皆さん、おはようございます。
突然の質問ですが、
「公演する」って、どういうことだと思われます?
オペラならオペラ、芝居なら芝居、
コンサートならコンサート、それぞれのジャンルにおいて、
共通のことなのですが。
大まかに言えば、
「ちゃんと来てもらう、ちゃんと見てもらう、ちゃんと帰ってもらう」
この3つに集約されると思いますし、
中でも、「ちゃんと帰ってもらう」ことに集約されるでしょう。
これらが揃って初めて「素晴らしい公演」ということになるし、
「ちゃんと」の前に「一応」というのをつければ、
「普通の公演」になるだろうと思います。
それだけ「ちゃんとする」ことは難しいことだし、
すべてにおいて「ちゃんとしている」のは至難の業です。
まず、「ちゃんと来てもらう」がなければ話になりません。
ともかくも会場にたどり着いていただくことが肝心です。
・・・お客様についてはもちろんのことですが、
これは、演者、スタッフ、主催者に至るまで、全員についてです。
この3者については、稽古も同じことなのです。
そのための周知はチラシ、内部文書などにより、
事故のないよう、徹底せねばなりません。
そして、会場についたところで、まだ「ちゃんと来てもらう」ことは
終わっているわけではありません。
お客様には「着席してもらう」ところまでが
その内容ということになります。
そのために、ホールには受付があり、
案内係がいるわけです。
「ちゃんと見てもらうこと」についても、
キャスト、裏方、総動員での頑張りどころです。
それだけの内容を組み立てねばならず、
その内容を確実でハイクオリティに再現せねばならず、
そこには、様々な技術を投入せねばなりません。
裏方さんには、この技術的なことの中に、
舞台で事故が起こらないように、
照明機材が落ちてきたりしないように、
セリから人が落ちたりしないように、
細心の注意を払うことも含まれます。
演者も事故に注意しなければなりません。
何か明らかな事故が起これば、
お客様に「ちゃんと見てもらう」ことは達成できません。
ちゃんと見てもらえなければ、
必然的に「ちゃんと帰ってもらうこと」も怪しくなります。
内容に著しい不満があったり、
舞台上で起こった事故に意識が向いてしまったり、
最悪、途中で上演中止になったり、
そんなことがあれば「ちゃんと帰る」なんて無理な話です。
また、仮に客席にまで影響する天災や火災があった場合、
「来てもらうこと」の仕上げで登場した案内係が、
重要な役割を担うことになります。
劇場などというものは、
人数に対して出入り口の数は少ないものです。
人が殺到したら、それだけで殺人的な要素を兼ね備えます。
案内とは、来る人の案内だけではなく、
帰る人の案内だって必要なのです。
また、有事に備えて、
それだけの人が集まることを、
消防署などの各所に届けておくことも必要です。
おそらく私でさえ気づいていない、
「ちゃんと帰ってもらう」ための必要事項が色々あるはずです。
大きな老舗のプロダクションでは、
特に気にしなくても出来ていることかもしれません。
それは、働いている人間が多数存在するために、
責任が分散されているから、
例えば歌手ならば歌手業界に伝えられている常識だけで、
歌手の責任が達成されているからに過ぎません。
プロダクションが小さくなればなるほど、
責任は一人一人の肩に重くのしかかり、
イヤでも自覚しなければ公演は成立しないのです。
だから小さなプロダクションに出演したくない、
なんて思わないで下さいね。
大きなプロダクションで何かがあった時、
もしかすると、小さなプロダクションでの責任経験が、
役に立つこともあるかもしれないんですから。
ちゃんと来てもらう
ちゃんと見てもらう
ちゃんと帰ってもらう
言葉にすると簡単な言葉で、
響きも簡単そうな響き
あまりにも当たり前な響きですが、
実はかなりシビアな問題なのです。
是非、考えていただきたいことです。
普通のお店にも共通することなのですから。
皆さん、おはようございます。
何のことかと思われるかもしれませんが、
最近、みんな使う略称や、
丁寧な言い方を少しまとめた言い方について、
そのメリット、デメリットを考察してみたいと思います。
実は私、今、デリバリーのアルバイトをしています。
あるとき、こう指示が来ました。
「ナンキューへ持って行ってください」
ナンキュー?どこのことじゃ、それ?と思い、
配達伝票を見てみると、
「南久宝寺町1丁目云々」とある。
そう、ナンキューとは、
「みなみきゅうほうじ」の略だったわけです。
このこと以来、
私は人と会話する際に、
地名を略して言うのは極力避けようと思いました。
もちろん、「あきば=秋葉原」とか、「うえろく=上本町6丁目」、
「ぶくろ=池袋」など、もう一般化しているところは良いでしょう。
でも、一般的でない地名はやめておくことにしました。
ご想像の通り、ナンキューが南久宝寺町の略とわかった時、
あまり良い気分ではなかった・・・
平たく言えば、少しムッとしたからです。
物心ついて以来、生まれ育った「みなみきゅうほうじ」。
それをナンキュー呼ばわりされた時、
何とも言えない気分の悪さを感じたわけです。
しかし、略することが気分を害しかねないからといって、
別のシチュエーションでは、逆のこともまた起こり得ます。
ある人物に、あることをした方がいいか、と尋ねたことがあります。
すると返ってきた答えがこれ。
「そう思うんだったら、○○に訊いてみて下さい。」
一瞬殺意がわきました。(笑)
何かと他人をむかつかせる言動が多い人のようでしたが、
私にもそのようなこと、数回目でした。
この御仁、私よりはそれなりに年下のようで、
初対面の時に、私のことを「目上の人」と言っていた人です。
その「目上の人」である私への、イエローカード言動数回目です。
皆さんご存知のように、私は上下関係の嫌いな人間です。
目上だの目下だの、糞食らえなのが私の生き方です。
ですから私はこの御仁の言動について、
「目上の私に向かって」という風には感じません。
つまり、私にとって上のような返答は、
たとえ後輩への言葉であっても無礼な応対なのです。
「もっと他の言い方ないのか?」と思いましたが、
一番簡単で適当なのは、
「じゃあ、○○に訊いてみて下さい。」でしょう。
この中で、「じゃあ」という言葉が今回の考察対象です。
「じゃあ」を少し丁寧に言い換えていきます。
じゃあ→それじゃあ→それでは→それなら=それだったら、というところでしょうか。
「それだったら」とまで来たら、「それ」には何が代入できるでしょうか?
