皆さん、こんにちは。
城崎温泉但馬屋若旦那の柴田良馬でございます。
東京での生活を終えた(終わらせられた)若旦那は・・・
「若旦那への道」への新たなステージ、アメリカへと旅立ちました。
目的地の候補はニューヨーク・サンフランシスコ・ロサンゼルスと何個かあったのですが、
私が選んだ先は・・・ラスベガス!!!
「なぜ、ラスベガス??」
はい、アメリカ時代の話をすると間違いなく聞かれる質問でございます。
答えは3つ。
1・世界でも有数の観光地だから。
2・とにかく楽しそうだから。
3.ホテルマネージメントの勉強をしたかったから。
まっ、どう考えても1.2はふざけてますね。
ここは、本気で3が一番の理由でした。
学校で学ぶホテルマネージメントは勿論、世界有数のホテルが立ち並ぶ場所で、自分の目で、肌で感じながらホテルと言うものを勉強しようと心から思ったのです。
そんな思いでたどり着いたラスベガス。
右も左もわからない、勿論、知り合いもいない・・・
とりあえず、マクドナルドでハンバーガーを買って食べた事を鮮明に覚えてます(笑)
(とにかく少しでも馴染みのある場所に行きたかったのでしょう)
こうして日本よりワンサイズ以上大きいポテトとドリンクでお腹いっぱいになった若旦那のラスベガスの生活がスタートしました。
つづく・・・。
相変わらず大変ご無沙汰しております。
城崎温泉但馬屋若旦那の柴田良馬でございます。
高校卒業後、念願の上京を果たしたワタクシは・・・
とにかく笑える程、情けない、堕落した生活を毎日過ごしておりました。
肩書きは専門学校生・・・。
が、全くという程学校には行かず、毎晩朝方まで友人と遊び、昼まで寝て、そしてバイト三昧・・・。
ほんと、今考えると、家賃や学費をドブに捨てているようなモノ・・・思い出しただけで、父(現社長)と母(現女将)に申し訳なさすぎる・・・。
が、またこの生活がご存知の通り、楽しいんです(笑)
東京の生活は、田舎には無い刺激や出会いがたっぷり。
無駄な時間、無駄な交流、無駄な出費・・・誰もがそう思う無駄ばかりの生活を送っていたかもしれませんが、今、振り返ると、様々な地域から東京に集まってくる人間と関わるだけで、どんどん自分の中の見聞が広がっていたような気もします。
出会う人、出会う人にとりあえず興味を持ち、どんどん人脈を広げていく・・・
まっ、その時は何も考えずに「ただ、楽しければそれでいい」っていう出会いと別れの繰り返しでしたけど・・・。
が、そんな生活の繰り返しが、何よりも人との出会いや人脈、そして「縁」という者を大切にする今の若旦那柴田良馬を作り上げる土台作りになっていたのかもしれません。
ってことで・・・2年間の東京生活は「無駄」では無かったということにしておきましょう(笑)
さー、2年間の無駄のようで無駄ではなかった東京生活を終え(正確には強制終了)、ついに若旦那に・・・
いえいえ、ここから更なる若旦那の冒険が始まる訳です(笑)
次のステージは・・・
なんと、海を越えて自由の国アメリカ!!!!!
って事で次回、「若旦那、アメリカへ行く」をお送りします。
以上、「若旦那コラム『竜馬がかく 若旦那への道のり~その参~』」でございました。
それでは、また次回も宜しくお願い致しますm(_ _)m
おはようございます。
城崎温泉但馬屋若旦那の柴田良馬でございます。
前回に引き続き、『若旦那への道のり』をお話し致します。
誰からも「継げ」と言われる事が無かったワタクシがなぜ、旅館をしようと思ったのか・・・
理由はいくつかありますが、一番大きかったのは『父』の存在だったと思います。
学生時代は(今でもありますが・・・)何度も喧嘩をして、時には殴りあいをするほどの関係で、
けっして仲良し親子って訳ではありませんでしたが、
小さい宿とはいえ、一国一城の主として自分のやりたいように経営をしている姿を見て、
『いつかは父のようになりたい』
そんな憧れに似た気持ちを持っていたと思います。
さらにぶっちゃけると・・・
趣味のゴルフに行ったり、買い物したり、好きな車に乗ったり、旅行に行ったり・・・
そんな父の生活を見ていると「旅館の仕事って儲かるんだ!!!」って単純に思ったからってのもあったと思います。
(まー、その表側の良いイメージは、幻想だったと言う事にすぐ気づきますけど・・・涙 旅館なんてそう簡単に儲かる仕事ではありませんから!!)
