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皆さん、おはようございます。
来年4月にはコジ・ファン・トゥッテを上演します。
1月のこうもりまで、社会的なことを取り扱ってきたのですが、
ここに至って初めて、個人的なことを扱います。
コジ・ファン・トゥッテでは、
モーツァルト個人の恋愛、結婚の話を軸に、
恋愛と結婚についての考察をしていきたいと考えています。
まずは、藤澤修治氏の論文ページを紹介します。
http://homepage3.nifty.com/wacnmt/
私のコジを理解してもらおうと思ったら、
最低でも、アロイージアの項は読んでいただかねばなりません。
しかし、かいつまんで言えば、こういうことです。
当初ウェーバー家の次女、アロイージアの人柄と歌の才能に惚れこみ、
二人は婚約するにまで至った。
モーツァルトの力添えでアロイージアはミュンヘンの宮廷劇場と契約し、
ウェーバー家の家計は楽になった。
しかし、アロイージアがモーツァルトと結婚してしまうと、
ウェーバー家からアロイージアの収入が消えてしまう。
その時、モーツァルトは定収入がある状態ではなかったから、
単にアロイージアの収入が消えてしまうだけ、
という可能性もあった。
そこで母親が横槍を入れ、アロイージアに因果を含め、
モーツァルトを袖にさせた。
その後、モーツァルトがウィーンに出るまでの間、
母親はアロイージアを宮廷俳優ランゲに押し付け、
年金をせしめることに成功した。
そして、ウィーンに出てきて、
ピアニストとしてデビューしたモーツァルトに、
セクシーな肉体以外に何も取り柄のない三女コンスタンツェを押し付けた。
その後、モーツァルトとアロイージアは寄りを戻し、
いわばダブル不倫の状態になった。
それはランゲ、コンスタンツェの知るところとなり、
モーツァルト夫妻の間に致命的な亀裂が入った。
加えて、モーツァルトが活動していたフリーメーソンが、
政府の政策転向で弾圧対象となり、
熱心な活動家だったモーツァルトは貴族社会から締め出しを食らい、
コンスタンツェにとってはモーツァルトの妻であることのメリットは、
ほぼなくなってしまっていた。
ところがモーツァルトはフリーメーソンの新支部を作ろうとし、
高収入な自分の稼ぎからその資金を捻出することは、
コンスタンツェが許さなかったからしなかったものの、
そのために家計外の借金を重ねてしまう。
借金は、支部開設が出来れば返済のめどが立ったものの、
最終的に頓挫してしまったため、借金だけが残り、
かなり追い込まれた状況となってしまった。
そこで、母親の発案、コンスタンツェが実行役となって、
1791年内のモーツァルトの死が計画され、実行された。
以上が、藤澤氏の説です。
殺害の真相云々はこの際横に置くとしても、
アロイージアとの絡みについて、藤澤氏の説を基盤に、
今回のコジのコンセプトを組み立てました。
次は、コジへの応用方法についてご説明しましょう。