公開レッスンなるものをご存知だろうか。
楽器や歌のレッスンがみんなが見てる前で行われる。
先日大学から送られてきた案内に公開レッスンを発見し、前々から予定を調整し、行ってきた。
オペラではなく、ドイツ歌曲の公開レッスンだ。
受講するのは大学と同院の3人と、それぞれのピアニスト。
講師はドイツ歌曲(リート)の権威、白井光子先生。
久々の大学にソワソワしながらも、学生に戻ったような嬉しさが湧き出る。
聴講者は学生だけでなく、一般の、それもかなり年配の受講者も多く、注目度と学び欲に少し驚かされた。
白井先生の登場はにこやかで、オーラなんて簡単な言葉で済ませたくない何かがある。
近くでみるととても小柄だった。
小柄なのにさすがのパワフルな声と飾り気のないラフな指導で、受講生がどんどん変わっていく。
歌い手だけではない。ピアニストもバンバン指導を受ける。
先生が言う一言一言がうんうんと言いたくなることの連続で、たくさん勉強させていただいた。
オペラとは違う、詩があってこその独特の世界。やっぱりドイツ歌曲っていい!
3人のレッスンは2時間半にもおよび、さらに質疑応答まで含め、すべてノンストップ。
先生は疲れも見せず質問にも丁寧にお答えになる。私も興味津々、最後まで充実した濃密な時間だった。
そして、ただただ、学生に戻れたような、教わる立場にいたことが幸せだと感激した時間になったのだが、一つ思うことができた。
「奥深いと思っていたことは実はもっとシンプルで自然なこと」
なのかもしれない。
難しい、と身構えることで本質から遠ざかってしまうことが多々あるということ。
私にはうまく説明できるだけの文章力がないが、きっと上に行けば行くほど、深いというよりそれは自然に近い形になるに違いないと思う。こうなると悟りに近い。
だからこそ、その「自然」「当然」が見つかるまで(いや、見つからないかも)、追い求めて勉強し続けるのかも。
明日も明後日も歌っていこう!!
近々とある場所でショパンの「幻想即興曲」を弾くことになった。
右手の速いパッセージがいかにもショパンらしく感傷的。 すごく有名な曲なので、CMとか何かで一度は耳にしたことがあると思う。
この有名な曲、意外にもきちんと弾いたことがなかった。 まだ子供の時には憧れて挑戦したこともあったんだけど。
私ってこういうトコがあまのじゃくで、有名過ぎる曲を弾きたくなかったりする。 あまりにも有名すぎて、ポピュラークラシックに自分でカテゴライズしてしまってるのか、自分で音にするのが、恥ずかしいというか…。
それでも、レッスンで先生にやってきなさいと言われればやらざるを得ないんだけど、この曲だけはなぜかショパンの即興曲の中でも取り残されていた。
取り組んでみると、間違って覚えていた音が二つもあった。 そして弾けば弾くほど、旋律の美しさは感じずにはいられない。
あまのじゃくの私、当然CDは今まできちんと聞こうとしてこなかった。 今になっていろんな人の幻想即興曲を聞いている。
ワインのテイスティングのように、並べてみると三者三様、十人十色。
その中でも気に入ってしまったのはエフゲニー・キーシン2004年、33歳の演奏。 音楽は生ものなのでその時によって解釈や弾き方も変わる。 当然キーシンのも違う録音があるわけなんだけど、今のところなんだかとてもコレが気に入ってしまった。
速いパッセージの中にたくさんロマンチックで儚い揺らぎを入れて、もうクラクラしそうだ。
私の持ってる楽譜の指示とは違う所もあるし、独自の解釈もあるだろうし、もちろん反対意見もあるだろう。
でも今はこれ! 繊細とクラクラと激情が混じった彼の演奏が好き!
そしてやっぱり幻想即興曲は名曲だと思う。
※あくまでも個人的な意見、感想です。悪しからず。
滞在先のサヒワールから離れる晩、私のお別れ会を開いてくれた。 何人も親戚が集まるので、家の女達は早くから鶏肉を仕込んだり、サモサを作ったり、ピザを頼んだり。 初めてサモサを作ったが、サモサの皮は細長く、それを具を包むように三角に折っていくのは楽しかった。 ちなみにピザは、日本のとは違うけど、デリバリーのチェーン店みたいのがある。 具材もいろいろあり、私はペパロニを頼んだけど、豚肉禁止のイスラム圏で、あれはいったい何肉だったんだろう???
