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2015/02/19

僕が出演・現場での演奏指導などで撮影に関わった映画「マエストロ!」が絶賛公開中ですが、皆さまご覧頂けましたか?まだの方、この作品はDVDやBR-Dではなく、音響の良い劇場へぜひ足をお運びください。音が違います。

さて、この映画について、やはり出演した者としてはご覧になった方の感想が気になるところ。幸い、小林監督がTwitterでお客様の感想をRTして下さっているのでこちらも労せずチェック出来ているのですが、ここで気になったのがオーケストラの名前を間違えている人が多いこと。

というのは、この映画、最後に劇中のオーケストラが演奏する場面があるのですが、さすがに多くの俳優さんを入れた状態で観客を納得させるような凄い演奏をするのは難しいですから、実際には佐渡裕さんが指揮をしたベルリン・ドイツ交響楽団の音に合わせて僕らが当て振り(弾きマネ)をしていました。この実際に演奏しているオーケストラ名を「ベルリン・フィル」と間違えている人がかなりいらっしゃったのです。

確かに、日本のプレイヤーでもよく分かってない人が居ますし、佐渡裕さんはベルリンフィルを指揮したときに日本中で話題になりましたから、「佐渡裕=ベルリンフィル」と勘違いする人が多いのは仕方ないのかもしれません。ただ、これは野球で例えるなら、「関西」という括りで阪神とオリックスを一緒にしているような、そんな違和感を禁じ得ません。

ちょっとここで、間違えやすいオーケストラの名前についてお話してみたいと思います。

実は、ベルリンには「ベルリン」と名の付くオーケストラがベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ベルリン放送交響楽団、ベルリン=ドイツ交響楽団、ベルリン交響楽団、ベルリン・ドイツ・オペラ、ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団、シュターツカペレ・ベルリン、さらにベルリン室内管弦楽団、ベルリン古楽アカデミーと9つもあります。他にもあったかもしれませんが記憶が曖昧です・・・・。

どれもフルネームで呼ぶと長いので、例えばベルリンフィルはBPO(Berliner Philharmoniker)、ベルリン・ドイツ交響楽団はDSO(Deutsches Symphonie-Orchester Berlin)、ベルリン放送響はRSB(Rundfunk-Sinfonieorchester Berlin)といった略称で呼ばれることもあります。今回の映画で演奏しているのはDSO、つまりベルリン・ドイツ交響楽団。インターネットで見ていると、このベルリン・ドイツ響とベルリンフィル、ベルリン交響楽団の3団体を取り違えている人が多かったように思います。今回映画で演奏しているベルリン・ドイツ交響楽団にはコントラバス奏者の知人がおり、何度もチケットを戴いて演奏会に行きましたが、オーケストラはベルリンフィルにも引けを取らない素晴らしい音をしていますし、僕が大好きなオーケストラの一つです。

日本でも、東京には「東京」の名を冠するプロのオーケストラがいくつか混在しています。東京都交響楽団、東京交響楽団、東京フィルハーモニー交響楽団、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団と「東京」の名を冠する団体が4つ。こちらも都響、東響、東フィル、シティといった略称で呼ばれています。あまりクラシックに詳しくない人はどれがなんだか分かりにくいでしょうし、正直僕も音大に居た頃はドイツのオーケストラにしか興味がなかったので、東京にこんなにオーケストラが存在する事も知りませんでした。

実際にいろんなオーケストラに客演するようになり、それぞれ全く別の特色を持った素晴らしい楽団だという事が分かってきましたが、最初は留学から帰国してお仕事の依頼を頂くようになって「え、今度行くのはこの前の《東京》のオケとは違うの?」と混乱したものです。無知とは恐ろしいですね。

クラシックに興味のない方々も、まずは映画「マエストロ!」でオーケストラの雰囲気を知って頂いて、その上で日本のどの楽団がどのような特色を持っているのか、そんな事も考えながらいろんなオーケストラの演奏会に足を運んで頂けると嬉しいですし、クラシックに少しでも興味を持っていただけたなら幸せです。

10:02 | sumi | ■オーケストラの名称 はコメントを受け付けていません
2015/02/02

先日、ネットで「フリーランスの方のための無償(またはあり得ない低額)で仕事を依頼された時のお断りセリフ集」という記事を読みました。

さすがに無償でお仕事をお願いしてくる人はほとんどいませんが、「あり得ない低額」での依頼はたまにあります。

そんな時僕がそう対応するかというと、まずスケジュールが空いている事を大前提に、依頼してきた相手との関係性、それと「低額」の程度で判断しています。それまでお世話になっていた人であったり、仲が良かったり、或いは「またこの人と一緒に演奏したい」と思った経験がある人などであれば、ある程度低額でも引き受けるようにしていますが、流石に生活に支障が出るような額の場合はお断りするようにしています。まあ、親しければ、2人の子供を育てていると知っていて且つ低額で依頼してくるケースも少ないと思うのですが。

相手の「低額」と僕の考える「低額」の基準が違う場合もあるので、まずはハッキリと数字で出して貰います。「これしか払えないんですよ~」と提示された金額が高くてビックリ、なんてことも稀にあります。本当に稀ですけど。