もう一つ、理由を挙げるとしたら、地元である『城崎温泉』が好きだったからだと思います。
とにかく田舎で、遊ぶ場所もなく、当時の気持ちを思い返しても、学生時代の自分にとって魅力があったとは思えないような町なので、なぜ「好き」って気持ちがあったのかはわかりませんが、それでも当時の自分が『城崎温泉』を愛していた「事実」だけは鮮明に覚えています。
憧れの存在が居る大好きな町・・・まー、世間知らずのあの頃の自分からしたら「いつかは城崎温泉で旅館をしよう」って思うのに十分な理由だったんだと思います。
そんな単純な理由で「いつかは城崎温泉で旅館を」と思った若き若旦那ですが、高校までクソ田舎の地元で過ごしたワタクシは東京への憧れがとにかく強く、
「日本人なら一生の間に首都でもある東京に住まなければいけない」
と、全くと言うほど意味のわからない理由で、親に頼み込んで東京での一人暮らしを始めました。
って事で、東京での生活についてはまた次回!!!
以上、「若旦那コラム『竜馬がかく 若旦那への道のり~その弐~』」でございました。
それでは、また次回も宜しくお願い致しますm(_ _)m
皆様、ご無沙汰しております。
城崎温泉但馬屋若旦那の柴田良馬です。
長期でお休みをしておりましたが、また本日より再開させて頂きます!!宜しくお願い致します。
今回のお題は・・・「若旦那への道のり」。
簡単に言えばどのような経験を経て、またどんな背景から現在のワタクシに至るかをお話しさせて頂ければかと存じます。
(自己紹介の際にもご説明していますので、重複になるとは思いますが・・・)
若旦那になったきっかけを一言に言うと・・・
『旅館が家業の家の長男として生まれたから』
です・・・。もっと簡単に言うと世間的に「跡継ぎ」と呼ばれる立場として生まれたからですね。
ってか、皆さんのご想像通りだったかもしれません。
実際に、全国の旅館の若旦那さんのほとんどはこのパターンが多いと思います。
この世に生を受けた瞬間から『若旦那』になる可能性を秘めてたって事です。
って、少しカッコよく言ってみたりしましたが、若旦那なんて世の中にゴロゴロしてますからね~。
これが歌舞伎の世界だったら、先程の発言も意味と重みがあるんでしょうけど(笑)
でも、高校卒業するまでは自分が旅館を経営するなんて考えた事もありませんでした。
ってか、「若旦那」って言葉を使った事も聞いた事も無かったかもしれません。
実際に、生まれてこの方両親から
『旅館を継げ!!!』
なんて言われたコト無いですからね~。
(現在もまだ言われてません・・・ってことは若旦那止まりの可能性もまだあります!!)
ではなぜ若旦那に・・・!!!???
続きはまた次回!!!
以上、「若旦那コラム『竜馬がかく 若旦那への道のり~その壱~』」でございました。
それでは、また次回も宜しくお願い致しますm(_ _)m
皆様、こんばんは。
城崎温泉但馬屋若旦那の柴田良馬です。
久々の更新、ご容赦下さいませ。
今回は『若旦那の活動』をご報告。
9月の頭に、豊岡市主催のイベント『豊岡エキシビション2013in渋谷ヒカリエ』に、城崎温泉若旦那の一員として参加して参りました。
その日は浴衣を身に纏い、東京の方々に豊岡市のパンフレットを配布する役目だったのですが・・・
急遽、若旦那の代表としてトークショーに参加する事に!!!!!!
しかもお相手はモデルのKIKIさん、オズマガジン編集長の古川誠さんというビッグネーム。
心の準備も出来ないまま、ステージにあがる若旦那。
その内容が下記のサイト内『浴衣の似合う温泉街”城崎”トークショー』にてアップされておりますので、宜しければご覧くださいませ。
当日、急遽飛び入り出演の割には若旦那、よく頑張ったって事で・・・(と、自分に言い聞かせてます。)
その他のトークショーと致しまして、
「小さな世界都市豊岡」トークショー
指出一正氏(ソトコト編集長)×中貝宗治市長』
永楽館歌舞伎トークショー
『中村壱太郎氏(歌舞伎俳優)×葛西聖司氏(アナウンサー)×中貝宗治市長』
のトーク内容もアップされております。
こちらは豊岡市の魅力がたっぷり伝わる内容となっておりますので、必読でお願い致します!!!
