雨の月曜日。
気分はわるくなかった。
プラスαの仕事をいろいろと引き受け、
というか創出しすぎていた気がして
あえてのんびりすごすことにした。
自分のことと他人のことをちゃんと正しく切り離すこと。
健全、健康、持続する人間関係のために
そういうことがだいじなんだなと思った。
いっしょに笑うということは
たぶんなかよしでいるためにいちばん大事なことで
それ以外にはたぶんなにもない。なにもいらないし
なにかをたりないと思う必要もないしなにかをしなければ
とあせったりせきたてたり自分で勝手にせきたてられる必要もない。
いっしょに笑いあえればそれでいいんだなあ。
かんたんなことがみえなくなってた。
あせったり、これしなくちゃ、次はこれしなくちゃ
それからあのことなんとかしなくっちゃ
このこと考えなくっちゃということよりも
どれだけいっしょに笑える時間をもったか、
それだけをまずはしばらく自分のバロメーターにしたい。
今日はいっしょにTVをみた。
そういうことこそ大事なんだと思う。
・ 手ばなして手ばなしてまるはだかでも案外それできもちよかった (瀬波麻人)
そのていどのことが今までなぜできなかった?
自分の中に生じたひとつの問いに対して
「関係性の回路が固着化すると……」とかすさまじい勢いで知性化ししそうに
なるのがぼくの防衛機制の入り方なのでそういうこともやめる。
小理屈に逃げ込まず単純に、いっしょに笑う時間をふやす。これだけでいい。
GPS機能付きの腕時計を買って12kmほど走った。
長田の向こうまで行って帰ってきた。
走り続けているとおおむね無心になっていくのだが
7kmくらいのところで走りながら
「小っちぇな俺は」と言葉が口をついて出てきた。
仕事上つきあいの深いAAや断酒会の指針の第一番目に
「私は酒に対して無力であり、自分ひとりの力だけでは
どうにもならなかったことを認める。」というものがある。
ぼく自身は酒の問題ではないが
やはり自分の問題に対してはきわめて無力なのだと
認めることからしかはじまらない、変えていけない
ことがあるのだと思った。
「勉強」や「努力」とは違う方向性の
「無力を認める」ということころからはじめられることを
はじめていきたい。
・ 心臓の黒く染まってないところばかりを食べてもらおうとする (瀬波麻人)
しかしどうやらそれはむりみたいだし
続けていけなきゃいけないのだから今は今の
これからはこれからのあたらしいやりかたを身につけていきたい。
今日は午前中は3か月ごとの定期通院。
あれだけきらいだった採血もさすがにもう6年目なので慣れた。
薬は一錠増えて放射線治療について説明を受けた。悩むところだ。
午後ははじめましての場所に行って
たくさんのはじめましてをしてきた。
短歌とも仕事ともちがうはじめましての場所は新鮮だった。
いろんな場に出て行こうと思う。
書は捨てないけど街に出よう。
・ 憎しみは自分を傷つけるだけだってプリキュアが言う そうかと思う(瀬波麻人)
今日は休んでいた人が復帰する話が2件あった。
ひとりは産育休からの復帰。
ちょうど助産師さんの話を聞く機会が来週ある。
子どもやいのちのことにふれると体温がすこしあがる。
このことをいい方向にいかしたい。
あとは3日ほど前に出席した大きな会議の場で発言した
ことに関して、予想していなかった御礼の電話をわざわざ
いただきそのことにだいぶ胸がかるくなった。
全員ということを期待しすぎてはいけないのだろうなと思った。
いいと思ったことをやるしかないし
信念をもった行動で誤解されることもあるだろうけどそれでも
伝わるべきとこに伝わったり受けとる準備や体勢、心の状態にある
ところには届くものだと思った。御礼の電話もうれしかった。
そういう手間を省かないようぼくも心がけたいと思った。
・ わるいことばかりじゃないね電話って御礼のことばを伝えたりもする (瀬波麻人)
「道具」を使った歌を詠みたいとも思うのだけど最近あんまりそういう発想にいかない。
明日また考える。おやすみ。
今日は休んでいた人が復帰する話が2件あった。
ひとりは産育休からの復帰。
ちょうど助産師さんの話を聞く機会が来週ある。
子どもやいのちのことにふれると体温がすこしあがる。
このことをいい方向にいかしたい。
あとは3日ほど前に出席した大きな会議の場で発言した
