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皆さん、おはようございます。
「はだしのゲン」閲覧規制問題が、
ひとまずの決着を見せたようで、少しほっとしています。
そもそも、私はどんなものであれ、
閲覧を規制したり、発禁にしたりするのは好まない人間です。
例えば私、幼稚園の頃は大変エロ本好きでしたが、
その後成長し、今の私になっているところからして、
子供からエロ本を隠す必要はないように感じます。
むしろ、思春期になってから大人と攻防戦をする方が、
不健全なイメージを植え付けてしまいかねないと思います。
こんな人間ですから、ゲンの閲覧規制は
苦々しく考えていました。
閲覧規制を求める陳情の中に、
「間違った歴史観を与える」というのがあったようですが、
歴史観なんていうものは様々なわけで、
色んな人が色んな風に解釈する権利を与えられています。
ただ、一つだけ、ゲンのシチュエーションについて言えることは、
戦地に赴いてもいない一般市民にとって、
爆弾を落とされることは被害以外の何物でもない、
ということで、これは確かなことではないでしょうか。
無理やり徴兵されたとはいえ、
戦闘員である兵隊が駐屯している基地であれば、
そこに爆弾を落とすことは戦争という背景がある以上、
正当なことだと認めてあげても良いのですが、
非戦闘員が生活している広島や長崎に原爆を落とすのは、
仮に、戦争を終わらせるため、という、
落とす側の理屈を100%正しいと認めるとしても、
しかし、落とす場所は戦闘員の溜まり場だけにして下さい、
ということが出来ると思います。
あるいは、こういうことを書くと、
右翼の人間からはどう思われるかわかりませんが、
当時、敵国から見れば、日本の御大将は天皇なわけですから、
その天皇をやっつけるために皇居に爆弾を落とす、
ということなら、まだ筋は通った話だと思われます。
いわゆる、大本営への直接攻撃ですな。
当時の日本における価値観として、
国民全員の命と引き換えにしても、
天皇とその一家の命は守りたい、だったわけですから、
そんな国を人道的に最小限の被害で、と考えるならば、
天皇一家の命を奪ってしまうのが理屈としては正しいでしょう。
非戦闘員ばかりが何万人もいる都市を狙うのは馬鹿げています。
別に私はそうすべきだった、とは考えませんが、
単に理屈としてはそういうことになります。
正直に申し上げて、私にこの時代に関する歴史観とやらを
持つ気はまったくありません。
世界大戦と言われるように、みんなが戦争していた時代で、
日本に対して侵略戦争だと非難する国の中には、
てめえだって侵略してたろ、という例があり、
いわゆる「オマエモナー」が成立してしまう時代だったからです。
私に言わせれば、「とりあえずやめられたんやから、もうええやん」です。
どっちがどうだった、というのは、
また戦争に突っ込む余地を残すばかりです。
シンプルに、殺し合いはやめたら?が私の提言です。
殺し合ったらこうなる、というサンプルとしては、
はだしのゲンはありだと思うんですがね。
そして、「ショックが大きすぎる」というような
過保護な見解を言ってる親御さんたちに一言申し上げたい。
もし、ショックが大きくて、何か弊害が起きるとしたら、
それも含めて戦争災害であり、
後の平和のために受け入れるべき害なのだから、
自分の子供だけは守りたいなどというケチな考えは捨てろや、と。
読んだことでPTSDになる子供がいるかもしれない。
でも、その子は戦争したいとは思わないでしょう。
その一方で、私は自衛のための軍備はすべきと考えます。
しかし、攻め込まれてもその軍備を使うな、とも考えます。
威嚇のためなら軍備も辞せず。
しかし無抵抗、非暴力は貫く。
そのくらいの覚悟がなければ、世界平和なんて無理です。
やられたらやり返す、なんて思ってるうちはまだまだ。
ひょっとすると、無抵抗を貫けば、
暴力を使いたいものだけが生き残り、
生き残った暴力主義者同士が争って人間が絶滅するかもしれません。
でもそれならそれで結構、と私は思います。
人間とはその程度の生き物でしかなかった、ということです。
それならば、絶滅した方が良いのですよ。