若旦那は旅館の仕事だけではなく、地域の情報を全国に発信する役割も担っているのです!!
以上、「若旦那コラム『竜馬がかく』」でございました。
それでは、また次回も宜しくお願い致しますm(_ _)m
皆様、こんばんは。
城崎温泉但馬屋若旦那の柴田良馬です。
前回からの続きで今回は旅館の若旦那の仕事についてご紹介させて頂きます。
(あくまでも、ワタクシ但馬屋若旦那の業務のご紹介です。全国には沢山の若旦那さんがいて、仕事内容は十人十色・・・ご理解ください)
っと、1週間も引っ張り、色々な前置きを書いておいてなんですが、
そんな珍しい仕事をしている訳ではありません。
営業に広報活動・経理等の事務仕事から館内の清掃や備品の修繕・・・旅館っぽい事で言えば、予約の電話を取ったりメールを返したり、チェックイン/アウトのフロント業務をしたり、夕食時の飲み物を提供したり・・・時には旅館に泊まって夜警をしたり・・・若い頃は布団敷きを手伝ったり、調理場で洗い物や盛り付けの手伝いもしました。電球が切れたら交換もするし、虫が出たら退治しにもいきます。お客様からクレームが出たら、謝りにもいきます・・・。
こうやってあげていくと、若旦那って何でも屋に近いですね(笑)
その他で言えば、経営者としての顔もあるので、旅館の経営ビジョンを描き、どんなコンセプトで宿づくりをするのか、ターゲットはどうするのか等も考えたりします。それに伴い、部屋の家具やちょっとした小物やアメニティ、料理の献立や食器を考えたりもします。そして、それらを反映させた宿泊プランも作成するのもワタクシ若旦那の仕事。後は・・・雇用についての業務や、旅行業者を初めとした様々な業者さんとの窓口もほとんどワタクシ・・・あっ、売店の仕入れ等もだな・・・。この他にも細かい仕事が無限に・・・。
また忘れたらいけないのが、地元の活動。
旅館組合や観光協会、商工会や消防団など、地域に存在する様々な組織のメンバーとして、城崎温泉の町づくりに参加するものワタクシ、若旦那の務め。
(これらの活動についてもまたこちらのコラムでどんどん紹介していきます!!)
その他にも・・・全国や県の旅館組合に出向したり・・・ってキリが無いですね(笑)
こうやって書き出すと・・・
『旅館の若旦那って意外に色々やってるな』
って改めて思ったり。。。
周りの方々から・・・
『若旦那さんって大変ですね!!!』
って言われてた意味が初めて理解できたかも(笑)
でも、当本人のワタクシは至って平気で若旦那を楽しくやってますのでご安心を(^^)v
さっ、そろそろお客様の食事の時間。
生ビールを注ぐのもワタクシのお仕事!!
今日も頑張ります!!!
以上、「若旦那コラム『竜馬がかく』」でございました。
それでは、また次回も宜しくお願い致しますm(_ _)m
皆様、こんばんは。
城崎温泉但馬屋若旦那の柴田良馬です。
『若旦那さんって普段どんな仕事をされてるんですか?』
お会いした方を初め、ブログやフェイスブックを通じて沢山の方にこのような質問を頂きます。
幼少の頃からワタクシの周りには「若旦那」と呼ばれる存在(現在は「旦那」になっている方々)がウジャウジャ居ましたので、「若旦那」っていう存在が当たり前でした。
現在も普段から一緒に居るのは若旦那仲間。
全国各地にいる知り合いで一番多いのも若旦那。
まっ、ワタクシの普段の生活からしたら当然と言えば当然なんですけどね。
が、ここ数年、様々な異業種の方々とお会いする機会も増え、ご挨拶をさせて頂くのですが、その際に、
『えーーー、若旦那さんなんですねー!!!』
と、「若旦那」というワードに対する喰いつきが凄いんです(笑)
なるほど、若旦那って珍しいんだ!!!