集まってくれた親戚達は女性12,3人、男性8人位、初めて顔を見た人達もいて、わざわざ集まってくれたのが義理人情を感じる。
まず食事、男女に分かれて食べる。あまり賑やかに話したりしないのは、人柄か国柄か、結構静かに食事は進み、あっという間に食事は終了。
食事の後は、また男女に分かれて今度はしゃべったり、TVを見たり。 女達は家人の一部屋に集まり、ついにメインイベントが始まった。 私のために家人の知り合いだという、シドラという名前の女性を呼んでくれていた。
シドラは私がもらったような太鼓(前のコラム参照)を膝の上に立てて置き、それを指ではじくように叩いたり、添えた左の指輪でカチカチ音を出したりしながら、歌を歌った。
正式には歌ではなく、これもイスラム教のコーランの内容などを唱っている。 義従兄弟に何というジャンルか、と聞いたら「カラーン」と言っていた。 うん?カラーン?コーランと同じか? 調べてみると、
☆イスラームの聖典『コーラン』(クルアーン)は本来は声に出して読まれ(読誦どくしょう)、伝えられる(口承)ものであることであること。
☆「クルアーン」の元となった言葉は、古代アラビア語で「声に上げる」、ヘブライ語で「叫ぶ」。
☆読み方には抑揚と旋律をつけたものがあり、読み人の個性によって「音楽的」なものとなるということ。
うーん、これでコーランを教える塾での話も納得。
音楽という言葉はNGでも、歌のように聞こえるはず。 しかもシドラは太鼓まで叩いているのだから、異教の人には音楽に聞こえるはずだ。
まぁ日本でもお経は抑揚やリズムはあるし、木魚を叩いたりするから同じようではあるが、もっと広い音域を使うので、なおさら音楽っぽいのかもしれない。
シドラの声は本当にしなやかで強く、地声でもかなり音域が広い。 例えるなら日本の民謡の人みたいな声の出し方に近い。
どうトレーニングしたのか、呼吸も自然に、且つ深く、支えのあるとても安定した声が出るが、コロコロと細かい歌い回しもできる。
しかも家が石造りで天井が高いので声がバンバン響く。 食い入るように見入って、聴き入ってしまったが、これも宗教の力強さなのかもしれない。
音楽も宗教と似たところがある。宗教もまた然り。 興味深い関係性だ。
学校といえば前回書いた学校の他にもう一つ、従姉妹の子供達が通う私立の学校を見学させてもらった。
上の子は日本で言えば年長、下の子は3歳で二人とももう通学しているので、かなり小さな子から通える学校だ。
下の子の方は、学校といっても勉強はまだまだ、外の遊具で遊んだりで、教室には身だしなみのスペースがあったり、1から10など数のポスターがあったり、生活を教わってると言った感じだろうか。上の子は英語の授業をしていて、I とか Heとか Sheとか綴りと発音を勉強していた。
他には3年生が音楽の授業をしているというので、見学させてもらえた。
日本でいう音楽室よりはずっと小さく、ピアノも作曲家のイラスト入りの年表もない。
若い男の先生がシンセサイザーの前に立ち、3年生15人くらいを教えていた。
音楽室に入った時には見学からなぜか「私が何かする」ということに話が変わっていた。
日本という国の認知度も低そうだし、ましてや日本の歌なんか聞いたこともないだろうと、
「ふるさと」と「花の街」をアカペラで歌うことにした。
オペラやクラシックの歌曲などは聞いたことがなさそうな、子供たちの反応。そりゃそうか。
日本の子供たちだって、普通はクラシックの歌を間近で聞く機会はないか。
そのうち驚くことに音楽の先生は伴奏をし始めた!え?曲知らないのに?
シンセサイザー特有のホニャーっとした音でなんとなく伴奏を付けてきた!
合っているような、いないような何とも言えない伴奏で歌い終えた。
お礼にということで、生徒たちも歌を聞かせてくれた。
英語で、ポップス調の曲だった。
2曲目は身振り手振りを交えたもので私も真似しながら一緒にやったが、
右手を前に、左手を前に、腰をシェイクシェイク…なんだか随分子供すぎる感じだ。
日本の3年生はリコーダー吹いたりもう少し違うことをやるんじゃないのか?
