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2011/05/09

「リハーサル」
今回、実は主演に仁藤みさきさんを迎えての撮影です。2011のミスフラッシュグランプリ。顔合わせから共演者たちとのリハーサルを経て仁藤さんのすごさに驚きます。

演技経験がないということや年齢も実際の主人公よりもはるかに若い、それらの点を本人も含め心配するスタッフも多かった。僕は仕事でアイドルやグラビアアイドルに会う機会は多かったので大体おおよそのイメージはあったのだが、初顔合わせをした瞬間にこの人は違うと思った。どこか洗練された凛としたものがある方だった。あってすぐ「おや?」とおもったのだ。

初日の顔合わせの後、初のリハーサルではかなり大人しいイメージでとりあえずセリフを通して読んでみた。それが僕の印象。あまり質問もなく、ぼくなりに心配していた。


2回目のリハーサルの日。セリフを実際に台本なしで読んだり即興のセリフを

いれたり、もうすこし役者を「自由」にしたかった。その時の彼女はまるで先日の

リハーサルであった仁藤みさきさんではなく全くの別人のようだった。

これはスタッフも気がついて彼女が帰った後、みんな「仁藤さんすごいね」

といっていた。今後の彼女の成長が楽しみです。

とはいえ初主演のデビュー作がアートハウス系の映画っていうのもきっと彼女は今後経験しないだろうから、今回の現場がどれだけ今後に活かせるかは?ではある。演出の手法も違うし現場の空気感もまったくちがう。まぁ、人生色んな事があるわけで、僕らみたいな海外チームとやることがどんな意味をなすのか僕にも全く見当がつかない。


仁藤さん以外のキャストもみな彼ら彼女らなりの頑張りを見せてくれてはいる。

そんなキャストとスタッフに感謝しています。

また明日からアメ車イベントのシーンを撮影する。

明日からもうすこし役者に厳しくなろうと実は思ってもいる。

09:15 | hayamizu | 映画「究極の幸せ」 制作日誌005 はコメントを受け付けていません
2011/04/24

「出会いと喜び」
撮影2日目を終えて今帰宅。一日が嵐の様に過ぎ去り、突然の静けさ・・
こんな低予算、少人数の現場なのにもかかわらず、本当にスタッフのみんな頑張ってくれている。心から感謝しています。

しかし不思議な気持ちになる。自分の想像の世界、頭の世界で考えていたものや生きてきた中で感じてきたものが文書(シナリオ)になり、それにまったく初めて出会うスタッフ達が何かを投影し、共鳴し、撮影へとつなげてゆく。一つのアイデアがいつしかそれ以上のものになっていく。すごいことだと思う。もう自分の限界とかそういうものを越えてしまったところでどんどんとエネルギーは増幅し、進んでゆく。

同じシーンやセリフでも演出ひとつで全く変わってします。全てが手作りで先の見えない不安と期待感でいっぱいだ。このモノづくりの原点、喜び、を思い出すきっかけになったのが今回の震災なのかもしれない。一度はあきらめかけたプロジェクトだったこの映画製作・・ でも、自分に今出来ること、自分のミッションだと思いたい。

究極の幸せはどっちをとってもどっちかが手に入らないというそういうことなのかもしれないが、現場でも、ああ、そうだなぁとしみじみ思う瞬間が多くなる。例えば時間があるとか無いとか、お金があるとか、無いとか。しかし根本にミッションを達成する力とか継続性が必要だと痛感している。

11:50 | hayamizu | 映画「究極の幸せ」 制作日誌004 はコメントを受け付けていません
2011/04/19

「クランクイン」

本日ついにクランクイン!撮影初日です。初日はなにかとばたばたとしていてチームも現場のリズムに慣れるまですこし時間が必要なので、あまり難しい撮影やきつきつのスケジュールは避けました。

今回の作品は3人の女性が主人公のオムニバス作品。仕事に燃える女、涼子。

モデル業の亜津子。花屋でバイトをする景子。それぞれが葛藤し、幸せとはなに

かを追い求めるストーリーです。

 

 

 
本日の撮影は亜津子。エステ中毒の彼女がエステにはまるその真の理由・・・
シーンは、映画のオープニングにちかい場面。限られたスペースは人と機材でいっぱいでした。

場所は淡路町のSERAPIA

http://www.serapia.jp/modules/content1/index.php?id=5

実際はエステではなくリラクゼーションマッサージやアロマケアを受けるところ。
僕も事前のリサーチでこちらのマッサージを受けましたが、僕が誰にも言っていなかった体の悪い部分とかをどんどん指摘され驚きました!
でも一番効いたのがスタッフさんが仰った「体を内面から整える」でした。

主人公の一人亜津子がエステ中毒者なのですが、その子に何か考えさせるものを与えたいと思っていた時に、事前のロケハンでこんな言葉をいただきそれを台本に反映させました!