これまでに面識がない、あるいはそれほど親しくない方からの依頼の場合、あまりに低額であれば、こちらから最低ラインを提示して「これ以下ではやらないと決めているんです」と伝えています。

これには訳があって、実は以前、「あまりお礼を出せないんだけど」と言われながらも、何度かご一緒した知人からの誘いだったので「いいですよ~」と額も聞かずに引き受けた演奏会が、とてつもない低額報酬だった経験があるからです。確か3日間のリハーサル、ゲネプロ本番で交通費込み計1万円だったかな。往復の交通費だけで計6000円くらいかかってますから、単純計算で日給1000円。帰宅して封筒を開けて、しばらく茫然としたのを覚えています。妻には「あなた3人養ってんだから、今度から先にギャラ聞きなよ」と言われたものでした。

こんな経験から、自らの最低金額を設定し、仕事の依頼があった際には交渉させて頂くようになりました。ドライな話かもしれませんが、生活がありますからね。

ちなみに、プロのオーケストラの場合は最初からギャラが決まっているので、そちらに対しては全く問題がありません。

あ、よく誤解されがちなのが「オーケストラのプレイヤーも、チケットの売上が自分の収入になる」と思われているケース。新人ボクサーや役者さんには多いみたいですが、僕らはチケットの売上に関わらずきちんとギャラは支払われます。ちなみに、自分で主催する室内楽の演奏会なんかはチケット売上が主たる収入になります。

テレビ関係のお仕事や学校の吹奏楽部への出張レッスンなんかになってくると、「ギャラはおいくらお支払いすればいいですか?」なんて先方から聞かれるケースもあります。これは難しい。高く設定し過ぎると「アイツは高い」と次に繋がらなくなる可能性もありますし、何より自分が「俺なんかがこんなに貰っていいのか?」と恐縮する場合もあります。かといって安く設定すると次から良いように利用されるだけになる可能性もある。ですから、「皆さんどの程度頂いてるんですかね~」などさりげなく平均値を聞き出して、そこから自分の価値を設定して交渉します。数字を伝えて「あ、そんなんでやって貰えるんですか」などと言われると「しまった!」と思いますが 笑

ちょっと生々しい話になってしまいましたが、フリーで活動していると、こんな苦労もあるんですよというお話でした。

あ~、確定申告の書類揃えなきゃ。。。。

11:58 | sumi | ■演奏の対価 はコメントを受け付けていません
2015/01/08

皆さま、明けましておめでとうございます。
とはいえ、もう年が明けて1週間経過しておりますが。。。

昨年12月28日の仕事からゆっくりお休みしまして、2015年の最初のお仕事は6日でした。昨年は2日からもうリハーサルをしていましたから、今年は長めの冬期休暇だったという事になります。

お仕事は東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団で、オール・モーツァルト・プログラムのリハーサルでした。モーツァルトの曲はコントラバスにとって(他の楽器もそうかもしれませんが)かなりハードな難曲が多く、年末年始のんびり休んでいきなり弾いたりすると指を壊しかねないので、実家に戻っている間も楽器を連れて帰り、弾かない日を作らないようにし、モーツァルトの曲もしっかり準備をしてきました。

実はシティフィルさん、僕にとっては実に久しぶりの客演。一時は団員さん並みにほぼ毎月出演していた時期もありましたが、ここ10年近く伺っていませんでした。

思えばこの世界は不思議なもので、僕はベルリンに留学している時に、先生から「日本の学生オーケストラで演奏するから一緒に来い」と言われて帰国し、その時ご一緒した方から誘われてNHK交響楽団に客演しました。
その後N響で演奏している姿をテレビで見た方から連絡を頂いて札幌交響楽団に伺うようになり、日本フィルのオーディションでファイナルに残り日本フィルに呼んで頂くようになり、日本フィルで一緒に演奏した方からシティフィルに誘われ、ドイツの先生の紹介で東京都交響楽団へ、さらに大学の先輩の紹介で神奈川フィルと名古屋フィル、そして音楽家で結成したサッカーチームの仲間からの紹介で群馬交響楽団や東京佼成ウインドオーケストラ、シエナ・ウインドオーケストラへと仕事の幅を広げてきました。
僕が一度音楽を辞めて復帰に至る経緯となった「のだめ」のお仕事も、今年公開される映画のお話も、元はといえば僕の幼馴染で、祖父の生徒さんだった友人からの依頼でした。こうした世界からさらに枝分かれして、講習会の講師や個人レッスン、テレビの仕事へと広がっていく訳です。

こうして書いてみると、本当に人の縁で成り立っている業界なんだなあと思います。もちろん、下手な演奏をすればすぐに首を切られる世界です。前述したオーケストラの中には、イップスで手の震えが止まらなくなった頃にお声がかからなくなった団体もありますし、団員以上に出演していたのにオーディションで大失敗して以来呼ばれていない団体もあります。
さらに、僕が1年半音楽を辞め、復帰してからしばらくは呼ばれなかった団体もいくつかあります。例え僕でも、1年半辞めていた人間をすぐに使おうとは思いませんし、きっと、腕が落ちていないか、どの程度この業界で通用するか他の団体で様子を見てから使ってみよう、という事だったのではないかと思っていますが、この2、3年で仕事量は辞める以前よりも増えてきました。復帰した時に「まずは目の前の演奏会一つ一つ真摯に向かい合おう」と決意し、昔よりもきっちり準備・練習をするようになった事が最大の要因だと考えています。

