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皆さん、おはようございます。
只今、兵庫県立芸術文化センター主催の、
オペラ「セビリヤの理髪師」、絶賛出演中です。
9日がGPとはいうものの、
実際に観客を多数入れておりますので、
事実上の本番は9日からと心得ます。
12日の初日からと何が違うかといえば、
観客がお金を払って観ているか、
抽選で当たって金銭授受なしに観ているか、
という違いがあるだけ。(笑)
そんな違いは出演者の知ったことではありません。
観てくれている以上、一生懸命やるだけです。
さて、この「セビリヤの理髪師」というオペラ、
一般的にはロッシーニのオペラ・ブッファ最高傑作、
という風に言われております。
実際、何も考えずに見ていると、確かに楽しい・・・だろう。
涙を流して胸中を複雑にするようなところはありません。
あちこち笑えますから、笑っていただいて結構です。
しかし、この後どうなるかを知っている者としては、
かなり複雑なものがこみ上げてまいります。
ことに、私のようにボーマルシェの「フィガロ三部作」
というものをある程度知悉しており、
過程と結末を知っていると、
人生とは・・・と思わざるを得ません。
今回は日本語上演ですが、ある歌があります。
アルマヴィーヴァ伯爵がフィガロのギター伴奏で、
窓辺に立つロジーナに向かって歌うカンツォネッタです。
およそ、こんなことを歌います。
もし、私の名前を知りたいとお思いになるなら、
私の名前を、私の唇から聞き取って下さい。
私は、リンドーロと言います。
あなたを心から愛し、
妻に迎えたいと熱望しています。
それゆえに、あなたの名前を
いつも呼び続けているのです、
こうして朝から夜まで。
恋する誠実なリンドーロは
愛しいあなたには差し上げることはできません、
何一つ、宝物を。
私はおカネ持ちではありませんが、
心はあなたにお贈りできます。
愛に燃える魂は
誠実で、変わることのない
あなた一人のために
ため息をついているのです、
こうして朝から晩まで。
この曲を単純に求愛、求婚の歌として鑑賞できるのは、
無知にしろ故意にしろ、後のことを考えない場合だけです。
後というのは、特に次作「フィガロの結婚」のことです。
この作品で、今回結婚に至った伯爵夫妻がどうなっているか、
それを考えると、まず上記のカンツォネッタを、
素直に楽しむことなんてとてもじゃないけどできません。
なぜなら、台本上「フィガロの結婚」では、
夫婦間にすきま風が吹いており、
「セビリヤの理髪師」の頃のこと(つまり2年半ほど前)を
思い出してロジーナが歌うのが、
Dove sonoという3幕のアリアなのですから。
しかし、ここまでを考えることは、
オペラ関係者ならたいてい出来ることだし、
そこで終わってしまうなら、フィガロはフィガロとして、
セビリヤはセビリヤとして楽しめばいい、
という安直な結論に達してしまうのです。
私が問題視したいのはさらにその後です。
フィガロとスザンナが結婚したその後、
伯爵夫妻がどんな道を辿るか、
そこのところが完結編である「罪ある母」に書かれています。
最低でも「フィガロの結婚」から23年は経った、
1790年というのが時代設定です。
その23年間に何が起こったか、
それだけを考えると、伯爵夫妻はさらに崩壊したように見えます。
フィガロから1年ほどして、伯爵夫妻には長男が誕生します。
この長男は後に、決闘で命を落とし、
長男の誕生後間もなく、伯爵がメキシコ総督として赴任している間に、
ケルビーノとロジーナの間に出来てしまったレオン君を、
伯爵は次男として育て、
伯爵自身も、外で産ませたフロレスティーヌを、
養女という形にして引き取って育てています。
これが、親の決めた政略結婚の間柄であれば、
この程度のことは起こっても当たり前かもしれません。
ひょっとすると、夫妻ともに心に傷はないかもしれません。
ところが、この伯爵夫妻は熱烈な恋愛の末の結婚です。
どれほど傷つき、苦しんだ二人でしょうか。
しかしながら、これに対して、
「そらみろ、だから貴族ってやつは」
などとしたり顔をする人があれば、
私は、どこを読んだのか?と問い詰めたい。
伯爵の独白をきちんとキャッチ出来たのかを。
そうなのです。
この夫妻が、壊れておしまい、という結論ならば、
ざまみろ、とも思えるし、
「セビリヤの理髪師」のカンツォネッタを聴いても、
そんなことを歌ってるのは今のうちだ、
すぐに変わるから、うそつけ・・・
なんとでも罵声を浴びせることが可能なのですが、
実際はそう簡単にはいきません。
「罪ある母」を読了して感じるのは、
結局伯爵は、カンツォネッタの内容を、
18世紀貴族男性の範疇においては守りきった、
約束を果たした、と言えるということなのです。
伯爵は言います。
結局本当に愛しているのはロジーナだけだった、
他の女性への気持ちは単に征服欲でしかなかった、と。
私が「フィガロの結婚」2幕フィナーレ冒頭で、
伯爵にみっともないほどの乱れ方を要求したのは、
この「罪ある母」での伯爵の独白を受けてのことです。
スザンナについては、何が起こっても彼は怒るだけ。
しかし、ロジーナについては半狂乱になるのです。
そしてその後、愛の深まった伯爵は、
自分の種ではない子供をロジーナが産んでしまっても、
それを自分の子供として育てる、
ロジーナを館から叩き出したりしない、
もはや離れがたい関係にある、
という結論に達するのです。
それらすべてを思いつつ、
「セビリヤの理髪師」のカンツォネッタを聴く時、
人生というものの深さを思わずにはいられないのです。
彼らの間に流れる愛の深さを、思い知ることになるのです。
このオペラ、とても単純に笑って観てはいられません。
・・・私は、ですが。