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最近、このJunkStageでも私以外に「番外編」を書くライターの方が増えて、ご同慶の至りです(笑)。
そういうわけで、私も今回は「番外編」を書かせていただきます(笑)。
先月は22日にバーベキューパーティがありまして、スタッフやライターの皆さんと交流してきたわけですが、その後ここ1ヶ月の間にも何人かのライターの方々と、交流してまいりました。
まずは、バーベキューパーティから間もない4月24日ですが、外山安樹子トリオが初めて横浜まで来てくださるということでしたので、関内に出向いてライブを拝聴してまいりました。
外山さんのコラムをご覧になった方はおわかりかとは思いますが、このライブの前に外山さんには悲しい出来事がありました。
しかしライブではそれをうかがわせるようなことはなく、ベースの関口宗之さんやドラムの秋葉正樹さんと一緒に聞き応えあるジャズを聞かせてくださいました。
また外山さんと関口さんは、来る26日にはなんと私の家から歩いてわずか20分ほどのご近所まで来て、ライブをしてくださるということですから、これに行かないわけにはいきませんね(笑)。
次に5月に入りまして、ゴールデンウィーク真っ只中の3日には自宅からバス1本で行ける、「神奈川県立地球市民かながわプラザ」(あーすぷらざ)に出向きました。
といいますのは、ここで「アクアリウムジャーニー2012」というイベントが行われておりまして、こちらでは鈴木あやのさんが写真や映像を展示しておられ、さらにこの3日にはトークショーを行っておられたからです。
トークショーでは、スクリーンにイルカと一緒に泳いでいる写真やビデオを投影しながら、お得意のイルカトークを繰り広げておられたわけです。
他にも目を引いたのはバラエティに富んだ水槽の数々で、さしずめ会場内は「ミニ水族館」と化していました。
中には、水槽と言うよりは「生け花」みたいなものもあって驚かされます(笑)。
水族館にお勤めのこばやしさんにも、参考になるかもしれませんね。
ちなみに、このあーすぷらざと同じ場所には「神奈川県職員キャリア開発支援センター」という公務員の研修施設もありまして、私にとっては研修で年に何日か必ず訪れるおなじみの場所だったりします(爆)。
そして最近では、夫婦で20日に「二毛作」を試みました(原爆)。
まず最初に、上野の東京都美術館に向かい「日本画院展」を見てまいりました。
そう、日本画院会員でおられる池上紘子さんもこの展覧会に出展しておられたので、育児でお忙しい中描かれた「キリンの詩」を拝見しに行ったのです。
池上さんにはお会いできませんでしたが、図録を購入させていただきました。
昼食をとってから、今度は神楽坂に向かいました。
なぜ神楽坂かといいますと、神楽坂の「アートサロン香音里」で行われたコンサートに、たかはしういかさんが出演されるので、拝聴しにうかがったのでした(笑)。
コンサート会場の「アートサロン香音里」は、本当に普通の民家を無理やり喫茶店とライブハウスに改造したような場所でしたが、こじんまりとした規模で臨場感については、言うことはありませんでした。
今回のコンサートは、ういかさんはじめ若手オペラ歌手を中心に総勢7人もの皆さんが、かわるがわる1,2曲づつ歌っていくというスタイルで行われました。
これを、休憩をはさんで2ラウンド繰り返したわけですが、ういかさんの前半はもう1人の歌手の方との二重唱2曲、そして後半はソロで1曲という形でした。
二重唱のときの相方さんとのトークが何か漫才のようなノリで、ういかさんが「ツッコミ」で相方さんが「ボケ」という感じでしたね(笑)。
そのトークとは裏腹に、ハーモニーのなんと見事なこと。
途中で上下パートが入れ替わったりして、実に聴き応えがありました。
ういかさんソロのときにも、トークはぶっちゃけ気味で笑いを取っていましたね。
もちろん、他の皆さんも実力派揃いで、大変満足のいくコンサートだったと思います。
終演後にういかさんにご挨拶させていただき、ついでに先ほど買った図録で池上さんの絵もご紹介してしまいました(爆)。
とまあ、こういう感じでこの1ヶ月を過ごしたわけでございます(笑)。
最後にもうひとつ、猫ひろしことカンボジアの瀧崎邦明選手、結局ロンドン五輪には出れなくなっちゃいましたね(苦笑)。
なんでも、国籍変更してから1年以上経過しないと出場できないということで、残念ながらあと2ヶ月ほど足りなかったようです。
5月12日に羽田空港で「残念会見」があったのですが、偶然その日私はその羽田空港に遊びに行っていたのです(爆)。
国内線第一ターミナルの6階に結婚披露宴もできる大広間があるのですが、そこの入り口に「カンボジア五輪委員会記者会見」という看板がありましたので、まさにそこでやっていたのですね。
ただ彼は、今後も国籍を日本に戻すことなくカンボジア人として活動を続けると表明していましたから、これからの活躍に期待したいと思います。
さしあたっては、来年のモスクワ世界陸上に出てほしいですね。