そう考えると、こちらのコラムで連載をさせて頂いてるのも、ワタクシが若旦那だからってのが一番の理由だったと思います。
って事で、良い機会なので旅館の若旦那のお仕事について今後お話させて頂ければかと思います(^^)v
次回につづく・・・。
皆様、こんにちは。
城崎温泉但馬屋若旦那の柴田良馬でございます。
本日はワタクシが商売をさせて頂いている『城崎温泉』について簡単にご紹介させて頂きます。
城崎温泉は兵庫県北部の豊岡市(とよおかし)にある開湯してから約1300年の歴史をもつ温泉地でございます。
車で10分程の距離に日本海があり、冬場(11月~3月)は松葉ガニ漁が盛んでその期間は『かに王国』としても知られています。
また、木造三階建ての建物が立ち並ぶ昔ながらの風情や情緒が残った温泉街で、『ニッポンの温泉まち』『奇跡の温泉地』『日本一ゆかたの似合うまち』などといった表現で各メディア等で紹介して頂く、そんな『まち』としての魅力が沢山詰まった温泉地でございます。
食の魅力を挙げさせて頂くと、先程もご紹介した『松葉ガニ』(地元の港で水揚げされたものは「津居山ガニ」)を初めとして日本海の魚介類、松阪牛や神戸牛の種牛となった『但馬牛(たじまうし)』、野生のコウノトリが生活できる安心・安全な畑や田んぼから収穫される野菜やお米などなど、全国に誇れる食材が揃っております。
そしてなんといっても城崎温泉と言えば『外湯めぐり』。
今では全国の温泉地で耳にすることが出来る『外湯めぐり』の発祥の地とも言われ、7つの外湯を浴衣と下駄で巡って頂きながら温泉街の散策を楽しんで頂けます。
そんな魅力たっぷりの場所がワタクシが商売をさせて頂いている『城崎温泉』でございます。
と、城崎温泉を愛するばかり良い所ばかりをご紹介させて頂きましたが、魅力の数だけ様々な問題や課題もございます。
そちらはまたこちらのコラムでもご紹介させて頂こうと思います。
以上、「若旦那コラム『竜馬がかく』」でございました。
それでは、また次回も宜しくお願い致しますm(_ _)m
はじめまして。
兵庫県は城崎温泉で「但馬屋(たじまや)」という旅館を営んでおります柴田良馬と申します。
世間の言うところの「若旦那」でございます。
まずはワタクシの自己紹介をさせて頂きます。
1981年1月24日に但馬屋3代目の長男として誕生。
18歳まで城崎温泉で過ごす。誰からも『旅館を継げ』とは言われる事は無かったが、気づいたら旅館の経営者になることを目指し東京へ勉学修行。
が、勉学に励む予定が・・・田舎者には東京が魅力的すぎて社会勉強の毎日。
このままではダメだということで2年間で東京での生活に別れを告げ、次なる舞台へ上がる事を決意。
選んだ先は世界でも有数な観光地の一つであるアメリカはラスベガス。
『城崎温泉を日本一の観光地に!!!』
という、無謀とも言える大きな野望を胸に単身渡米。
カレッジでホテルマネージメントを学ぶ。その後、JTBラスベガス支店に勤務。
4年半の海外修行生活を終え、2005年城崎温泉へ帰省。
4代目となるべく但馬屋若旦那としての旅館業務スタート。
日本を離れた事で改めて感じる事が出来る沢山の『和』の魅力。
旅館で働く事で学ぶ『日本文化』の素晴らしさ、お客様を迎えるたびに知る『おもてなし』の奥深さ。
そして何より城崎温泉が持つポテンシャルの高さを再確認。
同時に城崎温泉の全国的な知名度の低さを痛感・・・。
『どんなに素晴らしい場所でも、世の中の人に知ってもらわないと意味が無い!!!』
という事で、城崎温泉の知名度を全国区にするため、若旦那業務の傍ら城崎温泉の宣伝マンとして活動を開始。
渡米前に夢見た『城崎温泉を日本一の観光地に』を今でも胸に、城崎温泉の明るい未来のため奮闘中!!!
普段から和装を身に纏い城崎温泉の歩く広告塔として。
またある時は若旦那としてイベントやメディアに出演。
またある時は城崎のヒーロー「城崎泉隊オンセンジャー」に変身し城崎の伝統と平和、そして観光客の誘致を目指す。
そんな若旦那ですが何卒、宜しくお願い致します。