そういえば今回もシティフィルのリハーサルでご一緒した方から日本フィルのご依頼を頂きました。日本フィルも随分と久しぶりの客演。これも「縁」の成せる業ですね。この機会で終わらず、しっかり今後も継続して呼んで頂けるよう、こちらも万全の準備をして臨みたいと思っています。手帳を見てみれば1月の段階で1年後までスケジュールが入っていたり、7つもの団体からのご依頼で埋まっている事は光栄極まりない事です。

今年は約1年かけて執筆した教則本の出版も控えていますし、演奏活動に加え、もっともっと吹奏楽の世界で苦しんでいるコントラバスの生徒さんたちの力になっていきたいと思っています。同時に、目の前に控える演奏会の準備を怠らず、勉強と練習を繰り返し、その上で音楽を好きでいられるよう楽しむことも忘れず、真摯な姿勢で音楽と向き合うつもりです。

その上で何か面白い事があれば紆余曲折伝と併せこちらの記事にしていきたいとも思っていますので、これからも皆さまどうぞよろしくお願い致します。

皆さまのご健勝とご多幸をお祈りし、今日はこの辺で筆を置きたいと思います。

04:55 | sumi | ■縁は大切に はコメントを受け付けていません
2014/12/18

■幼稚園

ドイツから帰国し、両親が選んだ住まいは東京都国立市。当時母の実家があった事が理由だと思います。現在でこそセレブを気取るよな雰囲気の街になりつつありますが、当時は谷保駅から自宅が見通せるほどの農地だったようです。

僕はここから幼稚園に通うことになるのですが、ドイツではドイツ語・日本語を織り交ぜて話していたため、日本語の発音がおかしかったようで、かなり激しいイジメに遭うことになります。「ガイジン」なんて呼ばれた事もうっすら記憶していますし、休み時間や遊びの時間になると半泣きで園庭の土管に隠れていた事はハッキリと脳裏に刻まれています。それでも「親に悲しい思いをさせたくない」と、帰宅したら「楽しかったよ!」と笑顔を見せるようにしていました。両親は気付いていないと思っていましたが、最近になって父が僕の妻に「あいつは幼稚園で良い思い出が無いだろうから」と話したと聞き、「気付いていたんだ」と少し嬉しくなったものです。

そんなことが理由なのか、僕には幼稚園の記憶がほとんどありません。

■小学校

小学校は慶應義塾幼稚舎を受験し合格。

実はこの時、同時に地元の音大附属幼稚園も受験したのですが、面接で「他にどこか受けていますか?」と聞かれ、事前に「受けてません」と答えるように練習させられたにも関わらず「慶應です」と返答、さらに「両方受かったらどちらに入りたい?」と聞かれ、再び「慶應です」と元気よく答え、帰宅して母にこっぴどく叱られた思い出があります。僕としてはどうしても嘘をつくのが嫌だったんです。結果、音大附属を落ちて慶應に合格するという、摩訶不思議な結果と相成りました。慶應は子供の個性や両親の職業を見るといいますから、両親が音大の先生で父がオーケストラ所属という点に注目したのでしょう。

慶應義塾幼稚舎は港区にあります。自宅のある国立からは

バスで国立駅⇒中央線で吉祥寺⇒井の頭線で渋谷⇒バスで天現寺

と片道1時間半の道のり。今自分が親の立場になって思うと、よくまあ幼い子供が往復3時間通ったなあと我ながら感心してしまいます。通学が始まって最初の数日、さすがに心配になった両親は吉祥寺までこっそり付いてきていたようですが、僕も息子の幼稚園初登園にこっそりついていきましたから、気持ちはよく理解出来ます。

しかし、何しろ通学に時間がかかるうえ、高学年になると部活も始まるので、帰宅する頃には夕刻になっており、近所に友達が出来なかったのが今となっては寂しいところです。休日は塾やレッスンに行くか、妹とサッカーやプロレスごっこばかりしており、地元での楽しい思い出がほとんありません。

小学生で往復3時間も電車に乗るとなるとさすがに時間があるので、僕は通学時間をずっと読書に充てていました。小学校の図書室で本を借りては返しを繰り返した結果、「どの本を見ても貸出カードにアイツの名前がある」と言われるほど多くの本を読破しました。よく読んでいたのは星新一、ルパンやホームズなどの探偵・泥棒もの、恐竜関連の書籍など。当時から何となく夢見がちな少年だったと思います。

慶應義塾幼稚舎は1学年K、E、Oの3クラスしかありません。確か1クラス男子32、女子12の合計44人でした。6年間クラス替えが無く、何かというとクラス対抗があるので仲間意識が強くなります。陸上や水泳のリレー、百人一首など文武両道を謳う学校ならではのイベントが頻繁に行われていました。ただ、僕は凡庸な少年だったので、体育系も文科系も特に目立った活躍はなく、いつもクラスでは目立たない存在だったと自覚しています。