まさに「そう思うんだったら」でしょう。
つまり、件の御仁の言い方を、機械的な国語としてとらえたら、
かなり省略のない、形式としては丁寧な表現をしたことになります。
しかし、ニュアンスとしては、それは喧嘩を売っているような表現なのです。
ビジネス現場でビジネス相手に言うこととして言い換えると、
「そうお考えでしたら」とか、「そう思われるのでしたら」になるでしょうし、
クレームっぽい相手であれば、「言いたいことがおありでしたら」
というバリエーションも考えられるでしょう。
喧嘩相手なら「文句あったら」になるでしょうか。
どれもこれも、「じゃあ」に省略できる表現ですし、
しかも、相手を突き放して、「自分は関わらないし、受け付けないけど」
という但し書きのニュアンスを含む言い回しになってしまいます。
ここで角の立たない緩和方法として存在するのが、
思い切って「じゃあ」に縮めてしまうことです。
言葉と言うものは至って恣意的なものです。
100年後の国語では、そんなニュアンスにはならないのかもしれない。
でも、今はそういうニュアンスを帯びてしまうのです。
そんな時、今なら「じゃあ」に縮めることで、
「そう思うなら○○しろよ、俺知らんけど。」
という乱暴なニュアンスを8割9割薄めることが出来るわけです。
もちろん、口調が乱暴ならそれでもダメですが、
やんわりした口調ならば効果が出ますし、
逆に、「そう思うんだったら」といえば、やんわり言っても喧嘩の種です。
言葉って難しいものです。
略したら相手の気分を害することがある一方で、
略すことで角が立たないようにすることもあるのですから。
皆さん、おはようございます。
昨今、問題視されている僧侶派遣について、
そろそろ私の見解を申し述べておきたいと思います。
結論から申し上げると、あらゆる形態の僧侶派遣が、
形としてはあって良いし、あってほしいと思います。
形としては、と申しているのはどういうことかというと、
僧侶派遣が民間俗人のビジネスであっても良いが、
お坊さんの品質くらいは一定ラインを保っていただきたい、
ということなのです。
少なくとも、得度すらしていない俗人の偽坊主だけは、
最低限の信用を保証するためにやめてほしいです。
それが言い切れるのはなぜかというと、
得度もせずに、という完全な偽坊主だけは、
宗教を食い物にする意識がなければ出来ない芸当だからです。
せめて得度だけでもしている未熟坊主なら、
志はあるけれど、諸事情でまだ先に進めていないだけ、
という可能性があります。
本当は葬儀を執行できる資格はないのですが、
完全な偽物でないことも確かです。
これは、いわゆるグレーゾーンになると思いますが、
そういうグレーゾーンはあえて否定しないでおきます。
その上で、お布施の問題が云々、となるわけですが、
もはや寺と檀家の間にさえ、
お布施の授受が行われることはほぼありません、
そのように申し上げておきます。
つまり、お布施という美化した言葉に置き換えた料金です。
私がそう言い切るだけの根拠を挙げたいと思います。
元来お布施というのは、布を施す、と書くように、
釈迦教団に袈裟を作るための布を寄付することでした。
基本的に僧侶や僧団に渡して良いのは物品だけで、
金銭を僧侶が触ることは禁じられていましたので、
袈裟や雑巾などの材料となる布を寄付するか、
托鉢に回ってきた僧侶に食べ物を施すか、
くらいしか俗人が僧侶に渡すものはなかったわけです。
そして、大乗仏教の六波羅蜜や南伝仏教の十波羅蜜など、
その冒頭に来る、「在家の修行内容」こそ布施でした。
つまり、その内容は金銭か、物品かなど、
時代や場所によって違いは出てくるでしょうが、
目的はただ一つ、在家信者の修行にあったのです。
つまり、修行として施していないものを、
お布施とは言えないわけです。
もちろん、それが中国に伝わり、日本に伝わって、
実際布施の行われるのが、法事や葬儀などの、
特別な時だけになってはしまいましたが、
それでも、その法事を施主一家の修行として捉え、
僧侶に金品を渡しても、
それは少し広い意味を許容した布施、
そう言えないことはありません。
施主が修行と考えて僧侶に渡すからこそ、
「お気持ちで」という言葉が現実的になるのです。
翻って現在の「お布施」状況はどうでしょうか?
まず、その地域での相場なるものが存在します。
本来、修行に相場もクソもありません。
確かに、修行になると思われる金額とならないであろう金額、
そういうものはあると思いますが、
それは個々人の経済状況や信仰の度合いなど、
他者が測ることのできない諸要素が複合して、
何となく線引きがされるものです。
例えば、手取り月収100万の人が法事のお布施と称して
1000円出してきても、たいてい修行とは言えますまい。
生活状況にもよりますが、その人の場合、
概ね3万より上、最低でも1万くらいは出さないことには、
修行をしたとは言えないだろうと思います。
篤信の仏教徒を自称するなら、
キリスト教徒などが行う10分の1献金、
つまり、10万くらいは出してからの話でしょう。
カネの話ばかりして!と思われるでしょうが、
これはあくまで、わかりやすく、
金銭だけで寺院や僧侶を相手に布施の修行をするなら、
という話です。
つまり、地域の相場があり、それを気にしている時点で、
そこから計算して包まれた金銭が、
布施の定義を満たすものになど、なるはずがない、
ということを申し上げています。
また、施主が自己の修行として渡す、
という意識がなく、法事をしてもらったから渡す、
というのでは、それは対価であり、
いわば、ワンステージのギャランティというものです。
つまり、料金。
施主側に内在するこの2つの要素だけでも、
そこに用意された金銭は料金でしかなく、
布施と称するべきものではない、と言えます。
そして、僧侶が持ち帰ったその金銭は、
扱われ方としては料金そのものです。
中間マージンを業者に送金するなど、
差し引かれて僧侶側の収入が確定するからです。
どこから見ても、料金でしかないこの金銭授受に対し、
お布施のあるべき姿とは云々、と批判したところで、
正しい牛丼の姿を鉄火丼屋に説教しているようなもので、
頓珍漢な説教と言わざるを得ません。
料金を料金と称して明示し、料金として処理しているのだから、
それで良いのです。
ここで、僧侶が料金をとるべきでない、
などと考えた人があるならば、
よく現実を考えてみていただきたいです。
料金をとらずに僧侶としてやっていける世の中ですか?
