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例えば料理を作りながらああこれは彼の好物だった、とか、買い物にいっても彼の好んでいたテイストの服ばかりが目に付いた。これは未練とは違う。納得ずくで結婚し、納得ずくで離婚して、私たちは世間で言われるような修羅場には縁のない夫婦だった。
けれど数年間ともに暮らした人と離れたことで、どこか欠落感が漂うのも事実だ。これはあなたの使っていたカップ。これはあなたの好きだった歌手の歌。
ともに暮らしていた頃は、そんなことを意識することもなかったのに。
夫婦というより兄妹みたいだね、と私たちはよく言われた。
顔も似ていたし、背格好も近かった。恋愛というほどの感情もないままなんとなく付き合って、周りに押されるようにして籍を入れた。プロポーズの言葉は「そろそろけじめをつけましょうか」だったと思う。私の言葉に彼はちょっと考えてから頷いて、そうだねと生真面目に呟いた。隣の席でそれぞれに抱えた案件の書類を作りながら、残業中の会話だった。
一緒に住んでみると、彼は生活のパートナーとしては非常にいい相手だった。過度の清潔さも要求されず、適当にだらしない。彼の方でも私にはさほど多くを求めなかった。二年間隣の席で仕事をしてきたせいか、感情のスイッチになるツボはわかっている。共同生活は驚く程スムーズに始まり、思ったよりも快適だった。そうしていつの間にか本当の兄妹のように私たちは家族になるのだろうと思っていた。
離婚を切りだしたのは彼の方だった。
「今日内示が出た。海外に駐在になる。たぶん長期で」
ついて来て欲しい、と彼は言った。私は迷った。ちょうど自分の手がけたプロジェクトがようやく軌道に乗ったところで、同じ部署にいる彼はその様子をよく知っていた。仕事は子供のようなものだった。思いもよらぬところで手がかかり、泣いたりぐずったりして進捗は滞り、予定通りになど行くわけがない。彼自身、そうした仕事の成果が認められての海外出向になったのだ。ここで私に日本を離れろというのは仕事を捨てろということと同義だと、薄々は察していたのだろう。しかも長期で。私たちの勤務先でいう長期というのは、十年や二十年の長さではない。
いかない、と答えた私を彼は責めなかった。だろうね、と笑っただけだった。
そうしてただの他人に戻るための儀式のように薄い紙一枚を大事に回覧し、署名をし、押印をして、二人で役所に出しに行った。一緒にいない夫婦など意味なんなんかないよね、と話し合った末の決断だった。
離れてみて、私は思っていた以上に彼が好きだったのだと初めて知った。
この店は彼と行った、あの服は彼がいいと褒めた、そんなことばかり次々と浮かんでは消える。そんなに思うのなら別れなければ良かったのにと事情を知る同僚はいうけれども、それとこれとはまた別の話だ。一人になって知る彼のこと。彼もそんな風に私を思い出すことはあるのだろうかと思いながら、花屋で彼の好きな花を買った。
青い色のその花を抱いて帰りながら、今日は温かいものを食べようと思った。
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*今回の画像は「Photolibrary」さまからお借りしました。