担任の先生は背が小さく、髪の毛の薄い熱血ベテラン教師でした。礼儀を欠いた行動には容赦なく鉄拳を振う人でしたから、昨今の教育現場であればすぐに問題になるような先生だったかもしれません。それでも生徒は先生を大好きでしたし、親も「それくらいじゃないと」と黙認でした。

小学校4年生からは部活動もあるのですが、僕は顧問の先生の人柄に魅かれ、3年間焼き物部に所属し陶器などを作っていました。部活としてはマイナーも良いところで、小学校6年の時には部員が僕だけになってしまい、合宿は先生とのマンツーマン。「好きな物への集中力」はこの3年間で培われたような気がしています。

初恋も小学校でした。最初は体育の先生。水泳の授業でクロールを教えてくれた先生の胸に指先が当たってときめくという下劣なきっかけでした。次に同じクラスの女子、卒業前には隣のクラスの女子と移り変わりましたが、当時「付き合う」などという概念はなく、いずれも片思いで終わっています。修学旅行の写真で好きな子の写真を注文して親に見つかり、頬を赤らめるような、本当におとなしい少年だったんです。

小学校も半ばに差し掛かったころ、両親が別居しました。ある夜、両親が大喧嘩をしている声で目を覚まし、1階に降りていくと、ちょうど父が家を出ていくところでした。母から「パパはもう帰らないのよ」と言われましたが、正直当時の僕に意味は分かりませんでした。もともと父は僕が学校に行く時間は寝ていたし、僕が学校から帰ると仕事に行っていたし、眠るまで帰宅する事は無かったので、ほとんど家で顔を合わせたことが無く、生活そのものは大して変わらなかったというのが正直なところ。

そんな父ですが、きっと帰国してオーケストラや音大の先生を務め猛烈に忙しかったであろうこの時期、川原でホルンの門下生を集めたバーベキューに連れて行ってくれたり、公園でキャッチボールをやったりと僅かな休みに僕ら子供と遊ぶ機会を作ってくれていました。

父との一番の思い出は、僕が修学旅行から帰ってくると東京駅まで迎えに来てくれて、「今から雑誌の取材があるから一緒に編集部に行こう」と出版社に連れて行ってくれた日のこと。道中「これは食べられるな」と言いながら道端の雑草を引っこ抜く父を見ながら不思議に思っていたら、父は出版社に着くなり「鍋とコンロある?」と言って調理を始め、編集部の人たちに雑草を食べさせ始めたのです。この様子が「PIPERS」という管楽器の雑誌に掲載され、僕はなんと高校で楽器を始めた際、吹奏楽部の棚で偶然この雑誌を発見することになります。後に分かることですが、父は何処に行ってもその辺の雑草や木の実を食べてしまう野生児で有名だったようです。

この時期両親からはいろんな楽器をやらされました。最初はヴァイオリン、次にピアノ、そしてホルン・・・どれも嫌がってすぐに辞めてしまい、結局一番続いたのはトランペットでした。当時桐朋学園大学の田宮先生の自宅までレッスンに通い、3年ほど続けました。小学校のホールで全校生徒を前にシューベルトを演奏し、生まれて初めて「緊張」という現象を知ったのも小学校です。ただ、自分では最後まで「良い音で吹けた」と思った事はありませんでした。

小学校6年になると、中学の進路を決定しなければなりません。エレベーター式にそのまま進学出来るので、日吉にある男子校(普通部)か、三田にある共学(中等部)か選択をするのですが、男子校は勉強のレベルも高く非常に厳しいと聞き、のんびり屋だった僕は中等部を選択したのでした。

・・・・続く・・・・

04:15 | sumi | ■紆余曲折伝<2> 慶應義塾へ。 はコメントを受け付けていません
2014/12/04

こんにちは。

2014年も残り1か月を切りましたね。

僕が高校を転校して吹奏楽部に入り、コントラバスという楽器を始めてから来年で25年目になります。いや、1年半音楽から離れた事を含めると正確には24年目でしょうか。

今回から数回に渡り、自分の音楽との関わりを整理する目的で、これまでの人生を振り返ってみようと思います。

■家系

まずは僕の誕生から、という事になると思いますが、その前に家系を説明する必要があるでしょう。

僕の両親はどちらも音楽家です。父はホルン奏者で、ベルリン交響楽団、ドゥイスブルグ交響楽団、ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団などで活動したのち帰国し、新日本フィルハーモニー交響楽団を経て東京芸術大学教授として後進の指導にあたりました。母はピアニスト。ドイツでの演奏活動から帰国、東京音楽大学の教授として世界的なソリスト・小菅優さんをはじめ数多くの演奏家を輩出しています。

そんな両親だけではなく、母の父、つまり僕の祖父はヴァイオリニストとして日本音楽コンクール第1回・第2回で優勝を果たし、NHK交響楽団での演奏活動から引退後は国立音楽大学の教授として指導もしていました。他にも祖父の兄(つまり大叔父)は日本ヴァイオリン界に名を残す指導者ですし、現在も僕の親戚にはヴァイオリニストやピアニストが数名居ります。