在家の人は、本来の意味のお布施が出来る人たちですか?
布施を布施として成立させるだけの知識と気構えがあると思いますか?
答えはノーです。
知識と気構えがあるか?との問いには、
中にはある在家の人もいる、との答えもあるでしょう。
それは私も認めるところです。
でもその人口は僧侶の生活を支えられる人数ですか?
そんなにいないでしょう?
つまり、大半の在家は、布施が修行だということすら、
おそらく知らないわけですから、
2番目の質問もノーなのです。
1番目の質問も、2番目までが崩れたことで不成立です。
料金をもらわなければ、生きてもいけず、
寺も維持できないのです。
こんな情けない状況になったのには理由があります。
まず明治以降、僧侶の妻帯が可能になったことです。
元々妻帯できた浄土真宗のお寺と合計して、
コンビニの数を超す軒数の「妻帯寺院」が出現しました。
その寺院の住職が死んでも家族が追い出されないためには、
息子を作って寺を継がせるか、その代替手段をとるか、
どちらかを選ばねばならなくなりました。
こうして、僧侶の「身分固定化」が始まりました。
僧侶の息子でもないのに僧侶になっても仕方がない例、
というのが相当数になってきました。
なぜなら、「身分固定」を目的に、
志もなしに家業としての僧侶にしがみつかねばならない、
という人が妻帯寺院の軒数だけいるわけですから。
まあ、その中でもいざ始めてみると、
仏教徒としての志を持つことができた、
という人もいるでしょうから、そういう人は除き、
仕方なくやっている人だけ還俗してもらって、
そこに志ある在家出身僧侶を住職に据えていけば、
それなりに僧侶分配は解決するのではないかと思いますが、
仕方なくやっている人が還俗してくれるかといえば、
これも難しいところではないかと思います。
なぜなら、仕方なくやってるかもしれないけど、
食いっぱぐれのない生活を何年もやってしまったら、
今更その地位は捨てられないし、息子にも継がせたいでしょう。
そして、もう一つの理由は、
日本の寺というのは、修行の場というよりは、
儀式のための場所として使われている、ということです。
元来、仏教の寺、つまり釈迦教団における「精舎」というのは、
修行生活のための場所でした。
それも、集団でしたから1人当たりのスペースは微々たるもの。
今、日本で同じ機能がある寺院といえば、
永平寺など、多数の集団修行をしている寺くらいのもので、
檀家寺は一家5人とかで明らかに広すぎる敷地を占有しています。
そして、儀式のための場所という性質上、
修行道場よりは豪華な調度品、仏具が置かれていて、
どう考えても、釈迦教団の「精舎」より維持費が嵩みます。
加えて、国は宗教には肩入れしてくれませんから、
維持費は檀家からの寄付もあてにせねばなりません。
しかも、本山へは宗費というものを上納せねばならず、
その宗派の代紋を使って檀家から吸い上げる、
という暴力団のような構造はこれからも続くでしょう。
つまり、お寺の大半というのは、
無駄の塊のようなものなのです。
伝統やら境内地内の墓地を口実にして、
無駄の部分も檀家に背負わせているという、
結構な悪徳商法なのです。
これが表だって非難されないのは、
宗教という、目に見えなくて当たり前のところが、
取扱品目である、という暗黙の了解によって
特例が認知されているだけのことであり、
同じことを宗教以外のところでやったら捕まります。
そして、日本の歴史の中におけるお坊さんの位置、
というのも、影響していると思われます。
だいたいは、日本でお坊さんというのは役人でした。
つまり、ひょっとしたら明日自分もなるかもしれないもの、
という存在ではなかったわけです。
そして釈迦教団が、出自不問だったのとは異なり、
日本の僧侶は、出自で階級がことなっていました。
早い話が、仏教としては、輸入された初期の段階から、
僧侶団体としてのあり方を間違えていたのです。
これでは民衆は坊さんの生命維持のため、
布施の修行として食物を施す、という意識にはなり得ません。
要するに私に言わせると、
日本仏教史の中において、
布施と呼ぶにふさわしい金品の授受は極めて稀な事例であり、
特に現代において布施と称して僧侶に渡しているものは、
イベントステージのギャラ、対価、料金でしかなく、
そうなってしまったのは、在家、僧侶、国家
いずれにも原因がある、ということです。
さて、お布施と称していても、実態は料金なのだから、
そこには俗人の業者が入り込む余地がある、ということです。
その業者が僧侶派遣をしても、まったく罪のないことです。
もちろん、宗門も僧侶派遣に参入しても構わないです。
しかし、宗門による派遣だけで良いとは到底思えません。
なぜなら、先ほども申し上げたように、
宗教界というのは基本構造がヤクザ的です。
メンツ第一という業界ですから、
宗門による派遣だけになってしまうと、
宗門にとって都合の良い人間しか仕事ができない、
ということになりかねません。
私のような反骨精神旺盛な僧侶を派遣する本山など、
どこにもありますまい。
また、宗門は寺出身の僧侶に厚く、在家出身に薄い、
という傾向がありますから、
本当に僧侶としての志を持つ在家出身者は
あまり派遣される見込みがあるとは思えません。
在家出身者に仕事を与えるのは、
業者が主になると思われます。
ゆえに、在家出身者から実践の場を奪わぬためにも、
業者の存在価値は十分に認められるべきなのです。
色んな状況が重なってこうなってしまった世の中、
そして出てきた僧侶派遣業者なのだから、
一概に反対だとか、こうあるべきだとか言っても、
仕方ないと思うのです。
なぜなら、理想が実現できるような前提すら、
実際に構築されていないからです。
今、僧侶派遣業者がなくなってしまったら、
在家出身者の僧侶としての道を断つことになるだけです。
悪質なところは論外として、
そうでない業者は許容されるべきでしょう。
そして最後に一言。
在家出身の僧侶の皆さまは、
仏教の何たるかを、広く宣べ伝えて下さい。
そして仕方なくやっている跡継ぎの皆様には、
真剣に布教活動をしていただくか、
その座を志ある在家出身者に明け渡していただくか、
そろそろ腹を括っていただきましょう。
お寺も檀家も、あなた個人や、ましていわんや、
あなたの家族のためにあるわけではない。
それでもみっともなく、徒に居座るのは、
仏教の面汚しでしかないのはおわかりでしょう?