ことに関して、予想していなかった御礼の電話をわざわざ
いただきそのことにだいぶ胸がかるくなった。
全員ということを期待しすぎてはいけないのだろうなと思った。
いいと思ったことをやるしかないし
信念をもった行動で誤解されることもあるだろうけどそれでも
伝わるべきとこに伝わったり受けとる準備や体勢、心の状態にある
ところには届くものだと思った。御礼の電話もうれしかった。
そういう手間を省かないようぼくも心がけたいと思った。
・ わるいことばかりじゃないね電話って御礼のことばを伝えたりもする (瀬波麻人)
「道具」を使った歌を詠みたいとも思うのだけど最近あんまりそういう発想にいかない。
明日また考える。おやすみ。
今日は休んでいた人が復帰する話が2件あった。
ひとりは産育休からの復帰。
ちょうど助産師さんの話を聞く機会が来週ある。
子どもやいのちのことにふれると体温がすこしあがる。
このことをいい方向にいかしたい。
あとは3日ほど前に出席した大きな会議の場で発言した
ことに関して、予想していなかった御礼の電話をわざわざ
いただきそのことにだいぶ胸がかるくなった。
全員ということを期待しすぎてはいけないのだろうなと思った。
いいと思ったことをやるしかないし
信念をもった行動で誤解されることもあるだろうけどそれでも
伝わるべきとこに伝わったり受けとる準備や体勢、心の状態にある
ところには届くものだと思った。御礼の電話もうれしかった。
そういう手間を省かないようぼくも心がけたいと思った。
・ わるいことばかりじゃないね電話って御礼のことばを伝えたりもする (瀬波麻人)
「道具」を使った歌を詠みたいとも思うのだけど最近あんまりそういう発想にいかない。
明日また考える。おやすみ。
3月になったら短歌日記を書きはじめようと
思っていたのだがいきなり第1日目から飲んで
帰って午前様状態で更新は3月2日はじまりと
なってしまったがまああんまり気にしないことにする。
今日から1か月ないしは気が乗れば40になるまでの間
こちらのサイトで毎日更新を基本として短歌日記を書こうかと思う。
短歌日記というか、日記+短歌、か。
自分でもよくわからないんだけど
とりあえずその日あったことをつらつらと書きつつ短歌を詠もうと思う。
今日は再会の日であった。たのしかった。
前の職場のパートナーとその前の職場のパートナーと
あとははじめましてと思っていたおふたりとも実は再会であった。
いろんなはじめましてがあり
いろんなにどめましてがある。
みんな元気だった。
・ みんなみんな元気だったねそれぞれの季節をちゃんと越えてきたよね(瀬波麻人)
どこに焦点をあてるかだと思う。
同じできごとや自分の心のどこに焦点をあてるかで
まったく違う気持ちになるしまったくことなる歌が詠める。
できるだけいつも特にこれからは明日につながる歌を詠みたい。
3月になったら短歌日記を書きはじめようと
思っていたのだがいきなり第1日目から飲んで
帰って午前様状態で更新は3月2日はじまりと
なってしまったがまああんまり気にしないことにする。
今日から1か月ないしは気が乗れば40になるまでの間
こちらのサイトで毎日更新を基本として短歌日記を書こうかと思う。
短歌日記というか、日記+短歌、か。
自分でもよくわからないんだけど
とりあえずその日あったことをつらつらと書きつつ短歌を詠もうと思う。
今日は再会の日であった。たのしかった。
そしてまたひとつ
どうでもいいものとどうでもよくないものの目盛りがひとつ動いたような気がする。
・どうでもいいものがふえてくもう誰も俺のことなど忘れればいい(瀬波麻人)
いつまで生きていけるのだろうか、というようなことを考えながら寝る。
おやすみ。
どっかにまとめておこうと思いつつ
2月も下旬に差しかかろうかという
寒いながらもおだやかなお天気の
日曜日をいかがおすごしでしょうか。
「今さら」と言わずにここで
今年の目標を記しておきます。
3つの目標のうちのひとつとも
関連してマインドマップを
描くことをこれからの自分の
発想力や、その整理、可視化と伝達
に役立てていこうと思っているので
さっそくこの「今年の目標」についても
マインドマップで描いてみました。
やってみてわかったのは
・A4サイズのノートじゃとてもじゃないけど書ききれない!
