにも今生きていることをもって全ての感謝とさせてもらいます。
ほんとうにありがとうございました。
 
ぼくは心がとてもよわかった。
だから時折ぼくは何度も自分勝手に乱れた。
よわくてとてもよわすぎて誰もたよりにできず
この数年、仕事において
ほぼ完璧に感情的コントロールをおこなってきて
職場においても家庭においても
もっとも頼りにされ必要とされ、
その期待にもっともこたえ続けてきた1年で
あったように思います。(あくまで主観的には!)
しかし同時に、あまりにもきちんと感情を抑制しコントロールしようと
しすぎていて段々自分が見えなくなっていたのだと思います。
ひとたび頼っていいのだと思うと
あまりにも感情的に相手によっかかりすぎて
大切にしたいと思った関係を大切にできず
自分からむちゃくちゃにしてしまうようなことが
今まで何度もありました。
このままではどうやらこの先ほんとにちゃんとやっていけそうにない、と
いろいろな人との関わりの中で今年はっきり気がつきました。
現実のなかで少しずつ感情をちゃんと出す場をもつようにしようと思いました。
深呼吸してあらためて見渡してみればちゃんと息のできるような広い野原と
適正な距離のなかでならば頼ったりあまえたりしても
簡単にはこわれないような関係を
ちゃんとこれまでに築いてこれていたのだと気がつきました。
やっとほんとにちゃんと気持ちをゆるめて一息ついてもいいのだと
むしろそうすることによって
人と人とのつながりの中において自分も人も大切にすることができるのだと
そう思いました。
ぼくは長くつきあっていける人間関係を築いていきたいです。
そのためには自分がもっとつよくやさしく
度量のある人間にならなければならないと
そうありたいと思いました。
だからちゃんと頼る。人にあまえたりたよったりまかせることを過剰におそれず
心をひらいてやっていきたいと思います。
ここをスタートにしてまたぼちぼちと歩いていこうと思います。
たくさんの人からいただいたたくさんのやさしさを胸にしまっています。
だからぼくは大丈夫だと思います。つよくなれると思います。 
 
ぼくはやさしくてつよい人になろうと思います。
ほいでもって1年後には40になるので
なんていうかこう、
かっこいいおっさんになろうと思います。
 
いろいろなことがあってとてもいびつで不完全な私ではありますが
それでもなお人としてこれからもつきあっていってくれるという方が
いらっしゃればそのような関係をできるだけ長く大切にしていけるよう
ぼくはあせらず着実に、立ち止まったり深呼吸したりしながら
にこにこ笑いながらかわっていきたい、成長していきたいと思います。
歩いていきます。ありがとう。
 
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瀬波麻人 連作十首 「旅立ちの歌」

いただいた言葉に見合う私となりたいのです。  旅に出ますね
くちびるも手も指先も冷えていて誰もおびやかしたくはないのだ
変わらないものがほしいと泣くくせに変わっていくのはいつも自分だ
今度こそ朝が来たのかあと何度夢から醒める夢を見るのだ
この春を越えて行くのがつらいから麻の着物をひとつください
好き嫌い嫉妬妄想妻妥協「女」のつく字がみなおそろしい
ねえ髪を撫でてよ冷めた終バスの窓に額をつけて呟く
初めてで最後の夜になるだろう僕らあさまでゆうやけをみた
名付し難い関係ばかりが増えていく三月は嗚呼別れの季節
さよならがとても上手にできなくて手ばなすように木蓮は咲く
 
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そういえばもうひとつ夢をみました。
柔道をしている夢です。
柔道部ですごく強かった後輩に投げられそうになって
でもしっかり自分の身体や体重の預け方を
コントロールしながら落ち着いて対処することができて
投げられなかったというそれだけといえばそれだけの夢
なのですが、目がさめていちばんに思ったのは
ああ古い夢をみたな、と。
柔道をやっていたのが高校時代だから
あれからもう20年も経ったのか。
生きてきたんだなぁと思うと
なぜだか小さく声に出して笑っていました。
  
今また段々元気になってきて
心のゆとりもリラックスした時間も取り戻してきております。
何年かぶりにこちらから連絡をとった人もいます。
当短歌コラムは今回をいったんの最終回として
しばらくの休載の後ゆるやかなペースでぽつぽつと
やっていこうと思います。

言葉は消しません。また会いましょう。

2011.03.31 瀬波麻人

2011/03/31 05:57 | senami | No Comments