志あれば、出自を問わず私の法友、
志なければ仏敵、死後の転生は保証しません。
かく言う私も、僧侶として、
寺というフィールドで布教することには、
適性の限界を感じ、
音楽家としての布教活動に軸足を置き、
僧侶としては主に密教行者としてやっていこう、
というスタンスで生きることにしました。
ですから、もう怖いものがありません。
僧籍簿を抹消されようが、どうぞご勝手に、です。
登録がなくなったところで、
私が僧分であることには何の違いもありません。
印信が取り上げられるわけでもありません。
授かった秘印明は、私の中にあります。
(行法中、常に結誦しますから・・・中院流ではなく三憲をw)
私に必要なのは本質であって、代紋ではありません。
私は単なる真言宗の僧侶です。
皆さん、おはようございます。
今日よりちょうど1ヶ月前、
2016年3月5日、オーストリアにて、
20世紀から21世紀にかけて音楽界を牽引した偉大な指揮者、
ニコラウス・アーノンクール氏が逝去されました。
私は昨年、盟友である水野昌代女史と共に、
音楽グループConceptusを立ち上げましたが、
私がぼんちオペラなるものの指揮、演出を行い、
バロックや古典派の音楽のみならず、
元々好むことのなかったヴェルディやプッチーニといった、
ロマン派後期の作品にまで、手を伸ばしている、
そのこと自体、アーノンクール氏の業績なくしては、
決して成立していないと確信しております。
思えば、1999年2月に、
神戸オペラ協会(現ニュー・オペラシアター神戸)の魔笛に、
僧侶役で出演したことが、決定打となりました。
この時、指揮者だったのが本名徹次氏で、
彼はオランダでアーノンクール氏の現場に立ち会い、
薫陶を受け、資料をひも解いて学んだ、
ピリオド・アプローチを日本でも実践されていました。
この古楽奏法とも言われるピリオド・アプローチ、
オペラをひたすら朗々と歌い上げる現代的な唱法を、
日々実践している人間にとっては、初めは不都合なものです。
繊細さが要求され、歌手の都合で歌うことができません。
愚かにも、その現場にいる間はそうとしか思えなかったのですが、
後日、日本人音楽家へのインタビュー書籍において、
本名徹次氏がとりあげられ、どのようにしてこの奏法に至り、
どのような資料で勉強したか、ということが書かれているのを見て、
検証した結果、これこそ私の中でモーツァルトを演奏する、
最適な方法論である、という結論に至り、
本名氏同様、レオポルト・モーツァルトのヴァイオリン教本など、
昔の教本や資料を漁り、研究しました。
この過程は、アーノンクール氏の存在なくしては、
決してたどることのできない過程でした。
この研究成果をもって、改めて歌唱法を見直すと、
ピリオド・アプローチとはなんと自由で楽な、都合の良い方法論なんだろう、
という評価に変わってしまったのです。
もちろんその興味は声楽のみならず、器楽にも及び、
小学校以来の指揮者としての欲が蘇り、
こうして今に至っております。
そんな2000年あたり以前のアーノンクール氏の録音に加え、
それ以降にも繰り出される演奏を映像や録音で聴き、
私なりの資料研究の結果も大胆に取り入れたものが、
現在の私の楽譜の読み方、演奏の仕方となっています。
私はオペラにおけるキャラクターテノール歌手としては、
それなりの仕事をしてきたつもりですし、
リート歌手としても、そこそこの能力はあると自負しています。
しかしながら、それらを支えているもの、
能力に加え、明確な方向性を与えてくれているのは、
紛れもなく、ピリオド・アプローチの概念です。
ぼんち独特の色を引き出すツール、
それはアーノンクール氏なくしてはあり得ません。
アーノンクール氏は間違いなく、私の「心の師」です。
その「心の師」の逝去にともない、
追悼の演奏会を開催しよう、という結論に達しました。
この人なくしてコンツェプトゥスはない、という人間の死に、
何もしないのは徳義に悖ることと思います。
ただし、準備期間がそれなりに必要です。
よって、一周忌に、という企画を立てました。
キリスト教式には一周年と呼びならわしていますので、
「アーノンクール一周年コンサート」とタイトルをつけ、
2017年3月5日(日)午後4時より、
大阪ミナミの島之内教会にて執り行うことに致しました。
プログラムは、「モーツァルトのレクイエム」です。
これには様々な版があります。
伝統的には、弟子であったジュスマイヤー補筆版、
現代になってジュスマイヤー版に修正を施したバイヤー補筆版、
ジュスマイヤーより先に、Dies illaeから Confutatisまでを補筆した、
モーツァルトが自分に次ぐ才能と称したアイブラー補筆と、
それ以降の部分をジュスマイヤー版で構成したランドン校訂版。
そして、20世紀半ばに発見された、アーメンフーガのスケッチを完成させ、
Lacrimosaの終結部を締めくくったのが以下の版です。
レヴィン版、モーンダー版、ドゥールース版、コールス版、鈴木優人版など。
アーノンクール氏自身は、バイヤー補筆版を用いていました。
追悼コンサートを通常の概念において開催する場合、
その遺徳を偲び、アーノンクール氏の用いたバイヤー版を選択するのが、
妥当であろうとは思われるのですが、
そこはそれ、何事も疑い、議論し、自ら考えて実践する、
という理念こそを受け継ぎたいと考えておりますので、
上記の補筆版の中から私が抜き出した、
梵智セレクションにて一周年の祈りを捧げたいと考えました。
梵智セレクションの概要は、