最後は私が少しピアノを弾いた。
即興で弾いていたら、そこでも先生の邪魔が!!
シンセサイザーなのでどうやらリズムと自動的に音に厚みを出せる機能を使いたい様子。
もともと私は電子楽器には慣れていないし、これぞ有難迷惑(笑)
私の演奏を途中で止め、いざリズムが始まったら3拍子で、さっきまでは4拍子だったのにと、もう何がなんだかメチャクチャ(笑)
後で従姉妹に聞いたらすぐに自分が参加したくなるタイプの先生らしい。
しかし、コーランの先生が言ってたように「音楽はサタン」だからなのか、音楽という文化があまり重要視されていないんじゃないのか?
ポップスが悪いわけじゃないし、踊り付きの歌だっていいけど、あれではまるでレクリエーションだ。
伴奏はほとんどシンセサイザー任せだし、もっと生のピアノの音色とか聞かせてあげた方が…とか思ってしまう。
もしかしたら日本みたいにクラシック音楽を勉強した人が先生になるんじゃないのかな?
考えると音楽とか体育の授業って国によってものすごく違いがある科目かも。
算数みたいに足し算引き算必ずやるでしょう、というものじゃないからね。
授業から国が見えてくる、う~ん、興味深い。
従姉妹の夫は6人兄弟。 一番上のお兄さんは、学校の先生をしている。
このお兄さんが、頻繁に従姉妹のウチを出入りしていて、私のパキスタン滞在を心配してくれていた。
「何がしたいか」と聞かれたので、『音楽の事が知りたい』と答えた。
「何が欲しいか」と聞かれたので『なにか民族的な楽器があれば(持って帰れる小さなモノなら)欲しい』と答えた。
一つめのやり取りの後、彼が知り合いの学校の朝礼を見せてくれるということになった。 どうやら、学校のバンドを私に見せたいらしい。
話から鼓笛隊のようなモノかしらと想像したが、せっかくだからと見せてもらった。
そこは公立の学校で、かなり小さな子供、小学一年生くらいから中学生くらいまでの生徒がいる男子校。
まずは校長先生にご挨拶してから朝礼に同席。 日本の朝礼のように、校庭に一箇所に生徒一同が並ばず、庭園の通路それぞれに生徒が並んでいるといった様子。
何を言ってるかは分からないけど、挨拶があったり、イスラム圏ならではのお祈りがあったり、アルゴリズム体操みたいのがあったり。
後半に小学3年生くらいの子がひとりで歌をうたった。音程しっかり、しかも、時々天を仰ぐように手振りも付ける。上手い!!
お祈りか、神様の事を唄っているのかと思ったけど、後で聞いたら、「アジアもアラブも世界」みたいな歌だったらしい。私たちを迎えてくれた歌だったのだ。
朝礼の終わりはいよいよバンドの演奏だった。 そのバンドとは… 大、中、小太鼓、笛が3本…
太鼓は日本と似てるタイプ。笛はリコーダーのような形をしているが、音は決定的に違う!
リード楽器で、まるでクラリネットのリードだけ鳴らしているようなベーベーとした音。
聞いてすぐに思い出したのは、オスマントルコの軍楽隊。(最近だとダイワハウスのCMでも流れていた) 拍子なんかも似てる! 音域は広くはなく、音階もいわゆる西洋の音階とは全く違う。 この演奏をバックに生徒たちは教室に走って戻る。 終わりがあるのかないのか、各自がブツっと演奏をやめたのには笑ってしまった。
興味深くバンドを眺めていた私に、お兄さんは後日薄い太鼓とバンドで見たリコーダーと金属でできた縦笛を持ってきた!!!