→A3サイズのスケッチブックでも買おう
・そもそもマインドマップ描くこと自体がほとんどはじめてなので
なんだかちょっぴり思ってたのと違う。俺の場合文章で書きすぎ。
→これはもう描きなれるしかないのでこっからガンガン活用しよう。
・字があれなのはかなりあれな感じで
定評も自覚もあるのだけれどそのことはあえて気にせずに晒す。
→もっとかっこいい大人の字か
かわいい感じの萌える手書き文字を書きたい…
けどいいや!こんなことにはなれっこだしそれは今さら気にしない!!
というところでマインドマップ「今年の目標(2012年)」
↑クリックして、次の画像もクリックすると大きく見れます。
・
・
・
これだけだとわかりにくいところもあると思うので
かるく文章で補足してまとめておきます。
今年の目標は大きくわけて3つあります。
1 フィジカル(肉体・身体)への信頼を高める。
2 CSP(コモンセンスペアレンティング=
暴力や暴言をもちいない大人にとっても子どもにとっても
安全で安心な子育ての方法、そのトレーニングスキル)
のトレーナーとして積極的な普及につとめる。
3 ディスプレイ能力(≒プレゼンテーション力)を高める。
の3つです。
それぞれにもう少し補足します。
1 フィジカル(肉体・身体)への信頼を高める。
これは具体的な目標としては
11月25日の大阪マラソンへの参加&フルマラソン初完走
を目指すということになります。
継続的な運動の習慣を身につけたいとここ数年漠然と
思いながらもなかなか長続きしないままだったので
具体的な達成目標がなければなんとなくでは続かない
とわかったのでそういう具体的なハードルを設定しました。
生きてるうちに1回くらいフルマラソンの走破
(とあとはいつかの富士山登頂!)をしてみたいということ、
今年40歳になる自分にとってこれから何もしなければ必ず
身体機能は低下していく一方だし、体型だって自分にとって
のぞましくない方向にかわっていくかもしれないことが
予想できる。←ぽよぽよお腹になるとか
自分の身体に対する肯定的なイメージ、
それは体型という意味でもそうであるし、
体力という意味でもそう。
自分自身を信頼できるという感覚とも関連深い
大事なところなので今このタイミングで今まで越えたことの
ないハードルを、そしてそれは日常的な継続した努力の積み重ね
をもってしか達成できない、そういう目標として
フルマラソン完走というものを設定しました。
走り始めてまだ1週間ですが毎朝とてもたのしいです。
走れない日は筋トレとかストレッチとか体幹トレーニングとかをしています。
からだをうごかすことはもう長いことプライベートで積極的、継続的には
してなかったけれど思った以上に気持ちいいです。
これは是非とも続けていきたい。
そしてこのことは長期的な人生目標として成人病の予防や健康・体力の維持、
ひいては「元気できげんよく長生きする」というところにもつながってくる
ものだと考えています。
実際のところ長生きそれ自体が人生の目標そのものとはならないわけで
長生きしてやりたいことがあって、そしてそれは長生きすることでしか実現
できないものであるから必ず長生きしようと思っていてそのためにも継続的な
運動の習慣をみっちりばっちりここらで自分の身につけとこうと思っています。
・
・
・
書きはじめると
予想外に文章が長くなってきてあまりダラダラ書くと
かえって言いたいことや大切な目標がまぎれそうなので
2と3については次回以降にあらためて書くことにします。
おそらくどちらもそのくらいのヴォリュームがある中身になるし
自分的にもこだわりたいところであるので別の機会にじっくり書きたい。