Confutatisまではランドン校訂版、それ以降はレヴィン版、
というものです。
まずレヴィン版の評価から申し上げますと、
多少学問の匂いはするものの、モーツァルト自身が完成していれば、
おそらくこの規模と内容であっただろうと思われるところに
最も肉迫した補筆版であると信じております。
特徴としては、ジュスマイヤーの仕事には一定の評価を与えるがゆえに、
残すべき要素は残し、直すべきところは直し、という姿勢の仕事、というところ。
つまり、歴史的事実に対しても、一定の敬意は払われているということです。
その意味では、積極的な補筆ではなく校訂ですが、
ランドンの仕事も、モーツァルトの同時代人の仕事、
つまり歴史的な経緯を評価した姿勢であります。
Confitatisまでのアイブラーの補筆は実に見事です。
少々モーツァルト本人の色から逸脱した要素もありますが、
モーツァルト本人から称揚された才能を駆使し、
ジュスマイヤーより高度な補筆が施されています。
私の評価としては、ランドンと似通ったところがあります。
基本的には同時代人の仕事を優先させたいこと、です。
しかし、ジュスマイヤーには足りないことも多く、
それを最も合理的に埋め合わせているのがレヴィンなのです。
よって、この2つを組み合わせることが、
モーツァルトが完成していたならば、という歴史上の「もし」を
納得できる形で実現出来ているのではないか、
というシミュレーションになるわけです。
さて、梵智セレクションにはおまけがついています。
全曲終了の後、簡単な解説を挟んで、
アーメンフーガのスケッチ、モーンダー版のLacrimosaとアーメンフーガ、
というものを演奏して終わります。
モーンダー版の特徴は、ジュスマイヤーの徹底排除にあります。
そして、初めてアーメンフーガの補筆をした人なのですが、
心情的に、モーツァルトの哀しい死に寄り添った、
情緒を満足させるアーメンフーガであり、
おまけとして演奏するのには良いと思っております。
そして、この演奏会ではレクイエムの全体演奏に入る前に、
実演で、モーツァルトの残した状態をご提示申し上げ、
いくらかのレクチャーをしたいと考えております。
これは、アーノンクール氏のやり方を私なりに踏襲するものです。
私はこれまで、幾度となく恐れていました。
アーノンクール氏の亡くなる日がいつ来るのか、と。
そんな中、昨年12月5日に引退表明をされました。
その時、3ヶ月後が危ないんじゃないか・・・
そんな考えが頭をよぎったのですが、
本当に、きっちり3ヶ月後にその日が来るとは、
何とも不思議なものです。
皆さん、おはようございます。
セヴィリアの理髪師ってどんなオペラだと思っておられますか?
少なくとも、悲劇だと思って観ていらっしゃる方はおられないと思いますが、
さりとて、吉本新喜劇も真っ青のドタバタ喜劇ではないことも明白です。
オペラ・ブッファというジャンルだという認識もあるかと思いますが、
ある源泉資料にはドランマ・ジョコーゾとも書いてあります。
これは、かのモーツァルトによる「ドン・ジョヴァンニ」も同じです。
言葉の解釈には様々あるものの、
少なくとも、バカバカしいお笑いを一席、というのでないことは確かです。
つまり、笑いをとるためのものではないということです。
言い換えると、お客に笑ってもらうことが目的の作品ではない、ということなのです。
このオペラが作曲されたのは1816年、
ちょうど200年前のことですが、
その時にはこの話の続編、モーツァルトの「フィガロの結婚」は
30年前に作曲されていたわけですし、
1790年代にはボーマルシェは「フィガロ」の続編となる、
「罪ある母」を書いていたわけですから、
ロッシーニにしろ、台本のステルビーニにしろ、
この時結婚した伯爵夫妻が、後々どんな夫婦関係を築くのか、
断片的知識であるとしても知ってはいたことと思います。
しつこいようですが、この2、3年後、
フィガロがスザンナと結婚する段になって、
伯爵夫妻にはその後20年余りに渡る亀裂が決定的となり、
数年の間にロジーナがケルビーノの子供を産むことで、
20年という長い長い冬の時代が夫妻に訪れるわけです。
その前日譚である「セヴィリアの理髪師」において、
ロッシーニが笑い追求の作品を作るとは到底思えません。
そしてロッシーニたちがなにを考えていたにせよ、
私はあくまでも「フィガロ」や「罪ある母」の前日譚として捉えます。
従って、笑いをとるための演出はしません。
しかし、稽古段階で発見できた、「あるある的な笑い」は、
人間の本質に迫ることができる現象なので、
大いに歓迎したいところです。
見た目に普通っぽいと思いますが、
このオペラをドタバタ喜劇と思っておられる方には、
そうでないことが斬新に映るかもしれません。
一番大事にしたいのは、あくまでも
アルマヴィーヴァ伯爵と、ロジーナとの純愛物語です。
その純愛のために、20年以上も夫妻が苦しむことになる、
まさにその序章がこの「セヴィリア」なのです。
ロジーナに与えられた追加アリアは、
作品内では最後の伯爵による大アリアと対になっていますが、
「フィガロ」の3幕のアリアDove sonoに繋がる作品だとも考えています。
これらを達成するために、
バルトロの扱いも、そうそうコミックにするわけにはいきません。
彼にはあくまでも、壁として立ちはだかっていただきたいのであって、
愚か者がみんなの笑いものにされるのではなく、
恐ろしい壁だったものが、最後には笑われる立場に追い込まれ、