まさか、これが2つ目の質問の答え!? だって小さくないし民族的じゃない!もう笑うしかないけど。
バンドのリコーダーは中にリードが入るようになっていて、歌口から息を送るとベーとした音が出る。 金属の笛は余った金属片で誰かが作ったんじゃ、と思うくらい、簡素、あまり作りはよろしくなく音域も狭く、思ったように音は出なかった。
そして太鼓は直径40センチ近くあるかなり大きなもの。 張ってあるのは皮ではなく、ずっと近代的なものだった。
小さくないと持って帰れないと、散々説明したんだけど… いったい楽器屋さんというものがあるのかないのか。 想像した、観光地にありがちな、民芸品ぽい太鼓やウクレレみたいなものが売ってるようなお店は近くにないのか、そんなものは全くないのか、私が店に行くことは叶わなかった。
心配していた太鼓はぎりぎりスーツケースに入ったので、裏返してそこにも服や小物を詰め込んで帰ってきた。 帰国後、太鼓を見た夫は笑いながら「こんなの日本じゃ買えないよ」と。 そうか、珍しいならいいかと自分を納得させ、レッスン室の片隅に置いた。
いつかチビッコのレッスンで使おう。
いとこの娘ってなんていう?
「姪」ってのは兄弟姉妹の子供の事だけどね。
調べたらなんだかカチコチな漢字が。従姪、じゅうてつと読むらしい。
音的には可愛くないね(笑)
とにかく、その私のいとこの娘(6歳)はパキスタンで現地の言葉とコーランの勉強をしてる。
パキスタンの公用語はウルドゥー語。
まるでウネウネした細いミミズのような文字で、右から左に読む。
コーランの教えとその文字を教えてくれる施設はスパラといって、いとこの家からは2,3軒先。
そこに子供達が習いにくる、プライベートな塾みたいなものだ。
滞在中、一度そのレッスンを見せてもらった。
いとこの娘はまだ文字を読む段階。
日本語のアイウエオ表みたいのを一文字ずつ読む、つっかえたところや発音が悪いところは先生が繰り返し練習させる。
もう少しレベルの高い子はコーランを読む、音読する練習をしている。
2人ほど、音読を聞かせてもらったが、本を読むのとは違って、まるで歌のように、抑揚を付けたり、身体を少し前後に揺らしながらリズムを取っているように読む。
外国語を歌う機会が多い私にとって、発音なんかは興味深いし、リズムをとることも、音楽的なんだろうかと色々思いながら聞いていたが…。
最後に指導者の女性と話をした。
レッスンを見せてくれたお礼を伝え、「この文字の発音は難しいですね」と従姪の教本を指で指し示してしまった。
先生は怒りはしなかったが、本当は私なんか触ってはいけない。身を浄めないと触ってはいけなかったようだ。
それから、朗読してくれた女の子の感想を「まるで音楽のように読むのですね」と、例え方が他に思いつかなかったので、そのように伝えると先生は
「これは音楽ではありません。音楽はサタンです」と!
あーあ、やっちゃいました。
宗教の事はデリケートだから、あまり感想は言いたくなかったんだけど。
見せてもらって何も言わないで帰るのもなんだし、でも他に例え方が見つからなかったし、
英語で話してたけど、そこまでボキャブラリーがなかった。
別に先生は怒ってるわけではないけど、こうなるともうインタビューという感じでもなくなり、なんとなくしょんぼりしてお家を後にした。
音楽を例に出したのはダメだったかもしれないけど、あれは明らかにリズムとも言える調子の取り方。
この後縁あって、もっと音楽に近いものを聞くことになる。。。。。
なんと!初のイスラム圏、いとこが住むパキスタンに行ってきた!
彼女は日本でパキスタン人の男性と結婚し、今は二人の子供達をあちらの学校に行かせている。
場所はサヒワールという小さな町。パキスタン第二の都市、ラホールから車で約3時間という距離。
夜の11時過ぎに空港に着き、いとこ家族が車で迎えに来てくれ、眠気でぼんやりしながらデコボコした道を進む。
パキスタンは完全に夜型らしい。
家に着いたのは夜中の2時を回っていたが、おばあちゃんを含め、みんなで待っていてくれた。
疲れたでしょう、と出してくれたチャイ。これが初めて口にした現地の味だ。
そして、いとこが私を迎える前に買ったマクドナルドを出してくれた。初マック!
「チキンなんとかバーガー」、かなり辛い。やはりこちらの料理はみんな辛いのか!!??
