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2012/02/12

 
青春のはじまりは恋をしたとき
そして青春のおわりは生命保険に加入した時だ
という話をきいたことがあります。
今日は生命保険の話をします。
 
 
短歌の世界で保険といえば
ほとんどこの一首ともいうべき有名歌がある。
 
 
はつなつのゆふべひたひを光らせて保険屋が遠き死を売りにくる (塚本邦雄)
 
 
保険とは、保険屋とはそういうものなのだなあと思う。
当時実際保険屋はある種忌み嫌われる存在であったともいう。
 
ぼく自身の話でいえば先週と今日保険屋に行き、
そして明日おそらく契約に行く。
保険というのはじつにおもしろい。
こころの奥底で自分の命や死についてどのように考え判断してきたのか
如実に生き方やそのひとなりの未来予想図が濃く反映されるものなのだと
自分の保険内容をみなおしながらあらためてつくづく感じ入った。
 
このコラムにも書いたことがあるかもしれないが、
ぼくにとって今回の生におけるミッションを
はっきり「長生きをする」ということだと意識している。
10年くらい前からずっとこのことは強烈にしみこんでいたし
おととしNLP(神経言語プログラミング)のワークショップに
半年くらいかけて参加していたときにも
「自分にとっての最も大切な人生の目標はなんでしょうか」
というような究極的な問いにも確かにそのように答えている。
 
今もそのことにゆるぎはないのであるが、今回確認してみたところ
しかしぼくの実際はいっていた保険は基本的に長生きすることを
あまり想定していない、死んだらなにがしかのおおきなものが、
おそらくそれなりに不相応な金額の保障がのこせるような保険であった。
 
「あった」というか今はまだその状態だから
自分の命をベットしている賭けだと考えるのであれば
今死ぬと金銭的におおきな「勝ち」になるのではあるが
ふかくは考えすぎずにはいってきた保険をトータル的にみわたしてみると
わりかしそんな感じであった。
そういう保険を「あまりよく考えずに」しかし結果からみて
はっきりとした傾向をもってえらんでいたのはぼく自身である。
  
そんなふうに人生をとらえてきたんだろうなあと思った。いま思っている。
長生きは今生の使命だと思い、
事実そのような努力を最大限してきつもりではいたが
こころのどこかでたぶんそんなに長く生きられそうな気がしないし
死んだら死んだでいつ死んでもいいしそれはそれでしょうがないな
でもそのための準備はしておかなければと過剰にたぶん思い込んでた。
ぼくのはいっていたのはそういう保険だ。
 
年が明けていろいろなことが動き出して
ようやくいろいろなことを考えられるようになってきて
それで保険の契約をみなおしてるところであるのだが
おそらく明日大幅に変更したあらたな保険を申し込んでくることに
なるだろうと思う。
あらたな賭けをしようと思う。今度は生きていくためのやくそくを。
今夜自分にその意志を問いかけている。
 
 
止まっても死なないらしい眠っても朝がくるからおやすみなさい (瀬波麻人)
 
 
そういうことがまえよりかなり信じられるようになった、ありがとう。
  
  
 
 

2012/02/12 06:54 | senami | No Comments