その屈辱感が「フィガロ」での登場に現れねばなりません。
演者の皆さんには、お客様をして、
「フィガロも観てみたい」と思わしめる演唱を期待したいと思います。
皆さん、おはようございます。
エイプリルフールにいつものアヴェンヌで、
「セヴィリアの理髪師」を上演致します。
まずは概要をご覧下さい。
セヴィリアの理髪師
~無益な用心 或は アルマヴィーヴァ~
G.ロッシーニ作曲&C.ステルビーニ台本
P-A.カロン・ド・ボーマルシェ原作
全2幕 原語・字幕付
上演時間2時間45分
アルマヴィーヴァ伯爵:谷口 耕平
ロジーナ:山口 慧
フィガロ:坂上 洋一
ドン・バルトロ:米田 良一郎
ドン・バジリオ:大西 信太郎
ベルタ:松岡 直美
フィオレッロ&アンブロージョ
&士官:中野 文哉
合唱:神矢 匡 中川 智樹 繁 亮太
ピアノ:石原 綾乃 小林 聡子
音楽助手:向谷 紗栄
指揮・チェンバロ・演出:梵智 惇声
制作:Conceptus
サロン・ドゥ・アヴェンヌ
2016年4月1日(金)19時開演
今回がまず第1回目のご案内になります。
例によりまして、レチタティーヴォ一部カットしますが、
曲そのものには一切カットを致しません。
それどころか、1曲増えます。(笑)
No.14a として、嵐のシーンの直前に、
ロジーナのアリアが挿入されます。
初演から3年後に、その時のロジーナのために追加された、
「ああ、もし本当なら」です。
日本では藤原歌劇団の前回の公演で、
全曲上演としての初演がなされたアリアです。
そもそもロッシーニは喜劇であるブッファより、
真面目なオペラであるセリアが書きたかった人で、
セヴィリアは、実はその中間帯の作品に属します。
そしてその中にこの追加アリアを置いてみるとどうなるか・・・
確たる答えは聴いていただくしかないものの、
私の見解を言わせていただくと、
このアリア単体を見ると、完全にセリアのスタイル。
恥ずかしいことに、時折思い出してはメソメソしてます。
かなり泣けるアリアなんですよ・・・楽譜の指示に従えば。
そんなこのアリアがあることで、
セヴィリアという作品自体がもっとセリアに寄るし、
喜劇と正劇の中間帯にあるということが、
よりはっきりとわかるようになります。
そして、歌ってくれる山口慧ちゃんですけども、
彼女にお願いして正解だった、と痛感しています。
このアリアには知性、品性が不可欠ですが、
彼女の声にはその両方があります。
歌い口においてもそれを忘れさえしなければ、
曲の技巧性云々を超越したパフォーマンスになるはずです。
YouTubeにも転がっているのですが、
いずれも後半が速すぎて情緒と結びつきません。
音楽の作りにおいては、我々が上を行くと自負しています。
希望と失望、信頼と不信に苦しむ10分少々のドラマが、
嵐の場面も含めて繰り広げられます。
ここを見るだけでも、お越しになった労力が報われるでしょう。
どうか泣きに来てください。
公演日はウソ真っ盛りの日程ですが、
来てみたら、「うっそピョン!公演なんかしないよ」
なんてことはございませんので、是非お越し下さい。
皆さん、あけましておめでとうございます。
いよいよ、Conceptus本格始動の年を迎えました。
旧年中お世話になった方々も、
今年はさらにお世話になるであろうと思われますので、
何卒お覚悟のほどをよろしくお願い致します。(笑)
何事にも完成形態というものはないと思いますが、
とりあえず出来るようになりたいこと、というのはあります。
モツレク、第九、受難曲、シンフォニー、コンチェルト・・・
いずれもオーケストラが必要なことばかりです。
従いまして、急務の一つはオーケストラの編成です。
弦楽器の基本的な最少人数は、
モーツァルト当時のプラハのオペラハウスのサイズ、
3-3-2-2-2としたいと考えています。
曲によって適宜増やせばいいわけです。
それから、各パート3~4名の室内コーラスです。
この二つは急務になると思います。
大きいことばかり書きましたが、
実際のオペラ上演は、来年まで
2016年
セヴィリアの理髪師
フィガロの結婚
ラ・ボエーム
2017年
藤戸
ポッペアの戴冠
皇帝ティートの慈悲
このようなラインナップで行いたいと思います。
そして、オペラの前月あたりにはオペラのキャストによる
宣伝と解説のためのコンサート、
それ以外の月はマンスリーのようなコンサートで、
器楽、声楽ともに充実を図りたいと思います。
このマンスリーについては、その都度プロデューサーを指名し、
計画から実行に至るまでやっていただこうかと。
各々の特性に応じたコンサートをすることでマンネリ化を防ぎ、
出来れば新しい人材の発掘もしたいな、と。
私はどのジャンルの音楽であれ、
「つまり音楽だろう」と考えています。
扱う方法論を会得しているのなら、
クラシック演奏家がロックを演奏してもいいのです。
クラシックでない人を引っ張り込まれても困りますが、
クラシックの人が、然るべき方法で他ジャンルを演奏するのは、
私は大いに歓迎するところです。
しかし、こんな話が出来るようになったのは、
仲間たちが増えてきてくれたことがすべてです。
本当はもっと早くにしたかったことですが、
音楽大学に行かなかったことで、
対等にやっていける仲間がいるわけでもなく、
それは実現するはずもなかったのです。
そこのところだけは失敗したと思ってますが、
果たして音大に行っていたら、
そんなことをするだけの見識が身についたか、というと
これが相当疑問に思えるのです。
私はこれで良かったのか?