えー。
ところで今回、短歌の「た」の字も出てないですね。
あー。うーん。
これについては考えてることもあるんだけどとりあえず
自分にとっては命がけで、ほとんど字義どおりそのような意味で
短歌を詠む時期はおわったあるいはおわるような気がしている。
これからどうしていくんだろうとか
そういうことはぼく自身も考えているところで、
そのあたりを考えていくうえでも
気分がのったら3月はこちらのコラムで
たくさん短歌を詠もうと思っています。そのことはまたあらためて。
土はかるく雪はおまえに降るだろう カーテン越しの二月はやさしい (瀬波麻人)
青春のはじまりは恋をしたとき
そして青春のおわりは生命保険に加入した時だ
という話をきいたことがあります。
今日は生命保険の話をします。
短歌の世界で保険といえば
ほとんどこの一首ともいうべき有名歌がある。
はつなつのゆふべひたひを光らせて保険屋が遠き死を売りにくる (塚本邦雄)
保険とは、保険屋とはそういうものなのだなあと思う。
当時実際保険屋はある種忌み嫌われる存在であったともいう。
ぼく自身の話でいえば先週と今日保険屋に行き、
そして明日おそらく契約に行く。
保険というのはじつにおもしろい。
こころの奥底で自分の命や死についてどのように考え判断してきたのか
如実に生き方やそのひとなりの未来予想図が濃く反映されるものなのだと
自分の保険内容をみなおしながらあらためてつくづく感じ入った。
このコラムにも書いたことがあるかもしれないが、
ぼくにとって今回の生におけるミッションを
はっきり「長生きをする」ということだと意識している。
10年くらい前からずっとこのことは強烈にしみこんでいたし
おととしNLP(神経言語プログラミング)のワークショップに
半年くらいかけて参加していたときにも
「自分にとっての最も大切な人生の目標はなんでしょうか」
というような究極的な問いにも確かにそのように答えている。
今もそのことにゆるぎはないのであるが、今回確認してみたところ
しかしぼくの実際はいっていた保険は基本的に長生きすることを
あまり想定していない、死んだらなにがしかのおおきなものが、
おそらくそれなりに不相応な金額の保障がのこせるような保険であった。
「あった」というか今はまだその状態だから
自分の命をベットしている賭けだと考えるのであれば
今死ぬと金銭的におおきな「勝ち」になるのではあるが
ふかくは考えすぎずにはいってきた保険をトータル的にみわたしてみると
わりかしそんな感じであった。
そういう保険を「あまりよく考えずに」しかし結果からみて
はっきりとした傾向をもってえらんでいたのはぼく自身である。
そんなふうに人生をとらえてきたんだろうなあと思った。いま思っている。
長生きは今生の使命だと思い、
事実そのような努力を最大限してきつもりではいたが
こころのどこかでたぶんそんなに長く生きられそうな気がしないし
死んだら死んだでいつ死んでもいいしそれはそれでしょうがないな
でもそのための準備はしておかなければと過剰にたぶん思い込んでた。
ぼくのはいっていたのはそういう保険だ。
年が明けていろいろなことが動き出して
ようやくいろいろなことを考えられるようになってきて
それで保険の契約をみなおしてるところであるのだが
おそらく明日大幅に変更したあらたな保険を申し込んでくることに
なるだろうと思う。
あらたな賭けをしようと思う。今度は生きていくためのやくそくを。
今夜自分にその意志を問いかけている。
止まっても死なないらしい眠っても朝がくるからおやすみなさい (瀬波麻人)
そういうことがまえよりかなり信じられるようになった、ありがとう。