そんな家庭状況ですから、僕は生まれた時から音楽に囲まれていたと云えるでしょう。僕がプロになっていろいろなオーケストラに伺うようになり、自己紹介で名前を名乗ると「『あの』鷲見一族には関係ありますか?」と聞かれたものですし、しばらくの間自分の名前に苦しめられる事になります。

■誕生

さて、僕はドイツに生まれました。

当時ドイツのオーケストラで演奏活動していた父とピアノ留学した母が知り合って結婚し、僕が誕生したのです。家庭ではドイツ語と日本語を使っていたようで、当時の親子の会話を録音したテープを聞いてみると、幼き日の僕が流暢なドイツ語を話している形跡があります。その様子からは、後に音楽大学でドイツ語の単位を落とす事が想像出来ません。

幼少期の頃の僕は実に明るくて愛嬌があり、誰にでも愛想を振りまく子供だったようです。ドイツに来て面倒を見てくれた祖母の話によると、デパートのレジで店員さんに投げキッスをしてチョコレートを貰うような出来事は日常茶飯事で、公園では遠くから走ってきた人が僕を抱き上げ「連れて帰りたい!」と叫び、誘拐されると思った祖母が慌てたというようなエピソードもありました。

昔「人の人生には数年周期で春夏秋冬が訪れる」というような話を何かの文献で読みましたが、この頃の僕はきっと太陽も眩しい夏真っ盛りだったのではないかと思います。

この頃父はベルリンを拠点に活動しており、あのベルリンフィルにも客演していたようです。僕は母に連れられてリハーサルを見学しに行くことも多く、客席で静かに聞き入って、帰宅するとレコードをかけて指揮者の真似をしていました。今でも、下着姿で指揮棒を振りまわす僕の写真が残っています。

両親は「子供は日本で育てたい」と考えていて、僕が4歳の時に帰国を決断します。

こうして僕は日本に移り住むことになったのです。

・・・続く・・・

11:22 | sumi | ■紆余曲折伝<1> 家系、誕生 はコメントを受け付けていません
2014/11/17

こんにちは。

タイトルの通り、来年(2015年)1月31日に公開する映画「マエストロ!」に出演しています。

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「マエストロ!」公式サイト

指揮者役に西田敏行さん、コンサートマスターに松坂桃李さん、フルート奏者役に紅白にも出場した歌手のmiwaさん、他にもコントラバス奏者役の池田鉄洋さんやホルン奏者の嶋田久作さん、斉藤暁さん、ヴァイオリン奏者の濱田マリさんなど実力派の役者さんたちが脇を固める笑いあり、涙ありのオーケストラ映画です。

ストーリーなどは公式サイトをご覧頂ければ分かりますが、破天荒な指揮者と解散寸前のオーケストラの物語。僕はオーケストラのコントラバスセクションの一員として出演しています。まあ、特にセリフもありませんから、エキストラ出演という呼び方が近いでしょうか。また、同時に現場での役者さんへの奏法指導、使用する楽器の手配、また演奏シーンでモニターを見ながらOKかカットか、という判断をする役割も務めました。

「なるべくリアルに」という監督の方針のもと、役者さんたちは半年も前からレッスンを受けていたそうで、撮影の間各楽器のトレーナーさんたちも付きっきり。撮影最終日、演奏会シーンでの各楽器のクローズアップシーンが終わると、各トレーナーさんたちが涙する場面もありました。

コンサートシーンの演奏は佐渡裕さん指揮ベルリン・ドイツ交響楽団。佐渡さんはコンサートシーンの撮影にもいらっしゃって、西田さんに熱心な指導をされていらっしゃいました。そういった意味で、演奏も映画の聴きどころの一つかもしれません。

先日関係者の内覧試写会に行って完成した映画を見ました。もちろん、製作者サイドの気持ちで見ていた事も大きいかもしれませんが、関西出身の監督ならではの笑いどころ、そして涙を誘う感動の場面がうまく散りばめられていて、良い映画だなあと感じました。オーケストラメンバーも本当にいろいろと苦労した撮影で、その内情をここに書く訳にいかないのが残念ですが、だからこそ完成した作品は一人でも多くの方に見て頂きたいと思います。また公開が近づいたら再度お知らせさせて頂くと思います。

映画「マエストロ!」

2015年1月31日公開!

スタッフ

監督
小林聖太郎
原作
さそうあきら
脚本
奥寺佐渡子
音楽
上野耕路
指揮指導
佐渡裕

キャスト

  • 松坂桃李
  • miwa
  • 西田敏行
  • 古館寛治
  • 大石吾朗
  • 池田鉄洋
  • 嶋田久作
  • 斉藤暁

ほか

11:09 | sumi | ■映画「マエストロ!」に出演します はコメントを受け付けていません
2014/11/10

僕は普段オーケストラとレッスンを中心に活動している訳ですが、オーケストラの曲を練習するにあたり、どうしても楽譜が必要になります。今回は、その楽譜をどのように準備するか、というお話。

オーケストラの楽譜は、通常「ライブラリアン」という方が管理しています。多くの場合ライブラリアンが事前に楽譜を入手し、プレイヤーが音を止めること無く演奏出来るように譜めくりをし易く工夫して下さったり、指揮者の指示を書き込んでくれたりしています。

