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皆さん、おはようございます。
それでは続いて、実際の演出意図を説明します。
まず、男性3人の扱いですが、
これは、フィオルディリージを愛している1人の男を、
その働き、性質ごとに3分割した人格として設定します。
愛を追求するナイーブな青年としてのフェランド、
器用に意識のターゲットを替え、
オスの原理で動くグイレルモ。(注参照)
上手くいかない男女関係において生じる、
悪魔的でサイコな思考を司るドン・アルフォンソ。
※グイレルモは、グリエルモの古い言い方であり、
原台本も自筆譜もグイレルモと表記されている。
女性3人は、それぞれが独立した別人格として扱います。
もちろん、モデルはウェーバー家の娘たちで、
フィオルディリージがアロイージアを、
ドラベッラがコンスタンツェを、
デスピーナが主に四女ゾフィーを象徴します。
ゾフィーはアロイージア同様に心の優しい女性で、
死の床にあったモーツァルトを看病し、
看取った人です。
さて、ここで注目していただきたいことがあります。
それは、恋人たち4人の、声部とアリアの形式です。
女性では、フィオルディリージが正真正銘のプリマドンナです。
アッコンパニャート→緩→急
という形式の揃ったアリアを与えられているのは彼女一人です。
それに匹敵する男性は、というと、
フィオルディリージのパートナーではないはずのフェランドです。
完全な形式のアリアはないものの、3番目のアリアは、
アッコンパニャート→アリア、という、
フィオルディリージに準ずる規模のアリアを与えられています。
プリマとプリモがパートナーではない、
これはバロックオペラにおいて尋常ならざる事態、
きわめて歪んだ状態なのです。
つまり、初期設定のおかしさ、無理さを表しているのです。
で、実際はどうなのかというと、
1番手同士のフィオルディリージ&フェランドのデュエットと、
2番手同士のドラベッラ&グイレルモのデュエットはあるが、
元のパートナーとのデュエットは存在しない、
という極めて健全な(?)オペラ形態になっています。
どうしてこういうことになっているのか、
モーツァルトは何が言いたかったのか、
次はそれを読み解いていきたいと思います。