撮影現場は少人数で本当に人手は足りません。しかしデメリットにばかり目を向けているわけにもいかず・・・ 少人数ならではのいいエネルギーも現場にはありました。スタイリストさんがレフ板(照明を反射したりすのに使う白い板)をもってくれたり。メイクさんも荷物運びで手伝ってくださったり。もちろん本当はいけないんですが・・・甘えてはいけない事は重々承知。

しかし震災後の出来る人がやれることを最善にやる、という気持ちが僕の中にあって、どんな形でもいいから作品を残したいという思いが今はあるだけです。ス タッフが自主的に個々の判断で現場を進めるというのがとても作品にとっていいことのように感じました。「私なにしましょうか?」とか「○○しかしません」 など、言われただけの事しかできないと逆にこういう現場はうまく回らないと思います。色々な関わる人の作品に対する想い入れが感じられた一日でした。

明日から15日間の撮影が始まります。

02:08 | hayamizu | 映画「究極の幸せ」 制作日誌003 はコメントを受け付けていません
2011/04/13

シナリオ執筆まで

考えれば長い間暗い穴の中でもぐっていたようなそんな気がする。脚本を書く作業というのはたしかにシナリオライターが本業でない僕からするとしんどい作業だった。黒澤明監督も大島渚さんとの対談の時にそれにちかい発言をしていたことを記憶している。KILL BILLで知られるクエンティン・タランティーノ監督も執筆について、ゼロから、真っ白のA4の紙を前に座るときに恐怖に近い不安を語っている。彼はそれに加え、有名であればある程、成功すればするほどその不安は増すと語っていた。それは有名になったといプレッシャーという意味で使った言葉ではないと僕は捉えたのだけれど、一つの作品が一定の評価を受けると、自分の中でその作品が一つの基準、アイデンティティにさえなってしまう。その基準またはアイデンティティを超える、変える、というのがまたゼロからやらなければならない、そういうことの不安だと思う。「BLACK RAIN」のリドリー・スコット監督は対談で、彼は作品が完成するごとに自分が少しずつ進化又は変化している、と述べた。その変化がもたらす影響の大きさ、その影響力に縛られてしまう。そういうことなのかもしれない。

とにかく毎回、執筆するときに机の前に一人座り、真っ白なA4の紙を目の前にして、にらめっこしている自分がいる。それが六畳一間の薄暗いアパートであろうが快適な高層マンションの一室であろうが、一緒だ。

僕が今回書いた作品は前回、ドイツで撮影した短編映画の本編バージョンといっていい。もともと長編(120分)のコンセプトで始めた。それを実験的にドイツで撮影したのだ。作品のもとは友人の女性達とお酒を飲んだりするなかで感じてきた男性ならではの女性に対する「矛盾」だったり、男性にとって謎めいている行動、感情がいったい何なのか?という疑問符からスタートしている。そして余計なお節介かもしれないが、彼女たちに幸せであってほしいと思い続けてきたから。今年リリースが決まっている僕のダンス映画「The Birth of Venus」のプリプロダクション、つまりリサーチの段階でいくつかの本に出会った。その本の一つに「女性はみんな女神」という本に巡り合った。生きること、それはチョイスし続けること。チョイスは時に難しくリスクを伴うチョイスだ。そのチョイスを自分の意思で決めていかなければ本当の幸せはこない。そのように僕はこの本の内容を解釈している。そして同時に僕が敬愛するシンガー、SADEのCD「LOVE DELUXE」についてある日偶然SADE本人のインタビューを聞いたのがきっかけになった。SADEはタイトルの意味について、LOVEは手に入るかもしれない。でもLOVE DELUXEは手に入らない、そういうものなの、というような内容を語っていた。

そして僕はそれを「究極の幸せ」ととらえ、映画の仮タイトルをそれに決めた。コンセプトは女性が決断し自分のチョイスによって人生を選んで進んでいく、ヒロインになってゆく、にした。