その楽譜が置いてあるライブラリーはだいたいオーケストラの練習場や事務局内にあります。どの楽団もコンサートホールなどと提携してそちらを本拠地としており、そこへ行けば楽譜が手に入ります。例えばNHK交響楽団は泉岳寺の専用練習場、東京都交響楽団は上野の東京文化会館、東京交響楽団は川崎のミューザ川崎シンフォニーホール、新日本フィルは錦糸町のすみだトリフォニーホールなど。楽譜は公演別・パート別に整理されており、演奏者はそこから必要な楽譜を抜いてコピーし、原譜を元の場所に戻す手順になっています。

ですから、オーケストラの楽員さんは所属楽団のリハーサルついでにちょっと先の楽譜を入手出来るのですが、我々フリー奏者はそうもいきません。よく演奏される有名な曲ならば過去に使用した楽譜が自宅にあるので、わざわざホールに行ってコピーする必要はなく、自宅で練習しておいて対応可能ですが、普段あまり演奏した事のない曲や過去に演奏経験のない曲については楽譜が無いと練習出来ません。そこで、各ライブラリーに行って楽譜をコピーする必要が生じてきます。

最近は無料でオーケストラスコアやパート譜を閲覧出来るインターネットサービスもあるので、緊急時にはこちらで音符だけ確認する事もありますが、弦楽器の場合は「弓順」が決まっており、オーケストラによって微妙に変わってくるので、万全の準備をするなら事前にその楽団の楽譜を見ておきたいのです。それに、著作権に関わる楽譜はネットでも閲覧出来ません。

しかし、いきなりライブラリーに行ったところで楽譜の用意が無い場合もあります。そうした時間の無駄を無くすために我々は事前に事務局に電話を入れます。名前、パート、そして公演名を告げると先方が楽譜の所在を確認して下さり、あると分かればコピーに向かいます。まだ準備が無ければ何時頃揃うか一応聞きますが、そうした場合楽譜がレンタル譜(著作権が切れておらず、出版社が貸し出す楽譜)の場合が多く、ここで正確なお返事を頂けることはあまりありません。こちらとしても他のリハーサルの合間に練習時間を確保するので、だいたい公演1ヵ月前には楽譜を入手しておきたいのですが、困ったことに事務局が平日のみ、17時までしか開いていない事も多く、こちらのスケジュールと噛み合わなくて楽譜がなかなか手に入らない時などは本当にやきもきします。

いざライブラリーに到着してからの手順はオーケストラによって異なりますが、基本的に原譜をコピーするという手順はどこも同じ。ただ、その場にあるコピー機を使わせていただける場合と、建物外のコンビニなどにコピーしに行かなければならない場合があります。ライブラリーのコピー機でやっていれば、順番待ちをしているのは同じ演奏者なので気が楽ですが、コンビニなどでコピーする場合、順番待ちしている人はこちらの目的もわかりませんし、これがオペラの楽譜なんかだと100ページくらいあるので、気まずさは半端じゃありません。だいたいその場は「お先にどうぞ」と譲って、また再び延々とコピーを繰り返す事になります。

こういった作業を毎月行うので、コピーの知識・技術はかなり豊富かもしれません。中途半端なサイズの楽譜でも「これをA4にするには81%縮小だな」なんてのが見た感じで分かるようになります。ちなみに、コピー紙の質が良いのはセブン・イレブン。この知識、他に特に活きる場所が無いのが辛いところですが・・・・

こうしてコピーに行くのが1団体ならいいんですが、僕は普段5~6の楽団を行ったり来たりしているので、そうなると楽譜を入手するのも一苦労。だいたい月初めに丸一日何箇所か周る「コピーの日」を作り、まとめて入手するようにしています。そして痛いのが交通費。全て自腹なんです。楽団によってはコピー代も自腹。電車に乗って移動する時間も正直勿体ないですから、出来たら楽譜をpdf化して、楽団ホームページで出演者専用にpwを設定して公開してくれたらタブレットにDLしてもっと早く練習に取り掛かれるし、さらに楽団のお力にもなれるのになあと思いますが、ライブラリアンさんのお仕事を劇的に増やすことになるので、きっと実現はしないでしょう。

ちなみに、僕がよく客演しているシエナ・ウインドオーケストラや札幌交響楽団は楽譜を郵送してくれます。シエナはともかく、東京以外のオーケストラの場合はさすがに楽譜をコピーしに行けませんからね。ライブラリアンさんは大変でしょうが、こうするとこちらも準備が早目に出来ますし安心感と余裕を持って練習に臨むことが出来ます。

ある楽団に所属している僕の友人は「僕はエキストラを頼むのに、例えそれがオペラであっても、自分で楽譜をコピーして送るようにしてるよ。だって、『ウチの楽団に来て演奏して頂く』んだから。客演ってそういうことでしょ。『呼んでやってる』という感覚でいる人が信じられない」と話していました。彼は管楽器なので人数の負担が少ないとはいえ、エキストラにとってはありがたいお話です。