翌日の土曜日は、親戚の結婚式に出席。
家の女達は何を着て行くか、昼間から綿密に相談している。実は次の日曜も結婚式なので、今日はコレ、明日はコレ、というように色がかぶらないように、とか色々気にしているようだ。
この結婚式、はじめは新婦側の家族が持ち、次に新郎側が持つ、というスタイルなので2日間連続なんだそうだ。
やっと私たちは衣装が決まり、念入りに化粧をして出かけた。
結婚式は日本の式場みたいな場所で行われるのだが。。。。
着くと会場には女と子供しかいない。
そう、ここはイスラム圏、男女は別々なのだ。
会場に入る前にも、何人か親戚を紹介されたが、ハグどころか、握手もしないのだ!
新郎新婦もお見合い結婚は当たり前、その日のカップルも、その日初めてお互いの顔を見るのだそうだ!!
会場前方には高砂が設けられているが、主役はいない。
親戚たちは会場のあちこちでずっとおしゃべりに花を咲かせている。
いったい主役はいつ来るんだ、と思うこと一時間以上。
いい加減のども乾いたという頃、コーラとスプライトがストローの刺さったビンで振る舞われる。(パキスタンは禁酒国なので大人もジュースを飲む)
そして、いい加減お腹も空いたという頃、食事の場所に案内される。
時間で仕切られる日本だったらありえないけど、こちらの結婚式はこうなんだそうだ。
食事の場所ももちろん男女別。
大きなサーカスのテントみたいな場所でチキンのカレーとスパイシーなライスと、ナンなどを立食でいただく。
やはりスパイシーだが、子供たちも普通に食べている。
食事後、新郎新婦とやっとご対面。お祝いを渡したり、挨拶をしたり、思い思いの時間があり、あっけなく主役退場。
儀式的なものは何もなく、日本と比べると随分のんびりしたものだった。
それにしても、最初から最後まで、BGMは何一つかからなかった。
新郎新婦の入場も退場も、歓談時間も全くなんの音もない。
BGMもなければ、友人の余興なんてもちろんない。
いったいこの国はどんな音を持っているのか?
そう思った滞在初日だった。。。
ちびっこを持つ、世のお母さん達、歌ってますか?
私はピアノレッスンを始めたばかりの子供達に、よく曲当てクイズをする。
歌詞を歌わず、ピアノで簡単な童謡などを弾き、曲名を当てさせる、というもので、
童謡も「かえるのうた」とか「どんぐりころころ」「チューリップ」「ぶんぶんぶん」とか本当に簡単なものだ。
ところが、意外や意外、子供達はこの「ど」スタンダードとも呼べる曲を知らないことが多い。
メロディーでダメなら歌詞も歌って聞かせるがやっぱり知らないみたいだ。
私がピアノの先生についたのは5歳位だったと思うが、その時には「かえるのうた」や他の童謡がもう弾けてた。
母は私が小さい頃から、私を膝に乗せ、童謡なんかを聞かせてくれ、手ほどきしてくれた。
これは母に感謝しきれないくらい感謝している。
母はピアニストでもなんでもないが、そうやって自然と私を音に触れさせてくれた。
右手はメロディーを弾き、左手はごく簡単な和音をポーン、ポーンと弾くだけのシンプルなもの。
今になると、このシンプルな下地がどれだけその後の音楽への道に影響するかと本当に実感する。
メロディーを弾くうちに、自然と『ドレミファソラシド』という音名と
左手の和音で4拍子なり、3拍子なり、簡単なリズム感が身につく。
するとピアノレッスンへの導入は驚くほど楽になる。
『あいうえお』を習う前に、たくさん会話があるのと同じ。
言葉を話す前の子供に『あ』という文字を見せて、”あ” ”あさ” ”あか”…とか言う親はいないだろう。
音楽も同じ。
先にドレミの垣根をなくしてレッスンを始める方が子供にとっては楽に違いない。
それまで何も知らなかったのに、いきなりこれはドですよと言われても子供は困るだろう。
音楽だけでなく運動にも大きく関わるリズム感も。
童謡をリズム感なしにいい加減に歌う人はまずいないだろう。
手拍子ができない人もまずいないだろう。
日本人が苦手と言われる3拍子も、楽譜にするとつまずきやすい付点四分音符と八分音符だって「ぞうさん」にどちらも入ってる。
「ぞうさん」も「ハッピーバースデイ」の曲も3拍子だ。
ウィーンフィルのように3拍子が演奏できなくても、3拍子は身近な所にあったのだ!!
