« | Home | »

2011/04/13

シナリオ執筆まで

考えれば長い間暗い穴の中でもぐっていたようなそんな気がする。脚本を書く作業というのはたしかにシナリオライターが本業でない僕からするとしんどい作業だった。黒澤明監督も大島渚さんとの対談の時にそれにちかい発言をしていたことを記憶している。KILL BILLで知られるクエンティン・タランティーノ監督も執筆について、ゼロから、真っ白のA4の紙を前に座るときに恐怖に近い不安を語っている。彼はそれに加え、有名であればある程、成功すればするほどその不安は増すと語っていた。それは有名になったといプレッシャーという意味で使った言葉ではないと僕は捉えたのだけれど、一つの作品が一定の評価を受けると、自分の中でその作品が一つの基準、アイデンティティにさえなってしまう。その基準またはアイデンティティを超える、変える、というのがまたゼロからやらなければならない、そういうことの不安だと思う。「BLACK RAIN」のリドリー・スコット監督は対談で、彼は作品が完成するごとに自分が少しずつ進化又は変化している、と述べた。その変化がもたらす影響の大きさ、その影響力に縛られてしまう。そういうことなのかもしれない。

とにかく毎回、執筆するときに机の前に一人座り、真っ白なA4の紙を目の前にして、にらめっこしている自分がいる。それが六畳一間の薄暗いアパートであろうが快適な高層マンションの一室であろうが、一緒だ。

僕が今回書いた作品は前回、ドイツで撮影した短編映画の本編バージョンといっていい。もともと長編(120分)のコンセプトで始めた。それを実験的にドイツで撮影したのだ。作品のもとは友人の女性達とお酒を飲んだりするなかで感じてきた男性ならではの女性に対する「矛盾」だったり、男性にとって謎めいている行動、感情がいったい何なのか?という疑問符からスタートしている。そして余計なお節介かもしれないが、彼女たちに幸せであってほしいと思い続けてきたから。今年リリースが決まっている僕のダンス映画「The Birth of Venus」のプリプロダクション、つまりリサーチの段階でいくつかの本に出会った。その本の一つに「女性はみんな女神」という本に巡り合った。生きること、それはチョイスし続けること。チョイスは時に難しくリスクを伴うチョイスだ。そのチョイスを自分の意思で決めていかなければ本当の幸せはこない。そのように僕はこの本の内容を解釈している。そして同時に僕が敬愛するシンガー、SADEのCD「LOVE DELUXE」についてある日偶然SADE本人のインタビューを聞いたのがきっかけになった。SADEはタイトルの意味について、LOVEは手に入るかもしれない。でもLOVE DELUXEは手に入らない、そういうものなの、というような内容を語っていた。

そして僕はそれを「究極の幸せ」ととらえ、映画の仮タイトルをそれに決めた。コンセプトは女性が決断し自分のチョイスによって人生を選んで進んでいく、ヒロインになってゆく、にした。

執筆というか元々あったシナリオの修正がほぼ終了し、僕はようやくオーディションにふみきった。

2011/04/13 09:16 | hayamizu | No Comments