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2013/08/04

皆さん、おはようございます。

再来年はほわっとで、
「フィガロ三部作」を1年かけて上演する、
というプロジェクトを考えています。
来年までで、「ダ・ポンテ三部作」、
つまり「フィガロ」「ドン・ジョヴァンニ」「コジ」
ダ・ポンテ台本、モーツァルト作曲という、
3作を完結させることになります。

つまり、モーツァルトの劇音楽を主軸に考えてきたのですが、
「フィガロ三部作」については、
ボーマルシェ原作の戯曲を中心に考えることになります。

「セヴィリアの理髪師」で愛し合って結婚した伯爵夫妻が、
「フィガロの結婚」でひびが入り、その後崩壊の危機に瀕するも、
「罪ある母」というプロセスを経て本当の許し合いに至る、
しかしその長く、つらいプロセスこそがそのテーマとなります。
そこには政治的背景がもちろん存在するのですが、
それよりも前面に出てくるのは、あくまでも伯爵夫妻の心です。
テーマの主軸にくるのは、ある男女の愛なのです。
それが、甘いものとしてではなく、
非常に辛口で、厳しいものとして取り上げられるのです。

なぜなら、そんな愛のあり方になること自体、
政治的な問題が存在するからなのです。
当時、庶民にはほとんどない愛のあり方だし、
ある側面については、貴族であってもない、
いや、貴族だからこそない側面もある、というわけです。

アルマヴィーヴァ伯爵の結婚は、
貴族の血を引くとはいえ、形式的には町娘であり、
医師バルトロの被後見人ロジーナとの、
自由恋愛による、身分を問わない結婚でした。
いわば時代の最先端の感覚といってよろしい。
それが、数年後には伯爵自身が、
肉欲のために自由恋愛を阻害する制度である、
初夜権の復活を目論む、という事態になり、
最終的に、彼らの子供が成人しようかという頃、
初めて夫婦の間柄が解決する、という
長い愛情の物語なのです。

これを、「セヴィリアの理髪師」については、
曲はロッシーニのものを使いますが、
そこで明るい話であるのは、
伯爵がロジーナと結婚できたことなのであって、
その他のことはドタバタにならないようにしたいと思います。

「フィガロ」は何度か上演していますけど、
この作品を、基本には置きたいと考えています。

そして、「罪ある母」は、
ミュージカルの要素も混ぜ、
時には私のオリジナル曲もちりばめて、
音楽劇の装丁にしようかと構想中です。

2013/08/04 03:11 | bonchi | No Comments