ドレミ…という音名で歌ってあげられる親御さんも少ないだろうし、教えられる親御さんも少ないかもしれない。
そこは先生に任せるしかなくても、歌詞で歌ってあげたり、歌を聞かせてあげたり
歌と一緒に身体を優しくリズムで叩いてあげることは是非してほしい。
音楽もリズムも特別なことではなく、ごく自然なこと。
そうしたらピアノだけでなく、学校の音楽でも挫折感を持つ子供は減るんだろうな。
2月13日、20日、27日と3日間でワークショップを開催することになった。
その名も【バレエ入門&バリエーション】!!!
バレエのレッスンでは普段から『白鳥の湖』とか『ドンキホーテ』とか演目を踊っているわけではない。
ましてや、バリエーションなんて発表会でも主役やソリストに抜擢されないと踊る機会なんてない。
そんな踊りたい人の為になのか、最近バリエーションクラスがあちこちで増えてる気がするが、
バリエーションクラスというと、「経験○年以上じゃないとダメ?」、とか「トゥシューズじゃないとダメ?」とか、経験の浅い方にはちょっと敷居が高い。
とくに始めたばかりの人にとっては、なかなか踏み出す勇気が持てないかもしれない。
実際クラスに出てみても、大半がポワントだったり、振りはオリジナルのままだったりして
初心者の方には踊るのも覚えるのも結構大変だ。
バレエに憧れてレッスンを始めても、初心者クラスでは基礎的なことばかり。
これも踊るためのトレーニングなので必要なことなんだけどね。
ポジションとか形とか動きの質とか気にすることも大事だけど、
それと 『踊り心』 とは関係はしてるけど別のものだと思う。
コンクールに出るのではないのだから、少々細かいコトは気にせずに、
憧れのバリエーションをのびのびと、気持ちよく踊ってほしい。
☆バレエシューズで踊ります。
☆レッスンの初めはバーレッスンあります。
☆音はゆっくりめ、振りが難しいところはアレンジします。
3日間かけてゆっくり振り付けします。
○2月13日、20日、27日 (水)
20:30~22:00
料金:3日間で¥3,000
行徳 D-STYLE
(東西線 行徳駅より徒歩3分)
047-359-2446 *お気軽にお問合せください
詳細はこちらでも
http://d-style-ts.com/index.html
休みボケというのは何にでもあるらしく、ピアノの先生もこれには悩まされる。
年明けて今月のレッスンも半月を過ぎてようやく落ち着いてきた。
私も懲りないもので、毎回休み明けは「○○ちゃん、宿題やってくるかな」とか
「あそこの難しいところできるようになったかな」とか期待してしまうのだが、
それは見事に、きれいさっぱり踏みにじられる(苦笑)
もちろんやりたい気持ちが強い子や大人は別。きちんと宿題や課題をこなしてくる人もいる。
まぁ宿題やってこない位は普通なのかも…。
普通っていうと変だけど、学校の宿題と違って、一日頑張れば終わる、とかじゃないから、
「しばらく遊んでました」→「思い出して急に練習しました」で弾けるようにはならないからね。
年末年始大人だって遊びたいしね、そろそろ練習したら?と子供にいう頃には遅いのかもしれない。
他にも「どこが宿題だったか、分からないのでやってこなかったー」とか能天気に言われると、
怒るというより、もうガックリしちゃうわけで。
おいおい、いつもは大体次の曲だろー、分からなければ電話しろ、と突っ込む気力もへし折られる。
そんな調子でせっかく意気込んでレッスンを迎えたはいいけど、ということしばしば。
生徒と先生のそんなギャップがだいたい夏休み後と正月後に起こるわけなんだけど、
ついつい忘れて期待しちゃうんだなー。
だからきっと生徒もついつい休んじゃうんだろうなー。
こちらも年明け早々怒らず、冷静に、いいレッスンをしようと、心も新たにレッスンに向かうんだけどね。
いったいこのギャップが埋まる日が来るのか。
いや、違うな。
それでも期待するべきなんだ。
「うちの子はそんな事をするような子じゃありません」と子供を愛情をもって信じる親のように、
私も信じるべきなんだな。あきらめたらそこで終わり。
どうせ、やってこないんでしょ、ではなくて、やってきたかな?やったよね?、と期待していこう。
それでもダメだったら?
方法を変えていくしかない、今は信じましょう。 大きな愛だね。