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2013/05/16

滞在先のサヒワールから離れる晩、私のお別れ会を開いてくれた。 何人も親戚が集まるので、家の女達は早くから鶏肉を仕込んだり、サモサを作ったり、ピザを頼んだり。 初めてサモサを作ったが、サモサの皮は細長く、それを具を包むように三角に折っていくのは楽しかった。 ちなみにピザは、日本のとは違うけど、デリバリーのチェーン店みたいのがある。 具材もいろいろあり、私はペパロニを頼んだけど、豚肉禁止のイスラム圏で、あれはいったい何肉だったんだろう???

集まってくれた親戚達は女性12,3人、男性8人位、初めて顔を見た人達もいて、わざわざ集まってくれたのが義理人情を感じる。

まず食事、男女に分かれて食べる。あまり賑やかに話したりしないのは、人柄か国柄か、結構静かに食事は進み、あっという間に食事は終了。

食事の後は、また男女に分かれて今度はしゃべったり、TVを見たり。 女達は家人の一部屋に集まり、ついにメインイベントが始まった。 私のために家人の知り合いだという、シドラという名前の女性を呼んでくれていた。

シドラは私がもらったような太鼓(前のコラム参照)を膝の上に立てて置き、それを指ではじくように叩いたり、添えた左の指輪でカチカチ音を出したりしながら、歌を歌った。

正式には歌ではなく、これもイスラム教のコーランの内容などを唱っている。 義従兄弟に何というジャンルか、と聞いたら「カラーン」と言っていた。 うん?カラーン?コーランと同じか? 調べてみると、

☆イスラームの聖典『コーラン』(クルアーン)は本来は声に出して読まれ(読誦どくしょう)、伝えられる(口承)ものであることであること。

☆「クルアーン」の元となった言葉は、古代アラビア語で「声に上げる」、ヘブライ語で「叫ぶ」。

☆読み方には抑揚と旋律をつけたものがあり、読み人の個性によって「音楽的」なものとなるということ。

うーん、これでコーランを教える塾での話も納得。

音楽という言葉はNGでも、歌のように聞こえるはず。 しかもシドラは太鼓まで叩いているのだから、異教の人には音楽に聞こえるはずだ。

まぁ日本でもお経は抑揚やリズムはあるし、木魚を叩いたりするから同じようではあるが、もっと広い音域を使うので、なおさら音楽っぽいのかもしれない。

シドラの声は本当にしなやかで強く、地声でもかなり音域が広い。 例えるなら日本の民謡の人みたいな声の出し方に近い。

どうトレーニングしたのか、呼吸も自然に、且つ深く、支えのあるとても安定した声が出るが、コロコロと細かい歌い回しもできる。

しかも家が石造りで天井が高いので声がバンバン響く。 食い入るように見入って、聴き入ってしまったが、これも宗教の力強さなのかもしれない。

音楽も宗教と似たところがある。宗教もまた然り。 興味深い関係性だ。

2013/05/16 12:51 | aimi | No Comments