持ち帰った楽譜は「製本テープ」で一冊にまとめて練習します。「製本テープ」という商品名で売られているものは少々値が張るので、僕は薬局などで「不織布テープ」を購入して使っています。なぜセロテープじゃないのかというと、質が固いので綺麗に楽譜を捲れないのです。この製本のやり方にも僕は拘りがあって、高校吹奏楽部時代に恩師から教わって以来20年以上経験を重ね、かなり美しく出来るようになりましたが、文章で伝えるのは難しいのでここでは省略させて頂きます。

さて、このようにして入手した楽譜でどのように練習するか、それはまた別の機会にしようと思います。

12:13 | sumi | ■楽譜の入手 はコメントを受け付けていません
2014/10/23

昨晩は王子にある北とぴあ・さくらホールという会場で演奏会本番でした。

演奏はシエナ・ウインドオーケストラ、指揮は世界的なサックス奏者須川展也さん。須川さんといえば吹奏楽界では東京佼成ウインドオーケストラのコンサートマスターを長年務められ、サックス界では超有名人。昔、とあるタバコメーカーのCMに出演していた事でも知られています。

今回は吹奏楽でも有名な演目が中心でしたが、前半の最後に「シナモン・コンチェルト」という、須川さんの為に書かれたサックス協奏曲がありました。今回、その曲を須川さんの吹き振り、つまり指揮者無しでやったのですが、これがなかなか大変でした。

通常「協奏曲」というのはソリストの様子を見ながら指揮者がテンポやタイミングを合わせていくもの。クラシックのように、派手にテンポが揺れ動かないジャンルなら、オーケストラがある程度ソロを知っていれば指揮者無しでもそれほど合わせるのは難しいことではないのですが、今回の曲は思い切りジャズ仕様。特に第2楽章はかなりソロが自由に歌いまわすので、神経を研ぎ澄まし耳でいろいろな情報収集をしながら演奏する必要がありました。

もともとクラシックにどっぷり浸かっている僕は、こうしたジャズテイストの曲を演奏する際、1週間くらい前からジャズばかり聴くようにして身体のビート感を変えるよう準備していきます。とはいえ、この1週間は東京交響楽団でルトスワフスキの曲などを演奏していましたから、脳はかなり混乱していたと思われますが。もちろん、この曲が収録されたCDを購入して聞くこともしましたが、ソロパートの楽譜が無いので、音符はある程度想像しながら予習する訳です。

そして迎えたリハーサルは2日間。

まず須川さんから「指揮者がいなくてテンポの維持が難しいかもしれないので、今回ベースアンプを通してほしい。君が指揮者のつもりでテンポを作ってほしい」との要望がありました。こちらとしてもアンプを通すことで指の皮がボロボロにならずに済むので、この提案は歓迎でした。但し、テンポを作る重責については多少プレッシャーとなりましたが。

初日はとりあえずソロ無し、まずは曲の雰囲気を掴もうと須川さんが全編指揮をして通しました。この時は何の問題もなく、じゃあソロを入れてやろうと2度目に通したら、さあ大変。拍の勘定が出来なくなり、混乱する場面が続出したのです。ただ、何となくこうなるのは分かっていたので、いろいろありながらも楽譜にメモを記し、この日は帰宅して音源を聞きながら頭を整理しました。

リハーサル2日目はほとんど通して終わり。演奏する場所が打楽器と離れていた関係からか少し打楽器にテンポを引っ張られるような感覚があり、僕は確固たる自信まで至っていませんでしたが、「もう問題無いでしょう」という須川さんの言葉と、バランスや時差はゲネプロ(本番前の会場練習)でいいという考えもあったので、特に「もう一度お願いします」とは言わず練習を終えました。リハーサル終了後、何人かのプレイヤーに意見を聞くと「ちょっと後ノリに感じる」という意見が多かったので、本番は多少突っ込むくらいのつもりでやろうと決心。

本番当日、ゲネプロで通してみると、金管楽器セクションから「ベースとパーカッションに時差があり、どちらに付けて良いか迷って吹きにくい」との指摘。コンサートマスターと相談した結果、僕がひな壇に上がり、打楽器群の真ん中に位置することになりました。試しに数か所演奏してみたところ、処々の問題が解決されたので「これでいこう」と結論が出たのでした。ゲネプロ終了後は客席で録音したICレコーダーで演奏を確認、ベースの音が後から膨らんで聴こえるので、思ったより早めに音を出す必要性を感じ、さらにまだ自分が後ノリな印象だったので、本番はかなり突っ込んでも良いと判断したのでした。

そしていよいよ本番。

曲が始まった瞬間に気付いた事は、「距離が離れ、目の前にトランペットやトロンボーンが並んだことで音の壁が生まれ、ソロがほとんど聞こえなくなった」こと、そして同じく距離により時差が生まれ、「木管楽器が異常に遅れて聴こえる」ということ。瞬時に「迷ったら全体が崩れる、俺の音を聞いて合わせて貰えると信じて、自分のテンポを貫こう」と決意したのでした。リハーサルで自信がなく、どんなに不安を抱えていても、本番ではある程度の開き直りと「俺についてこい」と思い込む「演技力」が必要だと思っていますが、まさにその心境でした。経験上、だいたい本番は開き直ったほうが良い結果に繋がります。