執筆というか元々あったシナリオの修正がほぼ終了し、僕はようやくオーディションにふみきった。

09:16 | hayamizu | 映画「究極の幸せ」 制作日誌002 はコメントを受け付けていません
2011/04/04

自分がやっていることの意味

去年から企画していた映画の制作が遂にスタートした。そんなさ中に起きた大地震と津波、そして原発の問題。当然ながら映画は一時中断。スタッフも僕もそれぞれの家族や親せきのこと、又はそれぞれが自身のみの振り方を模索する時期だった。答えは見えず、みなほとんどやみくもに突っ走り、しかも即座に決断をすることを強いられた。僕もその一人だ。
避難するのかしないのか、仕事を続けるのか辞めるのか、学校に通うのか辞めるのか、答えもないまま苦しんだ人は多いと思う。何をどう選択して進んでいけばいいのか・・・それは震源地付近の被災者だけにとどまらず、世界中の人間が何らかの形で感じたはずだった。僕の遠い海外の友人ですら多くの選択を迫られ、そして何らかの道を選ばなければならなくなった。僕は多くの近い人間とでさえ価値観の違いやそれぞれの決断に悩んで苦しんだ。当然のことなのですが人間が一人ではないということをまざまざと見せつけられた感じだった。
原発関連の報道の仕事の依頼が殺到した。それも僕を悩ませた。近くに感じれば感じるほど、根本的な問題点が見えなくなっていったからだ。ネットやテレビで様々な意見が飛び交ったし。それについてのバッシングなども多く起こった。でも皆が知りたい「本当の事」や感じたい「本当の安らぎ」とは何なんだろうか?近くにいればいるほど分からなくなっていった。むかし大学時代にコノモス教授がいっていた「複数の真実」の授業を思い出していた。「真実とは複数の真実で形成されている」と。
例えば報道番組にかじりついて最新情報を逐一確認し、自分や親族の安全対策に役立てようとする人もいる。またはバラエティー番組を見ることで不安を取り除かなければどうしようもないくらいの人もいる。クレイジーな話かもしれないがマスクをつけるかつけないかで悩んだり喧嘩になった人だっているはずだと思う。複数の真実。この言葉が思い起こされた。
僕自身個人的に多くの犠牲を払わなければいけない選択肢をいくつかくぐりぬけ体重も減った。もちろん一日3食だったのが2食になったのもその理由だが。
そもそも食欲がミニマムになってしまったこともある。しかし不思議とこの状態が集中力を高めてくれる。金の無い大学時代もそうだったように、満たされていないという感覚が心にアラートをかけてくれる。地元の駅も節電でいつもより暗い。これも賛否両論なので何がいい悪いはここでは控えたいが、海外生活をしていた頃を思い出すような丁度心地よい暗さになっていた。そこには懐かしささえあった。ドイツに1カ月一人旅をしたときは店が空いてるのかどうか看板の明かりだけでは判断が出来ない事がよくあった。それに近い感覚だった。

今回の震災でメディア業界に移管していうとまず僕が一番に感じたのは「音楽」
今やレコードやCDの存在が薄くなり(一方では濃くなっているのだが)データ化され、アルバムの持つアーティストの作品性よりも一曲のヒットだけをダウンロードする傾向も増えてきている中で、音楽が垂れ流しのごとく溢れている感じもあった。しかし震災直後から音楽の持つ根本的な、大事な何かを、自然と人々が求めたこと。このことに僕は驚きに近い新鮮さを覚えた。そしてある日テレビで尾崎豊さんのドキュメンタリーを見た。なぜ見たのかははっきりと覚えている。僕も多くの人の様に急に仕事がキャンセルになったり、予定がめちゃくちゃになり何を優先して選んでどう生活すべきか考えていた時だったし、自分がやろうと思ってやってきた積み重ねがいったいどういうものなのかを考えていた。本当に意味があることなのか?自分はまちがった生き方をしてきたのか?だからこそ僕は音楽というアートをどうしても知りたかった。
そしてそれと照らし合わせて自分のやっている映像について考えたかった。映画やドキュメンタリーという作品はなかなか一人でアコースティックギターをかき鳴らすといったわけにはいかない。そういう思いが強かったから。もちろん出来なくはない。しかし僕がやろうとしているものはその規模で出来るのか?僕にはその答えがなかった。
僕はスタッフ全員に連絡をとり(それ自体容易な作業ではなかったのだが)映画を延期することを告げた。今思えばこの行為は自分のなかの何か重たい鎧を取り払う儀式なんだったのだと思う。キャンセルをした瞬間に僕がやるべきことは無くなり、ただ偶然被災地にいなかった一人のラッキーな男。になった。
仕事で社会に貢献してもいないし、ボランティアをやってるわけでもない。貯金を切り崩して少量の食品を摂取している、隙間にはまっているような、隠れているよな、そんな感覚になった。
そんな時、僕は映画をとる決意をする。再開、がふさわしいとは思わなかった。なぜならこれは再開ではなくて新しい映画になるからだった。僕はカメラマン無でも音声マンなしでも撮ろうと決めたのだ。ついてきてくれる人がいればついてくればいいし、来なければ中指を立てればいい、まるでパンク時代の少年のころのように。ただ創ればいい、それだけ。そう思えた。

そして今この感覚があるうちに撮りたい作品だと気がついた。「究極の幸せ」女性の主人公が人生の選択に向き合うそういうシンプルな話し。そういうものを創りたい。そう思った。震災前に撮ると決めていたものの震災後の少し変化した自分で撮りたいと思うようになった。僕は目に見えない、見えにくい何かを表現したいと思う。テーマとかメッセージとかではなく、コメディやドラマを通じて人を描きたい。そうして映画製作は再開した、僕の心の中で。

09:59 | hayamizu | 映画「究極の幸せ」制作日誌001 はコメントを受け付けていません

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