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2015/10/09

モーツァルトのレクイエムの中で、
最新の補筆といえるものが二つあります。
一つは日本人のもので、
バッハ・コレギウム・ジャパンの御大将、
鈴木雅明氏の子息、優人氏の補筆です。

もう一つは、第一線の音楽学者である、
ベンヤミン・グンナー・コールスの補筆。
楽譜が出たことは知っていましたが、
その後、演奏されたという話や、
CDが出た、という話は聞きませんでした。

一流の学者による補筆なのだから、
もう少し話題に上がってもいいのに、
そう思いましたが、我々を取り巻く現状から、
話題にならないのも無理ないかな、
という風にも思っていました。
1991年、2006年といった、
いわゆるモーツァルトイヤーを逃していて、
しばらくそういう記念年はないので、
完全に時期を逸していますし、
潮流がジュスマイヤー再評価傾向にあり、
必ずしも新しい補筆がもてはやされない、
そんな潮流になっているからです。
いわば、出尽くしてしまったんですな。

さりとて、出ているものをチェックしない、
というのも、モツレクフリークとしては
ちょっと気持ち悪いものですから、
思い切って楽譜を取り寄せてみました。

乱暴に一読した感想ですけど、
学者臭いww
間違いはないのかもしれないけど、
本人が書いてたらそうすると、
ホントにそう思う?と
小一時間問い詰めたい内容でした。

試みにYouTubeを検索してみたら・・・
なんとありましたよ、しかも自作自演w
楽譜見ながら聴いていたら、
プッと吹き出すような和声進行があったり、
それ、絶対いらんやろ、という合いの手があったり、
まあ・・・一言で表せば、蛇足が多いと。

ここまで色々出揃ったところでつらつら惟るに、
現代のモツレク補筆者たちというのは、
ひょっとしたらモーツァルト関係者の
生まれ変わりが集結してるんではなかろうか、と。
今までそんなこと考えもしなかったんですが、
コールス補筆版はそう思わせる内容でした。

というのも、コールスの補筆の特徴が、
ジュスマイヤーの仕事の特徴とリンクするからです。
ジュスマイヤーの前に楽譜はアイブラーの手に渡り、
途中までほぼ完成させていたことは周知の事実です。
ジュスマイヤーはアイブラーの仕事を引き継ぐのではなく、
アイブラーの仕事は破棄して最初から自分色でやりました。

モーツァルトがロイトゲプに残したホルン協奏曲の、
終楽章ロンドも、モーツァルトの残した部分を削除して、
自分色で補筆完成してしまうような男、
これがジュスマイヤーの実態です。
つまり、実力が伴わないものの、プライドは高い。
その結果が後世の不評となり、
それが、新しい補筆の乱立を生んだのです。

私は、規模もクオリティもモーツァルト本人が
完成していた場合に接近していると思われる、
ロバート・レヴィン版を超す補筆を知りません。
実際レヴィンはモーツァルト作品に通暁していて、
言われればたちどころにどんな作品でも
暗譜で弾き出すほどの頭と腕の持ち主で、
コンチェルトのカデンツァを即興でやるとなれば、
ささっと朝飯前でこなしてしまうそうです。
これは、18世紀の音楽家の基準を、
かなり高い水準で満たしています。

私はこのレヴィン氏こそ、モーツァルト本人か、
モーツァルトも信頼していたアシスタントで、
コジの副指揮者も務めたアイブラーの生まれ変わり、
という風ににらんでいます。
アイブラーの実力や如何に?と思う方のために、
モーツァルトが書いたアイブラー評を掲載します。

下に署名する私は、
これを有するヨーゼフ・アイブラー氏が、
かの名高き大家アルブレヒツベルガーの高弟であり、
しっかりした基礎のある作曲家であり、
室内楽にも教会音楽の様式にも等しく通じ、
芸術歌曲の分野にも熟練しており、
そのうえ洗練されたオルガン奏者や
クラヴィーア奏者であることを認めます。
手短に言えば、これほどの新進作曲家に、
惜しむらくは、並び立つ相手がいないということです。

ぶっちゃけ、俺の次にすごい、と
モーツァルトが言っているようなもので、
その実力はレクイエムの補筆の程度からもわかります。
ですから、私はアイブラーが補筆した部分は、
アイブラーの補筆を用いるのです。

そのアイブラーか、あるいはモーツァルト本人が
生まれ変わったとしか思えないようなレヴィンは、
ジュスマイヤーの功績を最大限に生かして、
そこから高水準の作品に仕上げているのです。
それがレヴィン版モツレクです。

そのレヴィン版に対抗して、
あえてアイブラー補筆を使ったとしか思えないような、
そんな使い方をしているのがコールス版です。
勉強はしたのでしょう。
でも、センスはあまり伸びなかったようで・・・
結局、コールスの仕事はアイブラーの邪魔をしています。
そんなところにそんな音を重ねなさんな!
いくつもそんな箇所があります。

アーメンフーガでは、ジュスマイヤーの仕事を否定した、
モーンダー補筆にあるフレーズを、
かなり嫌味ったらしく引用しています。
そこから不必要に引き延ばしてやっと終結。

そうなると、モーンダー氏は
せっかくの自分への遺稿を、
ジュスマイヤーに無茶苦茶にされた、
ロイトゲプ氏の生まれ変わりで、
ジュスマイヤー否定のカルマがあるのかなあ、
などと妄想が膨らんできます。

ひょっとすると、あの素人臭い、
ドゥールース版を書いたドゥールース氏こそ、
匿名で依頼したヴァルゼック伯爵の生まれ変わりなのかな、
などという妄想も首をもたげてきます。

モーツァルトのレクイエムという作品、
こんな風に業の深い作品だと思うのですよ。
私をしてこんな幻想に駆り立てるほどに!

ちなみに、冒頭に述べた鈴木優人氏の仕事ですが、
アイブラーの仕事とジュスマイヤーの仕事を尊重しつつ、
ごく控えめに自分のカラーも出してくるという、
節度があり、好感のもてる仕事で、
演奏のクオリティとも相まってなかなかの出来栄えです。
レヴィンの才には及ばないかもしれませんが、
もっと世に出して良い仕事だと思います。
是非楽譜も出版してほしいものです。

 

2015/10/09 11:46 | bonchi | No Comments