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2013/12/10

誠実さは、愛する者にとって義務ではなく、権利である。

皆さん、おはようございます。
上の命題が、私の思い至った結論です。
そして、その結論を言いたさに、
コジ・ファン・トゥッテの重要な小道具に、
ある植物を選びました。

これまで、その小道具について、
何であるかを公開することを控えていました。
8日に出演者の顔合わせが終わり、
その席上で正式発表致しましたので、
皆さんにも公開することに致しました。

それは、白バラです。

着想の原点は、私がブライダル業界に携わっている、
その中の気付きからです。
何に気付いたかというと、
結婚式場には白バラが多用されているということ。
ほぼそれで埋まっているといっても
決して過言ではないのが、白バラです。

白バラの花言葉は、
誠実・尊敬・約束などです。
これらは、理想的な結婚に不可欠な要素ばかりです。
ですから、ブライダルに多用されるのでしょう。

そして、対立概念とまでは言わないものの、
今回私が言いたいことと対立的な概念の象徴として、
私は赤バラを選択しました。
赤バラの花言葉は、
情熱・愛する・熱烈な恋など、
白バラに比べるといささか一過性の感のある、
それだけで結婚すると後が保証できないような、
そういう言葉が並んでいます。

ドラベッラが赤バラを好むのと対照的に、
フィオルディリージは白バラを好む設定にしました。
そして、人物の気持ちや行動の意味を表す行為として、
それらのバラを抱いてみたり、誰かから誰かに贈ったり、
投げ捨ててみたり、拾い上げてみたり、
役者としては、この場面はどのバラをどうするのだったか、
きちんと把握して演技するのが難しい演出になりました。

もちろん、現段階では私の脳内で組み上げたプログラムです。
実際にやってみて、大事なところのバラ演技の効果が薄れる、
という判断をした場合、その前後の些末なバラ演技を
カットすることも視野に入れてはおります。
基準はたった一つ。
私がその場面の演出指示を書いている時、
心が痛かったものほど、大事なバラ演技だ、ということ。
痛まないことなら些末なバラ演技です。

白バラは誠実さの象徴ですが、
人を愛するということにおいて、
誠実さは義務などではなく、権利である、
というのが私の思い至ったことだと冒頭で述べました。
それはどういうことかというと、
フィオルディリージが、そしてフェランドが、
主体的に選択するのが白バラです。

誰かが誰かに誠実である、ということは、
誠実である者が最終的に選択することですから、
そして、それが愛ゆえのことであれば、なおさら、
その誠実さは誠実である者の権利だと思うのです。
なぜならば、心から愛する者であれば、
愛する対象に対して誠実であることは、
強制された不愉快なものではなく、
愛情と連動して喜びの種であり、実であるからなのです。
そして、永遠の願いでもあるからです。

私がこのオペラを通して言いたいのはただ一つ。
最も愛する人、愛してくれる人と結婚して、
幸せを築き上げていけばいい。
それだけです。
それは、誠実に向き合って生きていくこと。
日々、切磋琢磨し合って、尊敬し合える関係でいること。
権利といえども、行使するには努力が必要です。

そんな境地の象徴として、
白バラを多用する計画を立てました。

2013/12/10 01:21 | bonchi | No Comments