実は1楽章が始まってすぐ、アンプがミュート状態になっているのに気付き、指の力で無理やり音量を上げるというハプニングはあったのですが、これは休みの間に修復。その後、本番中は、正面に見える須川さんのソロの音を何とか拾うよう耳を傾け時差を計算して少し早目に音を出すよう意識しつつ、同時に楽譜を見ながらも、常に右にクラリネット、左にサックスという普段コンサートマスターを務める2人の身体の動きを視野に入れ、さらには真横の打楽器セクション、目の前のトランペットの呼吸を聞いてタイミングを計り、さらに少し前に居る鍵盤楽器の音を聞くことで「彼らがこのタイミングでこのテンポで演奏しているという事は、今あの位置には自分のテンポがこう聞こえている」と判断しながら微調整、さらに後ノリにならないよう自分が思っているよりコンマ数秒早めに刻む事を意識しながらの演奏となりました。

こうして文字に起こしてみると、エライ数の情報を瞬時に集め、判断しているんだな、と我ながら感心したくなりますね 笑 おそらく本番は集中力も一層増すので、リハーサル時に聴こえなかった音まで拾うこともよくあります。良い演奏家は全ての音をリハーサル時に聞いているのかもしれませんが、その意味で僕はまだ未熟なんでしょう。

演奏がどうだったのか、それは自分が客席で聞くことが出来ない以上一生分かりませんが、少なくともシエナの皆さんには「ブラボー」と声をかけて頂きましたし、普段コンサートマスターを務めてらっしゃるクラリネットの方にも「完璧!!」と言って頂いたので、多少は力になれたのかな。ともかく、昨晩は久しぶりにグッスリ眠りました。

ただ何となく演奏しているように見えて、実はいろいろな事を考え、計算し、判断しているんですよ、というお話でした。

12:05 | sumi | ■音の情報収集 はコメントを受け付けていません
2014/10/10

先日、ドイツに住む妹から「少し早いけど」とプレゼントが届き、もうすぐ自分の誕生日(10/12)なんだと思い出しました。歳を重ねるごとに自らの誕生日への興味がなくなりつつありますが、やはり祝ってもらうと嬉しいものです。

さて、「このコラムと何の関係があるんだよ、祝ってほしいのか?」と思った方もいらっしゃると思いますが、そうではなく、いや、本音は祝っては欲しいのですが、オーケストラなんかでは、リハーサルの日に誕生日を迎えた楽員や指揮者がいると、サプライズでHappy Birthdayを演奏してお祝いする、という習慣がありまして、そのお話です。

もちろん、全員が常に誰かの誕生日を記憶している訳ではなく、だいたいそのセクションの人が事前にみんなに通達し、タイミングを見計らって一斉に演奏するのですが、その日演奏する曲に合わせて調を変えたりします。当然演目が始まると思っていた当の本人は一瞬驚き、そしてはにかんだような、嬉しそうな表情に変わり、感極まって涙する人もいます。演奏が終わると拍手に包まれ、一言感謝の意を述べたりします。ベテランになれば「今日は俺の誕生日だから何かあるだろう」と予測したりしてもいるので、そこであえてずっと演奏せず「あれ?」と思い始めたリハーサル最後のコマで突然演奏したりと、それなりに創意工夫があります。

僕もこの20年くらいそうやって人の誕生日に演奏したり笑顔を見てきましたが、残念ながら誕生日に祝ってもらえるのは楽員、つまりそのオーケストラのメンバーだけ。フリー奏者だと、あまりお祝いして貰える機会には恵まれません。どんなに長く客演している団体でも、その瞬間ばかりは「所詮エキストラは部外者なんだなあ、ホームステイであって、家族ではないんだなあ」と痛感せずにはいられません。

今年の誕生日は中高生のための楽器クリニックの講師ですから、当然誕生日だと知っている人もいない訳で、当然演奏は無いと今から予測出来ます。これはまあ仕方ないので、帰宅して家族にお祝いして貰い、改めて家族の素晴らしさを噛みしめようと思います。

ちょっと切ないお話でした。

11:34 | sumi | ■HAPPY BIRTHDAY はコメントを受け付けていません
2014/09/26

出演した演奏会が、CDになりました。

マーラーの交響曲第8番「千人の交響曲」、冒頭からメチャクチャカッコいいです。
クラシックに興味のない方も、ぜひ一度聞いてみてください。

こちらの演奏会、5/8のコラム「聴衆の期待感」でも少し触れています。
本日発売です!雰囲気を味わいたい方、ぜひご拝聴ください!!

聞かれた方の感想などもお待ちしています!

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●マーラー: 交響曲第8番

指揮:エリアフ・インバル
管弦楽:東京都交響楽団
ソプラノ/澤畑恵美、大隅智佳子、森麻季
メゾソプラノ/竹本節子、中島郁子
テノール/福井敬
バリトン/河野克典
バス/久保和範
合唱/晋友会合唱団
児童合唱/東京少年少女合唱隊

録音: 変ホ長調 「千人の交響曲」 
2014年3月8日東京芸術劇場2014年3月9日横浜みなとみらいホールにてライヴ収録

9月26日(金)発売
価格:¥ 3,456(税込)
レーベル:EXTON
品番:OVCL00518

 

01:31 | sumi | ■千人の交響曲 はコメントを受け付けていません

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