今では良かったと思いますけど、
それをタイムマシンで15年前の自分に伝えてよいかというと、
相当慎重にならざるを得ません。
やろうとしては粉砕されてきた歴史なくして、
今の実力はないと思いますから。
ほわっとでぼんちオペラが始まって、
きっちり6年たった今ですが、
この6年の積み重ねがあったればこそのコンツェプトゥス。
そしてその6年は、それ以前の苦悩なくしては存在しません。
正直苦しかった経験を肯定したくないんですが、
それでもそれなくして今はない・・・。
人生って難しいものですね。
皆さん、おはようございます。
今年の終盤は慌ただしい時期となりました。
10月16日にこれまでのぼんちオペラのグループで
新団体を立ち上げました。
この10月16日の公演「ドン・ジョヴァンニ」も大変でしたが、
新団体の立ち上げにともない、
色々な話が浮上してきて、責任が大きくなり、
6月から勤務していたお寺を退職することになりました。
これが11月のことです。
そして12月は年末のコンサートが重なり、
同時に来年の準備を始めなければならず、
神経をすり減らすこととなりました。
お蔭で不義理するところも多くなりましたが、
未来へ向かって着実に進んでいることを以て
ご容赦いただけたらと思います。
詳しくは新年のご挨拶にて申し上げますが、
ぼんちオペラのグループでしかなかった我々、
これからは規模を拡大していきます。
これまで培ってきたものを、
外に向かってぶつけてみる時が来たようです。
音楽というのは、一人では出来ません。
仮に、音楽行為そのものは一人で出来ても、
それを広く周知し、運営することは一人では出来ません。
それが出来る人もいるようですけども、
私に出来ることではありません。
でも、どこにもないものを創り出す自信だけはあります。
ええ、それしか自信ないのです。
他のことはダメ人間です。
似たようなことがお坊さん業務にも言えるような気がします。
私は拝むことは、それほど質の悪い人間ではありません。
祈祷についても、それなりに能力はあるようです。
つまり、成果はそこそこ期待していいと思います。
音楽におけるこの状況は祈祷能力に支えられてもいます。
しかし、無難な人間であることは出来ません。
万人に好かれる態度を身につけることも出来ません。
「功績を残さなくてもいいから、無難であれ」
こういった組織の一員に求められる態度でいることは、
私には無理な相談です。
音楽家はこの逆です。
成果さえ出せば、みんなに多大な迷惑が出るような、
そんな重大な欠陥でもない限り、
多少の難は目を瞑ってもらえるのがこの業界です。
逆に無難なだけでは淘汰されてしまいます。
こんな180度態度の違う世界の両方に、
どっぷり身を漬けることなど、到底不可能です。
ですから、私は音楽家をメインとします。
しかしながら、お坊さんとしてのスキルはありますし、
還俗するつもりは毛頭ありません。
何より私は、宗教家です。
宗教家としての精神を音楽にもろに反映しますし、
それが私の宗教活動のメインでもあります。
同時に、お坊さんとしてのスキルも活用します。
ご供養、御祈祷、葬儀なども承ります。
つまり、他人が住職の寺の看板を背負いはしないが、
個人的に坊さんの仕事は受けます、ということです。
今後はこのようなスタンスで生きて参ります。
来年もよろしくお願い致します。
モーツァルトのレクイエムの中で、
最新の補筆といえるものが二つあります。
一つは日本人のもので、
バッハ・コレギウム・ジャパンの御大将、
鈴木雅明氏の子息、優人氏の補筆です。
もう一つは、第一線の音楽学者である、
ベンヤミン・グンナー・コールスの補筆。
楽譜が出たことは知っていましたが、
その後、演奏されたという話や、
CDが出た、という話は聞きませんでした。
一流の学者による補筆なのだから、
もう少し話題に上がってもいいのに、
そう思いましたが、我々を取り巻く現状から、
話題にならないのも無理ないかな、
という風にも思っていました。
1991年、2006年といった、
いわゆるモーツァルトイヤーを逃していて、
しばらくそういう記念年はないので、
完全に時期を逸していますし、
潮流がジュスマイヤー再評価傾向にあり、
必ずしも新しい補筆がもてはやされない、
そんな潮流になっているからです。
いわば、出尽くしてしまったんですな。
さりとて、出ているものをチェックしない、
というのも、モツレクフリークとしては
ちょっと気持ち悪いものですから、
思い切って楽譜を取り寄せてみました。
乱暴に一読した感想ですけど、
学者臭いww
間違いはないのかもしれないけど、
本人が書いてたらそうすると、
ホントにそう思う?と
小一時間問い詰めたい内容でした。
試みにYouTubeを検索してみたら・・・
なんとありましたよ、しかも自作自演w
楽譜見ながら聴いていたら、
プッと吹き出すような和声進行があったり、
それ、絶対いらんやろ、という合いの手があったり、
まあ・・・一言で表せば、蛇足が多いと。
ここまで色々出揃ったところでつらつら惟るに、
現代のモツレク補筆者たちというのは、
ひょっとしたらモーツァルト関係者の
生まれ変わりが集結してるんではなかろうか、と。
今までそんなこと考えもしなかったんですが、
コールス補筆版はそう思わせる内容でした。
というのも、コールスの補筆の特徴が、
ジュスマイヤーの仕事の特徴とリンクするからです。
ジュスマイヤーの前に楽譜はアイブラーの手に渡り、
途中までほぼ完成させていたことは周知の事実です。
ジュスマイヤーはアイブラーの仕事を引き継ぐのではなく、
アイブラーの仕事は破棄して最初から自分色でやりました。
モーツァルトがロイトゲプに残したホルン協奏曲の、
終楽章ロンドも、モーツァルトの残した部分を削除して、
自分色で補筆完成してしまうような男、
これがジュスマイヤーの実態です。
つまり、実力が伴わないものの、プライドは高い。
その結果が後世の不評となり、
それが、新しい補筆の乱立を生んだのです。
私は、規模もクオリティもモーツァルト本人が
完成していた場合に接近していると思われる、
ロバート・レヴィン版を超す補筆を知りません。
実際レヴィンはモーツァルト作品に通暁していて、
言われればたちどころにどんな作品でも
暗譜で弾き出すほどの頭と腕の持ち主で、
コンチェルトのカデンツァを即興でやるとなれば、
ささっと朝飯前でこなしてしまうそうです。
これは、18世紀の音楽家の基準を、
かなり高い水準で満たしています。
私はこのレヴィン氏こそ、モーツァルト本人か、
モーツァルトも信頼していたアシスタントで、
コジの副指揮者も務めたアイブラーの生まれ変わり、
という風ににらんでいます。
アイブラーの実力や如何に?と思う方のために、
モーツァルトが書いたアイブラー評を掲載します。
下に署名する私は、
これを有するヨーゼフ・アイブラー氏が、
かの名高き大家アルブレヒツベルガーの高弟であり、
しっかりした基礎のある作曲家であり、
室内楽にも教会音楽の様式にも等しく通じ、
芸術歌曲の分野にも熟練しており、
そのうえ洗練されたオルガン奏者や
クラヴィーア奏者であることを認めます。
手短に言えば、これほどの新進作曲家に、
惜しむらくは、並び立つ相手がいないということです。
ぶっちゃけ、俺の次にすごい、と
モーツァルトが言っているようなもので、
その実力はレクイエムの補筆の程度からもわかります。
ですから、私はアイブラーが補筆した部分は、
アイブラーの補筆を用いるのです。
そのアイブラーか、あるいはモーツァルト本人が
生まれ変わったとしか思えないようなレヴィンは、
ジュスマイヤーの功績を最大限に生かして、
そこから高水準の作品に仕上げているのです。
それがレヴィン版モツレクです。
そのレヴィン版に対抗して、
あえてアイブラー補筆を使ったとしか思えないような、
そんな使い方をしているのがコールス版です。
勉強はしたのでしょう。
でも、センスはあまり伸びなかったようで・・・
結局、コールスの仕事はアイブラーの邪魔をしています。
そんなところにそんな音を重ねなさんな!
