立冬も過ぎ、荒神様の銀杏(イチョウ)はまるで燃え上がっているかのように色付いています。
この辺りの田の稲は、とうにすっかり刈り取られてしまいましたが、私の田はまだ黄金色。
田植えに劣らず稲刈りもとてもゆっくりと、今年もしっかりと実ってくれた稲たちとの別れ、名残りを惜しみながら進めている、百姓見習いの川口です。
この谷間にもすでに何度も霜が降り、畑は随分と殺風景に変わりつつあります。冬の野菜達、大根や白菜、ほうれん草などの葉物野菜は元気に風に吹かれていますが、田畑にあれほど生い茂っていた夏草たちも今は萎び、あるいは枯れて、静かな眠りに入りつつあります。他方では、春、夏の野菜達は早くもその殺風景な枯れ草だらけの畝で、既に小さな芽を出し、じっと春が来るのを待っているのです。生命は巡っています。
さて、以前、2回程、私の「スローライフ」(百姓暮らし)を助けてくれている心強い味方、友達である「菌類」と植物について書かせて頂きました。百姓暮らしの日々は、これらの生命たちからの助けの大きさに新たに気付き、その大きさに驚くかされ続ける、そんなことの連続です。
ちなみに、「菌類」は、我々、人類も含めてあらゆる生物にとって、外部の環境で働いてくれているだけではなく、我々生物の内部(体内)においても様々な仕事をしてくれているのですね。その数だけに着目しても、我々人類の通常個体の大腸内に生息する菌類の数は、およそ100兆個、これは全体細胞数(50~75兆個)を越える数だそうです。日々の生活の中ではすっかり忘れてしまっている事ですが、私達の誰でもが、夜も昼も、寝ても覚めても、100兆個もの生命と共に生きているのです。何だか、不思議な、わくわくする話ではありませんか?
さて、今日は、そんな偉大な友達にも増して、私が頼りにしている方をご紹介します。
それは、「お月様」!です。
もし、お月さまが無かったら地球には季節が無かった可能性が高いといいます。季節があるのは、地球の地軸が太陽の周りを廻る公転面から絶妙に傾いているから。もし、地軸が傾いていないと、常に真上から強烈な太陽を浴び続ける赤道周辺は超灼熱、常に弱い太陽光線しか届かない高緯度地帯は超寒冷な世界になってしまいます。つまり、今のような生命が地上に存在することはできなかったであろう、というのです。
実は、その地球の地軸の傾きが生まれた原因であり、今もその傾きを一定の範囲に保ってくれているのが、お月様なのだ、と言います。(今でもその発生と、維持のメカニズムの詳細には謎も多いそうではありますが、お月様がなかったら地軸の傾きが維持されないことは疑う余地の無いことです。)
更に、もしもお月様が無かったならば、海の満ち干もありませんでした。休む間もなく海面が上がったり、下がったりを繰り返しているのは、お月様が毎日地球を引っ張ってくれているからですからね。
海の満ち干など無くても大した事はなかろうですって?
いえいえ、海の満ち干こそが、海の生命の豊かさの源であり、また、生命の陸上への上陸を可能としてくれたものなのだそうです。
ちなみに、私が暮らす谷間から峠一つ越えると瀬戸内海があります。
この瀬戸内の風物詩とも言え、とても盛んな漁法に、定置網漁があります。定置網漁は、その名が示している通り、網自体は動かしません。海の決まった所に網を張ってあるだけ。そんな「待ちぼうけ」状態でも、毎日、魚が勝手に網に入ってくれるのも、海の干満があるからこそなのです。
先ず、潮が退き、浜辺や磯が陸になると、逃げ遅れた魚や小生物達を餌とする様々な虫、鳥、動物達がそれらを求めて集まって来ます。
彼らは様々な餌を食べ、排泄物や残滓を残します。再び潮が満ちると、それらの排泄物や残滓を栄養とする海生のプランクトンたちが盛んに発生を始めます。すると、そのプランクトンを食べる小魚が餌を求めて大挙して沿岸に集まってくる。
小魚が集まると、それよりもやや大型な魚達が、そして、更にそれらの魚を食べるような大きな魚達も沿岸へと寄ってきます。
潮が満ちている間の沿岸の海は魚達のレストランとなる訳です。
やがて、再び干潮となって潮が退いてゆくと、食事時を終えた魚達も沖へと戻ってゆきます。
この沖へと戻る魚達の行く手で待ち受けているのが定置網、という訳なのです。
何だか、風が吹けば桶屋が儲かる、みたいな話に聞こえるかもしれませんが、海に干満があるからこそ、定置網漁は成り立つのです。
つまり、もしもお月様が無かったら、私がいつも楽しみにしている瀬戸内の新鮮で飛び切り美味しい魚達が食卓に載ることもないのです。
お月様に見守られてこそ、私は、今日も美味しいご飯を頂けているのであります。
ありがたいことですね!
間もなく満月、ぜひ、空のお月様にお礼を申し上げようではありませんか。