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JunkStageをご覧のみなさま、こんにちは。
連日猛暑を通り越して酷暑日が続いておりますが、この時期は夏休みやお盆休みなどご家族で外出したり集まったりという機会も多いのではないでしょうか? 久しぶりに過ごす家族との密な時間は新しい発見や経験も多いもの。夏は価値観が激変、とまではいかずとも「ああこんな意見もあるなあ…」という気付きもあったりする、そんな季節でもあると思います。
本日取り上げるこのコラムも、読み手にとって柔らかな変化を与えてくれる作品群です。
■vol.22 山ポエマー・渡辺和彦さん
山中に家を建て、ウィークデーは東京で、週末は山での生活を送る一家の家長。20年以上にわたる山生活の魅力を連載。
http://www.junkstage.com/watanabe/
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渡辺さんは、山中に家を構え、ウィークデーは都内で、週末はご家族で山で過ごすという道を選んだ詩人です。
しかし、ここで私が声を大にして言いたいのはそのようなご経歴そのものではなく、その生活の中から滲みでてくるような物語そのもののことなのです。
渡辺さんの作品には多くのバリエーションがありますが、その多くは演劇のモノローグのような独白の形式を取っています。嬉しい時も、楽しい時も、さみしいときも、かなしいときも、作中の「私」あるいは一人称さえ与えられない語りの主は、まるで息を吐くように自分とまわりの出来事を語ります。
それを聞いている私は共感することもあるし、ああそうなんだと納得することもあるし、全く考えもしなかった生活の一端を見せられたりもする。
例えばこの一節。
「あなたは、上着を重ね着するように恋する事が出来ると言うけれど、
私は上着を脱ぎ捨てるようにしか恋が出来ないの、
どんなに着心地が良い上着を着ていても、
それはいつの日か脱ぐ日が来る事を知っているの」(「左の頬に赤い線」より抜粋)
終わりを知りながら恋をする女の子の独白の、圧倒的なリアリティ。
また、例えばこの一節。
「屋内の水道とトイレと暖房は、
冬の山の生活の基本的人権だよね!!
山友の中で囁かれている言葉でした、
人間というものは欲深いものです、
基本的人権が満たされると次に思いつくのは欲望と言う名の満足感、
次は蛇口からお湯が出たらどんなに便利なんだろう、
毎回薪ストーブで湧かしたお湯で洗いものをするなんて」(「欲望の報酬」より抜粋)
氷点下の中、給湯器の配管工事をする場面での情けないほどのコミカルさと率直さ。
* * *
これらの作品が、生身のライターとしての渡辺さんに起こる出来事全てと直結しているとは思いません。
ただ、よく登場する「ママ」や、無邪気に笑いかける娘、愛犬たちの影が、もしかしたら渡辺さんにとってのご家族の投影である可能性はあると思います。
けれど、それら登場人物たちは、読んでいるうちに読む私の「ママ」になり、いつか持つであろう娘になり、共に過ごすだろう家族になります。
現実の渡辺さんの生活を越えて、コラムとして投稿された言葉が独立した物語になって、ふんわりと目の前に差しだされる。
でも、渡辺さんのコラムで面白いなと思うのは、そうしたリリカルな情景だけではなくて例えばバーベキューや、麻雀大会といった言葉が生活の匂いとともに現れてくるところです。山小屋は別天地ではあるけれど、私達の生活と地続きで、日記のような創作のようなコラムの中にこうした出来事が綴られるとと、なんだかその言葉さえ新鮮に思えるような、そんな気が私はしています。
最後に、わたしの大好きな渡辺さんのコラムの一節を引用して、この手紙を締めくくりたいと思います。
「本当の喜びって、
見つける事でも与えられる事でもなくて、
時間をかけて積み上げて作って行く事に気が付いたのさ、
たくさんのお金を持っていれば、
大きな家に住んでいれば、
社会的地位が高ければ、
今の世界では他人と比べやすいし、
他人よりも優位な立場に立てるし、
幸せになれるような気がするけど、
誰もが幸せになれるとは限らない、
誰もが幸せになる為には、
喜びを感じる事が出来るのか、
喜びを与える事が出来るのか、
それに気がつく事のようなような気がするんだ、
誰もが不思議な世界で彷徨っているけれど、
誰もが最後には辿り着けるような気がするんだ、
誰もが日常では忘れていても、
きっと辿り着ける道のような気がするんだ」(「終わりの始まりが始まりの終わり」より抜粋)
蓋し、真実ではないでしょうか。