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彼と初めて会ったとき、頭のいい人はいるのだなあ、とひどく驚いた記憶がある。若くして難関と言われる国家資格を複数取得し、独立開業して既に数年が経っているというその人はわたしの驚きを柔らかくいなし、僕は恵まれているのでと穏やかに笑った。
その人と一緒に仕事をするようになって、早数年。
最初の印象は日々を経てさえも変わらずにはあるのだけれど、追加された情報も少なからずある。例えば、やたらと夜に弱いとか。今目の前の彼は真っ赤な顔で、ふわふわと雲を踏むような足取りで歩いていた。ちなみに手に持っているのはノンアルコールのカクテルである。当然、素面だ。
「あれさえなければ完璧なのにね」
これは彼に巡る風聞を締めくくる最後の一言としてよく言われる。
彼はそのスペックの高さで女性陣からの人望は絶大なのだが、特定の誰かとうまくいったという話を聞かない。チームを組んで仕事をしており、彼とは最もよく話している私のもとへは彼となんとかして近づきたいという若い女の子達が日々訪れ、その度に彼の都合を聞いてセッティングまで世話を焼くのだけれど、ぜんぜん続かないのである。なぜか。おそらく、彼が異様に夜に弱く、七時を回ると眠くなってしまう――十時を回ると大体寝ている―ということに尽きる気がする。食事をして、さあこれからという段に既に睡魔に支配されているような体では女の子との会話がつまらないからと誤解されるのもむべなるかなということか。
「別に、つまらないっていうわけじゃないんですよね。ただ、眠いんです」
目をこすりながら、彼は弁解するように私を見た。時刻はもうじき八時になろうというところだ。そうだよね、と頷いてみせると彼は我が意を得たりとばかりに話し始めた。
「大体なんでみんな食事って言うと夜なんです? 朝でもいいじゃないですか」
「朝はみんな眠たいのよ」
「僕は夜の方が眠いです」
ちなみに彼のいう朝というのは午前四時頃を指す。ほとんどの平均的日本人女性はまだ寝ている。それがどうにも理解できないらしく、彼はその優秀な頭脳をくるくると回転させながら嘆いていた。
「まあいいじゃない。あなた、それ以外は完璧なのだし」
ぶすくれた子供のような表情になった彼のためにノンカフェインのお茶を頼んでやり、私は自分のためにビールを追加した。夫はもう帰っているだろうな、とちらりと思う。今のプロジェクトが始まってから、私の帰りはだいぶ早くなった。もちろん、朝はそれだけ早くなってもいるわけだが。文句ひとつ言わず、生活リズムを合わせてくれる夫には感謝をしてもしきれない。
「いいなあ。僕もはやく結婚したいです」
「そのうち現れるわよ、たぶんね」
なんの根拠もない私の言葉に彼はしょげた犬みたいな顔で頷いて、はやくそういう人を紹介してくださいね、などという。そんなことを人に頼んでいるうちはダメなんだけどなと思いながら、私はうちの課の女の子たちの顔をひとつひとつ思い浮かべていた。あの子はどうだろうか、それとも彼女は?
彼に釣り合う女の子は、なかなか見つかりそうにない。
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*今回の画像は「Photolibrary」さまからお借りしました。