いくつもそんな箇所があります。
アーメンフーガでは、ジュスマイヤーの仕事を否定した、
モーンダー補筆にあるフレーズを、
かなり嫌味ったらしく引用しています。
そこから不必要に引き延ばしてやっと終結。
そうなると、モーンダー氏は
せっかくの自分への遺稿を、
ジュスマイヤーに無茶苦茶にされた、
ロイトゲプ氏の生まれ変わりで、
ジュスマイヤー否定のカルマがあるのかなあ、
などと妄想が膨らんできます。
ひょっとすると、あの素人臭い、
ドゥールース版を書いたドゥールース氏こそ、
匿名で依頼したヴァルゼック伯爵の生まれ変わりなのかな、
などという妄想も首をもたげてきます。
モーツァルトのレクイエムという作品、
こんな風に業の深い作品だと思うのですよ。
私をしてこんな幻想に駆り立てるほどに!
ちなみに、冒頭に述べた鈴木優人氏の仕事ですが、
アイブラーの仕事とジュスマイヤーの仕事を尊重しつつ、
ごく控えめに自分のカラーも出してくるという、
節度があり、好感のもてる仕事で、
演奏のクオリティとも相まってなかなかの出来栄えです。
レヴィンの才には及ばないかもしれませんが、
もっと世に出して良い仕事だと思います。
是非楽譜も出版してほしいものです。
皆さん、おはようございます。
朝ドラで幕末から明治大正、というドラマをやっていますが、
ヒロインたち姉妹の結婚話を出勤前にチラ見することがあり、
この時代の商家の物の考え方を鑑みずにはいられませんでした。
昔の結婚は、戦国時代などはさらに極端な背景がありましたが、
基本的に家と家との結びつきであり、
個人の都合が考慮されることはありませんでした。
今でもイスラム諸国の結婚は、結構そんなのもあるんじゃないでしょうか。
西洋の貴族階級ともなると、
一応結婚は家と家の都合、国と国の都合で行われたものの、
そうした恋愛の介在しない結婚においては、
夫婦互いに愛を外に求めることを
半ば公然と行っていたこともあります。
ところがイスラムや日本でそこのところはどうかといえば、
そんなことをしたら命に関わります。
イスラムなら姦通で石打の刑、
日本でも二つ重ねて斬り捨ててオッケーという事例です。
しかも、妻と間男だけ。
ここでは日本を見ていきましょう。
商家などの子女に、子供の頃から許婚がいて、
有無を言わさずそこに嫁がされる、というシステム、
一体何のためにそんなことをしていたのでしょう?
当事者たちの意識としては家と家を結びつけることによって、
相互の家、家業の維持発展が目的だったでしょう。
しかし、全員がそう思って結婚を成立させているとしたら、
それは何を成立させていることになるのでしょうか?
数ある商家や武家が成立することで成立するもの、
それは社会です。
日本は島国で、ただでさえ孤立状態である上、
当時は鎖国体制にあったか、鎖国はしていないまでも、
その影響が引き続いていたかの状態であり、
実際、家と家の結婚は戦後も行われていました。
社会という名の全体の存続を優先させることを、
全体主義といいます。
その中においては、個人の幸福の追求は二の次、
というよりもむしろ、無視されます。
嫁いだ先で幸せになってくれればいいが、
不幸になったところで、全体の存続の前には無視、
嫁ぎ先で理不尽な扱いを受けたところで、
それは「運が悪かった」ような結論で終わり。
この「運が悪かった」部分を補完するのに使えるのが、
仏教の因果応報理論です。
「今が苦しいのは、前世の行いの報い」
この証明できない理屈で丸め込むわけです。
ひょっとしたらその通りなのかもしれませんが、
証明できない以上、その理屈で丸め込むことは間違っています。
しかし、証明できないという理由で、
その丸め込みが間違っている、という考え方は、
極めて現代的な発想であって、
当時の人たちに許される考え方ではありません。
それこそ命に関わります。
天皇家以下、その理屈で動いているわけですから。
そもそも、昔の人たちがそういう生き方をしていたからこそ、
今の私たちがあるようなものです。
昔の人たちが今のような考え方をしていたら、
国がどうなったかすら定かではありません。
歴史とはもはや善悪、是非ではありません。
こうしたからこうなった、の積み重ねでしかないのです。